The Long & Winding Road - 1999/11


1999/11/02 スキー

 スキー大好きー、なんちって。
とかいって、「物まね」してる場合じゃないんです。誰のマネかは、ひ・み・つ。

 雪が降ってるみたいですね、北国では。スキーの季節です。

 スキーですが、僕も北海道にいた頃はずいぶん行きました。山まで歩いて15分という環境だったせいもあって、小学校のころなんかは、毎日行っていました。山っていっても、ボロいリフトがついてるだけの山なんだけど、北海道の冬は、それしかやることがないから、毎日いってました。しつこいけど、このリフトがハンパじゃなくボロくて、一回乗車しただけで、ケツが「はくろう病」になっちゃうほど、ボロかったです。
 日曜日なんかは、「一日に何回リフトに乗れるか耐久レース」とか言って、70回近く乗車しました。僕は負けず嫌いなんです。でも、ケツの感覚がなくなってしまいました。ケツの感覚がなくなったおかげで、うまくなりました。は?

スキー、はやくいきたいなぁ。

追伸.
シュウロンは、4章まで一応書き上げました。残り2章だぜ。


1999/11/06 吉祥寺

 今日は、美馬さんご夫婦と山内さんに吉祥寺でお会いした。
 修士論文も含めて、いろいろな話を聞いてもらった。いつもお世話になっております。ありがとうございます。がんばります。
 点心でショウコウシュ飲んで、楽しゅうございました。本当にごちそうさまでした。懲役100年追加ですね。
 吉祥寺は、学部1年のときに、合コン以来でした。確か、あのときは、女の子と話すのをそっちのけで、ただの「酔っ払いオヤジ」になってしまったような。ドリフターズの「高木ブー」の「かみなりさま」みたいな髪型だったから仕方ないんだけどね。当時90Kg近くあったからね、僕は。東大の「高木ブー」とは、わたくしめのことでした。

 さて、話を元に戻して、本日ごちそうになった点心の中に「北京ダック」がでてきちゃったよ、おい。北京だよ、ダックだよ。ゼンジー北京、どこいった?
 僕は、ダックのその「お姿」を見たとたん、「これは高価なお品、食わずに帰れば後悔する」と思って、張り切っていたけど、ここで「がついて」はいけないと思い、また、なぜか格好をつけたくなって、「知っている」ふりをしたけれど、ごめんなさい、ウソついてました、はじめてだったんです。

 美馬さんや山内さんが食べる様子をしっかりと見ていて、なるほど、こう食べるのかと思い、同じように食べたら、なるほど、やはり、北京ダックだと思った。
 すごいね、北京ダックは。さすがだよ、北京ダック。北海道じゃとれないね。「料理の鉄人」の「岸朝子」風にいうならば、「おいしゅうございました」という感じで感激して帰ってきました。

 帰ってきて、美馬さんと山内さんにお礼のメールを書いたら、「中原くん、あれは北京ダックじゃないよ」とご指摘をうけ、岸朝子もびっくりでした。ホンモノの北京ダックは、皮だけ食べるんだそうです。そういや、「お肉」もついてたね。あいーんって感じ。志村けんでした。
 
 お忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございました。
 お約束、忘れません。


1999/11/10 教育工学会での写真

 神戸大学の山口さんから、10月の日本教育工学会での飲み会写真が送られてきました。わざわざ本当にありがとうございました。教育工学会の懇親会のあと、NECの加藤さん、鈴木さん、吉岡さん、神戸大学の稲垣先生、山口さんが飲んでいたところに、杉本さん、浦嶋君、中原で、おじゃまさせていただいたときのものです。なかなか飲み屋がなくて困ったのですが、無事にはいれました。楽しゅうございました。


1999/11/12 シュウロンビョウ

 小生、シュウロンビョウにかかってしまいました。何をやるにもイライラしてくる、この「電撃イライラ棒」も真っ青の状態を人は、シュウロンビョウというらしいです。何かに焦っているのでしょうね。ワトソン博士にゃなおせまい。

 幸い、「自分がシュウロンビョウにかかっている」ということを僕は意識しているので、これから自己修復パッチ(Patch)をあてに、飲み屋にいってきます。カーネル(Kernel)を再構築しなければなりませんので、今日は、ここまで。

 NAKAHARA,Jun >> Halt.


