NAKAHARA-LAB.net

2014.5.14 09:46/ Jun

TEDスタイルプレゼンテーション、さらにその「先」へ : 「演出された一方向」を超えて

「なんか、最近、TEDスタイルのプレゼンも、飽きてきましたね・・・」
 昨日は経営学習研究所の理事会でした。理事会のあとは、いつも懇親会をかねて、近くのドイツビール居酒屋で一杯やるのですが、その時に、どなたか(N先生かな?)がおっしゃっていたひと言がきっかけで、少し、メンバーで面白い議論をすることができました。
 もちろん、ここで誤解をして欲しくないのですが、TEDで語られる内容やトークは、とても面白く、興味深いのです。
 その中には、「うーむそうか」と唸ってしまうものも、「いやー、こりゃ、一本、とられたわい」と感じてしまう、素晴らしいプレゼンテーションも多数存在しています。
 私たちの言明は、そうした場に勇気をもって立ち上がりプレゼンをなさっている方、そうしたパフォーマーを影ながら支えておられる方の、努力を何ら毀損するものではありません。
 しかし、一方で、「TEDスタイルのプレゼンテーションに飽きた」ということは、少なくとも、この場に集まった(少々、時代を生き急いでいる?)何名かの人々に、どことなく共有される認識でした。少なくとも僕はそうです。
(TEDの映像で著名なものは、かなりの割合、僕は見ていると思います。どのように喋るのか、どのように間をおくのか、一時期分析をしまくりました。だから飽きた、ということも言えると思います)
 それがなぜか、ということを考えてみた場合、ひとつの可能性として「TEDがもつコンセプトの限界」を感じます。
 コミュニケーションの観点からみれば、TEDとは
「シアターにおけるストーリーテリングの演出」を強烈に施した「一方向のコミュニケーション」
 なのです。
 ひと言でいえば
「演出された一方向」
 情報のやりとりの観点からすれば「TED」と一般の「一斉授業」は、そうそう変わるわけではありません。そこには、対話や議論は当然ないですし、参加者の関与もありません。基本的には「一方向」なのです。
 まぁ、対話や議論や参加を促したからといって、飽きないか、というと、それもまた別の問題なのでしょうけれども、「演出された一方向」というコンセプトに、何か別の可能性をさぐりたくなっているのかもしれません。
 もちろん、単純に「一方向」とはいっても、そこはクオリティが違います。TEDのプレゼンテーションで展開されるアイデアがブリリアントであるので、「一方向のコミュニケーション」でも、早々、飽きないのです。
 しかし、それが世の中に多数流通し、消費されるようになってくると、必ずしもそうとはいえない事態がでてきます。
「また、TEDスタイルか・・・」
「また、ストーリーを聴くだけか」
「また、パフォーマンスを見るだけか」
 になってしまいます。
 ▼
 結局、TEDを聴き、そのリマーカブルな思考に魅了された「これからの人々」が、「TEDを超える映像文法」「TEDを脅かす!?コミュニケーション文法」を開発していくことなのだろうなと思います。
 TEDを神聖視したりするのではなく、TEDに最大限のリスペクトを払いながら「TEDのさらにその先」をつくることに向かったとしたら、非常に面白い事態がおこるのではないでしょうか。
 それはハードな道かもしれませんが、また愉しいことなのかもしれません。
「演出された一方向」のあとに
 わたしたちは、何をつくりえるでしょうか?
 そして人生は続く
 

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