Learning Innovator as story-teller - YOSHIOKA, Arihumi


 コミュニケーションとしての科学の学び
吉岡有文(都立明正高校 物理科教諭)

収録日 :1998年6月、1998年11月、2000年5月
インタビュアー : 中原 淳

新しい科学教育の黎明
 
 1999年春、ある都立高校の二階の片隅にある物理教室で、新しい試みがはじまろうとしている。

 物理教室に据え付けられた数台のコンピュータに向かう高校生と、ネットワークの先にいる若手科学者たち。
 
一人一台のケータイを持って学校にくるイマドキの高校生と、「アドバイザー」と呼ばれる若手科学者が、コンピュータネットワークを用いて科学に関するコミュニケーションを営むという「YSN(湧源サイエンスネットワーク)明正プロジェクト」のはじまりである。

 そのプロジェクトの実践者であったのが、この高校で物理を教える吉岡有文氏である。彼は数名の教育学者と共同研究というかたちで、このプロジェクトを開始した。

 科学はコミュニケーションだ。だから、今年の授業はネットワークを使う。学校の外にいる科学者の人と、まずは授業で行った実験の結果について話してごらん。

 吉岡氏の第一声が、空気の乾燥した物理教室に轟いた。生徒たちは固唾を飲んだ。

 このプロジェクトがはじまってからというもの、数ヶ月。最初は、その時間の授業における実験結果を若手科学者に語り、時にその結果について相談していた生徒たちの様子に次第に<変化>が訪れる。


Fig. 0 授業風景

 授業の開始直後、授業の終了後、吉岡氏が何も言わずとも、生徒たちは自然にコンピュータの前にすわるようになった。当初は、キーボード操作が不得手だった生徒たちにも、今や余裕の表情が伺えるようになる(Fig. 0参照)。
 <変化>はそれだけではなかった。生徒たちの発信するメッセージも次第に変わってきた。当初、生徒のメッセージは授業でおこなった実験を報告するだけのものであったのに、この単調なメッセージの内容に次第に<変化>がおとずれた。

Fig. 1 こんなソフトを使ってネットワークで交流します

 ある者は、日常の些細な出来事の中から、自分が不思議に感じることを科学者に対して語り始めた。ある者は、「仮説」「実験」「考察」から構成される、いわゆる科学者っぽい語り口でメッセージをつくるものもあらわれた。生徒の中には、進路の相談などプライベートな事柄を科学者に対して相談し始めるものもいた。
 プロジェクト開始当初は、「報告」で終わっていたコンピュータネットワーク上のやりとりが、次第に「コミュニケーション」と呼べるようになってきた瞬間だった。

 ネットワーク上で生まれた高校生と科学者のコミュニケーション。サーバーのログには残されていないものの、両者のコミュニケーションが芽吹き始めた頃、実践者である吉岡氏は、毎日ネットワーク上でやりとりされるメッセージに一喜一憂し、人知れず時に悩み苦しみ、時に喜びを実感していた。何もかも捨てたくなるほど、ショックを受けた日もあった。今までの固定観念が崩れ去る日もあった。「YSN明正プロジェクト」は、吉岡氏にとっても学びの場であったのだ。

 「YSN明正プロジェクト」を一年間経験した卒業生の一人は、吉岡氏のことを「グレートティーチャー吉岡(GTY)」と呼んだ。折しも、暴走族あがりの型破りな若手教師を主人公とするテレビドラマ「GTO(グレートティーチャー鬼塚)」が信じられないほどの視聴率を稼いでいた時期だった。「GTO」が「型破りな方法」で生徒が抱えるプライベートな悩みを解決していく教師ならば、「GTY」は「型破りな方法」で、生徒の科学の学びを革新していく教師であった。

 卒業生の中には、未だに吉岡氏と親交のあるものもいる。Mさんもそのひとりだ。卒業して以来二年を経ているが、吉岡氏とのメールのやりとりは今も続いているという。
 もちろん、数名の卒業生は、未だに学校を訪れるし、コンピュータネットワーク上にメッセージを書き込んでいる。

 「YSN明正プロジェクト」は2000年3月をもって一旦終了したが、彼らの中ではプロジェクトは終わっていない。彼らの科学の学びと、科学者とのコミュニケーションの歴史は今もまだ果てることなく続いているのだ。

 それではこの実践を率いた吉岡氏は、いかなる教師なのだろうか。以下、彼の語りをもとに、彼がどういう人生を歩み、そして何に問題を感じ、それをどのように変えていこうとしたのか? また、彼が実践を行っていく中で感じた思いや、印象に残るエピソードをもとに、この実践を振り返ってみることにしよう。

 

吉岡氏の人物点描
 
中原 : まず実践とか科学教育の話に入る前に、吉岡先生の本人について、少しお伺いしたいです。ところで、吉岡先生の子供時代って、どんな子供だったんですか?

吉岡 : うちの親戚のおじさんが科博(国立科学博物館)につとめていた関係で、結構、子どもの頃から、科学は好きだったし、科学博物館の会員だったね。今も科博の会員だけどね。だから、もう何十年もやってることになるよね。おまけにうちの家族全員が会員になっている。学生時代(中学生時代)は、生物部とかそういう部に入っていたよ。昔は、そういうマイナーな部でも成り立っていたんだよね。あの頃は、どこか科学に対する期待感みたいなものあったからね。科学に頼っていれば、僕の人生は大丈夫みたいなところって、あったんだよ。公害は生まれる、こないだの原子力の事故みたいに予期しない事件は起こる、みたいな今の時代とは違ってさ。


Fig. 2 吉岡先生

中原 : 大学生の時代は、どんなことをなさっていましたか?

吉岡 : そうだねー、僕は青学(青山学院大学)なんだよ。でも、結構、卒業が苦しかった。物理をやっていたんだけどね。僕は、「落ちこぼれ」なんだよ。そうだ、前にフィールドワークいったときにさ、物理学者(正確には、原子力工学者)に、僕さ、言ったことあるんだよ。僕は「物理の落ちこぼれ」だって。そしたら、その人がさ、「そうはいいますが、あなた、物理たっていろいろあるんですよ」って言うわけだよ、で、「あなたは運が悪かっただけだなんだから」って言うんだよね。つまり、もしかして違う物理の領域をやっていたら、僕も、物理学者だったかもしれないってことだよ。科学って言ったって、いろんな領域があってさ、科学者っていうのは、すべての知識をアタマの中に蓄えとくだけじゃないんだね。お勉強じゃないんだ、科学を学ぶってことは。

中原 : そのあと、しばらく産休補助教員をつとめたあと、先生は会社づとめをなさいますよね。会社づとめの時代はいかがでしたか?

