The Long & Winding Road - 2000/04


2000/04/01 やっぱり公園へ行こうよ

 午前中10時から歯医者に行ったせいで、土曜日だというのに早く起きてしまった。歯医者では、先生に「穏便に、穏便に御願いします」と念を押した効果もあったのか、「穏便」に治療がすんだ。よかった、よかった。

 午後11時、いつものように研究室に来る。研究熱心であるかどうかはしらんけど、週末に研究室にくるなんて、なんてエライんだと自分をほめてあげて、でも、あまりに天気がよく、雲一つない空を研究室の窓辺から眺めるにつけ、だんだんとムカッパラがたってきて、研究室のデジタルカメラを持って、万博公園にいった。

 あの土手に寝ころんで
 お弁当食べたいな
 ほーよほよよ、ほーよほよよ、春が呼んでるーよ

 なんという歌であったかは忘れてしまったけれど、おそらく15年も前に小学校の全校集会で歌ったことのある歌を口ずさみつつ、公園を歩く。公園には、家族連れ、カップルなんかが集っていて、週末の午後を過ごしていた。

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 中にはビデオカメラをもったお父さんやお母さんもいて、子どもの様子を熱心に映している。かつて、僕の子供時代、僕のイエにもβ方式のビデオカメラがあって、オヤジが僕や妹を映していた。今から考えればこのカメラはアホほど重く、そのカメラをもってどこかにいくときには、おそらく、「夜逃げ」するくらいの覚悟が必要だったと思う。オヤジは、まさに「ビデオカメラ」をしょって、僕らを映していた。行楽地からイエに帰ってきたあとは、このオヤジのビデオを見るのが我が家の習慣であったけれど、その映像をどのくらい覚えているか、と聞かれると、かなり心許ない。はっきり覚えているのは、ビデオ撮影中に妹が尿意をもよおし、その場で「すわりしょん」をしているのを、オヤジが撮影して、妹が怒って泣いている映像くらいである。確かに、彼女にもそんな時代があった。

 しかし、周知のとおり、β方式のビデオはその後VHSに押されて衰退の一途をたどることになる。僕の実家のβ方式ビデオも既に何年も前に壊れてしまった。僕らの子ども時代は、もう永遠に見ることができないのかもしれない。世のお父さん、お母さん、撮ったビデオはキチンとメディアコンバートしてあげてくださいね。

公園に行こう!


2000/04/02 週末

 今週末はまぁ、それなりにゆっくりとさせていただきました。散歩をしたり、映画をみたり、洗濯したり、お部屋を片づけたり。それでも、結局、土曜日も日曜日も研究室に行ってしまいました。研究室は杉本さんと僕だけでした。週末に研究室にいるっていうのは、ヤバイかもしれませんね。杉本さん、Quality of Life、お互い高くしましょうね。

 気づいたかたもいるかと思いますが、ホームページのデザインをちょっとだけ変更しました。それにともなって、長いこと書いていないEssay & Miscを更新しました。しばらくのあいだ、Essay from Lab. about ICTというのをやってみようと思います。会話調でなるべく簡単に情報教育なんかのことを語っていきたいと思います。こちらの方も、感想とかコメントとか、お聞かせ願えるとうれしいです。

 4月はホントウにいろいろとやることが多くて困ります。来週も、事務的な提出書類や、査読論文の修正、国際会議の原稿書きでドタバタしていると思います。

 がんばるしかないか!


2000/04/05 おのがいのちをのこすのだ

 今日、査読論文の修正が終わり、脱稿した。

 今の僕の気分はまさに紅白歌合戦で「娘よ」を熱唱する芦屋ガンノスケそのものだ。どこのウマのホネだかわからない、そうだな、まさに「僕」のようなワカモノのモノになってしまう我が娘を、ただ見送ることしかできぬ父親の気分といったら、いいだろうか。

 思うに、自分のプロダクト、それは論文であったり、開発したソフトウェアであったりするんだけど、そういうものが自分の手をはなれ、人の目にふれ、手にわたる瞬間。そうした瞬間に僕はいつもこうした「寂しさ」におそわれる。

 人の目にふれ、可愛がられ、幸せになってほしい(論文の場合だったら、他人に認められるってこと。ソフトウェアの場合だったら、他人に使われるってこと)とあれだけ望んでいたのにもかかわらず、そうであるにもかかわらず、まだ僕の手の中にいてほしい、という矛盾した感情に襲われるのだ。

 どうでもいいけれど、僕の好きな詩の中に、娘のことを想ったものがある。

 娘よ-
 いつかおまえの
 たったひとつのほほえみが
 ひとりの男を
 生かすことも
 あるだろう
 そのほほえみの
 やさしさに
 父と母は
 信ずるすべてを
 のこすのだ
 おのがいのちを
 のこすのだ

(雛祭の日に 谷川俊太郎)

 そういうものなんだろうか、親っていうのは。

 さて、次の娘(論文)を育てよう。オマエはどんだけ僕の手をわずらわせ、どんな<男>にほほえみをなげかけるのだ?


