NAKAHARA-LAB.net

2006.9.14 06:00/ Jun

知識統合、知識構築、そして知識創造・・・何が違うの?

  今日は学習科学の本読み会でした。国内の学習科学に興味のある方々と一緒に、「The Cambridge Handbook of Learning Science」という本を読んでいます。

 この本、いい本だと思いますよ。これだけハンディに学習科学のすべての知見がまとまっている本、今までなかったのではないでしょうか。もっとも最近では、日本語でもよい本がでていますけれども。
  
 ちなみに、当日研究会で用いたレジュメはここからダウンロードできますので、雰囲気を見てみてください(研究会幹事の三宅君がこのページを制作してくれています)。
ダウンロードはこちら!
http://www.nakahara-lab.net/com.html
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 今日、一番面白かった議論は、Knowledge Integration(知識統合)と、Knowledge Building(知識構築)という二つの概念の違いについて、でした。
 知識統合と知識構築、これらは、学習科学にとっては非常に重要な「鍵概念」ですね。
 言うまでもなく、前者はカリフォルニア大学バークリー校のマーシャ=リンさん(女王)が主張している概念。後者は、トロント大学のマリーン=スカーダマリア&カール=ベライターさんらが唱えています。
 この2つの概念の違い、皆さんでしたら、どのように説明をしますか?
 なんか大学院入試とかにでそうな課題ですね。こんな暗記問題、でないか・・・。
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 まず、「知識統合」に関しても、「知識構築」に関しても、あるひとつの部分に関しては共通しています。なんでしょうか?
 どちらも、「既存の手持ちの概念を、再構成して新たな意味を見いだす」ということから派生した概念だということは、全く変わりません。これが、いわゆる最小公倍数ですね。そして、これは認知心理学のテーゼでもあります。
 ただし、若干の差異がないわけではない。
 「知識統合」には、「既存の手持ちの概念が複数あったときに、それらを一貫して体系的に説明できるようになる」というようなニュアンスがあります。
 それに対して、「知識構築」に関しては、「既存の手持ちの概念にビルドオンするかたちで、新たな意味をつくりだす」というニュアンスが強調されます。
 「うーん、微妙」「えっ、聞き逃したよ、違いは何だって?」っていう「ツッコミ」が聞こえますね。そんなに変わらないわな。でも、違うんだよ。
 そういうものなんです。
 この二つの概念の違いは、いわゆる「家族的類似性」といっていいかもしれないね。「双子みたいに似ているんだけど、ちょっと耳の穴のあたりが違うなぁ」みたいな。
 
