2010.5.31 06:59/ Jun
昨日日曜日は仕事で、本郷キャンパスへ。
本郷三丁目の駅についたら、「きゃーきゃー」と若い人?(こういう言葉を使い始めるようになったら、オッサンです)の歓声が聞こえるので「どうしたのかな?」と思ったら、なんと、本郷キャンパスは「五月祭」だったんですね。知らなかった。。。
なにやら、あとで聞いたところによると、安田講堂前で「永ちゃん:矢沢永吉」が熱唱したとか。ミーハーな僕としては、見てみたかった、リアル永ちゃん。
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今日の仕事は「科研(文部科学省科学研究費の助成を受けた研究)の会議」への参加です。科研のテーマは、「人とロボットの共生する社会」をつくる、というとてつもない目的をもった、大型研究です。
科研会議は、三宅なほみ先生(東大)、神田祟行先生(ATR)、大島純先生(静岡大学)、野口孝文先生(釧路高専)、白水始先生(中京大学)らと議論をしました。今年、何をやるか・・・少しイメージがまた深まりました。これは、もう一度、僕は、プロポーザルを見直そうと思います。
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この科研における僕たちの挑戦は、
「ロボットを”よい聞き手”にして、人間にリフレクションを促すことで、さらに深い学習をつくりだそう」
ということですね。一言でいえば、「Robot as cognitive partner」「Robot supported collborative learning」です。
「ロ、ロ、ロ、ロボット?」といぶかしがる方もいらっしゃるかもしれないけれど、かつて「コンピュータ」が黎明期には、それを学習に活かそうという話をすると、「コ、コ、コ、コンピュータ?」ということになったので、新規なメディアがでてくるというのは、そういうものです。詳しくは下記をご覧ください。
あなたのリフレクションを促してくれるロ、ロ、ロボット?
https://www.nakahara-lab.net/blog/2010/01/post_1631.html
会議の中では、協調学習にも話が及んだのですが、
「簡単に納得しない聞き手は、学びを促進しますよ」
という三宅なほみ先生の言葉が非常に印象的でしたね。これはわかる方はわかると思うのですが、1980年代の三宅先生の「ミシンの研究:建設的相互作用」の研究を一言で表している言葉だと思います。
要するに、人が共同して学ぶときに、お互いの仮説や考えに対して、なかなか納得しないんだけど、それでも、何とか説明をつけようとしていることこそが、お互いの考えを深くすることに役立つ、ということですね。
僕は、これにもう1つ軸「アクティブに聞く/聞かない」を加えて、
“簡単に納得しないけれど、
アクティブに聞くことができる聞き手が、学習を促進する”
という仮説?妄想?を、今回の科研の趣旨に基づいて、思いつきました。
ほんの、思いつき(笑)。
軸を増やして2軸にした、ということは、4つの象限が生まれます。具体的にいうと、”簡単に納得する/しない”、”傾聴できる/できない”の二軸のマトリクスからは、4象限(4つのタイプ)が導き出されます。
1.”簡単に納得しないけれど、
傾聴できる人”
2.”簡単に納得しないけれど、
さっぱり話を聞かない人”
3.”簡単に納得しちゃうんだけど、
傾聴する人”
4.”簡単に納得しちゃうんだけど、
さっぱり話を聞かない人”
学習の観点からいうと、やはり「1:簡単に納得しないけれど、傾聴できる人」がいいと思うんですね。「2:簡単に納得しないけれど、さっぱり話を聞かない人」ってのは、「ガンコもの」ってこと? これ、避けたいですね(笑)。
「3:簡単に納得しちゃうんだけど、傾聴する人」ってのは、「癒し系」?
「4:簡単に納得しちゃうんだけど、さっぱり話を聞かない人」ってのも、また、痛いね(笑)。
学び的には、もしかすると、”簡単に納得しちゃうんだけど、さっぱり話を聞かない人”ってのは、マズイかもしれないですね(笑)。おそらく、本人的にも、この人は学べないし、この人の近くにいる人も学べないんじゃないかな、と。でも、「2」もイヤかな。。。あんまり近くに寄りたくないですね。
嗚呼、書いてて悲しくなってきた。僕、この2つのどちらかだよ、絶対。基本「話を聞かない」もんなぁ・・・ごめんなさい。
さぁ、皆さんは、どのタイプ?
そして、あなたの周りには、どんな人が多いですか?
”簡単に納得しないけれど、傾聴できる人”?
それとも
”簡単に納得しちゃうんだけど、さっぱり話を聞かない人”?
それとも、
”簡単に納得しないけれど、さっぱり話を聞かない人”?
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■2010年5月30日 中原のTwitterでの発言
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