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2005.7.16 06:55/ Jun

おばあちゃんの思い出

 先日、父方の祖母が他界した。89年の人生であった。彼女に別れをつげようと、翌日のすべてのアポイントをキャンセルし、北海道行きの飛行機に飛び乗った。
 飛行機をおりて、札幌から深川までさらに2時間。函館本線の車窓からは、見渡す限りの地平線と、遠くに山が見えた。
 函館本線にのる人は、進行方向むかって左側の座席にのるとよい。長い長い旅程をも退屈させない美しい光景が広がるから。この日の僕も、左の窓側座席で後ろに流れていく光景をぼんやりと見つめていた。
 —
 深川の家についた。すごく痩せたなぁ・・・以前は、プクっとしたおばあちゃんであったのに、今では見る影もない。その激しい闘病生活が、容易に想像できた。ただ、表情は安らかであった。よい表情であった。彼女の表情を見ながら、僕は彼女にまつわるいろんなことを思い出していた。
 —
 僕がまだ大学院にいた頃、帰省したおりにたまにあうと、彼女は僕に「おこづかい」をくれた。
 まわりの従兄弟たちが、もうとっくに就職し、自活しているというのに、僕だけは、いつ働くことができるのやら、曙光すら見えぬ毎日が続いていた。そんな僕を不憫に思ったのかもしれない。
 とはいえ、彼女自身、年金暮らしである。そんなに多くのお金をもっているわけでは決してなかったはずだ。なんだか、なんだかこの年になって「おこづかい」というのは、気がひけたけど、ありがたく頂いた。日々の生活を何とかかんとかやり過ごしていた僕にとって、非常に貴重なお金だった。
 彼女はいつも、笑顔でニコニコしながら、こういっていた。
淳ちゃんは、お勉強が好きだねー。でも、今いっているガッコウって、あと、何年くらいしたら、終わるんだい?
 もちろんのことではあるが、決して嫌みで言っているわけではない。ホントウにわからないから、純粋に聞いているのだ。
 おばあちゃんは、大学院というものがきっと最後までわからなかったのではないかと思う。もちろん、僕は説明していた。ただ、いくら大学院について説明しても、その質問は毎回同じものであった。彼女は、きっと僕の卒業を日々楽しみにしていたんだと思う。
 幾年かの月日がながれ、僕は大学院をあとにし、NIMEに就職した。3年後にはボストンに留学をはたし、今年は大学へ異動した。
 ことある毎に彼女にはそれを報告していたが、もうそのころには、彼女はわかっていたのか、わかっていなかったのかは、かなり心許ない。だけれども、訪れるたびに彼女はとても喜んでいた。それだけはきっと間違いのないことであろうと思う。たまにおとずれると、家中にある食べ物を、「これは、おいしいから食べなさい」と勧めてきてくれた。
 —
 彼女の人生は、ホントウに波乱に満ちたものであった。激動の時代を生き抜いた。優しい人であった。いつもニコニコしている人であった。
 淳ちゃんは、お勉強が好きだねー。でも、今いっているガッコウって、あと、何年くらいしたら、終わるんだい?
 この台詞を思い出すたびに、僕はおばあちゃんを思いだし、苦笑してしまう。
 —
 安らかにお眠り下さい。
 See you somewhere…and someday

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