1999/11/14 荒れるブランドン、荒れる書架

 いやぁ、昨日のビバリーヒルズは楽しかった。「出来杉くん」みたいなブランドンが、エマとの浮気がばれて、とうとうケリーと別れました。珍しく、彼、荒れていたねぇ。「ご機嫌いかが、お嬢様がた?」とかもう言わないしね。まぁ、荒れなさい、荒れなさい。悲しみは、独りで癒すものです。ばれちゃったんだから、あんたが悪い。はい、それまでよ。

 今日は、日曜出勤しました。でも、絶対に大学にあると思っていた資料が、なぜか大学にはなくって、結局、帰ることになりました。ていうか、もう、僕の研究室の書架はめちゃくちゃです。なんでこんなにぐちゃぐちゃになるのかって思うけれど、割り当てられている量が少ないからねぇ。まるでハードディスクのデフラグを直すように、神妙に、神妙に本を積み上げていったら、あぁなっちゃったのです。すまんねー。それにしても、欲しい本が、検索できないっていうのは、問題だな。国民総背番号制みたいにデータベースで管理しようか。いやいや、絶対に僕のことだから、途中で面倒になっちゃうよなぁ。

 ということで、今日は、帰ります。家にあるのかなぁ、あの文献は。


1999/11/16 心理学事典と「メタ的なるもの」

 今日、CD-ROM版の「心理学事典」をゲットした。有斐閣から最近リリースされたものだ。僕のコンピュータのハードディスクには、「リーダース英和辞典」もはいっているから、これと併用すると、英文読解のスピードを格段にあげることができるだろう。たとえば「Transfer(転移)」といれると、両方の辞書の検索結果をボタン一つで参照することができる。もっとも英語を読むときにコンピュータを使用するのは、僕の場合まれで、ほとんど寝る前に、「睡眠薬」として英文を読んでいるから、あまり意味がないっちゃないないんだけどね。

 さっそく、心理学事典で好きな単語を入れて遊んでました。便利な世の中になりました。で、今日の話題は、この心理学事典の気になるワードから、僕が最近悩んでいることを、少し話してみたいと思います。

 今日の食材は、メタ!(料理の鉄人のカガタケシ風に読んでいただきたい)

 さて、「メタ」というと、心理学をすこしだけ知っている人は、「プラン」とか「メタ記憶」とか「方略」とか「メタ認知」とか「モニタリング」とかいうことばをすぐに思い浮かべるはずですよね。その中でも、最近、僕が悩んでいるのは「メタ認知」というやつです。メタ認知は、心理学事典によれば、以下の用に説明されています。少し長いけど、引用してみましょう。

メタ認知(metacognition)

意図的・計画的な行動をスムースに遂行するためには,自己の認知活動を監視し,行動目標にそって評価し制御する機能が必要と考えられる。メタ認知研究の淵源は,幼児が記憶方略を教示された直後には有効に実行するのに,自発的には使用しない現象がメタ記憶の欠如として説明されたところにある。しかし,今日では,認知ないしその過程の意識化にかかわるあいまいな概念として普及しており,ウェルマン(Wellman, H. M.1983)に従うと,認知過程に関する知識,自己の認知状態やその過程の評価,認知過程や方略の実行制御,認知活動に関連した感情的評価といった広範囲な心的事象を包摂するという。学業不振児や知的発達遅滞児のメタ認知の欠如,熟達者のメタ認知による洗練された方略制御が指摘され,メタ認知の能力は知的機能の発達や技能の熟達化に伴って発現することが示されている。その獲得過程についてはいまだ明らかにはされていないが,それを説明する理論としてヴィゴツキーの内面化の理論が改めて注目されている。

中島義明ほか(1999) 心理学事典 (有斐閣)より抜粋

 つまり、メタ認知って「認知過程に関する知識,自己の認知状態やその過程の評価,認知過程や方略の実行制御,認知活動に関連した感情的評価といった広範囲な心的事象」のことです。もっともっと簡単にいうと、「自分が何を認知しているかを認知する」ってことですね。で、問題は、最近の教育の世界では、こういう「メタ認知」を育てようとする言説が、ものすごく強いってことです。「自己学習力」とか「自己評価」とか「学び方を学ぶ」とか、まぁ、コトバにしてしまえば、月並みなのですが、そういうものを育てることを「主目的」として、教育の現場を再編しようとしているのですね。

