人生いろいろ、リフレクションいろいろ:リフレクションを整理してみた!

「人生いろいろ」という名曲があります。しかし、「いろいろ」なのは決して「人生」だけではありません。「人生いろいろ、内省いろいろ」です(こじつけ)。今日は、内省(リフレクション)とよばれる活動には、様々な種類があることがよく知られています。

 先行研究を読み込んでいくと、リフレクションを仮に便宜的にわける基準として、下記のようなものが提案されていることがわかります。ちなみに、僕が読んでいるのは、「組織と学習」関係の先行研究です。リフレクションは、人文社会科学の様々な文脈で取り扱われている概念ですので、他の分野ではどうなっているかまで完全にカバーはできていません。ぜひ、教えてください。

 1.リフレクションの「深さ」
 2.リフレクションの時間軸
 3.リフレクション主体
 4.リフレクティブエージェント

 たとえば、1)の深さによる分類。これは、reflection(内省) / critical reflection(批判的内省)という分類がよく知られています。

 前者のリフレクションが、デューイなどを祖にもつ反省的思考に近いもので、一言でいうと、「自分の経験を意味づけること(sense-making)」に近いものです。
 あなたの身体をもってなしえた体験は、それを意味づける行為、すなわち、リフレクションなしでは、「体験」のままになってしまいます。それを「経験」として位置づけるためには、いったん体験を離れ、それを意味づける機会を持たなくてはなりません。
 例えば、僕と金井先生の著書「リフレクティブマネジャー」で、「経験はしっかりと内省してはじめて学習になる」というくだりがでてきたときは、このリフレクションに基づいて述べております。

 対して、後者のcritical reflection(批判的内省・批判的省察)とは、フレイレやメジローなどの批判理論や批判教育学を背景にもつリフレクションです。「自分の立場や自分の活動を成立させている社会的背景・政治的背景・経済的背景について、もはや自明となってしまったものを問い直す」ということに近い気がいたします。
一言でいうと、どちらかというと、「常識・アタリマエを疑う」「背後にあるものに気づく」に近いように思います。フレイレの言葉を借りるならば、「意識化」に近いかもしれません。
わたしたちの目は、日常生活を生きていると、もれなく曇ってきます。組織の常識、職場の常識・・・様々な常識に自然自然と染まっていき、その背後に蠢く「不条理な力」「不条理な枠組み」を許してしまうのです。
 新しい考え、新しいものの見方を獲得し、さらには私たちが「主体的」に世界とかかわり続けるためには、一時的であっても、この「慣性(イナーシア)」、あるいは「慣性軌道」から抜け出す必要がでてきます。それを駆動させるのが、批判的内省です。

  ▼

 次に、2)の時間軸の分類。これは、いわゆる「過去」「現在」「未来」という時間軸で、リフレクションを整理する考え方です。

 自分の過去に関するリフレクションは「回顧的省察(retrospective reflection)」とよばれることがあります。それに対して、未来に関するリフレクションは、Prospective reflection」といいます。これはどちらかといえば、リフレクションというよりも、むしろ、「未来を構想する」「未来を描く」に近いですね。
 ちなみに「現在」は「retrospective reflection」と「Prospective reflection」のどちらにも含まれますね。「retrospective reflection」をなすときは、「過去を想い、現在を分析する」。「Prospective reflection」のときには「現在を手がかりに、未来を想うこと」がめざされます。

 「retrospective reflection」と「Prospective reflection」の関係を鑑みるとき重要視ししたいことは、リフレクションとアクション(アクション)の関係についてです。

 リフレクションは、アクション(行動)がともなってこそ、意味がある。
 
 別の言い方をするならば、

 あなたは「想う」。
 それ故に、あなたは「自己」と「世界」に変化をもたらす。

 これがリフレクティブ・マネジャーの要諦のひとつでしたが、願わくば「retrospective reflection」において過去を回顧することに加えて、私たちは、「Prospective reflection」によって、未来を描きたいものです。

 リフレクションがあるから、アクションの可能性がひろがり、アクションがあるからこそ、さらなるリフレクションが深まる。つまり、リフレクションとアクションは、表裏一体のものであり、循環する関係にあるのです。その意味では、retrpspective reflectionも、Prospective reflectionも、コインの裏表のようなものだと僕は思います。

