聞く営業!?

 先日、ある研修企画担当者から、下記のような質問を受けた。

「民間の教育ベンダーから、たくさんの営業の方が、お見えになります。が、どういう方とおつきあいをしていけばいいのでしょうか」

 僕は、企業で働いた経験はないし、営業に関する研究もしたことがない。研修を売ったことも、買ったこともない。営業教育などは、全く知らない。
 なので、上記に対して「データ、セオリー、経験の裏打ちのある答え」が出せるわけではない。あくまで「仮にもし自分だったら」という仮定法で、論を進める。

 しかし、自分の「数少ない経験」と「過剰なまでにたくましい想像力」を働かせて、上記の問いに対して「僕なりの答え」を出すのだとすれば、下記の一言につきるような気はする。

「もし仮に僕だったとしたら、"しゃべる営業"よりも、"聞く営業"を選ぶんじゃないかな、と思います」

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 なぜか?

 それは、「教育現場とは、いつも、個別具体的である」という僕の信念によるところが多い。

 教育現場には、その現場ごとに「状況」や「事情」があり、「認知的課題」「政治的課題」「倫理的課題」がある。
 現場をコントロールする人々の社会的関係も様々である。もちろん、彼らに科せられている、目に見えない「制約」や「負担」も様々である。

 そうであるとするならば、僕が顧客の立場だった場合、営業の担当者にまず願うことは、「しゃべること」 - 自己の製品やサービスをあの手この手を使って、オモシロオカシクPRしてもらうこと - ではない、ように思う。

 それは「最後には必要なこと」であるが、「まず一番最初に必要になること」ではない、と僕なら考える。

 僕ならば、「しゃべることを僕が聞く」よりも、「まずは、僕が話す現場の事情をじっくり聞いて欲しい」と願う。
 十分なヒアリングを通して得た「自分の理解」を語ってくれる営業の方と、おつきあいしたいと、僕だったら願う。

 かくも、不確実で、朧気で、曖昧な「現場の状況」を、コミュニケーションを通じて理解しあい、「学習目標」として明示化していける方とパートナーシップを組みたいと願う。

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 先日、民間ベンダーの研修開発担当者と話をしていたときも、「営業」の話になった。

 自分は研修開発担当者として、なるべく「現場に即した教育プログラム」を開発したいのだけれども、営業の中には、「研修を企画するのに必要な情報」を全くインプットしてくれない人も少なくない、のだという。

 下記のようなやりとりがなされることが多い、とのこと。

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営業「○○社さんから、OJT指導者向けの研修の開発依頼がありました。結構、いい値段をつけてくれそうなんですよ。ぜひ前に進めたいんですよね」

開発「いいけど。どういう話?」

営業「OJTが問題らしいです」

開発「問題ってどんな?」

営業「OJTがスタートしているんですが、OJT担当者によってOJTにばらつきがあるから、なんとかしたい、そうです。」

開発「ばらつきって、どんな? 何が、どんな風に、ばらついているんだろう?」

営業「・・・・人によってバラバラみたいですね」

開発「人によって違うのは、アタリマエじゃん。OJTのやり方がバラバラなの? OJTへの姿勢がバラバラなの? OJTの成果がバラバラなの?」

営業「バラバラらしいです」

開発「・・・・・なんとかしたい、って何をどうしたいの?」

営業「他社がどうやっているとか、今のトレンドとかを組み合わせて、研修をつくること、できませんかね?」

開発「あのね。そんなんじゃ、研修つくれないよ・・・もう一回、聞いてきてくれる?・・・もういいや、一緒に行こうよ」

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 もちろん、営業の方には、事情があり、言い分がある。

 顧客から持ちかけられる相談というのが、いつも、もれなく「バクッ」と、曖昧としている。
 限られた時間の中で「霧の摩周湖状態の顧客の思い」から、「重要な課題」を抽出し、開発担当者の求める「学習目標」を抽出することは至難のワザであったりする。

 ある重役に呼ばれて、こう言われる。
「うちの組織は元気がないから、研修で活性化してほしい」
 よくよく他の人に話を聞いてみると、「その重役」が「諸悪の根源」だったりする。そんなとき、何を「提案」すればよいのか。「こっそり教えますけど、あなたが原因みたいなんですよ。研修じゃ、そら何ともなんないな」そう言いたくなるのをぐっと我慢する。

 ある担当者にこう言われる。
「最近、Yesマンが多くて困っているから減らしてほしい」
「それは研修で対応できることなんでしょうか」と思わず口からでてしまうこともないわけではない。

 中には、「本音を言えば、やってることになっていればいいから。安くやることが重要だから」と嘯く顧客もいる。おおよそ、「やること」と「値段」のことしか興味がない。

 開発担当者や研修講師にも言いたいことはある。中には、「現場の事情」や「経営の事情」などには興味がない「先生」もたくさんいる。「教える世界」に閉じこもって、決して、顧客の生きる世界に耳を傾けようとしない。

「僕は教えるプロである。教えること以外には興味はない。こちらの手持ちのネタの範囲の中から、何を受講者に提供すればいいのかを言ってくれ」

 という人もいないわけではない。
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 育成担当者、開発者、営業担当者・・・企業研修にからむステークホルダーは様々である。それぞれの人々ごとに「思惑」があり、「事情」があり、「言い分」がある。

 でも、そのことは重々承知しつつも、やっぱり僕は思う。

 結局、現場に根ざした教育を生み出すためには、「それらのステークホルダーが、コミュニケーションを通じて、現場に対する理解を、相互にいかに深めあえるか」ということにかかっていると思う。

「現場に根ざした教育」とは、ひとりの担当者、ひとりの営業、ひとりの研修開発者、ひとりの研修講師だけで達成されるものではない。「現場にねざした教育」は、彼らのあいだに構築された「相互理解」、協調、協力のもとに、はじめて「達成」されるものである。

 そして、営業は、その最も「先鋭」を走る人物であり、かつ、ステークホルダーたちのコミュニケーションの「メディエーター(媒介者)」となることを期待されている。だから「聞くこと」は重要なのではないか、と思う。

 だから、もし仮に僕が担当者だったら、「最初から饒舌な営業」はきっと好まない。
 研修や教育というものが、「かたちのないサービス・商品」であるからなおさらだけど、「きちんと話を聞いてくれる方」とお付き合いしたいと願うのではないか、と想像する。 

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追伸1.
 昨日9月1日から、「ワークプレイスラーニング2008」の募集がはじまっています。今日現在で、既に320名の方々からお申し込みをいただきました。ありがたいことです。心から感謝いたします。
 10月31日(金曜日)、参加を御希望の方は、ぜひ、お早めにお申し込み下さい! 皆様のご参加、心よりお待ちしております。

ワークプレイスラーニング2008
http://www.educetech.org/wpl2008/

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追伸2.
 若手研究者S先生との「対話」の中から。
 今日の気づきです。

 ポストモダンの価値は、「"絶対と思われる価値"を相対化した結果に生まれた、ペンペン草すら生えない"焼け野原"」にあるのではない。

 「ホープレスな焼け野原」を生み出してしまったことをもって、ポストモダンの言説が責められる所以はない。

 ポストモダンの本質的価値は、"焼け野原"についても学び、さらには「"焼け野原"もやはり不毛であること」をキチンと学んだうえで、そこから何かを生み出そうとする意志にあるのではないか。

 うーん・・・また考えよう・・・次に彼にあうときまでには、あたためておこう。
 さぁ、入試業務に戻らねば。

  

投稿者 jun : 2008年9月 2日 09:57