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2010.2.7 07:47/ Jun

ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか?

最近、授業などで、参加者の方同士がツイッターなどを用いて、その様子を実況中継することが、よく行われるようになってきました。教師や授業者が意図的にツイッターを用いるように促すこともあります。多くは、学生や参加者が自分の意思でハッシュタグを設定して、実況中継することが多いようです。
 僕自身もやったこともありますし、僕の講演などでも参加者の方々が実況中継なさっている様子を見たことがあります。個人的には、非常に面白い試みだと思っています。
 18世紀産業革命時、一斉授業がイギリスで発明されて以来、学習者は常に「沈黙」してきました。
 学習者は、今、沈黙を破り、声を出そうとしている。
 敢えておおげさにいえば、これは「学習革命」として考えることもできないことはないな、と思います。
 ツイッターなどで授業中につくられるもうひとつのコミュニケーションチャネルを、研究の世界では「バックチャネル」といいます。
 授業や講義がフロントチャンネルだとすれば、その背後(バック)で、もうひとつの情報チャネルが存在している。それが、いわゆるバックチャネルです。
 授業者の中には、フロントチャネルに加えて、バックチャネルでのコミュニケーションを積極的に促す人もいます。個人的には、こうした方々に共感できます。
  ▼
 しかし、同時に、考えなくてはならないな、と思うところもあります。
 僕が思うのは、「バックチャネルが活発なこと」は必ずしも「学習効果が高いこと」を意味しないのではないか、ということです。以下では話をシンプルにするために「学習効果」を「講義において扱われた概念理解」として、また「学習者」を大学学部生(1年生・2年生)に限ることにします。
 ここで僕が疑問に思っていることは「バックチャネル」がない方が、学習効果も高い可能性について深い考察を行わないまま、バックチャネルが活発化することを「よし」とすることは、「よいこと」なのかな、とも思うのです。
 正確には、ここには、4象限の「可能性」が存在します。
1.バックチャネルのやりとりも活発で、個人の学習効果も高い
  →何の問題もありません
2.バックチャネルのやりとりは活発だが、個人の学習効果は低い
3.バックチャネルのやりとりは活性化しなかったが、個人の学習効果は高い
4.バックチャネルのやりとりは活性化せず、個人の学習効果も低い
  →シャレになりません
 2の場合は、参加者同士がツイッターなどで非常に活発にやりとりをしていても、肝心の講義は注意が払われておらず学習効果は低いということです。3の場合は、これまでどおり学習者は沈黙しているが、学習効果は高い状態を示します。
 とかく、今は、ツイッター万歳の風潮がありますので、人は「バックチャネルが活発化していれば、よい学びができている」と考えがちです。また、「バックチャネルがいまいちだと、個人の学習効果は低かろう」と類推します。
 しかし、これは1と4の可能性にしか言及していません。残る2と3に注意が払われていないのだとすれば、ここには問題が残る気がしています。
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 この問いを考察するためには、いくつもの要因を統制する必要がありそうです。例えば、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」などです。
 これらが高い場合には、既に授業の内容については見知っており、かつ、フロントチャネルとバックチャネルのコミュニケーションの情報をうまくやりとりできるので、学習効果が高まる可能性があります。
 逆に、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」が低い場合には、バックチャネルのコミュニケーションで講義内容に関する概念理解は低まってしまいます。
 また、フロントチャネルで講義を聴きながら、バックチャネルのコミュニケーションに集中する、というのは情報負荷が非常に高いので、情報処理能力の低い人には、難しい課題かもしれません。
「ツイッターでつぶやく前に、まず、講義内容を理解してよー」
 という状況が生まれかねません。
 他には、講義されている内容の違いも勘案しなければなりません。どの講義でも、バックチャネルが有効かどうかは検証する必要がありそうです。最大の課題は、「学習効果」をどのように測定するか、という問題が残ります。
 今日は「学習効果」を仮に「講義内容の概念理解」ととらえてきましたが、ここを別の基準に設定すると話は全く異なってきます。そのことは非常に慎重に考える必要があることを重ねて指摘しておきます。
 例えば、「授業の内容を「コア」にして、人とつながることが学習である」ととらえるのであれば、ツイッターでつぶやくことは、学習効果が高い、ということを意味します。
 また、学習者に関しても、注意が必要です。今日の議論では、大学の学部生と仮置きしました。これが働く大人になってくると話が違ってくるでしょう。
 働く大人は、概念理解云々よりも、人に伝え、巻きこみ、巻きこまれ、つながることによって、自分を変化させることを「学習」とおくでしょう。新たなアイデアやイノベィティブなやり方を思いつくことが「学習」とおくのなら、またさらに話が変わってきます。
 ▼
 くどいようですが、僕は授業や講義中のバックチャネルの教育応用の可能性に興味をもっています。しかし、同時に、上記のような検証、あるいは、下記のような問いについて、教育関係者が本気で考えるべきだと考えています。
 ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか?
 そして「よい学習」の「よさ」とは何か?
 非常に面白い問いであると思います。

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