吉岡 : C電子っていう会社にSEとしてつとめていたんだけど、忙しかったよ。でも、会社がコンピュータ部をやめちゃうってときに、会社に残るか?それともやめるかってことになって、やめちゃった。僕、でもさ、会社づとめしているときに、僕、3日間昼夜をわかたず、コンピュータの前に座っていたことあったもんね。給与計算のプログラムでさ、バグを探してたんだよね。バグ探し。これはさ、ある業者がアセンブラでつくった給与計算のプログラムがあったわけ。で、そのプログラムをさ、全部読んだわけ、3日間かかってさ。でさ、僕は3日間かかって、このプログラムに論理的に間違いはないって判断をだしたわけ。でもさ、それでも動かないことは確かだから、プログラム見ながら、ワンステップずつコンピュータが動いてるかって見たわけ。で、結局わかった、ある命令があったんだけど、そこでなぜかコンピュータは「NOP(No OPeration)」って判断してるんだよ。ゼロゼロってさ。つまりこのコンピュータが命令を命令として認識してないわけ。じゃあ、なぜ、そうなったか、マシンがヴァージョンアップしたわけ。で、そのとき思ったね、論理は全て正しいんだって。僕は間違っていなかったんだって。だって、3日間かかったんだからね。そのころは本当に忙しかったよ。確か、あのプログラムはK病院の給与計算プログラムでさ、覚えてるよ。このプログラムは、僕がつくったわけじゃないんだよね、デバックをやってたんだよ。そんな感じだね、会社づとめの時代は。

中原 : 先生は会社勤めのあと、もう一度、中学校や高校で非常勤講師を経験なさいますね。そのあと、教諭として採用されました。

吉岡 : あなた、よく知ってるね。

中原 : 一応、仕事ですから。

吉岡 : そう、その通り。結局、先生になるのに2年かかったんだよ。僕は落ちこぼれだってこと、さっきも言っただろ。

吉岡 : なるほど。このように先生はすぐに先生になったわけではなくて、紆余曲折がおありだったということでしょうか。しかし、先生の「紆余曲折」の歴史は、それだけではなくって、そのあともいろいろな大学を放浪なさいますよね。このことについてお話をお聞かせ願えますか?

吉岡 : そうだね、最初は理科大(東京理科大学)に行ったろ。これは専攻科の学生だね。でも、ここで理科教育というのか、科学教育に興味を持ち始めたね。そして、次の年には、東大(東京大学)に東京都の派遣研究生として行きました。これは一年間でさ、これがS先生との出会いになる。そして、それから千葉大(千葉大学)の教育学部の修士に行って、修論を書いたよ。一応、「力学」に関する論文でした。詳しくいうと、「液体の圧力のプリコンセプション」の問題だね。そのあとは東工大(東京工業大学)の電気電子工学の研究室で、一年間研究生になった。僕ほど、いろんな大学に行っている奴もいないよ。道楽だからね。

中原 : なるほど、ところで、吉岡先生は、一連の実践をはじめる前から、実際の科学の現場をフィールドワークをなさるという経験をお持ちのようですが、そういうことをはじめようと思ったきっかけは何だったんでしょうか? たとえば、原子力発電所とか、企業の工場とか研究所とか、ありとあらゆる科学の場所に先生は言っておられますよね。

吉岡 : これはライフワークだからね。つまり、研修だよね。いや、というよりも、僕自身が、知りたくて仕方ないんだよ、こういうことについて。興味を持ってることなんだよね。

中原 : はじめて実際の科学の現場というのでしょうか、研究所や工場や発電所などをフィールドワークなさったのは、資料には1994年とありますが、それからわずか5年の間に計65回もいってらっしゃるのですね。それにしても多いですよね。

吉岡 : その前から行ってたんだよ、本当は。でも、忘れちゃったからさ、その前のはね。それに、写真とか取り出して記録を残し始めたのは、このときくらいからで、で、このときを一番最初にしてしまおうってことだね。こういう見学に積極的に行くようになったのは、理科大時代から、はじまったのかな。ちょうど、科学教育とか理科教育とかが気になってきたころでさ。

中原 : フィールドワークしたときの資料はすべて残っているのですか?

吉岡 : そうだね、ほとんど残ってますよ。本当はね、ホームページにして、撮ってきた写真とかさ、そういうものを公開したいんだけど、時間がないね。

中原 : それにしても、いろんなところに行ってらっしゃいますね。

吉岡 : そうだね、原子力発電所が多いんだろうけど、それ以外にも随分いっているよね。旭化成の工場とかもあるね。すべて行ったところには、イヤ、すべてっていうのは嘘になるけど、だいたい興味をもって行っているんだよ。これを見てこようっていう目的があるわけだよね。たとえば、さっき発電所が多いって言ったけど、発電所が多いのはさ、僕がわかんないからだよね、それで、知りたいと思うから。それにさ、発電とかは、教えなければならないし、あなたも行きたいと思うでしょ。でも、実際に行ったことのある教員なんていうのは、全然いないんだよね。で、それでも電気のことを教えようとするんだよ、自分だってわからないことたくさんあるのにさ。

吉岡 : (こういう見学会などで、)僕はね、その道の最先端の科学者にもインタビューさせてもらいました。素粒子論とか宇宙論だとかの現代物理の科学者にもインタビューさせてもらったことがあります。

中原 : こうしたフィールドワークの中には、3日間にわたっているものもあるようですが。

吉岡 : そうそう、それは研修なんだよ。電力会社の施設とか研究所っていうのは、援助してくれるところもあるからね。いろいろ支援をしてくれる、そういうようなことなんだよ。

中原 : こうした場には、他にどんな方がいらっしゃっているんですか?

吉岡 : ほとんどは、教員だよ。いろんな研究所を回る好きな先生方がいるんだ、これがね。あれ、また会いましたねーって感じだよ。何回か行っていると、同じ顔ぶれがそろってることに気がついてくる。それこそね、こういう集まりの世間は狭くてね、僕、こういうところに行くと、一発でわかるもんね。

中原 : ところで、科学の現場のフィールドワークの目的は何だったんでしょう?

吉岡 : そうだね、一言で言っちゃうとさ、僕が行きたいからだよ。授業とかに役立てようとは、そりゃ、思うけど、でも、それ以上に僕が行きたいから行くんであってね。

中原 : 科学の現場のフィールドワークなのですが、相手先には、どうやってアポイントをとるのですか?

吉岡 : こういうのは、ネットワークなわけでね。何回も顔をだしていると、 自然と自ずから、そういう情報が集まってくるようになるんだよ。いろいろな人が教えてくれたり、誘ってくれたりするんだよ。前に見学に行ったときに逢った教員とかね、そういう人たちの地下組織っていうか、ネットワークがあって。僕も結構長いから、自然とそういうすべての情報が集まってくるようになっていたね。知らないうちに。自ずと情報が集まります。実は、今度、そうしたネットワークの関係でね、8月にイナックスの工場の見学に参加させてもらう予定です。

中原 : それも現代物理ですか?

