人事、教育、事業部、トップのディスコミュニケーション

 組織にはいろいろな定義がありますが、それは「コミュニケーションの束」と見立てることもできます。そして、どんな組織にも「ディスコミュニケーション(コミュニケーションの断絶)」は存在します。

 誤解、無理解、葛藤、断絶。「人がいるところに、ディスコミュニケーションが存在する」といっても過言ではありません。

 もちろん、企業・組織の「人材育成」を行う部署にも、それは存在しています。

 ここ数年、僕は、様々な組織人材育成の担当者の方々とおつきあいしたり、ディスカッションさせていただく機会を得てきました。が、次第に、そこに存在する「ディスコミュニーケーション」に気づくようになってきました。

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 僕が「教育屋」という「圧倒的外部」の目で企業や組織に接しているせいでしょうか。僕の目には、「人材育成」をめぐるディスコミュニケーション」は、幾重にも重なって存在しているように映るのです。

 こんなことを書くと、また「無責任大放談」だというお叱りをうけるかもしれませんが。最初に謝っておきます、すみません。今日は、敢えて、僕の網膜にうつった「人材育成のディスコミュニケーション」を戯画化して、極端に描いてみましょう。

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 まず、もっともわかりやすいのが、「人事担当者」と「教育担当者」のディスコミュニケーション。

 大きな企業になりますと、人事部(総務部)の中に人事部門・教育部門が分かれてある場合があります。この両者の乖離はスゴイな、といつも思います。

 僕は、「人事担当者」と話す時と、「教育担当者」と話す時には、同じ内容を話すときでも、話し方、使う言葉を変えます。そのくらいディスコミュニケーションがあると思います。

 わたしの感触からすると、人事担当者はどちらかというと、「Harvard Bussiness Review」などが好きな方が多いように見受けられます。

 彼らの使う語彙は、マネジメントの言語です。ジョブローテーションで、彼らはたまたま、今は人事部門にいる。自分が担当している間に、新しいマネジメント理論や手法を用いて、何か新しいことをしてみたい・・・組織変革を人的な側面からなしとげたいと思っていらっしゃる方が多いように見受けられます。

 なぜそうなるか。

 それは、おそらく、彼らとマネジメント層の近さによるのではないでしょうか。人事担当者は「人事」というトップシークレットを扱っている上、役員とのコミュニケーションが多くなりがちですね。だから、自分の立ち位置がどうしても「経営」の方になってしまう(・・・と教えていただきました)。

 一方、教育部門の方は、一言でいえば「ホメオスタシス(恒常性)」。「昨日までのようにかくありたい」です。

 人事の方が「マネジメントの言語」を使うのに対して、彼らは「経験」の言語を使う場合が多いように思います。

 歴史上の偉人の格言や名言も、彼らが好むところでしょう。頻繁にでてきます。

 最もよく引用されるのは、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 山本五十六の格言「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」です。ピアジェやデューイよりも、この世界では「山本五十六」、これです。

 非常に興味深いのは、彼らの言語が「経験の言語」であって、「教師の言語」でも、「教育の言語」でもない点です。ある先生によると、教育を「自叙伝的」にとらえる、というのでしょうか。

 自分の研修を真摯に見つめ、ワザを磨く一方で、逆に、それ例外のこと - つまりはマネジメントや外部世界 - にはあまり関心がない方が見受けられます。あるいは、「そこは自分の範囲外だ」と思っている方が多いように見受けられます。

 そう思わざるをえない背景には、彼らの抱える「現場」がある。「現場」では、日々、細かい仕事が発生します。細かい仕事をこなすことは、大変時間がかかる。だから、リスクをとり新しいことをするよりは、やはりホメオスタシスであるほうがいい。それは生存戦略としては「コレクト」であるのです。

 実は、教育部門の内部には、さらに深い「ディスコミュニケーション」があるようにも思います。

 教育部門でずっとやってきている人と(ごくたまにいる)、50歳くらいまで営業・事業部で第一線にいて、そのあとに教育部門に来た人のディスコミュニケーションです。

 就職以来教育部につとめる、前者は、事業部での経験がないゆえに、教育技術や手法に興味がもつ傾向があるように思います。

 対して、後者は教育技術や手法には興味がない場合が多いですね。研修などを企画すると「鬼の営業○○さんにノウハウを聞く」みたいな研修を企画しやすい。

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 次に人事・教育部門から一歩外に足を向けてみましょう。

 そこには、いわば「デスバレー:死の谷」のような、事業部と人事教育部門のあいだのディスコミュニケーションが存在します。この「死の谷」にはペンペン草も生えません。

 日々ノルマに追われ、カネを稼ぎださなくてはならない事業部は、基本的に時間がない。
 何か人事教育部門が企画しようものなら、「また、役に立たないもの企画しやがって・・・もっと役に立つものをやってくれよ」と、心の奥底では思っている場合もあるようです。

