「宴会」でも「パーティ」でもない「第三の集い」:今の組織に必要な「集い」とは何か?

 今、上田信行先生との共著「プレイフルラーニング」を書いています。執筆は、かなりの困難を極めていますが(笑)、これも「産みの苦しみ」だと思い、今は、ただただ忍耐して書き続けましょう。月末には、他の原稿の校正が帰ってきますので、それまで何とか書き切りたいです。

 さて、この本を書いていると、「なぜ人は集うのか?」ということを非常に考えさせられます。本の内容に「集うこと、学ぶこと」が含まれていますので、必然的に、この問いについて考えざるをえなくなるのです。
 そこで、少し先行研究をたぐってみると、いろいろなことがわかってきます。興味深かったのは、代表的な「集い」である、「宴会」と「パーティ」の違いについてです。代表的な「集い」である、この2つは、実は異なる歴史的出自と目的をもっている、ということが印象的でした。
 今日は、こちらのお話を、少しだけご紹介しましょう。

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 「宴会」とは、もともと農耕社会のひとつの共同体における季節事の祭祀に端を発し、共食・共飲・遊興(芸能)を主軸とした祝祭空間であると言われています(小林 1995)。
  その目的は、共同体の構成員の紐帯の確認、帰属意識の強化をめざすものであるということです。故に、共食・共飲・遊興等によって、意識的にハレをつくりだすそうです。

 つまり、「宴会」とは、「メンバーの選択拘束性が強く、目的志向性が強い集い」であり、めざすところは「主従盟約」なのです(井上 1995)。そういう目的のもとに集うことが、「宴会」であるわけです。

 よく知られているように「一緒に飲食をする経験」、いわゆる「共に食べる・共に飲む(共食・共飲)」の経験は、「集団形成・維持」に少なくない影響をもっていると言われています。

 語源的にも、コミュニティ(Community)、カンパニー(Company)などの用語の接頭語、「Com」は「共に」の意味です。それは、人と人とが「共にあること」「つながっていること」を暗示している。そして、Communion(コミュニオン)は、「パンと葡萄酒を共食する霊的な絆・集団」を表現していました。そこで営まれる情報のやりとりが、Communication(コミュニケーション)です。

 そして、これがさらに発展し、外縁をなすまで発展したのが、Community(コミュニティ)となりますね。Communityとは、よく知られているように、職業・利害・宗教・血縁・地縁をともにする人々の集団です。
 これがさらに発展し、共同出資して、産業を興し、利潤を配当する集団として発展するのがCompany(カンパニー)なのです。

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 以上は「宴会」についてでしたが、対して一方、「パーティ」とは、19世紀以降の都市社会への移行後に実施されるようになったもので、共食・共飲は宴会ほど重視されておりません。特に欧米におけるパーティは食への執着はない場合が多いそうです。

 このことは、海外に留学して「パーティ」と名のつくものに誘われ、出かけたはいいけど、食べ物といえば「ポテチ」と「フィッシュ&チップス」くらいしか供されなかった経験のある人なら首肯していただける場合もあるのではないでしょうか。

「パーティ」は「宴会」に比べて、「祝祭性」は弱く、それはあくまで「日常」の延長上にあります。目的は「共同体の帰属意識強化」をめざす宴会とは明確に異なっています。「パーティ」は、プライベートな人間関係を発達させることをめざすそうです(小林 1995)。

 つまり、パーティとは「選択自由性・プロセス志向性が強い集い」であり、めざすところは「一期一会」なのです(井上 1995)。そこは、「共同体」というよりも、むしろ、「アトム化した個」が単位の空間であるということです。

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 上記の事実は、文化人類学や社会史研究をなさっている方なら、アタリマエダのクラッカー(古い)かもしれませんが、僕としては、非常に興味深く読みました。ほほー、という感じです、勉強不足ですみません。一見、宴会とパーティは同じものと見なされますが、歴史的に、異なった出自のものであり、また、めざすところが異なるものなのですね。

 ここからは、いろいろなことを考えさせられます。

 まず、会社でよく「宴会が少なくなった」といいますが、それは「帰属意識の弱体化」「共同体構成員としてのメンバーシップ」のあり方に揺らぎをもたらすことは、容易に想像がつきますね。それがおそらく集団形成に果たしていた役割は少なくないんでしょう。たかが宴会、されど宴会です。

 しかし、現代の組織でもはや「宴会」を増やすことには、あまりリアリティを感じません。他方で、帰属意識、組織としてのまとまりといったものが、求められています。多様性あふれる組織・会社には、そのようなものが必要になっている。組織開発といったテクノロジーが、最近、人口に膾炙するようになっているのは、その証左でしょう。さて、これをどうするのか。

 さらに考えを発展させると、こうも考えさせられてしまうのです。

 今、会社・組織が必要としているのは「かつての宴会」なのか、と。
 それに代替するもの、変わるものが、そろそろ必要になるのではないか、と。

「宴会」の基盤や出自は、先ほども述べましたように「農耕社会の村落共同体」です。ということは、もともとは、宴会は、「等質性の高い集団を想定した集いのシステムであり、そうした集団の維持のためのシステム」として考えることができます。

 しかし、現在の会社は、いまや「農耕社会の村落共同体」ではありません。組織の多様性や流動性がさらに高まっています。様々な雇用形態の人々、外国人や元留学生。社会的背景の異なる様々な人々が集っているのが、現在の会社です。

 かつて「いわゆる正社員、日本人、男性」を主な構成員としていた、同質性の他会、かつての会社・職場には「宴会」のシステムがマッチしていたのかもしれませんが、今の組織の状況は、その時代とは相当に異なっています。

 先行研究を読んでいて、もっとも印象深かったことはこの点です。

 もしかしたら、わたしたちは、宴会ではない「集い」のシステム、を新たに模索する必要があるのかもしれません。
 その際には、もちろん、もともと個を単位とした集いのシステムである「パーティ」を利用することはできません。

「宴会」でもない「パーティ」でもない「第三の集い」が今、必要になっているような気がします。

 その集いとは、どのような場でしょうか。
 そこでは、誰が集い、どのような共同活動に従事するのでしょうあ?
 私たちは、どのような「第三の集い」を求めているのでしょうか?

 皆さんの組織には「第三の集い」、必要ですか?

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  • 10:05  (4)宴会とは「選択拘束性・目的志向性が強い集い」であり、めざすところは「主従盟約」である。パーティとは「選択自由性・プロセス志向性が強い集い」であり、めざすところは「一期一会」である。(井上 1995)
  • 10:05  (3)一方、パーティとは、19世紀以降の都市社会への移行後に実施されるようになったもので、共食・共飲は宴会ほど重視されておらず、祝祭性は弱く、日常性は高い。特に欧米におけるパーティは食への執着はない場合が多い。プライベートな人間関係を発達させることをめざす(小林 1995)。
  • 10:04  (2)そう考えると、宴会では「手酌」が忌避される理由がわかるような気がしますね。「酒を相互につぐ」とは「共同体構成員の紐帯の確認」の儀式であり、手酌とはそれを犯すタブーであるということになる。
  • 10:04  (1)宴会とは、もともと農耕社会のひとつの共同体における季節事の祭祀に端を発し、共食・共飲・遊興(芸能)を主軸とした祝祭空間である。その目的は、共同体の構成員の紐帯の確認、帰属意識の強化をめざす。故に、意識的にハレをつくりだす(小林 1995)。
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投稿者 jun : 2012年5月14日 07:39