吉岡 : いや、便器です。モノづくりってことでね。

中原 : ところで、科学の現場のフィールドワークを通して、実感したことってありますか?

吉岡 : それは、前に論文にも書いたことだけど、ちなみに、この論文は結構、好評だったんだけどね。科学者の人たちって、アタマがよくって、一人でウンウン考えているってイメージがあるんだけど、そういう現場では本当に、ほとんどの科学の営みが共同作業だってことがわかったよね。そういう具合に、つまり、科学の現場はなっちゃってるわけだよ。すべての人がすべての知識をもっていなくてもいい。このことなら、ナントカさんとかいう風に、みんな、得意なところっていうか、専門があって、それでみんなで集まって共同作業をしているんだね。つまり、いろんな人がコミュニケーションをとりながら、かかわりあいながら、科学をやっているっていうかな。そりゃ、学位も大切だけど、そういうコミュニケーションができるってことが大切でさ。

中原 : もう少し具体的にお話ししていただけますか?

吉岡 : たとえば、ロケットのある研究所の人に聞いた話だとさ。その研究所ができたばかりの頃に、そこの研究所の所長だった人でAさんっていうスゴイ人がいるんだよね。日本のロケットの父ってぐらいのスゴイ学者さんなんだけど、このAさんは、ちょっとユニークな人でした。できたばっかりの研究所に高校生とか、その研究所のまわりをぐるぐる回っていたトラックの運ちゃんなんかが来るんだって言うんだよね。ロケット好きな人たちが、僕をこの研究所に入れろって来るわけですよ。そしたら、このAさん、そういう人たちを研究所に入れちゃったっていうんです。で、そこにいる科学者の人と話をしたり、測定器具の使い方とか教えてもらったりしているうちに、そういう人たちもそれなりの研究者になっていくんだって。今じゃ、そういうのは学位がないと無理なんだろうけど、当時は、まだ研究所ができたばっかりだったし、それにAさんが相当ユニークな人だったってことで、できたんだよね。つまり、何を言いたいかっていうと、科学は知識をアタマの中に蓄えることだけじゃないってことなんだ。そりゃ知識は大切だけど、そういう知識をアタマにためこむだけでできることじゃないってことなんだよ。科学をやっている人とコミュニケーションをとったり、教えてもらったり、そういう場に参加することで、科学することになってしまうっていうのかな。だから、フツウの人もそういう場に参加していれば、科学者になれるって。これ、言い切っちゃうとウソだけどさ、科学についてもっとよくわかるっていうのは、本当だと思うね。

中原 : 科学の現場のフィールドワークが、実践にどういきましたか?

吉岡 : さっきも言ったけれど、実践に活かせたかどうかはわかんないね。そりゃ、実践のことは考えてはいるけども、それで実践がよくなったかっていうのは、僕、言えないと思うよ。そんなに簡単なことじゃないんだよ。つまり、僕は自分が知りたいだとか、行ってみたいと思って、行っていたからね。それが実践に影響を与えたかどうかはわからない。

中原 : 「影響」という話がでてきましたが、吉岡先生には、影響を与えた研究とか実践とかありますか?

吉岡 : そうだね、やっぱりSさん(元・東京大学教育学部教授)だよね。彼に出会わなかったら、今、こうしていないね。

中原 : S先生とは、理科大学を卒業したあとに、東京都の派遣研究生として東大に行ったときにはじめて出会ったわけですね?

吉岡 : そうだね、最初、僕はA先生(元・東京大学教育学部教授)のところに「お願いします」って言って、そこでS先生(元・東京大学教育学部教授)を紹介されました。S先生には「納得研(納得研究会)にでろ」って言われました。

中原 : 納得研とはどんな研究会ですか?

吉岡 : 納得研は、S先生と現場の教員が東大で月に一回集まって開いている研究会で、実践報告会みたいなもんだよね。みんなで実践をもちよって、批判しあう場だよ。

吉岡 : 僕は、納得研ではかなり古い方だよね。一番古いのは、Nさんかな。納得研は非公式にいろいろ語れる研究会ですね、教育のことから、研究のことまで。

中原 : 現場の先生の実践報告に対して、みなさんで検討なさるわけですね。

吉岡 : ここに参加している他の現場の先生方もものすごく率直に意見を言いあいます。納得研は、もう今年で15年くらい続いているね。

中原 : 吉岡先生は今まで、力学とかの概念に関する実践研究とか、「モノづくり」についても実践をなさってきましたよね。それはどんな実践だったのですか?

吉岡 : ネットワークのことに本格的に取り組む前までは、モノづくりを通した科学の学習ってやってたね。その前は「力学」とかの概念の研究かな。「モノづくり」の研究はさ、単に知識を暗記するだけじゃなくってさ、実際に社会で使われているような具体的な「モノ」をつくってみて、学ぶみたいなことをやっていたね。たとえば、モーターをつくってみるとか、いろいろやりました。「モノづくり」をするといいことがあるんでね。というのは、「モノ」をつくるってことは、それがどんなに簡単なものであっても、必ず、工夫しなきゃならないんだよ。つまり、「モノ」をつくろうとすれば、生徒たちは、イヤでも、考えたり、悩んだり、その上で工夫しなければならないわけ。答えがどこかに書いてあるわけじゃないからね。本開いたら、ヒントはあるかもしれないけれどさ。だから、生徒たちもマジになっちゃうしね。僕もマジになっちゃうわけね。そうだな、そういう授業をやると、僕自身もわからないことだらけだってことに気づくよね。さっきの発電所じゃないけれど、教員だってわからないことはたくさんあるんだよ。でも、わかんないってことは、「つきつめて」考えるチャンスであってさ、僕はおもしろくて仕方がないね。こういう授業をやっていると、生徒に教えられることも随分あるしね。僕、何度も感心したことあるもの、生徒の考えに。そういうときは、教師と生徒っていうさ、権力関係っていうのかな、それがゼロになるわけじゃないけど、同じ「学び手」として存在することができて、僕は好きだね。

中原 : 「モノづくり」を通して、そんな風に生徒が「マジ」になれる瞬間というのは、貴重だと思います。ところでね、一方では現代は、科学離れの時代と言われるわけじゃないですか。つまり「科学」に「マジ」になれない学習者が増えてるってことですよね。先生は、科学教育の問題点って、どこにあると思われますか?

