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2005.10.29 08:29/ Jun

サルトル

 言うまでもなく、フランスでもっとも有名な哲学者の一人である。「実存主義」とか「アンガージュマン」という言葉でよく知られているかもしれない。はたまた、フェミニズムの泰斗であるシモーヌ=ド=ボーボワールとの恋愛は、多少の誇張を含みつつ、よく人々の語りぐさになっている。
 僕がサルトルを知ったのは、大学学部の頃であったと思う。演劇が好きだった友人に「嘔吐」という小説を貸してもらい、読んだのが最初だ。手に取った本の表紙を見て「ゲロも嘔吐と書くと、なんか、かっこよく見えるな」と思ったことを覚えている。
 正直に告白すると、「嘔吐」には、僕はあんまり触発されなかったんだけど、なんだか「牛乳瓶の底のようなめがねをつけた、この人の不思議ないでたち」には興味をもって(なんという凡庸な理由!)、いくつか彼の著作を読むようになった。
 で、この人、知れば知るほど、変な人であった。
 何が変かっていうと、「つかみどころ」がない「ぬえ」のような人なのである(失礼極まりない!ごめん)。もっと具体的にいうと、「サルトルさんは○○な人だよね」とラベルをつけられない人なのである。
 サルトルは小説家であった。
 同時に彼は戯曲家でもあった。
 また雑誌の編集者でもあった。
 一方、「人間の自由と責任」を論じる哲学者でもあった。
 また、積極的に「知の倫理」の問題にも口をだしたし、政治にも参加した。紛争や社会問題が起こった際には、積極的にマスメディアに論考を発表し、ときにはフィジカルに運動を組織する運動家でもあった。
 
 もちろん、彼は場当たり的に、そうした仕事をしてきたわけではないと思う。「社会参加」「人間の自由と責任」「知識人のあり方」といぅたようないくつかの根本的で、揺るがぬ「彼自身の思想」のもとに、いろいろなペルソナを使い分けてきたのではないか、と思う。
 そういう人だから、とっても敵も多かったし、他人とあたることも多かった。同時代を生きた文学者カミュ、哲学者メルロ=ポンティとの論争は、とっても有名な話である。
 ちょっと前にブルーナのことを書いたけれど、どうも僕は、こういう人、こういう知識人が好きみたいだ。「狭間を生きる知識人」というのか、なんというのか。
 確立された「安穏とした研究領域」から片足さえも出すことなく、生きている分には、闘う必要はない。
 博士号を手にしたときが最後、それ以上の挑戦を行わずに生きる、すでに「あがってしまった若手」だって、少ないわけじゃない。
 自分の研究領域から片足をだし、社会に参加する。知識人として社会に働きかける。
 狭間を生きるということは、「闘う」ということである。

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