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2007.9.5 07:58/ Jun

「意志」もまた、ひとつの「孤独」である

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 最近あったらいいなぁと思ういいなぁと思うことのひとつに、「研究者を対象としたコーチング」がある。
 外から「自分の研究活動」を客観視してくれる「研究者の仕事がわかる専門家」が時折アドバイスをくれたらなぁ、と思うのは、僕だけだろうか。
 なにせ、研究者という職業は「自分がすべて」である。
 研究者の仕事は、
 問題1.オモシロイと思う問いを「自分」で設定せよ
 問題2.問題1に「自分」で答えよ
 を地でいくような職業であり、常に「自分」が問われる。
 どういうものを研究対象として設定し、それにどのようなイシューを見いだし、どのようにアプローチして、どのような結果を、どのような媒体にパブリッシュするか。すべて自分で決めて、自分で責任を持たなければならない。
 研究者同士、お互いの研究を批評しあう場がないわけではないけれど、利害関係が全くない状況でそれがなされるのは、きわめて希である。同じような研究領域の同僚がいる場合は非常に助かるが、さりとて通常の大学では同分野から2人の教員を採用することは、きわめてレアなケースである。
 指導教員が「指導」をしてくれる時分はまだマシかもしれないが、原則的には、「職業研究者」となってからは、誰も「指導」はしてくれない。最後は「自分」ひとり。すべて自分で決めなければならない。
 僕は、将来、この領域で○○を論じたい
 と願うことも自由ならば、
 わたしは、この領域の中で、この研究方法論を使って生きていきたい
 と思うことも、どうぞご勝手に。
 僕は、インターナショナルに活躍したい
 と野望を抱くことも自由ならば、
 わたしはドメスティックに地道な活動をして、自分のセオリーの普及をめざしたい
 と考えることも、大いに結構。やりたいならば、やれば。
 そして、この「自由さ」ゆえに、だから危ない。「自由さ」を切り開くためには「強い意志」を持たねばならぬが、この「意志」というモダンの産物がくせ者である。
 アルベール・カミュがいみじくも述べるように、
「意志」もまた、ひとつの「孤独」である
「圧倒的な孤独」の中で、時に、自分がどこに定位しているのか、自分がどこへ向かおうとしているのか、自分が何者であるのかが、わからなくなってしまいがちである。広大な問題領域の中で、自分の進むべき道を見失うことが、頻繁に起こりえる。
 もちろん、これは「領域」によるだろう。ただ、複数の知識ドメインが越境する研究領域とか、応用領域をもつ研究領域にいる人は、多かれ少なかれ、このような悩みを抱えるのではないか、と想像する。
「自分」が何をしたいのか・・・これ以上に難しい問いはない。
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