吉岡 : やっぱりさー、あの既にわかっている公式とか原理とかいうのをさ、アタマの中につめこむだけが科学のお勉強だっていうかな、そういう科学の学習の捉え方に問題はあるんじゃないかな。そういうのを受験勉強と称して、ずっとやってきちゃってるわけだよ、生徒たちは。やっぱりさ、自分でつきつめてみてさ、これは正しいだとか、間違っているだとかいう経験がないとね、それに自分でそういう答えを導き出すために工夫をしなきゃね。だって、そうでなかったら、自分で科学をしているって実感できないでしょ。科学っていうとさ、白衣を着たどこかエライ先生方がやってるもので、自分はそこにかかわることができないって思っちゃうところってあると思うんだよね、生徒の中には。生徒にとってみたらさ、そういうヨソゴトだから、余計にオモシロくないし、どうもかかわっている気分がしない。だから、離れていくんだよ。必然的だね。本当はそうじゃなくってさ、科学ってのは、ネットワークづくりであり、コミュニケーションなんだよ。簡単にいうと、仲間づくりだね。あなた、いいか、仲間づくりなんだよ。科学を学ぶってことはさ、科学にかかわる人々の中に入っていって仲間になっちゃうってことであってさ。つまり、科学をオモシロイと思う人々のネットワークの中に参加していって、コミュニケーションすることなんだね。それこそが科学だなって、僕、思うよ。

中原 : 先生のそうした科学観はいつ頃からお持ちになられたのでしょうか?

吉岡 : 僕、ずっとそう思ってたよ。そう思っていたよねー。でも、ずっとってのはウソで、うすうす気づいてはいたけれども、そうだな、東大(東京大学)に派遣で行ってからくらいからかなー、そう実感しだしたのは。今回もYSN明正プロジェクト(湧源サイエンスネットワーク明正プロジェクト)の実践をやってみないかって話がきたときに、僕、これで自分のやろうとしていたことができるって思ったからね。でも、今回YSNやらせてもらって、そういう思いはやっぱり間違っていなかったんだって、思うようになったね、余計に。学校の外のさ、科学者の人たちと話すっていうのは、なかなか得られない経験であってさ、そういう人たちとコミュニケーションをとってみる、っていうのかな。それこそが科学教育だよ。意地になっているところもあるのかな。

中原 : なるほど。科学について先生はそういう強固な信念をお持ちなのですね。それは今回のネットワークでの新しい試みの前からお持ちになっていた。そこらへんが重要なところであるように思います。それでは次に、YSN明正プロジェクト(以下略、YSN)のことについて、お聞かせ願えますか?

 

YSN(湧源サイエンスネットワーク)
 
中原 : YSNを実践なさる経緯については、どのような感じだったのでしょうか。

吉岡 : 一応、言って置くけど、YSNはさ、前年まで小学校でやってきたんだよね。そのときは「不思議缶ネットワーク」と言っていたのかな。小学生が、例えば、なぜ「空は青いんですか」って、若手の科学者の人に聞いてみるわけだよ。で、若手の科学者の人は、お答えマシーンにならないように、小学生が答えを自分で見つけることができるようなヒントを提供するっていうプロジェクトだった。若手科学者の人は「湧源クラブ」っていう科学好きな集団の出身の人で、そういう科学の話題はものすごく好きなわけでさ、何でも面白がってしまう人たちなんだ。で、その高校版をやらないかっていう話がきたわけ。で、僕も共同研究者としてかかわることができるなら、やらせてほしいって言ったんだ。それからかな、よくあるQ&A式のネットワークを用いた実践ってあるんだけど、それにならないように、僕も企画書がでてきたあたりからかかわりだした。「なぜ、ものは燃えるんですか?」っていう質問が来たらさ、すぐ「なぜならね云々」っていうメッセージを投げてしまってはオモシロクないからね。そういうQ&A式にならないようにしようと思った。

中原 : なるほど、そういう経緯があったわけですね。

吉岡 : それが1997年の12月頃だったと思うね。で、そこから数ヶ月試験運用ってカタチで2年生に試したりしたけど、結局、1998年の4月から高校3年生の選択物理と選択化学の時間を使って、はじまったわけだよ。

中原 : 参加者はどのくらいだったのですか?

吉岡 : 結局、明正高校側から参加したのは、20名ほどいたんじゃないかな。生徒会の生徒たちとか、総合科学部の生徒たちとかもかかわってきたよ。生徒会の広報誌に「物理教室で今オモシロイことが起こっていますよ」っていう宣伝を乗せてくれた子がいて、そのあとは徐々に増えていったっていう感じだね。先生の中にもかかわってくれる人はいた。

中原 : こうして先生は実践をスタートなさったわけですが、実践を行っていく中で苦労なさったこととかありますか?

吉岡 : 苦労? あなたね、苦労の連続だよ。でも、苦労って言っても、好きでやってるわけだら、何てことないんだけどさ。大きくわけるとさ、2つくらいあるんだよ。まずさ、一番最初ね。ネットワークを学校とか授業の中にいれるって言うけどさ、そりゃ言うのは簡単だけど、人を集めなければならないでしょ、ある程度。それに学校にそういう新しいものをいれるっていうのは、案外大変なんだよ。まず、生徒だけど、高校生だからね、やりたくない生徒だっているし、こっちがあんまり強制はできないよね。その段階で、まずは苦労するわけよ。生徒たちに、これから授業はこういう風にやるからって説明して、了解してもらわなきゃなんないわけ。

中原 : 先生は最初、どうおっしゃったのですか?

吉岡 : いや、科学を学ぶっていうのは、コミュニケーションしなきゃダメなんだって。だから、ネットワークを入れますよっていう話を生徒の前でしたけどね。最初は、授業でわかったこととか実験の結果だとかを、授業の最初か終わりに、科学者の人たちに話して見ろって言ったけど。そうだな、新学期がはじまって、6月くらいになったら、だんだんと、僕が言わなくてもさ、生徒はやるようになったね。生徒の中には、最初の頃は、本当に授業の報告のメッセージしか書かない奴がいたし、何人かは最後までそうだったけどね、だんだんとプライベートな話題とかもでてきたし、同じ、科学の授業の報告するんでも、K君みたいに、実験レポート風に科学っぽい語り口で書けるようになった奴もいるよね。そりゃ、ネットワーク入れたからって、すぐに変わる訳じゃないよ、生徒だって、授業だって、もちろん、学校だって。そういう淡い期待は持たない方がいいね。だんだんと変わっていくわけだよ。いや、変わらないこともあるかもしれないね。

中原 : 最初から大変なのですね。こうしたネットワークを用いた実践をなさる際に、学校の方はいかがでしたか?

