The Long & Winding Road - 2000/10


2000/10/01 お誕生日

 とうとう25歳になってしまいました。四捨五入で30歳だよ、おいおい。今日は、研究室の人たち(主にCSCL研究会のメンバー)を誘って、飲みにでかけました。「お誕生日的飲み会」てなわけで、僕が自ら企画しました。自分で企画するなってーの。

 偶然、みゆきさんも大阪に来ていて飲み会に参加してくれ、また、仕事を終えた荒地さんもハルバル参加してくれました。はーるばる来たぜ函館ーって感じ。

 みなさんの温かい心に窒息しそうになりながら、なかなか感動のお誕生日を過ごすことができました。このところ、書類と会議に追われる毎日で、僕の心は「乾ききって」いたので、ホントウに嬉しかった。

 月並みなお礼しか言えないけれど、みなさん、ありがとう。
 
 最後に、松河君。
 君、酒が進んでも「割り箸」をかじらなくなったね。よかったでちゅねー。あー、よちよち。


2000/10/02 NHK

 このところ毎日、朝早くに目がさめる。これも25歳になったからか。ジジイ化現象がもうはじまったのか。

 午前9時、シャワーにはいって、そろそろ大学にでも行くかーと思っている頃、毎日毎日、玄関のチャイムが決まって鳴る。

中原「はい、どなたー」
玄関のヒト「あのー、NHKなんですけど、受信料ハラってくださいよー」
中原「僕、テレビ見てないんです、いや、ホントウにブッ壊れていて見れないんです、うちのテレビ。」

 とまぁ、こんなやりとりが続くわけだ。NHK受信料請求の「おきまりの撃退法」だとみなさんは思うかもしれないが、うちのテレビが見られないのは、ホントウのことだ。ビデオはうつるから別にいいんだけど、テレビの画像の回路(?)、ブッ壊れていて、ホントウに見ることができない。

 テレビを買い換えようと思ったことはある。でも、どうしても自分にとって、必要なものとは思えない。見なければならない番組は、大学で見ればいいんだし、ダイイチ、そんな番組は、モノスゴク数が限られている。ニュースなんかは、Webやメールマガジンでチェックすればいい。

 毎朝、毎朝、僕のコトバが信用できなくて、うちに受信料を取り立てにくるNHKの人に告ぐ。無駄だ、今すぐにやめなさい。


2000/10/04 ようやく一段落

 9月後半からはじまっていた書類&会議の連続生活が、ようやく今日で一段落する。今日のプロジェクトミーティングで、6日から行われる学会のプレゼンを発表しあえば、これですべての予定は終了だ。はー、長かった、辛かった。

 ところで、昨日は「ごくろうさん前夜のひそかな楽しみ」ということで、パソコン版のモノポリーでみんなで遊んだ。モノポリーといえば、独占。独占といえば、アメリカだ(は?)。

 モノポリーは、他のプレイヤーと時には協調しつつ、土地を転がしていって、億万長者をめざすという、まさにアメリカンドリーム的なボードゲーム。そして、このボードゲームのパソコン版が、1980円でコンビニで売っている。現在、僕らが取り組んでいるProject Slateの企画として、経営をネタにしたCSCLを考えていて、そのつながりで、実際に経営ゲームで遊んでみることにしよーというハナシになり、遊んだのであって、ホントウに遊んでいたわけではない・・・・と思いたい。

 昨日のゲーム結果は、中原CEO、松河副社長の「中原商店」が優勝した。CEOとはいうものの、僕が経営していたときは、資金繰りに息詰まり、総資産22$で、倒産寸前だったのだが。

 どうやら、僕は経営には向いていないのかな。


2000/10/06 誰がために人は書く

 少しだけの出来事があって、昨日、この日記へのリンクを閉ざしてしまった。サーバーからファイルも消した。寂しさと失意に打ちひしがれつつ、「断筆宣言だートホホ」と思っていたけど、やっぱりやめることにした。てなわけで断筆は一日で終了。ひとり上手、ひとり芝居とは、こういうことを言うのか。