2000/04/06 小野原

 僕の住んでいる街は、名前を「小野原(おのはら)」という。

 小野原は新興住宅地であり、子どもをつれた比較的若い世代の夫婦用のマンションか、立派な邸宅が多い。非常に綺麗な街で、雰囲気もよい。よくある街の喧噪はない。街は丁度小高い丘の上にあり、大学の丁度裏手に広がっている。元々は一面、竹林であったのだという。

 小野原の夜はあまりに静かすぎる。

 9時を超えると、あまり人通りはなくなり、10時をこえると本当にここに人が住んでいるのかなぁと思わせるくらいに静かになる。バスをおりてくる人々は、みな家路を急いでいる。あまりに綺麗すぎる街、小野原に寄り道する場所はない。家に帰るしか、他にすることなんかない。

 週末に小野原を歩く。

 大股で大学に急ぐ僕を横目に見る人々は、そのほとんどが家族連れである。屈託のない笑顔をうかべている、そんな人々を見ていると、僕はなぜか空を見上げたくなる。目をそらしたその先に見えるのは、そんなときに限って、雲一つない青空であったりする。

 そんな小野原の週末がまたやってくる。


2000/04/07 先端地球防衛軍

 ここ最近、うちの研究室に事件が2つあった。

 1つめは、衛星にアップリンクを行うアンテナがガシガシとたったこと。僕は電波に弱いのでよくわからないが、電波に強い山城さんによれば、通常の映像を衛星におくることに加えて、衛星インターネットというものができるらしい。ほー。


そびえたつアンテナたち

 あまりにアンテナの数が多く、そして、その大きさがでかいので、最初見たときはびっくりした。うちの研究室が「地球防衛軍」になっちゃったのかと思った。自衛隊は勘弁して欲しいが、地球防衛軍なら響きがカッコいいし、女の子にモテそうなので、いいかなぁと思った。

 もうひとつめの事件は、研究室の名前が変わってしまうこと。大学院重点化にともなう改組で、大講座に正式に統合されるらしい。慣れ親しんだ「教育システム工学講座」という名前にもお別れっちゃーお別れだ。

 新しい名前は、菅井先生が「大阪大学大学院 人間科学研究科 人間科学専攻 教育環境学・臨床教育学講座 教育工学研究室」で、前迫先生が「大阪大学大学院 人間科学研究科 人間科学専攻 先端人間科学講座 コミュニケーションメディア研究室」らしい。モノスゴク長い名前だ。研究室の名前に「教育がない」ってことで、院生のあいだでちょっとした話題になっていたが、詳しいことはよくわからない。このところ書類をださなければならないことが多くて、ちょっと教務あたりで探りをいれてきた情報だが、今日のガイダンスで正式に発表になるのだろう。

 去年、菅井先生に言われたところよると、僕の正式な指導教官は前迫先生なので、たぶん、僕の所属も変わってしまうことになるのだろう。

 先端地球防衛軍と呼んでください。


2000/04/08 Cinema in Weekend

 研究室で2本の映画をみた。一本目は「ラン・ローラ・ラン」、2本目は先日見たばっかりの「マトリックス(Matrix)」である。うちの大学には、AVファンが聞くと泣いて喜ぶ映像システムがある。DVDプレーヤ、サラウンドシステム、もはや何インチと表現できない大型プロジェクタ、ハイビジョンテレビ。はっきり言って、何でもアリのシステムで、いったいどのくらいお金がかかっているのか想像すると、きっと自分が惨めになってしまうようなシステムだ。高い学費をもう7年間もおさめてんだから、これを利用しない手はない。

 「ラン・ローラ・ラン」は、テクノにのったスピーディーな映像がウリのちょっとしたマニア映画。ローラという女の子とその彼氏のマニという男の子が主人公である。マニは、<ヤバイ仕事>でのミスが原因で、あと20分のうちに10万マルクを用意できなければ、ボスに殺される運命にある。ローラーは、恋人のために、やはり20分で10万マルクのお金を工面しようとする。。ローラーは街を走る。だから、ラン、ローラ、ラン。

 この映画は全体で80分の内容である。20分しか物語上の時間がないのに、それを80分の映像で表現するってことが、この映画の「演出」のウリである。飽きさせず、それでいてスピーディーな物語展開を見ているものに保証するためにずいぶんと苦労したんだろう。細かく見ていくと、映画の随所に工夫がなされていることがわかる。どんな工夫がなされているかは、ここでは言いません。もしよかったら見てください。

 映像の雰囲気は、さっきも言ったけど、基調はテクノです。主人公たちのちょっとイカれた感じもよく表現されています。クラブで流される感じの映像とか、「パラッパラッパー」風のアニメーションとかが随所に挿入されていて、非常にオモシロく仕上がっているなぁと思いました。

