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2007.5.31 07:27/ Jun

たかがアイアムソーリー、されど、アイアムソーリー

 英語を話すたびに気になることがあります。「Sorry」という単語についてです。
 Sorryというと、いわゆる「アイアムソーリー、中曽根ソーリ、ヒゲソーリ」という感じで(!?)、「Hello」や「Thank you」と並んで、誰でも知っている英単語のひとつでしょう。
 I’m sorry
 と言われれば、意味は「ごめんなさい」「すみません」。そんなことは、うちの匠ちゃんでも知っています(知ってたら怖い)。
 —
 でも、Sorryは、同時にもうひとつの意味を持っている。もうひとつの意味というか、ニュアンス。「気の毒」「可哀想だ」という意味もあるのですね。
 I’m sorry for him
 というと、「彼は可哀想だ」「彼は気の毒だ」という意味になります。
 で、ここからが僕の疑問になる。一言でいうと、「ごめんなさい
」というニュアンスと、「可哀想・気の毒」というニュアンスが、一語で括られているのが納得いかない。専門ではないので、本当のところはよく知りませんけど、なんか腑に落ちない。
 だって、一方では「ごめんなちゃい、わたしが悪うございました」と謝る言葉なのに、一方で「あいつ、可哀想だよねー」という意味をもっている。可哀想ってのは、なんか他人行儀な気がしませんか。
「謝る」ってのは、「相手が可哀想だ」「相手が気の毒」だからすることじゃなくて、無条件に「自分が悪いと認める態度」ではないのか、と、つい細かいことに目くじらをたててしまいたくなるのです。
 だから、先ほど述べましたように、同じ言葉で相反する二つの意味が担われているように僕には感じるのですね。だから、英語で「I’m sorry」と言われても、「ホンマ、オマエはあやまっとんのかい?、それとも可哀想に思っているだけなんかい?」とツッコミたくなるのです。
 クドイようですが、僕は英文学専門でも、英語教育専門でもありませんので、ここでホザイていることは、全くの誤解かもしれません。でも、そう思うんだよなぁ。
 でも、人に「I’m sorry」と言われるたびに、「この人は謝っているのか、僕を可哀想だと思っているだけなのか」が気になってならないのです。
 そんな細かいこと気にしているのは、僕だけですか? 相変わらず、ケ○の穴が小さいね、我ながら。

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