 最近、教育界でよく聞く言葉に「相手を想定して表現しよう」とかいうキャッチフレーズがある。僕の仕事(就職してないってーの)は、コトバをつむぐことでもあるので、コトバには少し敏感なのだけど、「相手を想定して表現する」というこのキャッチを聞くたびに僕は違和感を感じざるを得ない。

 なぜか

 表現すること、例えば話すこと、書くこと、描くこと。
 僕が主に従事しているのは、「書くこと」だから、とりあえずはそこにハナシをしぼって考えると、そもそも「書くという表現行為は、相手なしでは存在し得ない」ように思うのだ。相手を想定しようと、しまいと、ホントウに人が書きたいと思ったときは、それをどこか遠くで読む相手がいる。逆にいうと、「相手を想定して表現しよう」と言わなければ書けないような時には、人はホンシツテキには書けない、と言うことになる。

 この場合の「相手」は文章の主題ではないかもしれないし、時には文章中に一言も触れられぬこともあるかもしれない。しかし、少なくとも僕に関する限り、たとえ、僕の書くものが、フザケタ日記であろうとも、それがどんなに稚拙で凡庸であろうとも、読んでほしい相手がいる。うなずいてくれる<あなた>がいる。

 <あなた>はここにいないかもしれない。しかし、書くこと、その行為の果てには必ず<あなた>が見える。


2000/10/07 思考の方略 - あなたはなぜそれをissueたらしめるのか?

 あなたは、今、何かある事柄を「問題(issue)」だと思っている。そして、あなたは声をあげているのだとする。例をあげるとするならば、たとえば「学校を子どもが自由に選択することができるようになるべきだ」だとか、「なぜ、わたしの彼女はわたしがイエに行ってもお茶すらいれてくれない」だとか、まぁ、問題は人それぞれであるから、どうでもよい。

 人が、ある事柄を「問題(issue)」だと思うときには、必ず、その背後には、その人なりの「価値前提」が含まれている。学問の世界では、これを「背後仮説」などという。「価値前提」、あるいは「背後仮説」というものは、一般にそれを有する個人に気づかれないことが多い。彼/彼女は、自らの「声」にそうした「価値前提」や「背後仮説」を、「反映」させてはいても、それを「知らない」。

 こうした価値前提や背後仮説は、研究の世界においても、ものすごく多い。自戒をこめて言うが、僕自身も、時に自らの論文や発表に、こうした価値前提や背後仮説を発見してとまどうことがある。一応、「客観的であること」が求められる研究の世界では、言説や論文の中に価値前提や背後仮説が含まれることが、忌避されている(これに対しては、異論もあることだろう)。

 それではこうした価値前提や背後仮説を、我々はどのように発見したらいいのか。自らが「使用」しているのにもかかわらず、「気づいて」はいないこれらのものを、僕らは、どのように発見したいいのか。そうした思考の方略、メタ方略をひとつ紹介しよう。それは、自らに向かって、以下のように問うことである。

 なぜ、<わたし>は、この事柄を問題であると思っているのか?
 なぜ、<わたし>は、この事柄をissueたらしめているのか?、その根拠は何か?

 たとえば、「学校を選択制にすべき」だとする先の例で言うならば、「学校が非選択制であること」を快く思わない価値前提が、それを主張する人々の背後にあるはずだ。また、「彼女ならば、お茶をいれなければならない」とする例で言うならば、「どうして彼女であるならば、お茶をいれなければならない」のかと問うことができる。この例の場合、別に「彼女であること」と「お茶をいれること」は独立の事象であるから、「彼女であること=お茶をいれる義務をおうこと」という図式にはならない。つまり、論理に飛躍がある。この飛躍こそが、これを主張する人々の価値前提である。

