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2006.8.4 16:00/ Jun

日記、読書感想文のこと

 嗚呼、夏休みですね。
 小さなお子さんをお持ちの方は、毎日、大変な日々をおくっておられるのではないでしょうか。
 ところで、夏休みを迎えることは、子ども時代の僕にとって、「楽しみ」であるのと同時に、「恐怖」を感じることでもありました。
 北海道の夏休みは、7月25日から8月20日。この短い夏休みの間に、「7日分の日記」と「1編の読書感想文」を書き上げなければならないからです。
 今でこそ、毎日毎日飽きもせず、最近は、自動更新機能まで使ってblogを書いている僕ではありますが、中学生に入るまでは本当に文章をつづることが、イヤでイヤで仕方がありませんでした。
 机に原稿用紙を広げ、鉛筆の端をなめなめ、何度も何度も書き直し、消しゴムをかける。原稿用紙はだんだんとしわくちゃになり、黒くなる。そして、最後には紙をビリリっ、あっ、ヤベーと破いてしまう。
 これでもうやけのヤンパチです。あとは、「箸にも棒にもかからない、腰砕けの文章」を書き殴る。
 あー、めんどくせー、終わった、終わった・・・やっつけ仕事きわまりないので、その文章に愛はない。
 このように僕にとって、文章を書くことは苦痛以外の何者でもなかったのです。
「あんたの日記は、いつも最後は、”楽しかったです”で終わるよねー、なんか他にないのかい?」
「あんたの読書感想文は、いつも、最後は”感動しました”だよねー、なんか他にないのかい?」
 と母親に言われたこともあります。きっと、僕の「あまりに稚拙な文章」を読んで、親として「トホホ」という感じだったのでしょう。
 こういう経験、皆さんにはありませんか?
 僕だけではないハズだと思って、カミサンに聞いたら、彼女も日記が苦手だったようで、たまにヤケで作文を書くことがあったようです。
「ところで、リカちゃん人形の足はやわらかい…」
 すごい日記だね(笑)。痛烈に覚えているそうです。この後に、どんなオチをつけるのでしょうか。
 でも、多かれ少なかれ、多くの人はこういうしょーもない文章を書いたことがあるのではないでしょうか。
 —
 しかしながら、今になってよーくよーく考えてみれば、僕は「日記とか読書感想文とかいうものが、なんたるものなのか」「日記とか読書感想文で何を求められているのか」を知らなかったのではないかと思うのです。
 どうも当時の僕は、
日記=その日にあったことだけをかく文章・・・だって日記なんですから
読書感想文=本のあらすじを書いて、最後に、感動しました、と付け足す文章
 と思っていた節があります。
 それに対して、日記、読書感想文というのは、オチは「わたしの経験とそれに基づく感情」で終わると書きやすいのです。
 つまり、
日記の場合は、「日々のネタをきっかけにして、それに似た自分の過去の経験や体験を叙述し、考察する」
読書感想文の場合は、「読んだ本の話をきっかけにして、それに似た自分の過去の経験を叙述し、その経験の意味を考察する」
 のです。
 もちろん、これはひとつのスタイルです。文章は自由形ですので、これとは違った書き方はたくさんあります。ただ、こうして書いてみると、すごく書きやすくなるような気がしませんか。
 要するにですね、日記だろうが、読書感想文だろうが、全くスタイルは変わらないのですね。「日々の出来事」や「読書」は結局、つかみのネタにすると書きやすいと思うのですね。
 でも、当時小学生だった「ハナたれ、シャツだしの僕」は、こんなことを考えたことは一度もなかった。だから書けなかったように思うのです。
 もちろん、学校では作文の指導をしていたのだと思います。きっと、ハナ○ソほじって聞いてたんだろうね・・・。すっかり僕のせいです。そのことで、学校を責めることはありません。
 —
 しかし、こういう状況にも中学生の頃、転機がおとずれます。
 中学校1年生の頃、僕の所属していたクラスでは、班ノートという制度がありました。生徒が男女3人ずつくらいで、ひとつの班を構成し、毎日順番で、その日のことをノートにつづるのです。
 中学生は多感な年頃です。中には、その日の経験を丁寧に書きつづり、感情の機微をあらわしたものもありました。
 また、中には、その日に読んだ本を紹介しつつ、自分という存在のありようを考えたものもありました。
 班ノートは先生も読むのですが、わりと素直にみんな自分の感情を吐露していました。田舎の生徒だったからでしょうか。
 で、僕は、ここに至って、ようやく気がづいた。
 みんなが毎日毎日書くことを楽しみにしている班ノートには、日々のことも書いてあるし、読書の感想文も書いてある。なのに、それは「日記」とは呼ばれない。もちろん「読書感想文」とも呼ばれない。あくまで「班ノート」である。でも、それらは読み方によっては、「日記」とも「読書感想文」とも読めるのではないか。
 あっ、なるほどね・・・「日記」とか「読書感想文」って、こういう風につづれば、自由に気楽に書けるんだな、と気づいたのです。日々のこと、読んだ本のことをきっかけに、自分について気楽に綴る。これをきっかけに、僕は、「綴ること」に以前よりも苦手意識をもつことは少なくなりました。
 それとほぼ同時でしょうか。僕は、古今東西の小説を読みはじめるようにもなりました。ただ読んでオモシレーで終わるのではなく、様々な文体やレトリックを学んでいったのですね。
 基本的には「班ノートでええカッコをしたい」のです。つまりは「モテたい」。
 班ノートには、どこぞでパクってきたレトリックを用いてみたりしました。しかし、そうやって、小説家や評論家のレトリックをマネることで、僕は、「綴ること」がだんだん得意になってきたのです。ちなみに、それで「モテた」ことは一度もないけれども。
 —
 今年も全国で何万の子どもたちが、日記や読書感想文に苦しんでいるのでしょうか。かつて二十数年前、僕が苦しんでいたのと同じようにね・・・。
 ちょっとのヒント、きっかけで、文章をつづることが好きになったりするかもしれません。
 もちろん、子どもの書く日記や読書感想文の終わりが、いつも「楽しかったです」「感動しました」で終わっていても、諦めてはいけません。

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