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2006.6.26 04:42/ Jun

キリリとした文章 : 外山滋比古さんのエッセイに思う

 文章を読んだり、書いたりすることは、僕の仕事の中心的活動のひとつです。
 寝るまえの読書、そして、つれづれの書き物。一ヶ月ということになると、数十冊の本を読み、原稿用紙数百枚分の文章を書くことになるのかもしれません。
 「口から生まれてきた」と親に嘆かれる私ではありますが、僕にとって「読むこと」「書くこと」は、そのこと以上に、常に「隣」にあります。
 そして、自分がそうした境遇にいるせいだからでしょうか。「文章を読む・書く」そのことにも、大きな興味をもっています。「なんとかして、効率的に読み、効果的に書くことはできぬものか」と日々願い、関連する書物に目を通したりすることが少なくありません。
 昨日、たまたま、外山滋比古さんの「文章を書くこころ」という本を読み機会に恵まれました。散歩のときに立ち寄った古本屋で、ふと書棚を見上げたところに「ムムム、これは」と見つけたのです。それは、「青年の一目惚れ」に似た偶然の出会いでした。

 しかし「出会いこそ偶然の産物」ではありましたが、なかなか含蓄の深い本でありました。上手な文章を書くためには、どのような準備をすればよいか。どのような教育が必要なのか。
 英文学者、言語学者にして、最も有名なエッセイストの一人である外山先生の語る言葉には、非常に重みがありました。
 その中から、とっても印象深かったお話を3つ引用します。ともに「文章の長さ」に関係するものです。「言いたいこと」「伝えたいこと」を短い文章にまとめることが、どんなに難しいことか。
 —
第一世界大戦のときのアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、雄弁家として世界的に有名だが、こういうことを言った。
「一時間ぐらいの長い演説なら、何の準備もなし、即座に演壇にのぼって始められる。二十分のものだったら二時間の準備がいる。もし五分間スピーチなら、一日一晩の支度がないと引き受けられない」
(p18より引用)
 —
南極観測船「ふじ」に乗り組んでいる夫にあてて、日本にいる若妻からうった年賀電報は、たった三字。
「ア ナ タ」
であった。ここにはいくら長々と話しても伝えられない熱い思いがこめられている。第三者が読んでも、胸をしめつけられるような気持ちになる。
(p45より引用)
 —
ある意義知るの学者の言葉に、文章の主題は「ひとつのセンテンスで表現できるものでなくてはならない」と言っている。(中略)
論文を書く学生が相談にくる。テーマは何だと聞くと、5分も10分もしゃべる学生が少なくない。そういうとき、この言葉をひいて、ひと口で言えないようでは、まだ考えが熟していないと忠告することにしている。
長々と主題を説明しなくてはならないのは、あれもこれもと欲張るからである。(中略)一口で言えてはじめて、テーマはできたとなる。
(p55より引用)
ネギもトリ肉もあっていいが、竹串にさしてないと焼き鳥にはならない。テーマは、その竹串のようなものだ。「テーマは何か?」と聞かれたら、「こう」と一口に言えるようでなければならない。
(p105より引用)
 —
 短くまとめることは、かくも難しいことなのです。しかし、そうした「キリリとした文章」こそが、人の心を動かし、納得をよぶものなのかもしれません。
追伸.
 それにしても、
 「ア ナ タ」
 とは!! 
 いやぁ心憎い。こんなラブレターを受け取ってしまったら、妄想がふくらみますね。ホーキング先生も腰抜かす妄想ビックバン!。僕だったら、その後、一週間は、「ダメ人間」だね。「なんで南極くんだりまで・・・」とか言って、ホームシックになっちゃうよねぇ。恐るべし若妻。

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