 この思考のメタ方略は、筆者が、学部時代、苅谷剛彦先生のゼミに参加していた際に、氏に教わったものだ。当時、苅谷先生のゼミ「キョーシャゼミ(教育社会学調査実習)」では、一年かけてゼミ生全員で社会調査をやるということを行っていた。ゼミは水曜日の昼から夜にかけて行われることもしばしであった。初学者にとって、仮説をつくることは非常に難しい。研究として耐えうる仮説を作るためには、常識を疑わなければならないからだ。このゼミの授業の様子は、氏の著作「知的複眼思考法」にも紹介されているから、興味のある方は、是非、ご一読いただきたい。

 あなたが何かをissueたらしめるとき
 それはあなたの中の「見えない何か」に気づくとき


2000/10/08 まずToyからはじめよ!

 今年も遠隔講義の季節がやってきました。うちの研究室では、毎年、院生がテーマを持ち寄り、埼玉の日本工業大学に向かってISDN遠隔講義をするのですが、これがいよいよ今年もはじまっちゃったみたいです。

 今年の僕の講義は、「Toy to Think & Play - キワモノ工学のすすめ」ってな具合で、「おもちゃ」を題材に講義を行うことを考えています。一昨年は、「企業内における知識創造のプロセスと協調作業」を題材にした講義、その前の年は、「It's Horrible Product - Introduction of Human Interface」っていう題で、D.A.Normanのインターフェース理論を講義しました。

 で、調べてみてあらためてびっくりしたのですが、日本のアカデミズムには、おもちゃ(Toy)っていうのを研究するDivisionっていうのはものすごく少ないんですね。これはびっくりしました。あるとしたら、社会学的なアプローチか、児童文化的なアプローチです。

 てなわけで、1月の講義内容を完成させるために、近いうちに取材に行かなければならないのですが、どこにいけばいいんだろうねー。トイザラスか? おもちゃ博物館か? 本当なら、実際にそのおもちゃを買って、講義中に大阪大学と日本工業大学の学生同士で遊ぶなんてことができればオモシロイんだけどなー。

 まぁ、もう少し調べてみることにします。


2000/10/10 教育工学会、明日がはじまる

 8日から10日は教育工学会だった。人とあう用事がいろいろとあったので、モノスゴク疲れました。
 発表ですが、今年は2件ありました。一般研究は、Project BASQUIAT。課題研究はProject TETの内容です。特に課題研究は、個人的にものすごくオモシロカッタです。教師教育を専門になさっている研究者の方々の前でお話しするのは、はじめてのことだったので、要領を得ない答えをしてしまいましたが、まぁ、それは許してください。

教育工学会点描1
 

     
 左の写真は、松河君。発表前にデモンストレーションの準備をしている様子。左の写真は、浦嶋君、荒地さん、今井さん。ナルト探検。
  

教育工学会点描2
 

     
 左の写真は、浦嶋くん撮影による写真。何を映しているのだろう。よく見ると、前に人影が見える。右の写真は、日本教育工学会総会のときの授賞式の様子。カチコチに緊張している。
  

 懸案だった総会での授賞式でしたが、何とか無事に賞状をいただくことができました。足と手が同時に動いて歩いてしまうことを懸念していたのですが、何とかクリア。

 前にも書きましたが、この受賞は、僕をこれまでサポートしてきてくれた若手の研究者の方々、そして、大阪大学大学院の大学院生の方々のおかげだと思っています。さらには自由奔放な研究生活を許し、見守ってくれた学部時代の指導教官、現指導教官、NIMEの指導教官の先生方に感謝いたします。

 2000年の教育工学会は終わりました。来年の工学会は鹿児島だそうです。まだ見ぬ<明日>には、どんなオモシロイことがおこるのか、否、まだ見ぬ<明日>をどんなにオモシロくデザインしうるのか。
 僕はやはり動きの中で考えます。


2000/10/13 翼の王国

 今年になって出張がものすごく多くなったんだけど、僕はダイタイ飛行機での移動にしています。最近は、Webですべて予約もできるし、特割なんかのサーヴィスを使えば、結構お安く移動できちゃいます。新幹線使うより、時に便利なこともあります。