 映画の内容は、そうだなぁ、「出来事」というものの不思議を感じてしまいました。一見、僕らはただ漫然と「終わりなき日常」を生きているように見えますが、実は、その過程で無数の意志決定を行っており、僕らのまわりにおこる出来事は、この世にいきるすべてのものが、やはり僕と同じように「意志決定」を行った総体である、といえるのではないでしょうか。たとえば、今から7年前、ある北海道の高校で「俺は北海道をでるぞ!」と僕が思わなければ、僕は今、ここで日記を書いていることなんて絶対にありえないことなのですね。ごめんなさい、なにを言っているかわかんないと思いますが、きっと見ていただけるとおわかりになると思います。

 「マトリックス(Matrix)」のことについては、前にこの日記で感想を書いたので、ここではそういうことにはふれません。とにかく、DVDとハイビジョンには感動しました。これを見たあとで、フツウのテレビで映画を見ることが僕にできるだろうか。

 いや、そんな愚問はよそう。
 
見なきゃなんないんだってーの、半分ぶっ壊れてて、今や一部のTVチャンネルが映らない14型のテレビで・・・。それしかないもんね、だって

 悪いの?


2000/04/09 さよなら・・・ブランドン

 昨日のビバリーヒルズは、とうとうくるべき時がきたか、という内容でした。なんと、ブランドンが「ワシントンクロニクル」という新聞社に就職し、ビバリーヒルズを離れることになってしまったのですね。彼がビバリーヒルズを離れるということは、単に「引っ越し」するってことだけじゃなくて、一時は結婚寸前までの仲であったケリーとの別れを意味します。

 高校、大学、そして大学卒業後とビバリーヒルズで過ごした彼が、とうとう、その地を去っていく。「おや、こんなところでお見かけするとはお嬢さんがたぁ」とかいう、あの鼻にかけたような声ももう聞けなくなるなんて。「ハイ、ブランドン!」というケリーのセリフも二度と発せられることがないなんて。

 でも、今から考えるに、ケリーとブランドンはこうなってしまったのが必然的だったように思います。この二人、「どうしてこうなるの?」って、こっちが聞きたくなるほど、間が悪いんだよねー。前に書きましたが、僕らはそれぞれ一人ずつ「人生ベクトル」というものを持っていて、それが「交差」したときに、何か「アクション」が起こらないと、そのベクトルは無限空間をさまよいつづけ、二度と「交差」することはないんじゃないでしょうか。

 ブランドンとケリーは、仲はよかったし、お互いに信頼もしていたけれど、この「人生ベクトル」が「交差」したときに、お互いのベクトルを一本にすることができなかった。そして、必然的な結果を迎えることになってしまった。かなり悲しいし切ないけれど、それは仕方がないかなのかなって僕は思います。

 でも、それはブランドンとケリーの「人生ベクトル」の終焉を意味する訳じゃなくって、まだ見ぬ他の誰かの「人生ベクトル」との「出会い」を暗示しているんでしょう。

 この二人の人生ベクトルの行方を、僕は今後も見守っていくのでしょうか。

 月並みなコトバだけれども、まさに、終わりは始まり


2000/04/10 フルウチトウコ的ダブルバインド

 このところ、ここ一週間くらい僕は寝不足で死にかけです。なぜ寝不足なのかっていうと、すべての睡眠が「お昼寝」になってしまうからなんです。どんなに眠たくて寝たとしても、2時間後には起きてしまう。起きると、すぐにコンピュータに向かってしまいます。

 不眠症ならぬ、お昼寝症ですね。このままではさすがにヤバイので、そろそろ何とかしなければなりません。国際会議の原稿を抱えているのに、全然集中できないんです。実はまだ2ページしか書いていなかったりします。なんかいい方法はないでしょうか。どなたか助けてください。


放送センター前の夜桜

 唐突かもしれないですが、最近、桜がきれいです。研究仲間のアラチさんがNHK放送センター前で咲いている夜桜をおくってくれました。僕は、はっきり言って、上京してしばらくたつまで、桜というものを見に「でかける」ことは一度もなかったのですが、ここ最近は桜前線を気にする毎日を過ごしています。年をとったのでしょうか。
 特に夜桜が好きです。黒の背景に映える「さくら色」は、どこかルナティックというのか、人を狂わせてしまうほどセクシャルな存在に見えてきます。そんなこと思うの僕だけ?

