アカデミズムの壁:学際的な研究合宿をデザインする!?

 今年の研究室の合宿は、去年同様、「学際的・異種混交・春合宿」とすることにしました。
 研究室のメンバー以外に、ご縁(En)のある方で集まり、「様々な研究領域の最先端を2日間で知る」という感じの「Camp」みたいな合宿です。

 名付けて「EnCamp(エンキャンプ)」。
 まんまやん(笑)

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 EnCampまで残り1週間。
 今、舘野さん(D3)、保田さん(M1)を中心にして、研究室のメンバーが準備をしてくれています。皆さん、お疲れ様です。リーダーのお二人、ありがとうございます。
 下記にその様子が公開されていますので、もしよろしければご覧下さい。

EnCamp2013(今年)
http://www.facebook.com/EnCamp2013

EnCamp2012(去年)
https://www.facebook.com/EnCamp2012

 今年のEnCampは、イノベーション研究、状況的学習論、学習研究、パフォーマンスエスノグラフィーの最前線を学び、研究者のキャリアを振り返る内容になるようです。ご参加頂ける研究者の方々に、心より感謝いたします。

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 リーダーのお二人がつくってくださっているEnCampのFacebookページを見ていて、「この15年間で、研究環境も変わったよな・・・」としみじみと思いました。

 まずわずか15年くらい前まで、「学閥」というのか「大学の壁」というのか「研究領域の壁」というのか・・・何といってよいかわかりませんが、「異なる大学のメンバー」「異なる研究アプローチのメンバー」が、一同に集まることは、あまりなかったように思います。

 僕は幸いにして、学部の頃は、学際系?のかおりのする先生!?のもとで研究指導を受けておりましたし、大学院では自由奔放に、いろいろな大学の方々と学ぶ機会を持たせてもらいました。
 こうした研究環境は、僕のような性格の人間にとっては、まことに幸せなことでした。だって、研究室の人よりも、研究室以外の人の方が、研究会とかで人は多いんだから(笑)。でも、一般には、まだまだそういう雰囲気ではありませんでした。

 他の大学の勉強会に出たりすると、教員から怒られたり、違う研究アプローチの研究会に出たりすると、「裏切り者めー」という感じでののしられたり、ほんの10数年前までは、アカデミズムの壁は高かったような気がします。
「今でも高いよ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも僕の研究領域に関する限り、その壁は、今よりももっともっと強固でした。

 そういう壁が少しずつ瓦解し、「同じ研究テーマを探究する人々」が集まれるプロジェクトが増え、そういうところにファンドがつくようになってきました。
 また、僕の研究領域に関して言うと、研究が大規模化し、実際に実務を担っている方々にご利用・参加頂きながら、データを取得する研究になってきますと、ひとつのアプローチや単一の研究者の手にあまるような規模にまで研究が膨らんできました。それは、研究という社会的営為の変化によって、もたらされた「構造的な変化」であるとも言うことができます。

 さらに、これに拍車をかけたのは、Facebookやら、Twitterやらのソーシャルメディアでしょう。メディア環境の発展によって、いろいろな人が自由につながれる時代になってきたと思います。

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 最近、大学院生を見ていると、たまに驚くことがあります。
 彼らは、僕の友人や、友人の指導している大学院生を知っている方々と、僕が思っている以上に、すでに知り合い、意思疎通しているのです。

大学院生A君「あっ・・・何々さん、こんにちは!」
中原の心の中「あっ、このふたり、どこで知り合っていたのかな・・」

 まことにあっぱれ。
 こういう状況が、最近、よくいわれる「Connectionism(つながりをつくることこそが学びという考え方)」のひとつかな、と想像しますが、自己増殖するネットワークをうまく駆使して、研究業績をあげていただきたいな、とも思います。

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 中原研では、春は、このように「学際的・異種混交・合宿」としています。一方、夏は、参加者を研究室のメンバーだけにしぼり、がっつりと学習の文献を読みます。

 開くこと、閉じること。
 オープンであること、集中すること。

 External Social Capital(組織の外側にある社会関係資本)と、Internal Social Capital(組織の内側の社会関係資本)のバランスをとりながら、何とかかんとか、「綱渡りの研究室運営」を行っています。ひゃー、おちるぅ。

 いつまで、このスタイルが続くかはわかりませんが、何とか、こうしたあり方を維持していきたいな、と思っています。

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 研究室の合宿とは「誰のためにあるのか?」
 
 この問いに対する答えは、意外なほど、一般には問われません。研究室の合宿は、伝統ある研究室ならば、古くから「やること」になっているし、「誰のためのものか?」なんて、あまり考えない。

 しかし、僕の考えでは、上記の問いに対する答えは、学生を含め「学ぶ人のため」でしょう。
 だって、誰も合宿してくれって頼んでないよ。やりたいからやるんですよね。いつやめたって、いいのです、やめたいのなら。

 ならば、せっかく貴重な時間をつくるのなら、自分たちの学ぶ機会を自分たちでデザインしてほしい。そうした機会を、決してルーティンや惰性で運営するのではなく、一回一回振り返って欲しい。きっとよい学びの機会になると信じています。

 僕自身、EnCamp、愉しみにしています。
 そして人生は続く。

  

投稿者 jun : 2013年2月27日 08:40