 でも、ここからがオモシロイのですが、この「ちょびっとの概念の違い=耳の穴の違い」が、マーシャ=リンさん、スカーダマリアさんらのプロジェクトのキーコンセプトとして取り込まれ、反映されたときには、全く違ったカタチをつくりだしてしまうのですね。
 「コンセプトは似ていても、カタチは違う」・・・これがオモシロイところです。
 マーシャリンさんも、スカーダマリアさんも、どちらも「インターネットを使った議論を通した学び」を実現するプロジェクトをやりました。で、それに類するシステムやコンテンツを莫大な予算をかけて開発した。
 ちなみに、最近、この領域の研究費は、数十億単位です。世界の最先端の研究者たちは、3年間で20億とか、40億とか、そういう単位で研究をしています。もちろん、それを支える人材の豊富さ、評価の厳しさ、など、これに関しては派生するオモシロイ話がいろいろあるのですけれども、それはまた別の機会に。
 さて、マーシャ=リンさんのプロジェクトは、WISEといいます。WISEのキーコンセプトは「知識統合」です。一方、スカーダマリアさんの方は、CSILEですね。こちらは「知識構築」です。
WISE
http://wise.berkeley.edu/
IKIT(CSILE)
http://ikit.org/
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 まず、マーシャさんのWISEのプロジェクトは、「学んでほしいことが決まっている」「子どもが到達するべきポイント」というのが、ポイントかと思います。
 たとえば、「光」が学習内容だったとすると、「光の正しい科学的概念」はこれこれで、これをこの順番に学ぶといいよね、といったような「カリキュラム」がきちんとつくられているのですね。
 カリキュラムがつくられている、ということは、「コンテンツもつくられていること」を意味しますね。つーか、学習目標が設定されていて、カリキュラムが設定されているから、はじめてデジタルコンテンツを「つくることができる」のです。よって、彼女のプロジェクトでは、多くのコンテンツエキスパートたちが、デジタルコンテンツをつくっています。
 子どもたちは、プロがつくった学習の流れに従って、Webのデジタルコンテンツを閲覧し、議論するべき場所では議論を行う。そうでない場所では個別に学ぶ、といった感じで学習を進めます。
 それでは「カリキュラムがつくられている」=「学んでほしいことが決まっている」ということは、評価の際には何を指標にとればいいことになるでしょうか。
 単純明快、答えは「アチーブメント」ですね。
 要するに、どの程度、正しい理解に至ったか、簡単にいえば、どの程度成績がよくなったかを測定します。ちなみに、一般にWISEの学習カリキュラムは、「ミドルレンジやアッパーミドルの成績の子供たち」によく聞くと言われています。 
 —
 じゃあ、対して「知識構築」のCSILEの方はどうでしょうか。こちらのプロジェクトは、「学ぶべきことが定められていない」「目標が設定されない」というところがポイントでしょう。
 実は、スカーダマリアさん、ベライターさんがCSILEを開発するときに、基底においた思想というのは、ブルーノ=ラトゥールの科学哲学的なお仕事だったのだそうです。要するに、本物の科学者の活動をインターネットを使って子供たちにも体験させたかったのですね。
 「データを集めて、議論をして、知識を生み出し、よい知識が生まれれば、出版する」といったことでしょうか。それを、インターネットというメディアを使って、学校で実現しようとした。
 今日聞いたお話ですけれど、ある先生が、マーシャ=リンさんに「知識統合と知識構築の違い」について聞いたことがあるのだそうです。そのときに、マーシャさんはこう言った、というのです
「知識構築の方は(スカーダマリアさんの方は)、誤概念が最終的に子どもに残ってもいいっていうのよね・・・そこが私たちとは違う」
 これは非常に象徴的な言葉です。
 「本物の科学者の活動」をインターネット上で実現することが、「知識構築」の基底にある考え方です。ご存じのとおり、科学者の活動なんていうものは、99%は失敗。なかなか正しい理解に至ることはありません。これが正しい発見だ!と思っても、その次の日には反証されて、また振り出しに戻る。
 でも、そういう知的な活動を学校の中に実現することが重要だよ、と考えたのですね。それがインターネットを活用する意味だと。
 こういう背景がありますので、CSILEの評価というのは、直に「アチーブメント」にはなかなかなりません。
 「新しいことを生み出す学習に従事できていたかどうか」、もっと作業定義っぽく話せば、「いい問題を思い浮かべるようになったかどうか」ということが評価のポイントになるそうです。ちなみに、経験的には、CSILEのプログラムは、「アッパーとロアーの成績を有する子どもたち」が伸びる可能性が高い。
 研究者がやるべきことも、先ほどのWISEとは違ってきますね。
 WISEの方は、莫大な予算をかけてコンテンツをつくること、カリキュラムをつくることをやりましたけれども、こちらの方は、大きくわけると、コミュニケーションツールを教育現場に提供すること、評価をすること、教員トレーニングや教員支援、ということになります。
 コンテンツはつくりようがないのですよ。だって学習目標がかなりオープンエンドに開かれているのだから。カリキュラムだってつくりようがないのです。まさか、科学者の活動は、カリキュラムに従って行われるわけではないでしょう。
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 うーん、ちょっと今日の話は難しかったかもしれません。
 でも、僕が、ここで言いたかったことは、まずは「知識統合」「知識構築」という2つの概念の違いです。そして、家族的類似性を地でいくような2つのコンセプトが、カタチをもつときには、全く違ったものになるを僕は言いたかった。
 だから、コンセプトワークというのは重要なのですね。
 ちなみに、皆さんでしたら、「知識統合」「知識構築」、どちらにシンパシーを感じますでしょうかね。
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 あと、もうひとつ似た概念がありますよね。
 「知識創造(knowledge creation)」ですね。
 これは学習科学ではなく、経営学が出自の概念ですけれども。
 でもさ、経営学だろうと、学習科学だろうと、知識は知識、学習は学習です。
 さて、この「知識創造」は、上記2つに比べて何が違って、何が同じでしょうか
 こういう思考実験をしてみるのも、オモシロイですね。どうですか、みなさん?
 ちなみに、僕、かつて「知識創造理論」の生みの親の大先生に、ある企業研修所で、お話を伺ったことがあります。今から数年前のことですけれども。
 そのとき、先生は、
「学習ってのは古い手垢のついた概念だ。学習っていうのは行動主義。我々は、学習という言葉を使いたくなかった。だから知識創造という言葉を使った」
 というようなことをおっしゃっていました。
「あのー、行動主義だけじゃなくて、学習の概念にも、いろいろあるんですけど・・・それに、暗黙知とは、そういうものでしょうか?」
 と言いかけましたが、それ以上、僕の話を聞いてくれる雰囲気ではなかったので、それで話は終わりになりました。というよりも、僕に、先生にお話しを聞いて頂けるだけの知識と度量と勇気がありませんでした。そのことが、数年たっても、かえすがえすも後悔しています。あのとき、若気の至りで、つっかかればよかった、と。
 
 で、知識創造って、何?
 僕には、納得いかないこと、たくさんあるけど。

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