NAKAHARA-LAB.net

2008.3.5 06:52/ Jun

実践家の誤りを正す!?

 世の中には、2つのタイプの研究者がいる。
 ひとつめのタイプ。実践家の考えや振る舞いを「リスペクト」し、彼らが生きている「現場」から、解釈を試みようとする研究者。この場合、研究者は「解釈者」の立場になる。
 もう一方は、実践家のやることを「危なっかしいもの」と考え、大学の研究室の中で生まれたルールや法則を「現場」に「落とそう」とする研究者。この場合、研究者は「法則定位者」の立場になる。
 —
 昨日、ある大学の先生とお話ししていた際、こんな話がでた。
 その先生は前者のタイプの研究者である。以前、後者のタイプの研究者に、下記のように言われて、大変ショックを受けたという。
「実践家の誤りを正すのが研究者の役割でしょ」
 —
 この問題、実は非常に根深い問題である。研究者の研究スタイルの問題だけではなく、実践家から研究者に寄せられる「社会的期待」も複雑に絡み合う。
 実践家の立場から一見して、研究者像として「美しく見える」のは、圧倒的に前者である。「実践的であること」は、肯定されることはあっても、否定されることはない。多くの実践家が、まずはこちらを支持するだろう。
 しかし、実践家の心の中には、同時に、前者の研究者の「解釈者」という立場に飽き足らない感情が生まれる場合もないわけではない。
「解釈するとは、先生の主観で判断するということですか? でしたら、ちょっと・・・。わたしのことはわたしが一番よく知っている。先生は解釈するのではなく、科学的に証明されたものを教えてくれませんか?」
 心のどこかで、一般的法則を求め、それを担う後者の研究者を期待する。
 —
 さらに問題は複雑になる。そこにアカデミズムの評価というものが絡み合う。
 一般にアカデミズムの世界では、「解釈の余地のあるもの」は「科学」と見なされない傾向がある。普遍的で一般的なルールや法則を「発見」することこそが「科学」であるというような科学観が、今も支配的である。
 もちろん、そうした傾向は「かつて」から比べれば、落ちている。しかし、メインストリームは「後者の研究者」であることは明確である。
「解釈とは科学ではない!?」
 —
 さて、ここで問いが向けられる。
 あなたが研究者であるならば、あなたはどちらのタイプの研究者だろうか。否、あなたの研究はどちらのタイプに属するか?
 あなたが実践家であるならば、あなたは研究者に何を求めるか?
 —
追伸.
 TAKUZO、ついに退院しました。長かった・・・。まだ本調子に戻ってはいませんが、元気に過ごしています。
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