NAKAHARA-LAB.net

2013.6.5 06:34/ Jun

「変革」のポリティカルな利用:「つっこみどころ満載」風「言ったもん勝ち」的世界に忍びよる「改革者」

「カリキュラム」や「教育体系」というものは、括弧付きの「改革者」(つまりは、何かを変えたこと、それ自体をポリティカルにアピールしたい、改革者)にとって、非常に「都合がよい」ものです。
 つまり「今までやってきたこと」を「ちゃぶ台がえし」しやすく、かつ「何かを変えたこと」自体が、自身の手柄とされやすく、ポリティカルに利用しやすい性質をもっています。
 これにはいくつか理由がありますが、最大の理由は「評価の難しさ」と「効果の遅効性」にあります。つまり、「研修」や「教育」というものは、そもそも評価が難しくうえに、その効果を測定することは、そもそも難しい。またもし万が一効果があったとしても、それが表面に出てくるまでには、時間がかかる性質をもっています(遅効性)。
 この2つの要因が、重なるとどうなるか。
 第一の要因「効果測定が難しさ」は、別の言葉でいえば「つっこみどころ満載」ということです。一般に企業・組織で行う研修には、統制群を置くなどの実験計画を組むことはできません。このような条件下では、どんなにデータ採集を頑張ろうとも、きっちりした効果を明示的に示すことはできません。要するに、どんなに頑張ろうとも、そこで得られるロジックは「つっこみどころ満載」なのです。このことが、「既存のカリキュラムのあり方」に対する「有利な攻撃材料」を「改革者」に与えてしまう。つまり、これまでのすべてを容易に「ちゃぶ台」しやすい性質をもつ。
 しかも、都合がよいことに、「変えたこと」による悪影響がでるまで、時間がかかるので(遅効性)、もし「変えたこと」が「改悪」であったとしても、責任をとらなくてすむ。つまり、「変えたこと」それ自体が、「評価」されることになりやすい。
 要するに「言ったもん勝ち」なのです。
 文句を言えば、通りやすい。
 変えれば、手柄になりやすい。
 問題は、そのあと中長期に、どのような変化が、組織や現場に生まれてくるかです。しかし、いつだって、その時分には、「改革者」は、悠々自適に「退出」しているものです。
「カリキュラム」や「教育体系」を改革するときには、それなりの覚悟を決めなくてはならないのだ、と思います。もちろん、世の中に、本当に「変化させなければならないもの」はたくさんある。古い因習に囚われているもの、現場の足かせになっているものは、多々あるので、非常に判断は難しい。
 しかし、本来、中長期にわたって、本来、戦略的に考えなければならないものが、責任者の交代とともに、右や左から、左から右に、グラグラに揺らぎ、「ちゃぶ台返し」が繰り返されているという事態がもしあるのだとしたら、「変えたこと」がポリティカルに利用されている、という「証左」だと僕は思います。
 そして人生は続く

ブログ一覧に戻る

最新の記事

2025.4.28 08:31/ Jun

優れたリーダーは「かつがれ力」を発揮する?

2025.4.24 12:39/ Jun

あなたの近くに「崩壊」しているものはありませんか?:「崩壊」は突然「ちゅどーん(爆音)」ではない!

あなたは、データを「愛していますか」?:データ自体が何かを「語り始める」くらいまで、あなたは、データに向き合っているのか?

2025.4.14 18:11/ Jun

あなたは、データを「愛していますか」?:データ自体が何かを「語り始める」くらいまで、あなたは、データに向き合っているのか?

自分の所属する「組織(ハコ)」によって、あなたは「有能」にも「無能」にもなりえる件

2025.4.6 18:11/ Jun

自分の所属する「組織(ハコ)」によって、あなたは「有能」にも「無能」にもなりえる件

わたしのサバティカルは「旅するサバティカル」and「学び直しのサバティカル」に決めました!:「ひょっこり・ひょうたん島」で「錆び付いた刀」を研ぎ澄ます!?

2025.4.1 18:20/ Jun

わたしのサバティカルは「旅するサバティカル」and「学び直しのサバティカル」に決めました!:「ひょっこり・ひょうたん島」で「錆び付いた刀」を研ぎ澄ます!?