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2007.4.7 07:00/ Jun

プロフェッショナル受難の時代

 本日、朝日新聞の記事「ドキュメント医療危機」は考えさせられた。要約すると、「外科医のなり手がいなくなっている」という話。
 その記事の中で紹介されていた下記の言葉が、大変興味深い。
「勤務医は患者から求められすぎている。医学知識は完璧で、ブラックジャックの技術、赤ひげの心。説明はプロのアナウンサー並みで、ユーモアも欲しい。チーム医療のリーダーシップ、気力体力で24時間対応し、お金はいらない。それで何かあったら訴えられる」
 —
 大衆は「消費者」であり、医療とは「サービス」であるという認識が広まっている。そうであるかぎり、肥大化する大衆の「欲望」に、「医者であるならば」答えなければならない。
 現在の医療の危機 – 医療現場に広がる憂鬱 – を、これほど見事に表現している言葉を、僕は知らない。
 —
 プロフェッショナル受難の時代に突入している、と思う。
 受難なのは、医者だけでない。
 セミプロフェッションといわれる教師もまさに肥大化する親たち、社会からの欲望に押しつぶされそうになっている。
「教師は親や社会から求められすぎている。教科内容については完璧で、予備校講師顔負けの授業技術、それでいて学級運営はキッチリできて、子どもの心もカウンセラーなみに把握する。学校では、学校改革の先頭を走り、終業時間が終わってからは、不登校の子どもの自宅に家庭訪問。それで何かあったら、後ろ指をさされる。すべては教育のせい、教師のせい」
 —
 こうなる原因はいくつも考えられる。
 だけれども、最も根本にあるのは「グローバル化の進展する現代において、プロフェッショナルが根源的に抱えざるをえないシンドサ」にある。
 市民は、医療や教育を「サービス」として位置づけ、序列化し、ランキングをつくり、「選別」することが許されている。
 近年発展めざましいインターネットは、それをグローバルなレベルで可能にした。Googleを検索すれば、医者のよしあし、学校のよしあしが、たちどころにわかる。
 しかし、一方、医療や教育の側にたつ人々は、患者や子どもを、「純粋なカスタマー」として位置づけることは許されていない。
 簡単にいうと、医者や教師は、「儲からない患者」「教えても教えてもダメなコストがかかる子ども」「無理難題をふっかけてくる親」を「切る」ことは許されない、ということです。なぜなら、彼らの職業が「プロフェッショナルであるから」。
 プロフェッショナルの語源は、「神の託宣を受けたもの」。託宣をうけ、強大なパワーをもつかわりに、プロフェッショナルには「公につくす義務」が存在する。
 そうであるが故に、グローバル化のなかでプロフェッショナルは「顧客の方から常に評価のまなざし」にさらされつつも、「顧客を選別すること」はできない。少なくとも、そうすることによる社会的サンクションの大きさを考えれば、そういう選択肢は実質とることができない。
 これは、根源的に、現代のプロフェッショナルがかかえる矛盾なのです。
 皮肉だよね、世間では「プロフェッショナルの時代」とかって騒がれているのに、「プロフェッショナルは同時に受難の時期を迎えている」っていうのは。
 —
 じゃあ、どうしたらいいのか?
 追い詰められたプロフェッショナルには、いくつかの選択肢しかない、と僕は思うのですが。
 あなたならどう思いますか?

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