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 昨日、「ラン・ローラ・ラン」という映画を見たという話をしました。まぁ、とにかくテクノな映画だったのですが、その中で、すごく僕の関心をもった事柄があったんです。それは何かっていうと、名付けて「フルウチトウコ的ダブルバインド」

 映画にこんなシーンがありました。ピロートークの場面なのですが、ちょっとオモシロイんだね。まずは、ローラがマニに語りかけます。

ローラ「ねぇ、マニ、あたしのこと本当はどう思っているの?」
マニ「好きだよ」
ローラ「うそ、あなたの本当の気持ちが知りたいの」
マニ「本当さ、なんでそんなことを聞くんだ」
(このあとこういうやりとりが続いて、マニが不機嫌になっていく)

 この会話でマニは「ダブルバインド」という心理状態におかれます。つまり、ローラの「あたしのこと本当はどう思っているの?」というセリフに対して、「好きだ」と答えても「ウソ!」と言われるけれども、「いやーあんまり好きじゃないんだよねー」とは口がさけてもいえない状況とでも言うんでしょうか。つまり、どっちに答えたとしても、マニは不機嫌なローラを相手にしなければならないわけです。「あー、こういうのは、女心って奴なのかいな」と思って映画を見ていたら、次はマニが同じようにローラをダブルバインド状況に陥らせます。

マニ「オマエ、俺がもし死んだらどうする」
ローラ「どうするって、絶対に忘れない」
マニ「それはウソだ、2〜3週間は泣いてくらすだろう、そのオマエの様子を人は可哀想ね、だとか言うんだ。でも、それがすぎれば、オマエは次第に悲しさを忘れて、人はそれを見て、あぁ、あの娘も立ち直ってきた、偉いわ、なんて言うんだ。そして、その中に優しい男がいて、オマエに語りかけ、そしてオマエは言うんだ、辛かったのってさ、そして男とオマエは恋に落ちる。俺、マニはもう過去の男だ。」

 この会話もすぐにわかるとおり、マニの「俺がもし死んだらどうする」という発話に対して「ローラ」は「絶対に忘れない」と答えてもマニを「すねさせる」ことになり、もちろん、「すぐに忘れるわ」とはいえない状況に陥っていますね。まさに「ダブルバインド」です。

 「すねて見せること」で、相手をにっちもさっちもいかない状況に陥らせるのは、決して「女だから」ということではないのですね。マニがやったように、男だって、そういう風にすねるわけです。

 ダブルバインドといえば、かなり前に流行したフルウチトウコという人の歌を僕はいつも思い出してしまいます。

 優しくされると切なくなる
 冷たくされると悲しくなる

 という歌詞がでてくるんですが、こういう女の人に対して、男はどう振る舞うことができるんでしょうか。「優しく」することもできなければ、「冷たく」することもできない。まさに、「どっちやねん! はっきりせいや、おねぇちゃん!」とアッパーラリアットをかましたくなる一瞬です

 畢竟、人間はそういう矛盾だらけの要求を他者にしたりするものなのかもしれません。矛盾だらけの要求に、「何の矛盾もなく答えること」ができればいいのですが、それはまず無理で、やはりそういう要求のあとには両者の間に葛藤が残る。でも、それにもかかわらず、否、そういう矛盾や葛藤があるからこそ、もしかしたら、人は他者との関係をより緊密にできるのかもしれない、よりつながっていたい、と思うのかもしれないなんて思います。

 「ラン・ローラ・ラン」という映画を見ながら、僕はそんなことを考えていました。


2000/04/12 近況報告

 今日、国際学会の原稿の第一稿があがった。予定より一週間もはやい完成だ。BASQUIATの本格的な評価に際しての研究プロポーザルも、第一原稿は完成した。これも予定より3日はやい。このところ、何かに取り憑かれたようにコンピュータに向かうことが多くなった。コンピュータは、僕の手であり足である。もうちょっとしたら、僕のアタマそのものになるんじゃないかなぁと思って期待しているんだけど、なかなかそうはならないようだ。

 ふんっ、「チチ」をパワーアップするシリコンごときに負けてたまるか!


2000/04/13 巻き戻し

 先日「ラン・ローラ・ラン」のことを日記に書いたら、何人かの方からメールをいただいた。この映画では、あたかもビデオテープを巻き戻すように3度も同じような一連の映像が繰り返され、主人公たちにとって一番のハッピーエンドになるまでそれが続く。

 いただいたメールの中には、「中原さんは、人生を巻き戻すことができたらいいと思うことがありますか?」という質問があったので、今日は、それに答えようと思う。

 結論から言うと、「自分の人生を巻き戻したいと思うことは何度もあるが、どこまで巻き戻すかで僕はいつも悩んでしまう」というものだ。「すべてをリセットしたい」とは決して思わない。よく「現代の若者はリセット文化に生きている」と言われるが、そう思っているのは、それを言っている当の「説教オヤジ」だけだと僕は思う。

 誰が「リセット」なんかするかい!、面倒くさい!

