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2008.1.25 07:00/ Jun

高校生のもつ「学問イメージ」

 先日、自分の出身高校の高校生20名が、進路指導室の先生に引率されて、北海道からはるばる、東京大学を訪れた。
 OBとしては微力ながらお役に立てることもあるのかと思い、自分の研究の「高校生でもわかりそうな部分」について説明した。また東京大学で勉強することの意味を、卒業生のひとりとして語った。
 時間は1時間。要領の得ない話であったとは思うが、何とか無事終えることができた。
 —
 それにしても、高校生の話や質問を受けながら、少し「焦り」みたいなものを感じた。それは、彼らのもっている「学問に対する素朴理論」に対してである。
 仮に、本当に極端に表現するのなら(決して高校生たちがこういうことを言っていたわけではない)、彼らの学問イメージには、
 ●社会が得意だから社会学
 ●心理学をやると、他人の心がわかる
 ●教育学をやると先生になる
 といった、ある種のステレオタイプに、ヘタをすればハマッてしまいかねないような素朴さを感じたし、
 ●本が好きだから文学部
 ●物理が得意だから理学部
 といった選択をしかねないような、ある種の「危うさ」をもっているような気がしたのである。
 もちろん、偉そうに言っているけど、僕だってそうだった。何を隠そう上記に掲げた項目は、今から15年前、高校生だった自分がもっていた認識なのであるから。それから15年がすぎ、僕は、その頃の自分の「素朴な学問観」をすっかり忘れてしまっていた。
 —
 高校生がもつ学問イメージが、曖昧で、また学問に身をおく人間から見て素朴に見えてしまうのは、ある種、どうしようもないことであるのかもしれない。だって、そこにいないんだから、経験してないんだから。
 おそらく大学に進学し、しばらくすれば、これらの「素朴理論」は少しずつ「脱構築」されるだろう。
 しかし、可能であるならば、もう少し早く、進学を控えている高校生に「学問のイメージ」をわかりやすく伝えられないだろうか。「やべ、ヘタうっちまった・・・こんなハズじゃなかったのに」といったような選択をしないためにも。
 もしそれが可能なのだとして、そのために、大学には具体的に何ができるのか。自分のかかわる「教育の情報化プロジェクト」の役割は何か?
 ふだん高校生と接する機会がほとんどないだけに、なかなか、考えさせられた一日であった。

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