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2006.3.10 13:31/ Jun

ゲームと教育工学

 シリアスゲームを研究しているペンシルバニア州立大学の藤本さんが、僕の先日のエントリーに関して、詳細な説明・解説を加えてくれましたので、ご紹介します。
藤本さんの記事
http://www.anotherway.jp/archives/000642.html
 上記の記事について、いくつかのコメントを。
 —
>シリアスゲームは「教育をはじめとする社会の諸領
>域の問題解決のために利用されるデジタルゲーム」
>がそのコンセプトになっている。なので、教える・
>学ぶためのゲームというだけでなく、啓蒙のための
>ゲーム、広報・宣伝のためのゲーム、政治的メッセ
>ージを伝えるためのゲーム、治療のためのゲーム
>なども含まれる。
なるほど。啓蒙のため、広報・宣伝・政治的メッセージの伝達ため、要するに開発者が伝達したいと考える意図的メッセージがまず存在しており、その手段としてゲームをもちいるものを、「シリアスゲーム」というのですね。
まぁ、僕は学習研究者なので、上記のようなテーマを聞くと、あいかわらず「それは学習だよなぁ」と思ってしまいますが(笑)。「箸が転がっても」、「それは学習の問題だよなぁ」と思ってしまう、「学習バカ」の僕は、このさい、放っておきましょう。なるほど、了解しました。
シリアスゲームの事例、いくつか見せていただきましたが、やはりそこにただならぬ、ポリティカルなものを感じるのは上記のような定義に由来するところが多いのでしょう。
要するに、「ポリティカルなもの」をそのまま伝達しても、子どもや大人には獲得できない。だから、ゲームという形式をつかって、彼らが楽しんでいる間に、獲得させちゃおう、正当化させちゃおう、という開発者のねらいみたいなものを感じます。
政治的中立を夢想するのは、教育学の悪い癖なのですが、かなり露骨にそれがわかりますね。もちろん、政治的中立な教育言説、教育アーティファクトは存在しないことを重々承知して言っています。
ということは、こうしたゲームを使用するには、そのゲームのもつポリティクスに対して、相当自覚的でなければならないということになるのでしょう。あるいは、それを用いる教師には、いわゆるメディアリテラシー的な観点が必要なのかな、とも思います。
ここらあたりは、社会学とか、そういう学問が切り込むとオモシロイと思うのですれども。カルチュアラルスタディーズやメディア論的観点からすると、どういう分析が可能になるのかな?

あと、藤本さんの指摘のところで下記は、全く同感ですね。
>教育デザインのスキルとゲームデザインのスキルは、
>互換性がありそうで実はそれほどないという点を理解
>されずにきたこと。
まさにおっしゃるとおり!
ただ、これはゲームデザインだけではないように思います。たとえば、インタフェースのデザイン、マニュアルのデザイン・・・。教育のアーティファクト、すべてのことに関していえるのではないかと思うのですね。
大学の研究室だけで、研究のためにつくったものをワンショットサーベイするのなら、そういうものにはこだわらなくてよいかもしれない。もちろん、誤解をさけるためにいいますが、そういう基礎研究はとても重要です。緻密に緻密に実験計画をつくり、論をたてる基礎研究を軽んじてはいけません。
ですが、いったん大学を離れ、エンドユーザを意識したとたんに、教育学者の目から見たらとてもトリヴィアルなものに見える、そういうディテールのデザインが実は重要だったりする。それができないと、本来ねらっていたものすら実現できなくなってしまいます。これに関しては、ここ数年の僕のプロジェクトで、イヤと言うほど、僕は味わいました。
でも、教育の専門家のなかには、「自分たちは教育の専門家なのだから、教育に関連するものは、そのよしあしも含めてわかるハズだ、よいものをつくれるはずだ」と思っている人もいる。いえいえ、教育の専門家だけではありません。そういう専門家を見る社会の「まなざし」もそういうところがある。でも、それはなかなか難しいことが多いのです。やはり、餅は餅屋だと思います。あるいは、餅屋同士のコラボレーションですね(どんなコラボよ?)。
ちなみに、僕の関係するプロジェクトは、すべて専門の人に担当してもらいます※1。キーになる人たちには、本当にプロジェクトの最初のアイデアだしの部分から、共同研究として関与してもらっています。
研究をはじめて10年・・・まだまだかもしれませんが、ようやく「うちのオカン=典型的エンドユーザ」にも、関心をもってもらえるような、少なくとも「見て」もらえるプロジェクトをくむことができるようになってきたな・・・・と思っているのですが・・・自信はないけど・・・嗚呼、まだまだだな。

最後に、ここではゲームのことを述べましたが、まだまだ欧米にはかなわぬものの、日本の教育工学もずいぶんと産学連携型のプロジェクトが増えてきましたよ。共同研究、受託研究、契約、MOU、NDA・・・こういう産學連携ワードを聞かぬ「一週間」はほとんどありません。
ぜひ、海外で培われた知見や経験をもとに、日本の教育の世界でも「大暴れ」して下さい。

追伸 ※1
僕の関与する研究は連名研究者が多いと言われることがありますが、それはそういう事情があるからです。Shared objectに向かって、全員がそれぞれの専門性を生かしつつプロジェクトを推進していくことを目指しています。そして成果は誰にとっても残るようなかたちで、平等に配分し、キチンとクレジットを入れます。余談ですが、だから必然的に研究メンバーの数が多くなるんです。
さらに追伸・・・
 興奮してまたネツが・・・。
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