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2007.4.2 17:41/ Jun

子育てとストレス

 真実ではないか、と思われることがあります。
「子育てはストレスがたまる」
 ということです。
「我が子が可愛い、とか、可愛くない」とかいう次元の問題ではありません。
 保守的・規範的な人は、「可愛い、可愛くない」の次元でものを考え、先の僕の命題を否定しがたるかもしれませんが、そんなことは気にしません。僕が言いたいことはそういうことではありません。
 
 僕自身も、一寸の疑いなく「我が子は可愛い」と思います(もちろん、我が子を愛せない親がいることも事実です)。
 しかし、子どもはいくら可愛いからといって、
「子育てはストレスがたまる」
 という命題に、いささかの文言修正を行う気もありません。
 0歳の子どもには「言って聞かせる」ことはできません。
 私たちは通常「理の世界」に生きていますが、彼らはその世界の住人ではありません。親が子どもに「あわせること」がどうしても、必要になってきます。親が子どもに振り回される事態が「必然」です。
 —
 それでは、貯まるストレスをどうやり過ごすか。
「子育てを放棄する」というデモーニッシュな考えに与しないのであれば、親がとりうる選択肢は、いくつかしかありません。
1.子育てを楽にして、ストレスを軽減する
2.たまったストレスを発散する
 1は、先日お話しした「地域ネットワークの緊密さ」の研究に関係するかもしれません。
 社会関係資本を有効に用い、親が本来担わなければならない「子育て」の一部を、様々な人に代替してもらう、という戦略です。
 えい、まどろっこしい。一言で言えば、「自宅の外にゆりかごを求める」ということでしょうか。
 これなら、「子育てを一人で引き受けない分」、たしかにストレスを軽減することはできそうです。
 —
 2の「ストレス発散」は、人によって、様々なメソッドがあるでしょうから、一概には言えません。我が家の場合、先日、僕が入手したWiiが、それに一役買っています。
wii1.jpg
 タクが寝静まった午後11時から、僕とカミサンで数ゲームだけテニスをする。たいしたことではないかもしれませんが、「真夜中Wii」は、ストレス発散のひとつの手段であるようです。
 —
 いずれにしても、間違いのないだろうと思われることは、
1.子育てにストレスがつきものであることは認めること
2.その人なりのストレス軽減策、発散策を見つけること
 が重要であるようです。
 間違っても、「我が子とは可愛いものであるから、ストレスなんて感じるわけがないのに、それを感じてしまう自分は親失格であるにちがいない、オカシイに違いない」・・・という風に考え、自分を責めないことだと思います。
 外にでること、運動すること。
 結局は「動く」ということなのかな。

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