感情労働と教育現場:モンスターペアレントのイチャモン

「感情労働」という専門用語があります。アーリー=ホックシールドという社会学者が提唱した言葉で、のちに「感情社会学(Sociology of emotion)」という一大研究領域をつくりだした用語です。フェミニズム関係の話でよく取り上げられる文献ですね。

 僕が社会学学徒ではないので、昔読んだ本のことを思い出しながら書くと(スミマセン、はっきり覚えていません)、ホックシールドさんはこんな風に言ったのではないかな、と思います。

 曰く、サービス産業に従事するということは、「感情や心を切り売りするということ」、いわゆる「感情労働」に従事することである、と。

 「客」を前にして、労働者は自分の「心」を管理し、演技を行い、どんなクレームにも平静を保ち、よい印象を与えることが求められる。要するに、いかなるときであれ、感情を管理し、操作し、「印象操作」を行うことが求められる。これが「感情労働」の本質です。

 産業革命以降、人は「体を切り売りする」、つまりは「肉体労働」に従事していました。「工場でめいっぱい働いて、あー、筋肉が疲れた、さー飲みに行こう!」という感じの労働。

 しかし、感情労働は違いますね。「心が疲れる」。それは、自分を殺し、自分を演技する。

 ホックシールドさんがあげた感情労働の事例としては、スッチーがあります。たしかデルタ航空?だったと思うのですが、そこでの客室乗務員の職務というのは、感情を押し殺し、客の理不尽な要求にも耐えるものであった。

 たとえ、「困ったちゃんの客」がいても、客が悪いとは考えてはいけない。「うわー、この客、マジウゼー」と思ってはいけない。

「そういう客に対して嫌悪の感情をもつこと、そのことが、そもそも客室乗務員としては不適切であり、禁止されている」のです。それでお金をもらっている。だから、常に精神的に追い詰められる可能性があるのですね。

 ちなみに、ホックシールドさんは客室乗務員を感情労働としてあげましたが、客室乗務員は肉体労働でもあるみたいよ。

 先日、客室乗務員の方にお話を聞いたら、あの飲み物とか食べ物を運んでくるカートは、40キロもあるらしい。あれをゴロゴロしているうちに、腰をいためるのだとか。うーん、40キロは重すぎるよな。
 でも、よくトイレに行きたいときなんか、カートの「脇」をとおしてもらいますよね、すみません、とかいって。これって、重いだろうね、だって、40キロを横に動かさなくてはならないだろうから。

 閑話休題

 感情労働については、まー、いいとして、僕が言いたかったことは、教育の現場、その労働も、急速に「感情労働化」しているのではないか、ということです。

 教育が「サービス」として位置づけられ、親や子ども、学生が「お客様」化していく。そうした教育の「市場化」の動きとあいまって、教師の労働の「感情労働化」が進行する。

 最近は、イチャモンをつけてくるクレーマーの親のことを「モンスターペアレント」と言うそうですね。こないだ、ある現場の先生に教えてもらいました。

「教育もサービスなのだから、○○してくれてアタリマエ」

 という感じなのでしょうか。そんな親だけでなく、なんか、自分の立場を勘違いしちゃってる子どもいると思うけど。

 そうしたモンスターのような親や子どもの肥大化する欲望に、いかに自分の感情を殺し、管理し、演技をして対処するか。サービス提供主体に位置づけられた教師は、ハッキリ言ってキツイですね。

 でも、なんか、こうした教育の現場の「感情労働」が行き過ぎると、その先に広がる地平は、いくつかの可能性しかないのかな、と思ったりもするのです。そしてそれは長期的に考えれば、教育の受け手にとって必ずしも得にはならない。

 この可能性を考えるにあたり、前提として「人間の感情労働力は有限である」ということがあります。感情のマネジメントは無限にできることではない。だったら、いくつの「可能性」がありうるか。

 感情労働については専門じゃないので無責任に言い放つけど、下記のようなシナリオが、何となくありえることかなぁ、と。

 ひとつ、そもそも、教育現場からの逃避。もうやってられない、という風になる。

 ふたつめ、教師の役割の限定化。かつてある社会学者は、「教師の職業は無限に続く」と言いましたが、それが崩壊する。9時から5時の終業時間だけしか、対応しない。

 みっつめ、マニュアル化。まともに感情をもって対処するのがしんどい場合には、そもそも感情を介入させなくてもよいシステムを構築する他はない。親と子どもとのインタラクションには、マニュアルに従って、マニュアルにそって対応するようになる。

 よっつめ、教師に対するカウンセリングサービスの導入。彼らの感情をマッサージする職業が広がる。

 いつつめ、専門家の介入。教育現場にカウンセラーが入ったときと同じように、「お客さん」対応を行う専門の職業が学校に導入され、活躍するようになる。

 要するに、どのオプションも、教育の提供側と受け手の回路は薄まることはあっても、強固なものになることはない、ということなんだけど。どうでしょうか・・・僕の「不足する想像力」では、このくらいのオプションしか、思い浮かびません。

 いずれにしても、シンドイよなぁ。

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追伸.
 先日からちょこちょこと見ている、我がサイトの「ヘナチョコWeb解析ツール」によりますと、このblogの1日の読者数が、先日15日、とうとう1万人を突破しました。ページビューは1日3万ページ。ありがたき幸せ、ごっつあんです。小生、さらに励みます。

  

投稿者 jun : 2007年6月21日 07:00