NAKAHARA-LAB.net

2005.11.5 20:46/ Jun

クラシック

 あなたが自明だと思っているものは、そのほとんどが歴史的な構成物である。アタリマエのコンコンチキ、アタリ前田のクラッカー、アタリキ、しゃりき、ケ○の穴だけど(3連発!)、僕らは、時に「自明なるもの」が「自明でないこと」に気づき、驚く。それが歴史研究を読む醍醐味なのでしょうか。
 たとえば「恋愛」という愛情の表現形式について。
 既にセクシャリティの社会学が明らかにしてきたように、これは、人間にもって生まれた自然の感情発露というわけではなく、近代に確立された社会的かつ歴史的な構築物、つまりは制度なわけです。
 いにしえの人たちが、みんな、今僕らがフツウに経験している「恋愛」をしていたわけじゃない。それは想像するよりも短い歴史しかないのですね。そう、僕らは、「こーんな長い人類の営み」の、ハナ○ソ程度の時間しか生きられないんだよ。
 —
 そういう意味で、岡田暁生さんのかかれた下記の西洋音楽史はオモシロかったです。
岡田暁生(2005) 西洋音楽史―「クラシック」の黄昏. 中公新書, 東京
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018168/nakaharalabne-22
 「クラシック音楽」というとね、「あー、あれね」となんか確固たるイメージが僕らにはうかんじゃう。
 でも、それは決して、最初からあったわけではないんですね。ルネサンス、バロック、ロマンというその時代ごとの制度や経済状況の中で、次第に、その音楽形式が形成されていったのです。
 特にオモシロイなと思ったのは、クラシック音楽が、いわゆる特権階級だけが局所的に楽しむものから、大衆化し、一般人に繰り返し聞かれるようになっていくプロセスです。
 貴族たちの飲食のBGMから、だんだんと一般の人たちが、ホールにでかけて繰り返し聞くことのできる音楽にかわっていく。オーディエンスの誕生とでもいうのでしょうか。そのプロセスがあって、はじめてベートーベン、リスト、シューベルトの音楽があるのですね。
 そういうことを知って、クラシックを聴くのも、またオモシロいですね。

ブログ一覧に戻る

最新の記事

自分の身体をどのように用いて、相手にプレゼンテーションを「お届け」するのか?:演劇の知とリーダーシップ!?

2024.4.26 10:34/ Jun

自分の身体をどのように用いて、相手にプレゼンテーションを「お届け」するのか?:演劇の知とリーダーシップ!?

褒め方ひとつ間違えると「怯える、いい子」を量産してしまうメカニズムとは何か?

2024.4.24 08:22/ Jun

褒め方ひとつ間違えると「怯える、いい子」を量産してしまうメカニズムとは何か?

2024.4.17 23:54/ Jun

給特法、および、それにまつわる中教審審議に対する私見(中原淳)

たかがタイトル、されどタイトル!?: 研究タイトルを「一字一句」正確に書いてきてね!

2024.4.17 08:17/ Jun

たかがタイトル、されどタイトル!?: 研究タイトルを「一字一句」正確に書いてきてね!

2024.4.15 08:05/ Jun

「タイパ重視の時代」だからこそ「時代遅れ!?のラーニング」を楽しむ!