 思えば、とは言っても、僕はまだ24年しか生きていないのだが、太宰治的に言えば「恥の多い人生を送ってきた」ように思う。「長い間、人は生きているとケシゴムではとれない汚れがついてくる」と言ったのは、「北の国から」の五郎であったが、そんな「恥」や「汚れ」を経験する前に、僕の歴史を巻き戻せたらどんなにいいだろう、と思うことは結構多い。

 でも、問題はどこまで巻き戻せばよいか、ということである。過去のある一点まで自分の歴史を巻き戻すということは、イコール、その一点からもう一度自分の歴史を辿り直すことを意味する。僕の歴史の中には、本当に偶然と言えるような貴重な人々との出会いもあった。それがどんなに僕を支え、そして救ってくれたか。こうした人々との出会いを語ることは筆舌につきる。

 歴史を巻き戻すことによって、そうした人々との出会いの想い出たちが消失してしまうんだとしたら、それは僕にとって悲劇以外の何者でもない。よって、もし、今後テクノロジーの発達によって、自分の歴史が巻き戻せるようなタイムマシンができたとしても、僕は、最期までそれに乗ることを躊躇うだろう、と思われる。

 そういえば、「人生を巻き戻す」ということを考えていたら、僕には忘れられない出来事をひとつ思い出した。それは母親に関する出来事である。

 おそらく、僕が大学に入る前の出来事だと思うが、ある夜、僕は近くのレンタル屋から「井上陽水」のベストアルバムを借りてきたことがあった。ラジカセを使って、居間でそのCDをテープにダビングしていたら、母親がそこにやってきた。たぶん、彼女は新聞なんかを読んでいたように思う。

 しかし、ラジカセから流れる曲が、井上陽水の「人生が二度あれば」という曲にさしかかったとき、僕にとっては忘れられない出来事が起こる。急に母親が涙を流し始めたのだ。

 ホント、人生が二度あればねぇ・・・

 と彼女はつぶやいていた。

 なぜ、彼女が涙したのかは、今になってもわからないし、今となってはそのことを聞こうとも思わない。しかし、その日のその出来事のことはハッキリと覚えている。

 もしかしたら、彼女にも、彼女が望む別の人生があったのかもしれない

 なんてボンヤリと考えていた。そのころからだろうか、僕にとっては、両親が今まで通り「おや」であるのと同時に、「ひとりの大人」であることを思い始めたのは。

 「人生を巻き戻すことができれば」、あるいは「人生が二度あれば」。
 今日の午後は、そんなことを考えながら過ごした。

追伸.
 今日は万博公園に再びいってきました。桜がそろそろ散りはじめていました。

  • 桜の花の咲く頃に@万博公園

  • 2000/04/14 π

     森羅万象は数字で表現できる
     表現された数字の中にはある法則がある

     πは以上のような「モダンの欲望」が描かれている映画である。一人の整数論の若手数学者、とはいっても職業研究者ではなく、ちょっとサイコな在野の数学者が、森羅万象を表現する法則に挑み、最後には自らの脳を電気ドリルで粉砕する映画と言ったらいいだろうか。

     映像自体は、白黒画面にモーションタイポがところどころに使われ、「サイコ」っぽい独特の雰囲気をだしている。じっとスクリーンを見ているとかなり脳に刺激が強い。ピカチューどころの話じゃないから、心して見る必要がある。きっと視聴後は、ぐったりと疲れているだろう。

     一見何もないところに実は隠れた法則がある

     これは言うまでもなく「近代」という時代の科学の夢であった。この欲望は世に流布している「現実場面への法則の適用」とか「法則による未来の予測可能性」とかいうセンテンスに如実に表現されている。現代はこうした「近代の夢」がすでに色あせている、つまりポストモダンの時代だ、と言いたいところではあるが、実際はそうではない。人と会話をしていると僕は、その人の心象の奥深いところで、この「近代の夢」が時々顔を見せる一瞬に出会うことが多々ある。もちろん、僕の中にもそのような夢は立派にスクスクと生きている。

     π、それは近代の夢


    2000/04/14(No.2) Learned Helplessness

     最近の若者は無気力で困る!

     研究室でたまたまTVをつけたら、ある評論家がこんなことをいっていた。
     思わず、「なんだ、このタコ!」と叫んでしまいそうになったが、いろいろ人がいたので、やめた。ここで「叫んでしまいたい衝動」に僕が駆られたということは、僕が僕自身を「最近の若者」というカテゴリーに含めている結果だ。カンチガイオヤジにはなりたくないので、「叫ぶのをやめてよかったなぁ」と、その後、10秒くらい考えていた

     「Learned Helplessness」というコトバがある。日本語にすれば、「学習された無気力」という感じになるのか。専門用語としては「学習性無気力」などというらしい。

     そもそも人は最初は動機づいている

     そう言ったのは、かつての恩師だった。しかし、「にっちもさっちもいかない」ような状況に長い間陥ると、最初は動機づいているハズの人間も、いつしか「無気力」になる、否、「無気力」を「学習」してしまう。つまり、「やる気」を失ってしまうのだ。

     最近の若者は無気力で困る!