  ▼

 第三には、リフレクションの主体です。
 これは、individual / collective (collaborative)という分類がよく知られていますね。
 前者のindividual とは、「リフレクションをする単位が個人の場合のリフレクション」です。要するに、ある人が「自分のあり方を内省すること」をいいますね。

 それに対して、Collective になった場合には、リフレクション単位が複数人のグループ、集団、組織になります。つまり、職場なら職場で、自分たちのやってきたことを振り返り、未来を構想し、アクションにつなげるならば、それは、collective reflectionになるのでしょう。

 例えば、僕は、共同研究者と数ヶ月に一度、山にこもって、リフレクションをする機会をもちます。ある研究者グループとは、

「僕・あなたの個人が何をなしえて、今後何をなすべきか」

 をお互いに考えるというリフレクションをおこないます。これは、リフレクションの単位が「個人」ですね。ですので、individual reflectionに近いことになります。
 一方、違う研究者グループとは、

「わたしたちが、何を成し遂げてきて、今後、何をなすべきか」

 を話し合うこともあります。これは、collectiveであり、collaborativeなリフレクションということになります。

  ▼

 第四に、リフレクティブエージェント(イネーブラ)による問題です。リフレクティブエージェントとは、「個人あるいは集団に、リフレクションを促す仕組み(方法)」のことをいいます。
 これはあげていけば無限にでてくるとは思いますが、よく知られているものには、individual / artifact / dialogue / boundary-crossing、などがあげられるでしょう。

 individualとは、個人が自分だけの独力で、自ら内省を駆動する仕組みです。一言でいうと、「自分で沈思黙考すること」をいいますね。これはなんてことはないですね。self-reflectionと紹介される場合もあります。

 Artifactとは、たとえば、LEGOブロックでも、粘土細工でも、何でもよいのですが、何かの作品作りをとおして、さらにはその作品を語り直すことをとおして、リフレクションを深める方法をいいます。俗によく、「Learning by designing」といいます。わたしたちは、何かをつくること、何かを表現することをとおして、「わかること」が確かにあります。

 dialogue(対話)とは、他者に語ることをとおして、語り合うことをとおして、実現するリフレクションですね。このことの重要性は、長岡健先生との共著「対話する組織」繰り返して述べました。
 これは僕の個人的な信念ですが、「人間は他者に開かれて、はじめて独立した個として成長できる」と思っています。ですので、僕にとっては、リフレクションも「他者に拓かれている」必要があるのだと思っています。

 最後のBoundary crossing(越境)とは、自分が今まで所属していた場、コミュニティを、いったん抜け出ることによって、実現するリフレクションのことをいいます。この可能性については、リフレクティブマネジャーの後半、「社外の学び」のところで述べました。

 ちなみに、リフレクションを促す手法については、これらの他にも様々なものが提案されていますよ。ツールを使ったリフレクション促進手段なら、無限に近いほど論文数があるのではないでしょうか。近いうちに、それを整理して、また、どこかで発表をしたいものです。
 リフレクション研究会とか、やるといいかもね、、、関係する論文を集めて、みんなで読みあう、みたいな。

  ▼

 とまぁ、今日は、リフレクションを先行研究にならって、こんな感じで整理してみました。このほかにも様々なものがありますが、今日はこのくらいで。

 今日のエントリーは、別にオチがあるわけではないのですが、こういう整理をしていくだけでも、いくつもの発見が生まれそうですね。

 たとえば、あなたがワークショップでやっているリフレクションとは、どのリフレクションですか? 何を、どのように、リフレクトしていますか? 

 などなど。

 リフレクションは、いまや人材発達、専門性発達の鍵概念として、いろいろなところで注目されています。いやぁ、「リフレクション学」、面白て深いですね。

 ---

追伸.こんな整理もあります。

リフレクションとは4cである(Eyler 1996)。継続的に(Continuous)、学問的知識と関連づけられながら(Connected)、自分のあり方・考え方を吟味するものであり (Challenging)、状況や文脈の中でなされうるものです(Contextualized)。

  

投稿者 jun : 2010年4月12日 13:15