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2009.2.13 13:22/ Jun

新人研修のこと

 昨夜、某社での会議。新人研修の新たなコンセプトについて、関係するメンバーで議論した。
 議論は昨日のセッションで終了。このプロジェクトは、僕の関与を離れ、新たなリーダーのオーナーシップのもと、新たな中核メンバーが協力して実施する段階に入った。大変嬉しいことである。
 新たなコンセプトは、今年の春、どのように「実」を結ぶのか。非常に愉しみである。
 ▼
 今回のプロジェクトに関係したことがきっかけで、「新人研修とは何か?」という根本的な問いを結構考えた。これについてはまた別の機会で詳しく触れるが、ここでは、最も興味深かったことを、ひとつだけ紹介したい。
 実務に携わる方にとってはアタリマエのことかもしれないが、それは、
 新人研修は、ほおっておけば、複雑化し、肥大化し、詰め込み型化する
 ということである。
 これは、世の中の出来事が複雑化・不確実化し、扱わなければならない知識が領域越境型になっていることと無縁ではない。各ライン(現場)で、人は、常にそうした複雑・不確実な状況を前に、領域越境型の知識やスキルを駆使して、仕事をすることが求められている。
 もし、新人研修で扱うべき教育内容が「各ラインで必要になっている知識・スキルの和集合である」と仮定するならば、そこで扱わなければならない知識・スキルは、幾何級数的に増大することを免れ得ない。
 もちろん、新人研修にかけられるリソースは限られている。日数は減ることはあっても、多くの場合は伸びない。そうすると、どのようなことが起こるか。
 それが「詰め込み型化」である。
 リソースは限られているので、複雑化・肥大化した知識・スキルをすべて扱おうとすれば、結局、「詰め込み型」の講義・授業になりかねない。ひたすら講師が壇上で講義をする。「わかること」が目的なのではなく、「カリキュラムをすべてこなすこと」が目的になる。
 協調学習、プロジェクト学習といったスタイルの授業は、どうしても、リソースをより多く必要とするので、忌避される傾向がある。
 一言でいうと、
 「詰め込めるだけ、詰め込んで」
 ということになる。
 当然のことながら「詰め込み型」の授業の学習効果やパフォーマンスは低い。
「ラインから必要とされた知識・スキルは、きちんと新人研修で扱いましたからね」という「タテマエ」を守ることにはつながるかもしれないが、なかなかパフォーマンスを発揮できない新人が生まれることになる。
 かくして、心あるインストラクター、心ある教育ベンダーの担当者は悩むことになる。
 ▼
 問題が最も顕在化するのは「詰め込めるだけ、詰め込んだ新人たちが、職場にいった後」である。
 研修中に実施されるテストはクリアしても、職場にいったら、なかなか仕事に着手できない。そのとき、おそらく、ラインのマネジャーはこう怒号を発するに違いない。
「今年の新人は使えない!」
 すべては、「新人の努力や能力」に原因帰属される。
 次にでてくる言葉は、
「新人研修では何を教えているんだ!」
 だろう。
 この言葉に対して、人材育成担当者は、きっと、こういうに違いない。
「新人研修では、すべてちゃんと教えました」
 確かに新人研修では、教えたことは教えた。しかし、問題は「教えたこと」と「わかること」と「できること」は、それぞれ別の話だ、ということである。
 かくして、ラインでは「今年の新人は使えないよねー」的な言説が広まる。「結局、職場にきてすべてを教えなければならないのなら、スタッフ部門で新人研修をやる意味があるのか」という疑問も、ふつふつと生まれる。
 ▼
 以上の寓話の「問題点」はどこに存在しているのか。
 
 それは、「新人研修が各ラインで必要になっている知識・スキルの和集合である」という前提にある。サラリと「和集合」と書いたけれど、これは本来「和集合」である必然性はあまりない。
 本来、考えなければならないことは2つである。
 ひとつめ。
「何を新人研修で教えるのか」という事と同時に、考えなければならないのは「何を新人研修で教えないのか」ということである。ここに必要なのは「エディティング(編集)」である。ラインのもとめる能力や要件には「重複」があったり、要約できるものもあるかもしれない。それを「エディティング」し、取捨選択することがどうしても、必要になる。
 ふたつめ。
「何を新人研修で扱い、何を職場で教えるのか」ということに関して、職場と人材育成担当者がコンセンサスをつくることである。ここに必要なのは、「コミュニケーション」である。否、コミュニケーションの場なのかもしれない。新人の育成について、ちゃんと話し合う場がどうしても、必要になる。
 ▼
 くどいようだが、世の中の複雑化・不確実化とあいまって、新人研修は、そのまま処置をしなければ、複雑化し、肥大化し、詰め込み型化する運命にあると、僕は思う。
 今以上に、エディティングとコミュニケーションが求められている時期はない。

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