     このセンテンスは心理学の常識から考えて間違っている。「最近の若者」は「無気力」を「学習」したのだ。「最近の若者」が「無気力」で「困る」というならば、最初は動機づいていたハズの「最近の若者」に「無気力」を「学習」させてしまうことになった、その要因を探してみればいいのでは、と「ついつい」横から声をあげたくなってしまう。

     中学生のときには「高校にはいれば楽になるよ」と言われ、高校生になったら「大学にはいったら楽になるよ」と言われ、大学にはいったら「一流企業にはいったら楽になる」と言われてきた「最近の若者」。「幸せの順延方程式」をひたすら信じ切ってここまで生きてきたのに、「就職」のときになると、「創造性がない!」「君はオリジナリティがない!」と言われてしまう。そんなモノが今までの教育の「どこ」で求められていたのだ?と憤慨しても、時すでに遅し。しかし、それにもかかわらず、人生は続く。

     「最近の若者」をとりまく状況のホンの一部を見ても、こんな悲惨な状況である。
     図らずも「無気力」になってしまった人々を見たら、まず問われるべきことは、「無気力な人々」を責め立てることなんかじゃない。「無気力」を「人々」に「学習」させてしまった要因、具体的に言うならば、その人をとりまく状況や環境、人間関係こそを問うべきだ。

     細かいことかもしれないけれど、「最近の若者」の一人として僕はそう思う。


    2000/04/17 「め組」

     先日土曜日、カヤノ小学校のPTAの方々を対象としたコンピュータクラブに、杉本さんと一緒に行って来た。このコンピュータクラブに僕がはじめて行ったのは、去年のこと。以来、出張とか特別な用事がないとき以外は、なるべく顔をだすようにしている。

     コンピュータクラブには、8名のお母さんたちが通ってきている。月に一度しかクラブはないのであるが、それでも毎回熱心に受講しに来てくださっている。今年からは、「インターネット情報局」という中学生向けの情報教育番組と連動させ、講義を行うことになった。いや、正確に言うと、「講義」を行うことが特徴となるような堅苦しいクラブではない。基礎基本から発展に至るまでを細かいステップにわけて、延々と一斉講義を行うよりも、とにかく「モノヅクリ」を中心にガシガシとコンピュータを使うことが目的となっている。
     本当に必要なこと、つまり基礎基本は、活動の中で自然に学ばれるはずだ。そんな仮説のもとに、クラブの活動は組織されている。このあたりの詳しいことは、「Project Vermeer」のページを見てほしい。

     さて、講義中、お母さんがたと話したりして気のついたことがある。それは、お母さんがたの多くが「コンピュータを壊すこと」を過度に恐れていることだ。パソコンをさわっているうちに、コンピュータの方から「ダイアログ」がでてこようものなら、もうパニックになってしまう人もいる。あとから聞いた話では、家庭ではダンナサマに「壊したら困るから、触るんじゃない」だとか言われている人が予想以上に多いことがわかった。この話を聞いて、きっと、ダンナサマの中には、「ブラウザの履歴」とか「最近使ったファイル」を見られたら困る人もいるんだろうなぁと思ってしまった僕と杉本さんは、かなり性格が悪いかもしれない。

     ここは僕のページなので、ハッキリ言う。

     コンピュータはそんな簡単に壊れることはない。もし、壊れたとしても致命的な症状を示すことは、初心者が触っている場合にはほとんどない。もし、本当に「お亡くなり」になったとしても、インストールの手間さえいとわなければ、何度でも初期状態に戻すことができる。

     壊すことを恐れて何も触ろうとしないよりも、手当たり次第、あーだこーだ言いながら触ってみる方が絶対に学ぶことができる。

     コンピュータは壊れても火を噴きません。
     火を噴いたら連絡ください、「め組」の北島三郎と一緒に消しにいきますから。


    2000/04/20 ガンバリズム

     このところ、アホほど忙しく、また精神的にも疲れており、日記を書けませんでした。今日は、久しぶりに午前中は休んで、「よるで(夜に出勤のこと)」にしました。今、おうちでこの日記を書いています。それにしても、「忙しい」なんてことを言ってはいけませんね。好きで選んでやってるんだから。本当に「忙しいこと」が耐えられなくなって、やめたくなるのなら、いつでも「やめること」ができるものです。そう考えると、「忙しい」ということばを他者に向けて「語る」行為には、どうも文字通りの意味ではなくて、違った意味があるのではないかなぁと思うようになってきます。

     最近、新学期がはじまって、僕のまわりの人々も「忙しく」なっているようです。「やらなければならないこと」は「やらなければならない」んですね。うちのばあさんのセリフを借りるなら、「泣いてもホイてもやらんきゃならんべさ」という感じになります。ちなみに、この「ホイても」というのがどういう意味をあらわしているのか、未だに僕にはわかりません。

     でも、僕はそういう自分のまわりの人々に、どんなコトバをかけてよいのやら、いつも思案に暮れてしまいます。

     がんばれ

     というのは単純なんですね。だって、主語や目的語がないですから。このところ、英語論文を書きまくっていたのでこんな風に思うのかもしれませんが、この「がんばれ」というコトバはそのままでは英語にはなりません。つまり「何」をがんばるのか、「誰」ががんばるのかがわかりません。「いや、大いにやってください」とか「そのあたりは、検討してください」とかいうオトナがよく使うコトバと全く変わりません。思わず、「何をですか?」と聞きたくなってしまう。つまり、無責任なことばなのです。

     でもね、この無責任なことばを避けて、その人をencourageするようなコトバをかけることって、ものすごく難しいことなのです。「まぁ、何とかかんとか乗り切れ」とか、「やるしかない」とか、そういうコトバも思いつくのですが、それにしても芸がない。

     You can do anything you want !