 飛行機を使うもうひとつ理由があって、全日空のマイレージをためているんです。最初は「こったらもん、集めてたまるか」と思っていたけれど、見事に飛行機会社の策略にはまってしまいました。マイレージのことが気になって気になってシカタがないわけさ。でも、国内の移動なのであんまりたまりません。「どのくらいたまったかなー」と思って、Webでいつも見ているんだけど、結構がっかりしちゃうことが多いですね。

 したっけ、まだこんだけかい...トホホ

 なんていう具合に、いつも落胆しています。がっかりすることが最初からわかってんのなら、わざわざWebで見るなってーの。

 ところで、全日空を利用していると書きましたが、全日空の飛行機には機内雑誌があって、「翼の王国」って言うんだけど、これが結構オモシロイ。すごく素敵な文章がいくつもおさめられています。なんて言ったらいいんだべか、AERAに似ています。「翼の王国」を読みながら、いつも、「こんな風に文章が書けたらなー」と思っているのですが、数ある連載の中で、特に好きなのは「エアポートに乾杯」ですね。空港を題材にした物語でなかなか人生の機微にとんでいます。全日空を利用することがあったら、是非、読んでみてください。

 最後に、ひとつだけ要望なんだけど、「翼の王国」は月刊なのです。僕は、だいたい月に4〜6回飛行機にのるわけですが、いったん読み切ってしまうと、やることがなくなって非常にツライ。「翼の王国」をすべて読んだら、あとは日経の「わたしの履歴書」を読むくらいしか、芸がなくなってしまうんです。せめて隔週で発刊してくれるとうれしいなーなんて思っちゃうね。僕だけじゃないと思うんだよなー、あの雑誌をこよなく愛しているのは。


2000/10/14 はぐれ刑事

 論文をガシガシ書いている昼下がり、疲れてテレビをつけたら「藤田まこと」主演の「はぐれ刑事純情派」が放映されていた。何度見ても、これは事件が主題の物語ではないように思う。この番組の主題は、事件ではなく人情なのだ。時代劇を「刑事モノ」っぽくデフォルメすると、「はぐれ刑事」になるのだろうな。

 ところで、藤田まこと扮する「安浦刑事」は、仕事に疲れると、真野きょうこが演ずるスナック「さくら」のママにあいにいく。この二人の関係は、何度見ても微笑ましい。このときだけは、僕も安浦刑事ほど、木訥で恥ずかしがり屋であったのならよかったなーと、思う。

 今日は、これでオシマイ。


2000/10/16 ようやくホッ!...とできない

 工学会が終わったのも束の間。例のごとく「書類作り」と各種研究プロジェクトのミーティングに追われる。

 Project Slateは、ワークショップを支援するCSCL環境の開発・評価研究であるが、ようやく学習内容が決まった! ワークショップのテーマは「おみせやさん」。経済とか経営とか、そうしたものの概念的知識を、「おみせやさん」することで学んでしまおう!という感じのワークショップになった。
 Project BASQUIATは、いよいよ大詰め。評価実験が10月末に行われる。被験者の選定、日程の調整も終わり、いよいよ評価実験だ。12月1日の工学雑誌特集号への投稿をめざす。
 Project MELLは、アタラシイCSCLインタフェースの開発・評価プロジェクトであるが、多摩美の永井さん、オフィスカクタスの森川さんらの尽力でインタフェース図が朧気ながら見えてきた。このインタフェースはハッキリ言って、カッコいいです。でも、まだ公開はできません。

 今日は一日書類作りを行っていた。はぁ・・・気づいたら午後6時か。今日はこれから、論文とエッセイを書く。エッセイのお題は、放送教育だ。このところ考えていたことを外化してみようと思う。できたものは、エッセイのページにアップロードするので、よかったらご覧ください。