 もちろん、そのこと自体に、僕は何の異論もありません。確かに、たとえば「学習」だったら、「学習ってこんなもんだから、こうすりゃいいんじゃん」みたいな知識って、学習そのものに強く影響すると思うし、生涯学習とか言うんだったら、そういうメタな部分が、ものすごく重要になるってのはわかるんです。だけど、ここで僕の悩みがでてきます。
それは、このご時世で「メタ的なるもの」が主目的とされて、教授活動がおこなわれるっていう、その具体的な場面が、どうも想像できないことなんです。だって、たとえば「学習ってこんなもんだよねぇ」って先生が生徒に直接言っても、ほとんど「お説教」になっちゃうでしょ。「またはじまった・・・」って言われちゃう。僕みたいな「ひねくれもの」だと、「こいつは、道徳の時間だったのかい?」って言っちゃいます。だから、「メタ的なるもの」を教授活動の「主目的」にするのは、どこか、無理がある。つまり、脱文脈化された「メタ的なるもの」の教授、獲得は不可能だということです。それは「価値の伝達」です。でも、「価値の伝達」、いや、「価値の強制」なしで、教育という営みは存在しないような気もします。

 結局、上の辞典に「メタ認知の能力は知的機能の発達や技能の熟達化に伴って発現することが示されている。その獲得過程についてはいまだ明らかにはされていない」って書いてあるように、「メタ的なるもの」は「メタ的でないもの」、つまりは、フツウの学習の中で、「おのずから」学ばれるものらしいのだけれども、それじゃあ、その「フツウの学習」ってのをどう組織したらいいのかなって話しになると思うんです。この問いに対する答えが、どうも、わからないんです。その筋では有名なBruner,J.S とか、Brown,A.L とかLave & Wenger とかの該当部分を読んでみたんだけど、どうもわからない。このあいだ出版されたSuchman,L.Aの「Plans & Situated Action」は、この「メタの問題」の根本にある「プラン」の問題を扱っているんですが、それを読むと、どうも、ノドまで答えがでかかるんだけど、自分のコトバでそれを語ることができない。つまり、何もわかっていないんです、僕は、正直に告白します。もう一度、根本から考えましょう。
 だけど、現場の先生方から、最近、よく聞かれるのは、この問いばっかりなんですよね。先生はそういうコトバは使わないけれど、とどのつまり、先生の言いたいことは、「子どもにどうやって「メタ的なるもの」を教えたらよいのか?」ってことです。

 うーん困ったなぁ。今日は、お茶を濁して終わるしかないなぁ。でも、いっつもお茶濁しだからいいか。明日は、講義をしなくちゃならないし、新CSCL研究プロジェクト「BASQUIAT」の研究ミーティングがあるから、早く寝なければならないってことで許してください。いずれ、この話はまた。


1999/11/17 遠隔講義とBASQUIAT

 日本工業大学にむけて、大阪から遠隔講義をしました。お題は、「協調的知識創造環境のデザイン」でした。非常につたない講義で、学生さんには、ご迷惑をおかけしたことと思います。上の写真は、日本工業大学の先生からいただいたものです。ありがとうございました。

 僕がこの講義で協調したかったのは、第一に、学習者同士が「協調する」っていうことが、注目されているんだけれど、その具体的な「手だて」を考えることって結構難しいってことでした。今、「手だて」って言いましたが、これには、「道具」や「そうした道具を用いる状況や環境」もはいります。「協調する道具」をつくるためには、単に「道具」をそろえりゃいいっていうもんじゃなくて、その「道具」を用いる活動をデザインするってことでもあるわけです。

 そういえば、昨日から、我が研究室の有志たちによって、BASQUIAT PROJECTなるものが立ち上がりました。新しいCSCLの開発です。昨日は、コンセプトメイキングミーティングが開かれて、自分たちのデザインをもちよりました。

 このBASQUIATがどう進展するかは、まだわからないのですが、今のところ「Role(役割)」というものを協調学習に導入しようというコンセプトは決まりました。でも、まだ、その道具を使用しての、学習者の具体的な活動が、頭に思い浮かべることができないんですよねぇ・・・。シュウロンも楽しいのですが、こちらも楽しくなってきたので、がんばります。