     と言ってもよいのですが、「何スカシてんだ、このヤロー」とか言って、首をしめられそうです。

     他者をencourageするコトバ

     そのことを考えるたび、僕は自分の「無力さ」が恨めしくなります。


    2000/04/21 二人の歯医者

     今日、午前中、歯医者さんに行って来ました。ここ2年ほどほっておいた虫歯があったのですが、とうとう「大穴」があいて、脳みそが漏れそうになってしまい、もう万策つきた!という感じだったので、一ヶ月ほど前から、泣く泣く通うことにしたのです。まぁ、少し漏れたかもしれません。

     今日で治療は終わりました。見事に立派な歯がはえてきました。正確にいうと、「かぶせた」のですが、なんか「かぶせた」っていうのは、格好が悪いので、新しい歯が生えたことにしておきます。

     さて、僕が今いっている歯医者さんには二人のドクターがいるんです。ひとりは院長、ひとりは眼鏡をかけた若い先生。僕はこの一ヶ月間の治療の間、院長にお世話になったのですが、今日、はじめて眼鏡の先生にお世話になって、治療のあいだ中、あることを考えていました。

     というのは、院長はアホほど忙しいらしく、治療中には突然他のブースからやってきて、アッというまに治療をして、風のように去っていくんですね。コトバは優しいのですが、かなり殺気立っている。時に僕のわかんないような専門用語で、吠えることもあります。

     一方、眼鏡の先生もアホほど忙しくしており、突然他のブースからやってきて、突然去っていくのですが、その身体の動きはしなやかで殺気だっていないのです。どこかに余裕があり、患者を安心させるところがある。専門用語もしゃべりますが、そのあとで必ず、僕でもわかるように説明をしてくれる。

     こんなことを言うと誤解されるかもしれませんが、院長もモノスゴクいい人なのです。でも、眼鏡の先生に比べると、その殺気がときどき怖くなってしまいます。同じくらいの忙しさなのに、他者に与える印象は、二人の歯医者さんで全然違うんですね。

     たとえアホほど忙しくても、しなやかさをもつ人間になりたいなぁと僕は心から思いました。僕はどっちかと言うと、院長タイプの人間です。今でもたまぁに学部生などから、「中原さんがコンピュータに向かっているときには、とても声をかけられない」と言われることが、たまぁにあります。

     反省の多い午前中の出来事でした。


    2000/04/23 日曜日の昼下がり

     昨日は結局、午前3時頃に研究室から戻ってきた。ある書類を「手書き」で書かなくてはならなくて、一日中かかって仕上げた。全くこのご時世に「手書き」を要求するなって言いたい。「手書き」は女の子に対してするもんだってーの。はっきり言って、6400字の手書きは苦行に近いぞ。ブッダじゃないんだからさー。

     昨日で一連の僕のワークは一段落ついた。考えてみると、今年になってから修士論文、雑誌論文2編、紀要論文、提出済みの雑誌論文の修正、国際学会の原稿と怒濤のように「書き続けて」きた。その間には、様々な研究プロポーザルの提出もあったり、奨学金や研究員の手続きもあったりで、やはり「書き続ける」しかなかった。「やらなければならないこと」は「やる」しかない。

     最近よく思うことなのだが、「書く」ということは、僕にとって、何か自分の一部を削っているような感じがしてならない。これは僕だけなのかもしれないが、「書く」とすっかり「忘れて」しまうのである。

     自分のアタマの中にたまった知、自分と人々との間にある分散知、そういうものを「書きつける」ことは、それを「忘れてもよい」ことを意味する。なぜなら、「書きつける」ことによって、知はカタチを持ち、誰の目にも明らかなインスクリプション(inscription)として、この世に存在するからである。

     僕は書き続けた。もう僕に削るべき自分の一部は、全くない。もう一度、スタートラインにたったつもりで、自分の中に「語るべきことば=知」をためなければならない、と切に思った。ちょうど、飲み会であまりに飲み過ぎてゲロを吐きまくって、もう胃液しかでない状況と同じように、ハラの中に何もないドリンカーからは、栄養のあるものは何もでてこない。そういうドリンカーからでてくるのは、あまりに苦くてアンビリーバボーな味のする胃液だけだ。「書く」ことは重要なことだけれども、そればっかりやっていて長続きするわけがない。

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     日曜日の昼下がり、久しぶりにテレビをつけたら「週刊えみぃショー」をやっていた。例のごとく、何人かのワイドショーレポーターが、芸能界の裏話を得意げに語っていた。キムタクが静香とできただの、林葉直子が不倫相手から金をもらっただの、まぁ、いい年をした中年が、そんなことで興奮すんなってーの、と僕は言いたい。好きにさせてやれってーの、余計なお世話なんだよ。まぁ、そうは言っても、僕も毎週ビバリーヒルズを見ていて、ケリーやブランドンの恋物語に一喜一憂したり、デヴィットに嫉妬しているくらいだから、タイシタことがいえたわけではないな。