2000/10/17 湯気の向こうに

 たとえば、音楽。たとえば、お酒。たとえば、絵画。

 彼/彼女が、何かの拍子に音楽やお酒や絵画を語ることになり、自分の好みを述べるとき、彼/彼女の心の中には、<ある光景>が蘇える。

 オールディーズの名曲「ダウンタウン」、初めて飲んだ「キール」、青い裸婦を描いた「ヘンリ・マティス」。それらを語るとき、かの人は<ある光景>を見る。

 久しぶりにゆっくりとできた昼下がり。部屋に独りたたずんでいた僕は、FAUCHONのSAKURAをティーカップに注いだ。湯気の向こうに、朧気ながら何かが映った気がした。


2000/10/18 やりたいこと、やりたくないこと

 先日、レオナルド・ディカプリオ主演の最新作「The Beach」を見た。日常に別れをつげ、タイの安宿にて偶然手に入れた地図を頼りに、言語を絶するほど美しいビーチを有する秘島に赴いたリチャード。やがて彼は美しいビーチに暮らす「快楽のコミュニティ」を発見し、そこで人々と共同生活を営むことになる。

 しかし、<ビーチの汚れなき美しさ>は、<それ以外のもの>を積極的に<排除>することから生まれる。そうした排除の機制は、その美しさを享受する「快楽のコミュニティ」に制度化されている。Paradiseにも代償があるのだ。次第に彼はこのビーチの美しさに疑いを持ち始める。

 この映画を見ながら、ふと僕は考える。
 「やりたいこと」と「やりたくないこと」、この両者の関係。

 「やりたいこと」だけを追求して生きていけるのなら、それはまさにParadiseだ。しかし、現実の世界はそうは問屋がおろさない。そういえば、最近読んでいた本には、「1つのやりたいことをするためには、10のやりたくないことをやらなければならない」と書いてあった。時には「やりたくないことを確実にこなして」社会的信用を得たり、人間関係をつくったりしなければならないのだという。

 こういうことを考え出すと、僕は、高校時代に聞いたある先生のコトバを思いだしてしまう。先生は、「倫理」の時間に突然こんなことを言い出した。

 やりたくないことでも、一応はやってみろ。そうすれば、ホントウに自分がやりたいことが何であるか、がわかるから。やりたくないことから積極的に身を引いていたら、やりたいことがわからなくなってしまうときがある。

 なるほど。「やりたいこと」は「やりたくないこと」との差異でしか同定できない、というのが、大学時代にソシュールを研究していた老先生の主張なのだろう。

 いずれにしても、できるならば人は「やりたいこと」をやり続けて生きていたいと願う。人はいつも何処かでParadiseを探している。やりたいことが全くできない環境は、本人にとって全くの不毛だが、やりたいことが十全に満たされることも、また<ある怖さ>を持っている。僕らの葛藤は明日も終わらない。


2000/10/19 はーるばる来たぜハコダテ

 Degital Portfolio@FUN-HAKODATEプロジェクトのため、はこだて未来大学に来ている。今年の4月に開学したはこだて未来大学のことは、既に、エッセイのページであつかったから、ここでは詳細は書かない。先進的な大学建築と教育思想がテクスチュアをなしている大学だ。

 今回のハコダテ訪問の目的は、Degital Portfolioシステムを導入する授業の事前観察だ。「情報表現実習」という授業を観察した。ストロー数百本を使って、人が入り、コミュニケーションをとることのできるフォーリー(隠れ家)をつくるというデザイン系の授業だった。今回のプロジェクトでは、この授業を受けている学生たちが使用するツールとして、Degital Portfolioシステムを導入する。

 この大学は、情報系の単科大学である。故に、この大学に通う生徒たちは、将来、システムエンジニアやプログラマになっていくことが予想される。当然、このような大学の背景があるから、通常、デザイン系の授業は軽視されることが多い。

 しかし、いったんシステムをいちからつくりあげていくことになると、必ずぶつかるカベというのは、このデザインであることが多い。これは僕自身、非常に痛感している悩みでもある。どんなに先行研究をレビューして、どんなにネットワークの知識をつけたとしても、「ターゲットユーザーにあったシステムのカタチをいちからつくっていく」というときには、デザイン力が問われることになる。