吉岡 : 次に学校だけどさ、これだって大変なんだからさ。幸いにして、うちはそんなに進学校じゃなかったから、受験とかの問題はあんまりなかったけど、これが進学校だったら、なんで受験の役にたたないことやるんだって、絶対になったと思うよ。それにさ、教員同士の関係だって、あるからね。新しいことをすると、わたしにに仕事が振られるんじゃないかって思う教員って必ずいます。物理がやることになぅたら、うちの教科でもやらなければならないんじゃないかってね、思うんだろうな。でも、別にやらなくてもいいんだってことになったら、何にもないね、あとは無関心っていうかね。

吉岡 : じゃあ、次は、ネットワークが入ったあとに大変だったことを話そうか。これはさ、じゃあ、ネットワークは入りましたってことになったあとのことなんだけどね。そのあとは、じゃあ、何をコミュニケーションするかってことになるでしょ。でも、これがさ、なかなか最初はコミュニケーションができないんだよね。でも、それは考えてみればアタリマエのことであってさ、フツウの高校生が科学者を目の前にしてフツウにコミュニケーションしろってのが間違いであってさ。だって、そんなの今まで一度もやってきたことないしね、生徒たちは。それで、どうしてできないんだって、生徒を責めるのは間違ってるよ。責められるべきは他のところだろ。どうしても、最初は難しい。生徒たちが授業の報告をネットワークにのせるだけのメッセージのやりとりがしばらく続いたね。そんなの続いたら、オモシロクないよね。だから、何とかしなければならないってんで、今度は、ネタづくりだよ、僕が、生徒と科学者のコミュニケーションのネタをつくらなきゃならないって思ったね。それで、「明正サイエンスネットワーク」ってのをつくったわけ。つまりさ、学校の外から、ネットワークを通してなんか「科学のコミュニケーション」のネタを一方向的にもらおうってのがまちがっていたわけでさ。学校の中から、科学好きの教員とか生徒とか、授業に関係なくしてさ、そういうネタを自ず共有できるようなネットワークが必要だったわけ。それで、自分のライフワークだった見学会だとかに、生徒とか誘って何度も言ったよね。電池の講習会をやったり、核融合施設に見学にも行ったしね。こういう風にネタを学校の内側からつくろうとおもったわけ。それじゃないと、学校の外の科学者と対話することなんて、なかなか難しいからね。つまり、コミュニケーションを成立させる手段として、学校の内側でネタづくりと、ネタを共有できる場をつくろうとしたんだね。それが明正サイエンスネットワーク。


Fig. 3 核融合施設・見学会

中原 : 湧源サイエンスネットワークと明正サイエンスネットワーク。名前が紛らわしいっていう話があるのですが、ともかく、後者をコミュニケーションのネタづくりのためにつくったわけですね。

吉岡 : そうだね、そうなってみるとさ、僕の中でも、YSNの位置づけ自体が変わってきたね。最初は、わりと、ネットワークが学校にはいってくれれば何とかなると思ったけれど、それは甘い話だっていうことがわかったからね。いわゆるYSNを「科学の学び」を変えていくための「外からのお膳立て」みたいに見ていたところはあるね、最初のうちは。でも、次第にYSNは、だんだんと「きっかけ」になってきたっていうのかな。学校を開いて、科学をオモシロクするための「ひとつのきっかけ」だよ。そのためにYSNがあるっていうのかな。そう考えるとさ、教師の役割っていうのはさ、変わってくるわけでね。「学校の中の科学好きのネットワーク」と「学校の外の科学ネットワーク」を「うまくコミュニケーションできる」ようにするっていうのかな、それが教師の役割ってことになるだろ。そういう「内と外のネットワーク」の相互交渉がすんなりとうまくいくように、社会的にかつ物理的に学習の場をデザインするのが、教師ってことになるんだよ。はっきり言うけど、ネットワークが学校にはいってくるだけじゃ、学校は変わらないんだよ。それで変わると思っている奴がいるんだったら、それは「違う」って言いたいね。外のネットワークと対話できるくらいに、学校の「内」も変わっていかなければならないんでね、そうした条件がすべてそろわないと、こういう感じのプロジェクトはなかなかうまくいかない、と思うし、科学の学びも変わらないと思うよ。

中原 : なるほど、わかりました。ここまでを確認いたしますと、科学の学びを変えていくためには、学校の中に科学のことを話すようなネタがなければダメだってことですね。我々はとかく外から「ネットワーク」が入ってくれば、「学校が変わる」「授業が変わる」と短絡的に思ってしまいがちなのですが、それは違うんですね。「外」から変えられるのを待つのではなく、積極的にそれと連動して、「内側」も変えていかなければならない。ところで、YSNの実践で、先生の中で印象に残った生徒さんとかはいらっしゃいますか?

吉岡 : そりゃ、やっぱり印象に残ったって言ったら、Mさん、H君、K君、N君かな。こないだも、昨日かあれは、Mさんと逢ったんだけどね。卒業してからもさ、Mさんとはメールでやりとりしているんだよね。Mさんの場合は、アドバイザーのIさんとのやりとりだよね。彼女とIさんは、最初は、何でもない話をしていたんだけど、だんだんMさんが日常のふとしたことから科学的な疑問をもって、そういうことに関してやりとりしているうちに、段々と科学っぽい話が本格的になってきたっていうね。でも、あれはIさんがいなきゃダメだったね。YSNには、たくさんの人が参加していたけど、結局、若手科学者側の方では、圧倒的にIさんがリードしていたからね。とにかく、Iさんは書き込みが多いでしょ。つまり、生徒の日常のことから、科学の質問まで、ありとあらゆることに返事を書いちゃう。で、彼のする科学の話は、わかりやすいからねー。ものすごく具体的で、授業の応用にあたるような、だけれども、そこらにあるものでできる簡単な実験なんかを提案しちゃうんだよね。彼の話は具体的で、こうすればいいよってところまで、掘り下げて実験とかを考えてメッセージを書いてくれるでしょ、それがよかったと思うね。まぁ、そういうメッセージは生徒にとっては、やりやすいっいうか、とっつきやすいっててところがあるんだよね。でも、実験ていうのは、それがどんなに簡単な実験でも工夫しなきゃならないし、まず、すぐにはうまくいかないからね。考えなければ実験はできないんだよ。そういうところで、生徒は学んでいける可能性があるよね。

吉岡 : H君は、メッセージ全部読んだらわかると思うけど、最初、彼は、ガンダムの話が多かったんだよね。彼自身、あとになってメッセージとして書いているけど、ほとんど自問自答に近いようなやりとりがあってね。独り言みたいなやりとりが多かったんだよ、最初は。つまりさ、彼が一方向的に、ガンダムのナントカビームについて、とかアドバイザーの人に聞いてて、自問自答に近いかたちで、他の人とのコミュニケーションがなかなか成立していないっていうね。アドバイザーの人も一応ついてはいって答えるんだけど、次の回には、Hから違うガンダムの話を持ちかけるっていうね。やりとりとはちょっと言えなかったところがあったんだよね。だけど、だんだん、ネットワークで話していくうちに、彼のメッセージって変わっていったでしょ。ずいぶん、やわらかくなったよね、感じが。こないだ、卒業生同士であったことがあって、彼もそのときに来ててね、ものすごいおっとりとした感じになってたよ。