 ポイントは、この「役」です。「役」って言ったって、いろいろある。人生いろいろ、「役」もいろいろ。

 この場合の「役」はタメになるとか、視点が広がる、とかじゃない。「役=業務にすぐに役立つ=業績があがる=カネがもうかる」という意味です。

「仕事がうまくいくいかない=儲かるもうからないは、教育だけじゃなくて、アンタの努力やセンスだって関係するだろ」

 と、人材育成担当者ならば、言いたくなるハズです。でも、それをグッと押さえなくてはなりません。要するに、教育関係者「以外」にとって、「教育とはコエダメ」なのです。

 世の中一般では、何か都合が悪いものが生じると、すぐに「教育で何とかしろ」ということになるのです。そのくせ、一方では、「教育なんかに期待しない、必要なことは全部現場で学べ」なんて言う。そんな都合のよい思考停止ワードが、「教育が悪い」なのです。

 閑話休題

 事業部の長は、時々判で押したように、「研修の投資対効果は何なのか?」という問いを人事教育部門に投げつけ、彼らの動きを牽制したりする場合があります。

 この「問い」は「牽制」であって「質問」ではありません。ここにも「研修には期待していないのに、期待する」という二重性が見て取れますね。一言でいえば「イチャモン」です。

 でも、これは利益追求を一義とする会社としては「理屈の通るイチャモン」だけに、人事・教育部はアタマを悩めることになります。

「研修だけで、明日から劇的に人間が変わるわけねーのに、投資対効果なんて、数字にできるわけねーだろ」

 と「ちゃぶ台」をひっくり返したいのですが、「星一徹」ではないので、そんなことはできません。

 人事教育部門からすると、事業部は「カスタマー=教育サービスを買ってくれるお客様」ということになります。ですので、基本的には丁重に接する。

 事業部が、全社の方針に従わないこと、あるいは自分たちの研修に人を出してくれなくなることを、極端に恐れています。

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 最後のディスコミュニケーションは、トップとのディスコミュニケーションです。

 人生いろいろ、トップもいろいろですが、基本的にトップは2つの欲望をもっているような気がします。このあたりは、会社によりますけれども、基本的パターンは、1)人材育成に力を入れていると言いたい、2)でも、コストを抑えたい、です。

 特に1に関しては、昨今、声高に叫ぶ。「人は城」でも、「人は財産」でもいいのですが、それさえ言っておけばCatch Allです。ですが、そのためにコストをかけたいなんて、サラサラ思っていないことが多いように見受けられます。「人に投資する」という考え方は、まだまだ根付いていないのが現状ではないでしょうか。

 また、トップは「経営と教育をなるべく連動させたい」と心のどこかで思っているような気がします。要するに、新たなマーケットを創出したり、ある特定の事業を強化しようとするときに、それに必要になる人材を効果的に育てたいと思っている。

 でも、ここまで述べてきたようなディスコミュニケーションが、社内に横たわっている限りにおいて、なかなか「経営と教育が連動すること」は難しいように思います。

 それは、僕が思うに、人事・教育部が悪いとか、事業部の無理解が悪い、とか、そういう次元の問題ではないのです。

 一言でいえば、

「経営と教育を連動させようとする側=事業部、人材育成部」が連動していない(=コミュニケーション不全に陥っていることが多い)。であるからして、そもそも経営と教育が連動するわけがない

 ということです。それは「構造的」かつ「組織的」な機能不全である。僕には至極当然のことのように思えるのですが、いかがでしょうか。

 かくして、もうひとつのディスコミュニケーション - トップと事業部・人事教育部のディスコミュニケーションが完成することになります。

 一時期「経営と教育を連動させる手法」として「コンピテンシー概念」が注目されましたね。はじめてそれを目にしたとき、企業の世界ではマクレランドが注目されていると知って、びっくりしました。

 もちろん、コンピテンシー概念を否定するわけでは全くありません。が、膨大な費用をかけてコンサルタントを雇用し、ディクショナリをつくるよりは、「それ以前に、コミュニケーション不全を何とかしたほうがいいんでないの」と思えて仕方がありません。

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 今日お話しした内容は、データに基づかない、あくまで僕の経験に根ざした、僕自身の外部感覚です。それを敢えて戯画化してお話ししました。そういう企業もあるでしょうし、違った組織もあるでしょう。

 ただ、人材育成にからむ組織内のステークホルダーたちを、いかにシンセサイズするか。そのコミュニケーションを円滑にすすめるか。彼らを共通の目的にinvolveさせるための共通言語や、参加型の機会・・・これが今、求められているような気がします。

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 ちなみに、今日は、企業について話しました。企業以外の人は「へー」と読んだかもしれませんね。でも、これに似たコミュニケーション不全の構造は、学校であろうと、同じなのではないかと思うのです。程度の差こそはあれ、組織があるところには存在するのだと思います。

「人を育てること」がコミュニケーション不全によって阻害されている可能性がある。そういう視点で、あなたのいる組織を見つめてみてはいかがでしょうか。きっと新しい視点が開けるはずです。

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※本エントリーを書くにあたり、K大学のK先生にご意見をいただきました。ありがとうございました。

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投稿者 jun : 2007年3月 3日 22:10