 はこだて未来大学では、「情報表現実習」の授業は必修である。選択科目ではない。すべての生徒がデザインを少なくとも一度は経験する。彼らが大学を巣立つ数年後が非常に楽しみである。


2000/10/20 リフレッシュ

 先月から続いていたすべてのタスクをようやく本日こなした。ZAURUSのスケジューラーを見ると、先月の予定項目は76件、今月は、20日現在で74件だった。疲れ果てた。今日は少し長く眠れたのでよかったが、昨日までの僕って言ったら、ホントウに「酒カス」状態だった。カスだぜ、カス。

 僕は、今日から一週間ほどオフにはいる。そのあいだは、メールやホームページの更新はすべてお休みさせていただきます。

 それでは、みなさん、またお逢いしましょう。


2000/10/23 嫌いなコトバ

 僕には嫌いなコトバがいくつかあります。

 今度、○○に一緒に飲みに行こうよ!
 今度、君のおうちに遊びにいくよ!

 社交辞令に慣れない僕は、まず「今度」が嫌いです。ダイタイにして、「今度」と言われて、その「今度」が訪れたタメシがないのです。こちらは、いつ「今度」がくるのか楽しみにして待っているのですが、いくら待ってもナシのつぶてであることが非常に多い。「今度」を多用する人は、まず、信用できません。
 いつも「今度」というコトバを聞くと、僕の反応は2パターンに分かれます。どうでもいい場合には、「あー、この人はこの場のお茶を濁したいのだな、綺麗に会話を終えたいのだな、ふむふむ」と思って、それで終わりにします。「ほなねー」ってな感じです。どうでもよくない場合には、「今度っていつですか?次はいつ予定があきますか?」って聞いてしまいます。

 「その問題は人それぞれだからなー」
 「その件は、ケースバイケースで」

 「人それぞれ」とか「ケースバイケース」でというのも大嫌いです。なぜなら、前者の事例だと、「人それぞれ」というコトバは「その問題」に対する我々の思考を停止してしまうからです。だって、人それぞれだったら、これ以上考えたって無駄じゃん! ケースバイケースというのも同じです。
 こういうコトバを聞くと、僕はいつも、「じゃあ、とりあえずは、<どんなケース>や<どんなそれぞれ>が予想されますかねー」と言ってしまいます。
 わからないことはわからないでいいと思うんです。それを変なコトバでごまかすと、話がややこしくなるので、ちょっと僕は苦手なのですね。
 これに似たコトバに「多様」というコトバがあります。

 多様な価値観をもった若者・・・

 「多様」というコトバは、上記のように使われますね。これも大嫌いワードです。「多様って、どの程度に多様なの?」と思わず聞いてしまいたくなります。
 
 今日は、なぜかはわかんないんだけど、僕の苦手なコトバをあげてみました。みなさんは、どんなコトバが苦手ですか?

(※この日記は10月初旬にかかれたものです。)


2000/10/25 ゴクラクのあとには

 少し休みをとった。ゴクラクな時間を過ごすことができた。5日間コンピュータにさわらなかったのは、もう数年も経験したことのない出来事だった。よかった、よかった。

 楽あれば苦あり。

 僕にとって、「研究することは楽しみである」ことは言うまでもないが、ゴクラクのあとに待ち受けているものは、200通のメールとエクセルによるデータ処理だった。ようやくメールの返信が終わった。今、シコシコとエクセルのデータを、データベースに格納するするために文字列処理プログラムを書いている。

 人生は続く。


2000/10/27 シンクロニシティ

 (外は雨が降っている。あまりに外が暗いので、先生は教室の室内灯のスイッチをいれた。)

 授業、つまらんなー。なんで、こんなに練習問題ばっかりやらなあかんねん、ホンマ、この先生の考えてること、よー、わからんわ。それにしても、最近、大会のおかげで、部活めっちゃしんどいし、眠たいなー。でも、こないだ、授業で寝てもうて、注意されたばっかりやからなー。ノートに書いてるふりして寝たろか。ノート、机のどのへんに直したかな。