中原 : ガンダムの話しかしなかったHくんがプロジェクトの最後の方だったでしょうか。確か、自主研究がはじまって、生徒たちが自分なりのテーマを若手科学者の方と相談しながら研究するってカリキュラムの中だったと思うのですが、H君がMさんに自分の「ミルククラウンの自主研究」の内容を語って、教えてあげるやりとりがありましたよね。最初はガンダムの話しかできなかったのに、そのやりとりが、ものすごく印象的でした。

吉岡 : あと彼にはもうひとつ印象に残るエピソードあるよねぇ。H君には、僕、教えられているんだよね。摩擦電気だったと思うんだけど、うん、あとでちゃんと見たらわかるかな、確か、ネオンランプのことだ。その実験のときにさ、僕、彼に質問されて、どう答えてよいかわかんなくなっちゃったわけ、僕もよくわかっていなかった。でも、彼が実験して、それから僕が学んだってこともあったね。あとで、卒業式が迫ってきたころ、最後のメッセージで、彼は僕に「放射線のところはもっとちゃんと教えた方がいい」って言っていたけれど、こういう実践をしていると、教師が生徒から学ぶってことも、結構、おきたりするんだよね。

吉岡 : そうだったっけ。あっ、そうそう。Hのメッセージは、だんだんと変わってきたよ、本当に。最初と最後を比べたら、全然違う。だんだんとコミュニケーションが成立するようになって、科学の話しもチラホラとでてきた。まぁ、でも「変わった」「変わった」って言ってもさ。それが本当によかったかどうかは簡単に言えることじゃないんだけどな。そういうのはさ、本人が死ぬときになってわかることだからね。だから、いいとか悪いとかの問題じゃないかもしれないんだよね。でも、僕の目から見たらさ、やっぱさ、人とコミュニケーションができるようになってことは明らかなことだったし、そのことに関してはこの実践をやってさ、一番嬉しかったよ。やっぱり文体自体も変わってきていると思うよ。

吉岡 : K君は、とにかく、メッセージのやりとりというのか、おしゃべりをするのが好きな生徒だったよね。議論が好きだったいうのかな。彼は、授業以外の「校外研究会」とか「校外実習」にはなかなか行こうとしなかったけれど、授業の中と前後に関しては、ホントウにこのプロジェクトにかかわってくれたよ。彼は、文章というかな、メッセージのやりとり自体が好きな生徒だったよ。

吉岡 : あと、Kについては、選択化学の授業からの参加だったけれど、そのクラスでは、よくアドバイザーのIさんから提案された実験をみんなでやっていたんだよね。その結果とかを、結局、メッセージとして送るわけだけど、彼はホントウに熱心に書いていた。あと、彼は物怖じしないところがあってね。相手が科学者だから、どーだ、こーだなんて全く考えないんだね。だから、アドバイザーのIさんとかは、結構、彼のこと気に入ってくれて、面倒見てくれたんじゃないかな。

中原 : K君は、科学者のモラルとか科学の暴走について、若手科学者の方々にモノ申したときがありましたよね、そのメッセージが非常に印象的でした。

吉岡 : この変は、彼の物怖じしないところがよくでているところだと、僕は思うけどね。

吉岡 : あと、N君か、あいつは留学しちゃったけどさ、彼はあんまりネットワークには顔をださなかったんだけど、実は学校では結構かかわろうとしていた。明正サイエンスネットワークのホームページをつくってくれたのも彼だしね。彼みたいに、ネットワークではあんまりでてこなくても、しっかりとこのプロジェクトにかかわっている生徒もいるんだから、メッセージが多いか少ないかだけで、プロジェクトを成功か失敗かを決めるってさ。そんな簡単な話じゃないんだよ。

中原 : なるほど、ネットワークのメッセージの量だけで、生徒さんが「どんな経験」をしたのか、あるいは、「学んだ」のかを判断するのは危険みたいですね、わかりました。ところで、先生は、このYSNの実践を一通り終わってみて、わかったことというか、感じたことはありますか?

吉岡 : そうだなー。前々から思っていたことっていうのかな。学校の科学はもっと拡張されなければならない、っていう僕の考え。つまり、科学を学ぶってことは学校だけにとどまるんじゃなくて、外のホンモノの世界っていうのか、そういう科学をする人々とのかかわりの中に参加していかなければならないっていうのかな。そういう思いはますます強くなって、確信しちゃったってところはあるね。悟りを開いたって感じだね。

吉岡 : あとはさー、確かに多少なりとも生徒が「変わってきた」っていうのは嬉しかったけれども、今回の残念なところと言えばさー、それをもっと学校とか現場の教師を巻き込んでやりたかった、っていうのはあるよね。他の教師ももっとかかわってきてほしいかったなぁって思うよ。でも、それも難しいんだよな、先生だからさ、相手は。それはわたくしの不徳の致すところってこともあるわけだからさ。でも、僕は、先生のネットワークもつくりたかったんだよね。それで、先生も「明正サイエンスネットワーク」の見学会なんかに連れてったの。でも、つまり、見学会とかには参加してくれるんだけど、それでも、全面的に参加してくれることはなかったよねー。見学会とかには、参加してくれるけど、ネットワークでコミュニケーションまではチョットっていう感じだったね。それは僕が悪いかったのかなー。

吉岡 : もうひとつだけ言うんだったら、あのね、今まで僕は生徒のことを何も見ていなかったんだなーってことにも、この実践を通して気づかされたよ。アタリマエのことかもしれないんだけど、生徒をひとりひとり違うんだよ。そんなアタリマエのことがね、フツウの授業ではわかんなかった。十把一絡げに生徒を扱っていたんだね。でも、この実践では、生徒が日常のこととか、疑問に思ったこととか、感じたこととかをメッセージで書いたりするし、授業でも実験とかモノづくりを重視しているから、僕といろいろ話すわけだろ。で、自分は生徒を見ていなかったんだってことに気づいたよ。そういう意味では、僕自身の振り返りにもなったから、わかったことって言ってもいいかもね。

中原 : 他の現場の先生の話がでてきましたが、現場の先生の中には、このプロジェクト自体に反対する人はいなかったんですか?

吉岡 : そうだねー、僕の場合は、それほどムキになって反対する人もいなかったけれど、味方してくれる人もあまりいなかったね。どうでもいいって感じかな。一度だけ、明正サイエンスネットワークの見学会で原子力発電所に行きますって職員会議で発表したら、他の先生にダメだって言われたことはあるよ。まぁ、原子力は政治的な問題がからんでくるからね。でも、僕はさ、教えるんだったら、よいことも悪いことも教えなきゃいかんと思ってる。現実に原子力発電なわけだからさ。事実は教えなければならない。物事について教えるんだったら、すべて教えなければならないってこと。隠すのはよくないねー。あのね、仕事をするときには、世間には7人の敵がいるんだよ。多少、反対されたりするのは仕方がないことなんだ。

中原 : なるほど。こういう問題は、かなり議論の分かれるところではあると思うのですが、ある物事について隠されるということは危険だろうな、と思います。それは本当に教育的なことであるのだろうか、という素朴な疑問は、僕にもあります。

中原 : ところで、このYSNプロジェクトを今から振り返ってみて、ああした方がよかったってことありますか?

