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2018.6.19 06:04/ Jun

私たちには「リフレクション」を「リフレクション」する時間が必要なのかもしれない!? : 佐伯胖・刑部育子・苅宿俊文(著)「ビデオによるリフレクション入門」書評

 プロフェッショナルの知恵とは、「かつて学んだことのない仕事」や「教えられたことや教科書の枠には当てはまらない隙間の仕事」に発揮されているのではないか?
    
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 いわずもがな、マサチューセッツ工科大学の組織学習研究者であるドナルド=ショーンの提起した問題状況である。
 ショーンは、かつて1980年代、主著「The Reflective Practitioner: How Professionals Think In Action(リフレクティブ・プラクティショナー)」において、このような大胆な仮説をかかげた。ショーンの問題提起は、人文社会科学の一部の研究者には、あまりにも有名だ。
  

  
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 たとえば、同書において、ショーンがあげた「眼科医」の事例にこんなものがある。
  
 プロフェッショナルとしての眼科医が、日々の診療で相対する患者のうち、多くは「教科書に載っていない問題」を抱えているという。症例の「80%」くらいは、自分が慣れ親しんだ治療や診療にあてはまらない」そうだ。
  
 眼科医がなすべきことは、自分の頭にある知識や専門性を「そのまま・まるごと」、患者が抱える状況に「あてはめること」ではない。
 そうではなく、プロフェッショナルたる眼科医は、患者が抱える状況に相対しながら、そのつどそのつど、仮説生成を繰り返し、問題状況の再定義を試みつつ、課題を解決することである。
  
 ショーンは、このようなプロフェッショナルたちの課題解決の場面、仕事の詳細を観察しつつ、主著「The Reflective Practitioner」を編んだ。この本は、のちの専門家研究、専門性研究に大きな影響を与えたことは周知の事実である。
  
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 ところが、この本には大きな課題もあった。否、本自体に課題はない。自戒をこめて申し上げるが、本を読むわたしたちに「課題」があったのである。
  
 乗り越えなければならない課題のひとつは、英語の原著が「難解」であったことである。僕は学生時代に、一章だけ原文を読んだことがあるが、(僕の英語力に大きな課題があることは否めぬ事実であるものの)かなり読み進めるのに苦労した。そこで、多くの研究者や実務家に用いられてきたのが、「翻訳書」であり、この翻訳に対して行われた「解説」や「解釈」であった(僕自身も大変お世話になった!)。ショーンの提起した概念には、一定に評価された解釈が、すでに存在していた。
  
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 しかし、この解釈を批判的に考察し、新たな解釈を提案する本が出版された。佐伯胖・刑部育子・苅宿俊文(著)「ビデオによるリフレクション入門: 実践の多義創発性を拓く」(東京大学出版会)である。
   

  
 この本の冒頭1章、佐伯胖先生が述べるショーンのリフレクション概念の再解釈は、ある意味で「衝撃的」だった。佐伯先生は、僕が学部時代私淑し、直接論文指導を受けた先生であるが(小生は、頭でっかちの、できの悪い学生だった)、それから二十数年・・・本書を読みながら、久しぶりに、先生に「お小言」を言われたような気がして、背筋がシャンと伸びた。
  
「おぬしは、まったく成長をしておらんな。ちゃんと本をよめ!」
  
 そのとおりです、す、す、すみません(笑)。
  
(ちなみに、苅宿先生は、わたしが学部生の頃おこなっていたフィールドワークで大変お世話になった先生でもある。刑部先生は、僕が学部生の頃、大学院博士課程の学生さんでおられた)
   
 たとえば、これまで考えられてきた「Reflection in Action」と「Reflection on Action」の解釈について、佐伯先生は「Reflection in action」の「in action」を「実践のなかに」ととらえるこれまでの常識的な解釈は、間違っているのではないか、という解釈を行う。
 佐伯氏によれば、「Reflection in Action」の「in Action」とは「実践の最中に」という意味ではなく、「実践のなかに埋め込まれた(Situated in)」と解釈するべきものだという。
   
 また、専門家の知恵の発揮の仕方を描き出す概念装置としての「Reflection」を、いつのまにか「専門家はかくあるべし論」に転換してしまうことにも警鐘をならしておられる。個人的には、この手の「言説転換」は、実践と理論を扱う学問領域には、頻繁に観察される事象であるようにも思える。
  
 いわば「佐伯砲」はとどまるところをしらない。
 論文後半では、ショーンのリフレクション論そのものにも異をとなえる。佐伯氏が引っかかっているのは、ショーンのリフレクション概念は、リフレクションをなす主体自身が「傍観者的観察」のように為すべき者とされている点である。レディの議論を引用し、「傍観者的観察」に陥らない「二人称的なリフレクション論」を展開する。
   
 要するに、これまで「常識」的だとされてきた、ショーンの「Reflection」概念に、再読と再解釈を行う必要性があることを、短い文章でありながらも、指摘している。
  
 ちなみに、これらの問題提起に関する真偽は、もう少し精密な議論が必要だと思われるので、ここでは述べない。
 また佐伯氏が指摘している翻訳本の誤訳の可能性は、原典とつきあわせて翻訳本を読んだわけではないので、判断は差し控える。その判断は、おそらく研究者コミュニティが、もう少し時間をかけて行っていくだろう。
  
 しかし、もっとも大切なことは、 
  
 一定の評価を得ている「解釈」であっても、丹念に文献を読み込めば、そこには、新たな「読み方」の可能性がひらかれていることを、思い起こさせてくれたことにある
  
 と思う。
  
 実際、この本を読むと、誰もが知っているはずの「Reflection in Action」と「Reflection on Action」という2つの概念が、違ったようにも見えてくる。
  
 リフレクションの概念、リフレクションの研究を志す方には、ぜひおすすめの一冊である。
  

    
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 今日は、ショーンの提起したリフレクション概念に対する新たな問題提起を、新著「ビデオによるリフレクション入門: 実践の多義創発性を拓く」から感じたことを述べた。
  
 夏休み、もう一度読み直さなければならない本が増えたような気がする。
 というか・・・夏休みまで、何とか、サバイブしたい(笑)。
  
 わたしたちには、今一度、リフレクションを、リフレクションする時間が必要なのかも知れない
     
 そして人生はつづく
  

 
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