1999年11月17日 日本工業大学 「教育情報工学」 遠隔講義 中原担当 「Design of Collaborative Knowledge-Creating Environment」 資料レジュメ

CSCL Design Project 2000 BASQUIAT Projectのページ


1999/11/18 明日から岡山

 明日から岡山で行われる全国教育工学協議会というところに参加します。この学会は、現場の先生方が発表の中心になっている学会で、ずいぶん前から行われているのだとか。 今、研究室のカラープリンタでOHPを打ち出しているところです。いつものようにPowerPointでやりたいんですが、うちの研究室にある「スキャンコンバーター」は、かなりヘボいので、OHPでやることにしました。それにしても、フツウの学会よりも、この協議会では、おそらく、緊張するでしょうね。自分でだいたい予想がつきます。

 これが終われば、本格的にシュウロンに取り組みます。4章まで書いていたのですが、もう一回書き直して、あとは5章・6章を書きます。予定では、12月中には、書き終える予定なんだけど、どうなるかなぁ。今年の正月は、北海道に帰らないことに決定しましたが、この決定に甘えて、またサボルかもしれませんね。


1999/11/12 或いは、雑感

 おおよそ、複雑きわまる人間の意図と行為のあいだで、その中で<わたしの答え>を求められるとき、その時に、雄弁さを失ったのは、いつのころであったか。語り得るものと、語り得ないものに関する未熟で幼稚で凡庸な思索がはじまったのも、そのころだったか。

 現在完了形の表現する時制がごとく、いつにはじまりいつに終わるか、当の本人さえ了解しえない思考。

 黙っていた方がいいのだ、こんな夜は。

もし言葉が

黙っていた方がいいのだ
もし、言葉が
一つの小石の沈黙を
忘れている位なら

その沈黙の
友情と敵意とを
慣れた舌で
ごたまぜにするくらいなら

黙っていた方がいいのだ
ひとつの言葉の中に
戦いを見ぬ位なら
祭りとそして
死聞かぬ位なら

黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために
歌おうとせぬ位なら

谷川俊太郎「もし言葉が」

 黙っていた方がいいのだ


1999/11/23 残り61日です

 あぁ、とうとう絶対にやってはいけないことをしてしまいました。ごめんなさい、おじいさん。やりたくてやりたくて仕方がなかったけれど、今まで禁じていたことを僕はしてしまったのです。

 とうとう修論提出まで「残り何日」っていうのを、数えてしまった・・・。やったよ、あぁ、やっちまったよ。古屋一行も真っ青さ。

 61日だってさ、残り。てことは、残りおよそ1460時間で提出だとさ。そのうち半分は寝てるか、食ってるし、10時間くらいは、大学とイエの往復だから、1000時間なんてないんだな。何とかなんのかねぇ・・・。いや、「何とかなるよ」って言う奴で、「何とかなった奴」って、あんまりいないんだよなぁ。

 今日は、木原先生から借りてきた論文を読んでいました。深いですねぇ、Reflective Teacher Education は・・・。木原先生、ありがとうございました。


1999/11/24 ふりだしに戻る

 もう耐えられない。こんな風に書きたいわけじゃなかった。でも、書いているうちに、どんどん自分の構想とはズレていった。僕の描きたい「世界」は、こんな紋切り型の色あせた「世界」じゃない。僕の見た「世界」はもっともっと切なくて、それでいて人間の矛盾と葛藤のあふれる「世界」だった。納得が全然いかない。4章までは書いたけれど、本当に納得がいかない。

 このまま書いても僕は二度とこの研究をリライト(Rewrite)したくはなくなるだろうし、まして、二度と見たくなるかもしれない。それは、忙しい中、僕の研究に協力してくださった先生方にとって、とても失礼なことだ。

 今まで自分自身にお茶を濁してきたが、ついに決断した。11月24日、午前2時をまわっていた。

 修士論文をもう一度最初から、すべて、書き直します!

 そう決断した瞬間、なぜだかわからないけれど、急に楽しくなってきた。慢性肩こりの痛みももなぜか感じられないほどに。


NAKAHARA, Jun
All Right Researved 1996 -