 (ノートを開き、授業とは全く無関係の文字をしたためる)

 寝たふりがこんなに
 つらいことだとは
 今落ちた滴は
 涙だね

(最後の言い訳:徳永英明)

 めっちゃ、泣けてくるわ。オトナって、きっと、こんなやろなー。

 

 (短い夏の夜。茶の間の網戸から、蝉の鳴いている声が聞こえる)

 今日も疲れたっちゃ。面倒くせー、あとから宿題しなきゃならんけどさ。でも、その前に、今日、月曜日だから、ドラマあるんでないの。都会の森。弁護士ってカッコいいなー。でも、これってドラマだから脚色されてるわけだから、カッコよくしてるんだよなー、きっと。でも、このドラマの主題歌って何ていうんだったべか。あっ、はじまった。

 何も聞こえない 何も聞かせてくれない
 僕の身体が昔より 大人になったからなのか

 思春期に少年から 大人に変わる
 道を探していた 汚れもないままに

(壊れかけのRadio:徳永英明)

 

 昨日、押入から徳永英明の昔のCDがでてきた。今日は独り論文を書いているんだけど、不謹慎なことにアタマの中では、当時の懐かしい曲が響いている。イントロや間奏部分に挿入されているピアノソロが、僕は好きだったりする。

 さっき、3杯目のコーヒーを入れに流しにいった。

ド・ソドミ・レ・・・ソミ・ドミファソ

 ポットのお湯が沸騰するまで、流しの上に備え付けられた<見えないピアノ>を指で弾いていた。


2000/10/28 今のあなたは・・・

 先日、街を大急ぎで歩いていたら、ふとウォルトディズニー社の新作映画「キッド」のポスターを目にした。ポスターに印刷されていたコピーが、どうにも僕の目を「ビビビ、アターッ」と刺激したのである。そのコピーに曰く、

 もしも、<8歳の頃のあなた>が現れ、こう尋ねたとしたら
 - なぜ僕の夢を捨ててしまったの?-
 今のあなたは、あの頃なりたかったあなたですか?

 深い深すぎる。痛い、痛すぎる。

 ブルースウィリス主演のラスは、有能なコンサルタントで成功をおさめてる。で、そこに8歳の頃の自分があらわれちゃうってなハナシらしいです。で、8歳の頃の自分は、40歳の彼に、こう言うらしいです。

 40歳にもなってパイロットじゃなくて、犬も飼ってなくて、家族もいなくて、ひとりぼっちなの?そんなの最低じゃない!

 おいおい、そりゃないぜ、お坊ちゃん。コンサルタントとして成功してるんだったら、まだいいじゃん。俺なんか、どうすんだ?

 25歳にもなって無職プープーで、将来の保証もなくって、毎日日記を書いていて、ひとりぼっちなの? そんなの超ブルー!

 って感じです。トホホ、申し訳ない。


ていうか、バナナ食ってる場合じゃないってーの

 ところで、僕が8歳の頃に抱いていた将来の自己像は、スキー選手でした。確か、当時の文集にそう書いたはず、これはハッキリ覚えています。僕は「つるつるぶりぶり」みたいなスキーヤーになりたかった。
 ちなみに、「つるつるぶりぶり」は、有名なスキーヤー「ツルブリッケン」のこと。「ツルブリッケン」というのは、小学生の僕にとって、舌が「チョウチョウ結び」になっちゃうほど言いにくかったので、ずっと、「つるつるぶりぶり」とよんでいました。

 今のあなたは、あの頃なりたかったあなたですか?


