ワークプレイスラーニングを考える!

 経営行動科学会の10周年記念である「経営行動科学ハンドブック」の執筆に、ひーこら、ひーこらと、取り組んでおります。
 神戸大学の平野光俊先生からご依頼いただき、執筆者の末席に加えていただいていたのですが、年度末の雑事にかまけ、さらにはいくつかの部分で「ひっかかるところ」があり、どうにも、こうにも、にっちも、さっちも、悩んでしまって、恥ずかしながら筆が止まっておりました。言い訳ですね。本当に申し訳ございません。この場を借りてお詫びいたします。

 僕が執筆しているのは、「ワークプレイスラーニング」の章です。
 執筆のためには、「先行研究読まなきゃね、あんた、いっつも、自分の院生に偉そうにホザいてるよね」ということで、このところ、これにかかりっきりでした。結論からいうと、ここを読み解くのに、かなり時間がかかりました。

  ▼

 抱えている困難は3つあります。

 第一の困難。
 それは、Workplace learningは、実は、「learning at work」「Learning in the workplace」「Workplace learning and development」「Workplace learning and performance」「Workplace studies and learning」「work-based learning」「off-the-job learning for the workplace」「incidental learning in the workplace」というかたちで、違った言葉で、様々に研究が(やりたい放題に)なされているということです。

 それらは、おそらく、従来の「OJT」や「OFF-JT」という人材育成の「ラベル」には回収できない、新たな「何か」を追いかけようとしていることは共通しています。しかし、問題は「新たな"何か"を探求するために用いられる「ラベル」は、微妙に研究者によって異なること」にあります。これをどのように扱ったらよいのか、どこからどこまでを、オイラは、カバーせなアカンのですかいのー、ということで、まんず、困惑しています。

  ▼

 第二の困難。
 それは、「理論的背景の説明がしにくい」ことにあります。

 上記に僕は、Workplace learning研究は、異なる様々なラベルのもとで行われていると書きました。当然、異なるラベルが用いられる、ということは、それを用いる研究者の主要な研究関心、そして理論的バックボーンも異なるのです。

 最大の問題は、理論的バックボーンですね。それが違いすぎてて、「ひとつの説明を、えいや、とつくるのが難しい」というのがあります。

「みかん1個とりんご1個をたすと、さて何個になるでしょう?」

 という問題を解かされている気分になります(笑)。

 Workplace learning 研究は、大きく分けて、

 1)実務家のニーズに応えて発展してきた学問カテゴリーである、という側面
 2)学習や認知の状況依存性といった理論的発展を裏打ちして用いられるようになった

 という側面があります。これらの異なる理論系をどのように説明しようかな、という問題です。

 前者はどちらかというと、Workplace learning にBehaviorismやパフォーマンス志向性を見ます。言い方は難しいですが、その背景にあるものは「近代(モダン)な学習観」といっても過言ではありません。
 しかし後者は当然、学習に対してポストモダンのまなざしを向けます。モダンなものを相対化するかたちで、それは主張されている。
 かくして、「折り合いの悪い二つの理論系、あんた、これ、説明すんの?」という問題が、「僕に残る」のですね。

  ▼

 第三の課題は、それが今も発展し、さらには概念自体を乗り越えられる努力がなされている、オンゴーイングの問題領域である、ということです。

 一言でいうと、

 働く大人が学ぶのは、ワークプレイスだけなのか?

 ということですね。もちろん、答えはNOですよね。Baradaccoが指摘するように、近年、企業の「境界」は、ますます不透明になってきています。この「境界」をまたいだ、つまりは「ワークプレイス」の「境界」をまたいだ学習のあり方が、にわかに注目を浴びているような気がします。

 かつては、イノベーションも企業内・職場内の「多様性」「異質性」によって生まれる、だから、リーダーはそういう「多様性」や「異質性」を生み出すマネジメントを実施するべきである、という論調が存在していました。
しかし、近年起こっている議論は、イノベーションの「バウンダリーレス」さであるような気がします。Workplace learningについて、いくつかの論考を残しているヘルシンキ大学のY. Engstromらも、「From workplace learning to inter-organizational learning」という主張をしています。
 
 そう、ここでも「境界」が問題になっております。

  ▼
 
 というわけで、言い訳がましいエントリーになりましたが、申し訳ございません。今回は、何とか、分量を短く、要約しなくてはなりません。自分としては、このような思いを持ちつつも、何とかかんとか、「まとめる方向」で書きたいと思っています。他にも、いくつも原稿を抱えておりますし、どこかで踏ん切りをつけなければならないな、と思っています。

 けだし、つくづく思うのは、「概念がぐちゃぐちゃ」「何かモノを申したい人が、自分の好き勝手言っている」という「Workplace learning」のような世界というのは、「いやー、愉快だね」ということです。
 こうした状態を「ネガティブに」とらえる考え方もありますよね。「まー、いやだわ、いかがわしい」という感じで(笑)。気持ちは大変良く理解できますし、僕も、内心、そう思っています(笑)。

 しかし、同時に、心の反対側では、「それには、発展の可能性がある」とも考えることができるんじゃないかな、と思っています。もちろん「可能性」は常に「ポジティブ」にも「ネガティブ」にも開かれておりますので、どちらの方向に進む(転ぶ?)のかはわかりませんが(笑)。

 畢竟、「いかがわしい世界」というのは、「これから変化がおとずれる世界」なのかもしれません。
 
 すごいものがでてくるか、はたまた混沌が生まれてトグロまいてんのか(笑)、それはわかりません。でも、僕は、そこに魅力を感じますし、そういう世界の物事に「Name the world」することに興味をもちます。

 誰に聞いても、同じ答えと定義しかかえってこない言葉というのは、「もうすでに問い直されることがなく、固定化してしまった言葉」です。それは「教科書にのる言葉」なのかもしれません。

 いずれにしても、せっかく与えてくださったよい機会ですので、この言葉の「カオスっぷり」「いかがわしさ」を、もう少しだけ愉しもうと思います。その上で、この言葉に対する自分としての整理や位置づけを明確にしたいな、と考えています。

 そして人生は続く。

  

投稿者 jun : 2010年3月30日 18:15