NAKAHARA-LAB.net

2007.3.26 09:28/ Jun

抱え込む子育て、ネットワーキングする子育て

「子育てをする」とは、いったい全体、何でしょうか。
 凡庸でいて酩酊気味の僕の頭脳では、どうせいくら考えても、明確な答えを出せるわけではないのですが、こういう形而上学的な問いを、最近、事あるごとに考えるようになりました。
 —
 当初 – つまりはタクの父親になった当初 – 僕のアタマの中にあった「子育て」のイメージは、「ミルクをあげること」「おしめをかえること」「一緒に遊ぶこと」でした。3点セットといってもよいね、これが子育て。
 要するに、タクという「か弱い存在」を、親としてケアすることが「子育て」であると思っていました。僕の子育て貢献度を勘案し、正確な表現をつとめるならば、ケアの「お手伝い」をする、といった表現になるのでしょうけれど。
 もちろん、その重要性はいささかも変わりません。が、最近、そうした「子育て」のイメージに加えて、ある考えがアタマをもたげているのです。
 語彙の少ない僕には、それが何かを完全に言い当てることは、まだできません。最初に謝っておくよ、ごめん。
 でもしかし、最近、「子育て」というものを、「地域や社会のネットワークに子どもを参加させていくプロセス」として捉えるべきなのではないか、という思いが、僕の中でフツフツとわいてきているのです。
 そして、そのためには親自身も、地域や社会のネットワークに参加する必要があるんじゃないか、と思うようになっている。
 ちょっと難しく言いましたけど、簡単なことです。
 タクはしばらく、今、僕が住んでいる街で生きていくでしょう。ここには、タクと同じ年齢くらいの子どもがたくさんいます。そして、そういう子どもをもつ親がいる。
 そうした人たちの中には、相互扶助的な「つながり」が既に形成されている。これは「目に見えません」が、確実にある。で、もう少し大きくなったら、そうしたつながりに、いろいろと参加していきたいなぁ、と思うようになったのです。
「大学教員としての中原」ではなく、「A地域で子育てをする親」として。
 —
「夫婦がどういった役割分担をしているか」という問題と、「夫婦をとりまく地域ネットワークが、どれだけ緊密であるか」という問題の関係を調べる、という研究パラダイムを提唱したのは、エリザベス=ボットやウェルマンの研究に端を発します。
 これを敷衍して考えるに、「子育てに対する夫婦の関与」と「地域ネットワークへの参与の度合い」は、関係していることが容易に予想されます。
 で、僕は、最近、下記のような仮説がアタマから離れないのです。
「親も子どももハッピーになれる子育て=家族みんなでハッピーになる」は、その「子育て」が、どれほど、地域ネットワークの緊密さに支えられていたのか、どうかに関係するのではないか、と。
「親も子どももハッピーになる=家族みんなでハッピーになる」という、我が家の方針については、前にblogで書きました。
家族みんなのハッピー度
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/02/post_759.html
 ここまでをまとめますと、下記のようになります。
 —
1.母親が一人で子育てに取り組むよりは、父親もサポートしたほうがいい
2.父親と母親だけで子育てを担おうとするよりは、ネットワークに参加し、相互に援助行動を求めた方がいい
3.その方が、多様な人に出会える分だけ、子どもの教育機会やしつけが増大する可能性が高い
4.その方が、子育ての負担は軽減され、親もハッピーな子育てができる=親の満足度が向上する
 —
 ということになりますでしょうか。
 もちろん、これは仮説。何の検証も経ていない「僕の世迷いごと」です。門外漢なので、無責任に言い放ちます。他人に勧める気は皆無ですので、ご心配なく。
 でも、何となく、いろいろな人たちの子育てを見るにつけ、そう思ってしまうのです。一言でいうと、「抱え込む子育て」は、少なくとも我が家が目指すべきところではないな、と。それよりは、「ネットワーキングする子育て」がいいなぁ、と。
 —
 アタリマエのことですが、子どもは一人で大きくなれません。そこには、親からのサポートが絶対に必要です。
 でも、もしかすると、子育ては、「親と子どもの関係」だけで捉えるべきではないのかもしれません。
 子育ては、「親と子どもの関係」に加えて、親と子どをとりまく「地域ネットワークの参加のプロセス」と捉えるといいのかもね、そう最近考えています。まぁ、言うのは簡単なんだけどね。
 ちょっとマジメな話になりました。
 こんなことをヘラヘラ考えているのは、僕だけでしょうか。まぁ、いいや。

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