吉岡 : いや、これしかなかったんだよね。今から考えてみても。だって、一番いい道を選びながら、決断しながらやってきたわけだよね。統制群をとって、この試みの効果を検証しましょう、っていうような「実験的研究」じゃないからね。あくまで「一番いい道」をそのときどきで実践者判断して行ってきた「実践的研究」なんだよ。そこを間違ってもらっちゃ困るね。つまりさ、僕がどんどん状況を変えながらやってきたわけだよ。つまり、だからさ、わるいところをいつもよくしようと思ってやってきたわけだよ、そのときどきで。コミュニケーションがうまくいかないときには、それを打破しようと思ってやってきたわけ。だから、今から考えてみて、っていうあなたの問いは愚問だよ。僕はそんなこと思わないね。後悔していないってことかな。これしかなかった。それについてはわかんないけど、僕はこれしかないと思っている。でも、YSN自体は終わっちゃったからね。だから、新しい相手を見つけてね、またやります。何度も言うけれど、僕はこれが科学の授業だと思っているから。科学の授業ってネットワークをつくるってことなんだよ。

中原 : もう少し具体的にお願いしたいのですが。「ネットワークをつくるってことは=科学を語れる場に参加していってコミュニケーションをとること」と考えてよろしいわけですか。

吉岡 : あのね、科学教育を変えていくっていうのは。つまり単なるエリートを育てるってことじゃなくてさ。大切なのはふつうの人が科学について関心をもってくれることなんだ。つまり、僕にでも語れることなんだって思って欲しいよね。わかんないものを見ても、これは不思議なことねーって終わるんじゃなくって、もっと、こうつきつめていくっていうかね、あるいは、今やっている科学について語り合うことは無駄なことじゃないんだってことがわかって欲しいってことだよね。

吉岡 : さらに贅沢を言うならば科学について批評しあえるってことができたらいいね。それは、つまりみんなで科学のあり方を監視できるってことだよね。つまり、原子力でいえばさ、原子力は政治主導で動いてるところがあるわけだよ。「原子力は日本に大切だからなんだかんだ言っても、やらなあかんって」いうわけのわからない言い訳で物事が決まってるような気がしないか。そうじゃなくって、もっと批評的にさ。そうは言うけど、やっぱり原子力は危ないもんは危ないって。コントロールできないならやめるべきだーってことを言えるってことだよね。つまり簡単にいうと、科学的な事柄に対して「科学的な意見」が言えるってことだよね。意見が言えるためには、ある程度、科学に関心があって、知識がなければならないってことだよ。

 

情報教育の実践?
 
中原 : 最後に情報教育一般の事柄についてお話を聞かせてください。先生の実践って、情報教育の立場から見られることって多いと思うのですが、そう見られることについてはどう思われますか?


Fig. 4 情報教育を語る吉岡さん

吉岡 : あのね、情報教育をどうとらえるかっていう問題なんだと思うんだけどね、最初にハッキリさせておかなければならないのは。

中原 : 情報教育の定義は、まぁ、文部省の見解とか個々の研究者の見解とかありますけど。

吉岡 : じゃあ、ここでは「情報メディアのリテラシーを獲得する教育=情報教育」ってことにして話を進めようか。つまり、メディアが伝えるべき「内容」はフリーで、ともかく「メ情報ディアを使いこなす能力をつけましょう」「情報メディアを理解しましょう」とするのが、情報教育なんだって言い切っちゃう人に対して、僕は、言いたいことあるんだよ。

吉岡 : 最初にはっきり言ってしまえば、そんなかたちで「内容」がフリーな情報教育なんてあり得ない、と思ってる。僕はね、内容を抜きにした情報教育っていうかさ、つまり、単にメディアを使いこなすリテラシーをつけるのが教育だなんて、僕にはわかんないね。メディアを使いこなす能力なんて、僕には全然わかんないね。もっと言えば、全然興味ないんだよ。あのさ、メディアが操作とかがわかんなかったら、そんなことは、わかっている人に聞けばいいっていうことでさ。

吉岡 : 情報とデータの違いってのは、データってのは、単なる数値なの。情報ってのは、必ず内容を含んでるものを言うわけ。これは僕が「恩師の情報科学の先生に聞いてきたことなのだから、間違いないわけ。なんちゃって冗談だけどさ。情報を受け取る側には、その情報を情報として受け取るポテンシャルが必要なんだよね。それが情報とデータの違いだってこと。そう考えるとさ、内容からフリーになるような情報教育なんてものは、あり得ない。内容がない情報教育ってものはあり得ないんだってことにはやく気づいて欲しいね。

中原 : 具体的にいうと、内容がフリーの情報教育っていうのは、たとえば、コンピュータの操作とか、ビデオの操作とか、そういうことを教えるってことでしょうか。

吉岡 : メディアと内容っていうのはよく二元論で語られるってところもあるわけよ。でも、それは分けられないってことだね。さっきも言ったけど、情報ってのはね、いろんな領域の中に、内容の中に埋め込まれてるものなんだよ。だから、内容を抜きにして、情報教育なんて存在しないね。

中原 : そう考えると、情報教育には、必ず「内容=題材」がなければならないことになりますね。たとえば、環境問題とか、科学教育とか、そういう内容がなければならない。先生がおっしゃる「情報は内容の中に埋め込まれている」っていうのは、そういう題材がまず先にあって、メディアの使い方は、その題材に依存しているってことですよね。だから、メディアの使い方だけをそこから切り出してきて、それを教えることはできないってことでしょうか。

吉岡 : そうだよ、その通りだよ。

中原 : じゃあ、具体的に先生はこの実践で、いわゆる情報リテラシーは、どう教えましたか?

吉岡 : キーボードのうちかたとか、OSの立ち上げ方とか、メッセージの入れ方とか、電源の入れかたとかは、そういうのは一時間くらいで教えましたよね。「これからこういうネットワークに参加するから」って言ってさ。これに関しては、みんなすぐにできるようになったよ。でも、その中で、まぁまぁ難しいのは、タイプだよね。でも、これは多少できる生徒がいたし、最初のうちは、僕がかわりにうつこともあったけれど、でも、すぐに自分でやるようにしむけたよね。

中原 : 具体的にどうしむけたのですか?