2000/10/29 プロ野球中継

 今年の日本シリーズ、巨人が優勝したらしいですね。
 今日、Webでニュースをチェックしていたら、そう書いてありました。おめでとう、長島監督。

 ところで、僕、プロ野球中継というのがあんまり好きではありません。自慢ではないけれど、生まれてこのかた、プロ野球中継を最初から最後まで一度も見たことがないんです。一度も最初から最後まで見たことがない人っていうのは、なかなか、いないんじゃないかな、と思います。もちろん、最初に断っておきますが、僕が嫌いなのは「プロ野球中継」であって、「プロ野球中継を見ている人」ではないので、アシカラズ。

 オヤジやオフクロは、たぶん、プロ野球中継が好きで、子どもの頃、僕と妹が「パタリロ」とか「おじゃまんが山田君」とかを見ていると、「くだらん、くだらん」と言って、チャンネルを変えました。
 僕にとってみたら、プロ野球中継の方が、100倍くだらないのですが、そんな物言いが許されるはずもなく、さらにプロ野球中継を恨むことになってしまいました。あと、最高に許せないのは、プロ野球中継のおかげで、たとえば「川口ひろし探検隊」とか、そういう僕の大好きだった番組が、中止になってしまうことです。これは許せない。Fuck you!ってな感じです。

 そんなに言うのなら、具体的にプロ野球中継の何が嫌いか?

 それは簡単。第一にピッチャーが投げるまでの間合いが嫌い。「生き急いでいる」と我が研究室の杉本さんに評されるほど、イラチな僕は、ピッチャーが投げるまでの間合いを見ていると、つい「こらぁ、はよ、投げんかい!」と言いたくなってしまいます。
 あと、ピッチャーが投げるまでにアナウンサーと解説者が話しているんだけど、その会話が嫌い。「あの選手は、今日調子がいいですからねー」なんて言うんですが、「どうして何を根拠にして、そう言えるのだ?」と言いたくなってしまうのです。

 てなわけで、僕はプロ野球には全く関心がない。かつ全然プロ野球を知らない。

 だけど、最近、困ったことに、「中原さんは、阪神のシンジョウに似ていますね」なんて言われてしまうことが多くなってきました。困るのは、プロ野球選手をほとんど知らない僕は、似ているか、どうかさえわからないのです。だから、適当に「そんなことはないですよ」「そうですかー」などと返事をするしかない。トホホ。

 プロ野球を楽しく見るスキルってあるのかなぁ。あるんだったら、教えてほしいわ、ホンマに。 


2000/10/30 その道のプロ

 のっけから何だけど、僕は「その道のプロ」が好きだ。「その道のプロ」を見ると、いつも「ははー、この人の背後には、こんなにスゴイ世界があるんやなー。あぁ、世界は美しい。生まれてありがとう」なんて思ってしまう。

 先日、NHK Educationalの宇治橋さんと荒地さんとで、早稲田のアイヌ料理のお店で飲んだ。僕の故郷は、カムイコタン(アイヌ語で「神のすむ谷」)に近いところにあるから、内地の人よりは、アイヌの人々の文化について知っているものと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。アイヌ料理の名物だという「キトピロ」には、マイッタ。とてもおいしかった。

 宇治橋さんは、今年からNHK Educationalに出向し、プロデューサーをやっておられるが、去年までワシントンに留学、その前年まではNHK学校放送番組部にいらっしゃった。学校放送番組のディレクターとして、「人と森林」「教室にやってきた未来」などの先進的な番組づくりをなさってきた。
 飲んでいる最中、いろんなハナシをしたけれど、宇治橋さんのコトバは、あとから考えてみると、どれもインスピレーションにとんでおり、「その道のプロ性」を感じさせるものだった。
 特に、飲んでいる間中、何度となく聞かれた、「あっ、これはテレビ的ですね」という彼のコトバは、とても興味が引かれた。おそらく、自分が「見た光景」の中から、意図せざるとしないとにかかわらず、「テレビ的なもの」が浮かび上がってくるのだろう。うーん、その道のプロ。

 結局、アイヌ料理、ごちそうになってしまった。また、懲役が増えちゃったけど、「言いたい放題」できたおかげで、大変楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。


NAKAHARA,Jun
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