     すっかり怒り疲れてテレビを消して、コンピュータに向かった。インスピレーションというソフトを使って、自分の研究のこれからのことを考えた。また、エクセルを使って、自分の日々の時間の使い方を反省した。その様子は、以下の図のとおりである。

     これは、昨日までの僕の24時間の使い方をグラフにしたものだ。これを以下のようにグラフのように、明日から変えていこうと思う。


     僕は今スタートラインにたっている。
     何を読み、何に共感し、何を誰に向けて、どのように語ろうか。
     日曜日の昼下がりは、そんな「果てない思考」にちょうどよい時間であるかもしれない。


    2000/04/25 我が生活、いまだ変わらず

     我が生活、いまだ変わらず。

     今日は朝9時から学校に登校した。
     健康診断があったり、先日もどってきた査読論文を修正したり、文献を図書館で集めてきたり、書類を書いたり、研究プロジェクトの機材リストをつくったり。
     こういう事柄をガシガシとこなしているうちに、ふと気がつくと、次の日になっていた。

     明日は論文の投稿を行う。また、最後の書類が僕の手をはなれる。

     明日からは生活を変えることができるだろうか。


    2000/04/27 孤独

     何を隠そう、今、僕は39度の熱が下がらず、まるまる2日間床に伏している。医者には「過度の疲労」と言われた。「消化器官の機能低下」らしい。もともとカラダは強い方ではないので、気を使っていたつもりだったが、このところの日々の疲労がたまっていたのだろう。

     時には「イシキ・モウロウコちゃん」になりかけたが、何とか、キーボードが打てるくらいには回復した。39度の熱がありながら、なぜキーボードに向かうのか?ホームページに日記を公開しようとなど思うのか。それは端的にいうならば、孤独だからである。

     寝ていてふと考えることがある。このまま僕が死んだとして、誰が一番最初に僕の亡骸を発見してくれるのだろう。そのとき僕は腐乱した目を相手になげかけるのか、それとも、目を閉じているのだろうか。あまりに乱雑な部屋を見渡して、「身辺整理」でもしなければ、と思った。とりあえず、エロ本くらいは片づけなければ。やはりカラダの調子が悪いときはロクでもないことしか考えつかない。

     誰かに話しかけたい、誰かに見ていてほしい、そうだ、誰かとの「つながり」が欲しいだけだった。普段はそんなことをあまり思わないのに、なぜかそう思って、今、これを書いている。

     孤独を感じた。


    2000/04/30 復活

     結局、何とかかんとか社会生活を営めるようになるまでに5日間かかった。

     大学から帰ってきて、寒気を感じたのが4月25日。それから2日間は発熱に苦しみ、熱が引いてからの2日間は、併発した腸炎、要するに「ゲリ」で苦しんだ。

     トイレと布団のわずか10歩あまりの往来繁く。そのたびに実体のない「ウンコ水(うんこすい)」を目にし、何度も何度もケツを拭いていると、いい加減に笑いがこみ上げ初めてきて、しまいには、便所でケツを拭きながら「独り漫才」なんかやってみた。観客には、さっぱりウケが悪かった。

     でも、このわずか5日間の間、僕は布団の中でいろんなことを考えた。なにせ、ほとんど5日間寝っぱなしだったわけだから、そう簡単に眠気なんか襲ってこない。眠気のカケラもないアタマを抱えて、窓の外の雲や星を見ていると、普段は考えないようなことばかりがアタマの中に浮かんでくる。僕のアタマの中に浮かんでは消え、消えては浮かんできた「泡沫」のような「考え」の中には、気が滅入るもののあったし、不安にかき立てられるものもあった。でも、それと同じくらい、これからの希望や期待に満ちあふれる「考え」もあった。一切は泡沫である。

     今日、本当に5日ぶりにフツウのご飯をたべることができた。これほど、「ごはん」をたべることが貴重なことに感じたことは未だかつてなかった。心の底からうれしかった。

     今年1月から4月までの日記をすべて読み返した。多少「張り切りすぎたところ」もあったし、「無理をかさねすぎたところ」もあったように思う。僕が今回倒れてしまったおかげで、数名の共同研究者の方々には、本当に迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ございませんでした。

     ずいぶんと心配をかけてしまった人々もいる。何人かの方からは、メールもいただいた。本当にご心配をおかけしました。特に、自らも「迫り来る激務」に追われながら、遠い東の空の彼方で僕のことをいつも案じ、睡眠時間を削ってまでも日々連絡をくれていた<あなた>に感謝する。本当にありがとう。

     さて、明日から復活だ。
     オモシロイこと、また見つけにいくことにしようか。


    NAKAHARA,Jun
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