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2007.5.5 07:00/ Jun

パオロ・マッツァリーノ著「つっこみ力」

 パオロ・マッツァリーノ著「つっこみ力」を読んだ。あらすじは、だいたいこんな感じ。独断と偏見で加筆しつつ要約。

 —
 世の中をよくしていくためには、論理的で批判的な「正しい議論」をしていかなくてはならない!
 モノゴトを論理的に考え、批判的に検討する力、すなわち論理力や批判力が重要である!
 これらは、世間一般に言われている<常識>。しかし、これらの<常識>は必ずしも真実ではない。
 前者に関して言えば、学問的に「正しい議論」ほど世間の人には伝わらない。
 なぜなら、第一にそもそも「正しさ」を伝えようとする側に、つたえようとする気持ちがないからである。グローバリズムの進展する時代において、プロフェッショナルには、「シロウトにいかにわかりやすく伝えるか」という国語能力が求められているのに、未だに「学問の権威」をふりかざし、「わからなさ」をシロウトに押しつけようとする者があとをたたない。
 —
 後者に関していえば、一般には重要だと言われている「論理力」や「批判力」をいくら磨いたところで、実社会でその能力を発揮する場所はほとんどない。
 なぜなら、第一に「論理力」や「批判力」はすでに存在する何かについての「正しさ」を判定する能力だから。そして「何が正しいか」、なんて、世の中の人々は、うすうす「既にわかっている」ことだからである。人々は「何が正しくて、正しくないか」は直感的にわかっている。
 第二に、「正しさ」を錦の御旗に、既に存在するものをたたき壊したとしても、結果はゼロになるだけだから。社会が本当に求めているのは、既に存在するものをたたき壊すことだけではなく、新たな価値を提供し、創造することである。
 それでは、このような状況の中で、わたしたちにはどのような能力が必要なのか。
 パオロ・マッツァリーノは、やや茶化して、「つっこみ力」であると即答する。彼によれば「つっこみ力」とは、「正しさ」を「おもしろさ」にかえる力。おもしろく、わかりやすく一般の人に伝える力である。
 僕の言葉でいうならば、「正しさの議論」にいったんは「ノリ」つつも、「シラケ」、それを、したたかに巧妙に「笑い(=新しく創造的な側面で魅せること)」に変える力、ということになる。
 —
 
 本書は、軽快な文体で、オモシロオカシク学者、学問、世間を茶化している。その主張のすべてに同意できるわけではないけれど(それをいっちゃおしまいだ的な感じがする)、かといってうち捨ててもおけない。侮れない本だと思う。
 彼が軽快に語る「笑い」の背後には、現在の「学問と社会の関係」に対する強烈な批判が内在している。そういうシリアスなテーマを笑いに変えて、オモシロオカシク、多くの人々に伝えようとしている。
「人は正しさだけでは興味を持ってくれません。人はその正しさをおもしろいと感じたときにのみ、反応してくれるのです」
「周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば味方につけるのが、つっこみ力の理想です。論理的に相手を倒せなくても、相手をいじるパフォーマンスを魅せることで、「そう言われりゃあ、なんかヘンだ」という感覚を、多くの人の頭に植え付けることができればいいんです」
(p75より引用)
 この本こそが、まさに「つっこみ力」の所産だと思われる。

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