吉岡 : 「自分で打てよ」って。僕は忙しいんだよって(笑)。

吉岡 : で、わかんなかったときは、教えるって感じだね。でも、僕は全く苦労してないよ、このことに関しては。次第にみんなうてるようになったよ。リテラシーっていうのはね、教えたっていいと思うんだけど、そんなに大仰にかまえる必要はないと思うよ。たいしたことないんだよ、メディアの操作くらいはさ。生徒を魅了するような内容があればね、それは勝手に覚えていくよね。

吉岡 : たとえばね、具体的に、自分はこういう風にしたい、つまり、たとえばメッセージを入れて、アドバイザーと交流したいっていうような、自分にとっての「内容」があれば、自ずと、できるようになるよ。もちろん、すべてとは言えないけど、そんなに大げさに騒ぐことはないよ。それをね、内容抜きにしてさ、それだけ教えようっていうのは、ちょっとツライと思うよ。僕は、会社勤めをする前に、コンピュータの専門学校みたいなところに言って、コボルだとか習って、基本的な表とかつくったりしてたんだけど、全然わかんなかったもんね、そのときは。でもさ、会社にはいって、具体的にどういう風なシステムの中で、どのプログラムが必要とされててってことがわかってくるっていうのか、目的がハッキリしてくると、すごくよくわかるようになったよね。

吉岡 : ていうのはさ、何でも教えられると思ってるんだよね、常識では。でも、それは違うと思うんだよ。何でも「教えられる」と思いこむっていうのは、どこか怪しいんじゃないかな。これはさ、情報リテラシーの教育ってだけじゃなくて、フツウの教科にだって言えることなんだけど、どこか体系的なカリキュラムをつくれば、何でも生徒のアタマにすーっと入っていくっていうのは、常識的な考え方だと思うんだけどね。でも、僕はどうも怪しいと思うんだよね、いくら体系的にさ、教えたとしても学べないものってあるよね。学びたいって思う生徒が、学びたいものにどうかかわるかってことなんだよ、大切なのは。さっきも言ったけど、仕事のこと思い浮かべれば一番ハヤイと思うんだけどね。学びたいって思う人が目的や意味を見いだせないときは、、学べないよ。僕もさ、ホームページとか作ってるんだけど、最初は明正サイエンスネットワークのホームページっていうのは、生徒がつくったんだよ。でも、生徒が卒業しちゃったら、誰も更新する人もいなくなっちゃってさ。で、僕が作らざるを得なくなるでしょ。そうなると、学べるんだよね、はじめて。

中原 : いわゆる「情報モラル」に関しては、この実践では何か問題は起こりましたか。誹謗中傷するメールとか、猥褻なホームページへのアクセスとかはいかがでしたか。

吉岡 : YSNに関しては全くなかったね。でも、たまに全然関係ない生徒が物理室に来て、遊んでいるときはあったね。芸能人とかのホームページとかは見ていたんじゃないかな。でも、僕はそのくらいはいいと思ってるし、別に勝手にやればいいんじゃないの。だから、エッチなホームページを見るとかはなかったと思うよ。

吉岡 : 情報モラルでも、何でもそうなんだけどね、生徒に「こういうことはするな!」ってことは、先生ならば昔から言うわけだよ。先生の仕事には、そういうところもあるからね。でも、それで簡単にうまくいくくらいなら、苦労しないんだよ。結局ね、理解しようとしまいと、情報モラルというかルールは守らせなければならない。僕はね、情報モラルを教えるなって言っているんじゃないんだよ、それは大いにやらなければならないと思っている。でも、「あー、こういう風にはやっちゃいけない」っていうのは、たとえ教えようが教えまいが、非常に理解は難しいってことだね。まぁ、何でも教えられると思うと、結構やばい。

吉岡 : この実践に関しては、生徒はみんな常識的だったよ。良識があったね。

中原 : ところで、吉岡先生は、この実践を通して「情報教育の実践家」と認識されるようになりはじめたと思うんですが、それについてはいかがですか?

吉岡 : うん、どっちでもいいよ、そんなの。勝手にすればーって感じ。興味ないね。

吉岡 : でも、ほら、よくさ、僕の実践事例が「情報教育の役にたつか?」とかさ、あるいは、「総合的な学習の時間に役にたつか?」とかさ、言われちゃうわけじゃん。でも、僕、一切、そんなこと、自分の発表で言った覚えないからね。僕自身は、お上の決めたことを真に受けて研究しているわけじゃない。僕は自分がやりたい、からやってるだけだ。

吉岡 : いいかい、たとえば、「総合的な学習の時間」に関して言えば、「ある物事を学ぶってこと」はもともと総合的なんだよ。お上に言われなくたって、もともとは「学びは総合的」なわけだよね。総合的な学びは、学びの「アタリマエ」のカタチなのであって、それが今までアタリマエでなかったこと自体が問題なわけだよ。それを今更「これから総合的な学習の時間だよ」とかって上からの通達でさ。そんなこと、僕は全く興味ないんだよ。

中原 : でも、先生がどこかの場所で発表なさるとよく言われるんじゃないですか。たとえば、「吉岡先生の授業は、情報教育や総合的な学習の時間にどう役にたつんですか? それらの時間をどうやればいいのでしょうか?」などという質問がでてくると思うのですが。

吉岡 : こないだ発表したときも、聞かれたね。「吉岡先生の実践を情報教育とか総合的な学習にどう活かせばいいんでしょうか」とかさ、質問されちゃった。でも、そういうことは自分で考えなきゃダメだよね。こういうことを考える人ができない人は教員になるなって。教員で一番オモシロイのは、そういうことをつっこむところがオモシロイ。一番オモシロイことをさ、他人まかせにするんですかって言いたいね。カリキュラムをつくるっていうのが、一番オモシロイことなんだよ。そんなことを他人任せにするのって言いたいよね。

吉岡 : 自分のカリキュラムづくりを他人任せにしてもいいけど、その人は、かなりオモシロイ部分を捨ててることになるよね。本当にもったいないなーって感じだよ。

中原 : じゃあ先生のお答えはある程度予想できますが、敢えて聞かせていただきます。ところで、先生は「これから情報教育が盛んになってほしい」とかいう思いはありますか? または、これから「情報教育に取り組んでいこうとする先生方」になんか言いたいことありますか?

吉岡 : 全く興味ないね。でも、先生方に関しては、これだけは言いたいよ。あのね、よくさ、「情報教育ができなかったら日本が滅亡する」なんてことを言われて右往左往している先生方っているけど、そんなことはないのであってね。自分がやりたいときに、やればーって言いたいね。言いたいことは「やればー」ってことだけだね、そのくらいだよ。でも、あのね、組織とか、金とかうまくいったとしても、結局、コミュニケーションっていうのはそんなに簡単な問題じゃないってことだよね。学びの状況をデザインするって言っても、これも、そんなに生やさしいことじゃないってことだ。とにかく自分で悩んで苦しんで、考えなければならない。でも、それがオモシロサなんだ。言いたいことはそれだけです。

中原 : 本日は、本当にありがとうございました。先生、ビールでも飲みますか?

(この記事は2000年5月のインタビュー記録をコアデータとして、1998年6月、1998年11月、2000年6月のインタビューを補足・編集して作成しました)


NAKAHARA,Jun
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