星条旗はどこへいく:現代アメリカの教育の動向

2003/07/05 Update

 今、シアトルから東京に向かう機内にいる。今日は、アメリカの独立記念日。うーむ、クワバラ、クワバラ、なかなかデンジャラスでリスキーなフライトの真っ最中なんだな。

 ドキドキフライトの真っ最中であるが、「鉄は熱いうちに打て」「逃がした魚は泳いでる?(意味が違うか?)」ともいう。知的に愉快に過ごしたシアトルでの数日間で、僕が感じたことを、それが忘却のかなたに消え去る前に、ここに記しておきたいと思う。

 シアトルでは、NECC2003という全米の教師13000人以上が集まる国際会議に出席した。この学会、ISTEという組織が運営しており、今年で。現場の教員だけでなく、行政関係者、企業関係者などがたーくさん参加している。本当にすごい人だ。会場は、時に一種のお祭りみたいな興奮状態になることもある。

 NECC2003
 http://center.uoregon.edu/NECC/NECC2003/

 ISTE
 http://www.iste.org/

 NECC2003は日本ではあまり知られていない学会かもしれない。どちらかといえば、現場指向が強い学会があるため、日本から大学関係者があまり参加しないせいだと思われる。しかし、NECC2003は、研究を指向する者が参加しても、とってもオモシロイ学会だと思う。もちろん、別に、頼まれたたり、脅されたりされたからそういっているわけではなく、本当にそう思う。

NECC2003
   
  

   

NECC2003には1万人以上の人々があつまる。先生が中心的だが、企業関係者、行政関係者も非常に多い。キーノートスピーチなどは、スタジアムで行われる。右の写真は、実は懇親会(ウェルカムレセプション)の様子。大道芸人なども繰り出し、あたかもお祭りのよう。

  
NECC2003
   
  

   

プレゼンテーションはどの人も非常にうまい。左の写真は、アメリカ教育省の教育工学局のディレクター(局長)をつとめる、ジョン=ベリーさん。この人、ちなみに、30歳そこそこだよ。アメリカでは、大統領が替われば一定の職以上の公務員はすべて交代する。非常に機動的に政策を実行できる。

  

 確かに研究者が主体の学会ではないから、発表自体に緻密な仮説や検証が必ずしも含まれているわけではない。しかし、だからこそ「大胆」に、いい意味で「極端」に、かつ「素朴」に、今、アメリカの教育の現場で何が問題になっており、何が求められているのか、アメリカの教育がどの方向に進もうとしているのかが、鮮明にわかる。いや、会場の興奮の様子から、おのずと感じることができるのだ。アメリカの教育業界の動向の最先端を感じることができると思う。

 この学会には、エキシビジョンも同時開催される。エキシビジョンでは全米の民間教育関連企業が集結するといっても過言ではないと思う。全米の民間企業がこの会議中に様々な新たな教育サービスのプレスリリースを発表し、プレゼンテーションを行う。エキシビジョン会場は、幕張メッセのような会場で、熱心に見て回るとそれだけで1日はかかってしまうだろう。残念ながら、日本からの企業の参加は、まだあまり多くないようだが、すでに先進的ないくつかの企業は、この学会をベンチマークにしようとしているとも聞いた。来年のNECC2004は、ニューオリンズで6月21日から開催される。

 NECC2004
 http://center.uoregon.edu/ISTE/NECC2004/

 ところで、毎年1度、この学会に日本の小中学校の現場の先生を送り込み、英語でプレゼンテーションをさせるというNPO的活動を5年にわたって続けている今野絵里子さんという方がいる。今野さんは、NECCという組織をオーガナイズし、この活動を続けてきた。もちろん、活動は、今野さんのほか、日本語ベラベラのスペンス君、英語の発音と振り付けを先生方に指導してくれる山崎さんなど、たくさんのスタッフによって支えられている。

NECC2003
   
  

   

発表10分前。最後の準備中。ぞくぞくと、聴衆が集まってきたぞ。

  
NECC2003
   
  

   

左の写真は、発表5秒前の山中先生。緊張に顔がゆがんでいる。左は、NECAの今野さん。聴衆の様子、先生の発表をビデオにおさめている。

  
NECC2003
   
  

   

ちなみにNECAの活動は、様々な人々の協力でなされています。左の写真は、スペンス君。スペンス君は、日本人よりも日本語ができます。お助け.COMという会社を経営している。右の写真は英語の発音と振り付けをやってくれた山崎さん。

  
NECC2003
   
  

   

左の写真は、中島先生。さかあがりをできない子どもに、アニメーションを使ってできるようにするという実践。右は山中先生。テレビ会議を使った交流学習について。両先生ともに、楽しそうに発表なさっている様子が印象的である。

  
NECC2003
   
  

   

発表終了後、記念撮影。めでたし、めでたし。ホッとした瞬間でした。

  

 今年の発表者は、和歌山県熊野川町立熊野川小学校の山中昭岳先生と、大阪市立生魂小学校の中島清貴先生であった。山中先生は、テレビ会議を用いた交流学習について、中嶋先生はFLASHアニメーションをつかった逆上がりの指導についてのプレゼンだった。お二人は、国内のコンペティションに勝ち残り、NECAで発表なさった。会場は笑いとうなずきがたえず、非常にステキな発表であった。その詳細は、NECCのサイトでごらんいただきたい。

 山中先生のホームページ
 http://www.akisnet.com/

 中島先生のホームーページ
 http://plaza10.mbn.or.jp/~taiiku/

 NECCのサイト
 http://www.neca.gr.jp/opening.html

 ところで、今回僕がこの学会に参加できたのは、今野さんから機会をいただいたからだ。日本からのICT教育の現状を短くブリーフィングすること、二人の現場の先生を聴衆に紹介すること、二人の現場の先生方のプレゼンテーションをブラッシュアップする活動に参加すること、が僕の役目だった。いずれも、身に余る大役ではあったが、何とかかんとかつとめさせて頂くことができた。今、正直ホッとしている。

 NECAでは、自分たちの発表のみならず、同時に開催されているエキシビジョン、様々なシンポジウムに参加させて頂いた。以下、そこで僕が感じた感想を述べる。


■すべてはNo Child Left Behind (NCLB)のもとに

 何をさしおいても、現在の、アメリカの教育界を語る上で、この言葉だけははずせない。日本語にすれば、「落ちこぼれゼロ政策」みたいな感じになるんだろうか。

 NCLB
 http://www.nochildleftbehind.gov/

 すべての教育政策、教育財政、教育産業の提供する教育サービス、実践が、このNCLBを前提として戦略的に実行にうつされようとしている。NECAで知り合った現場の教師の一人に本音を聞いたところ、「NCLBがでた当時は、具体策が見えずとまどっていたようだが、ようやく、具体的になってきた。ただし、本当に自分の学校でそれができるのか、不安だ」とのことであった。

 

■No Child Left Behindとは?

 それではNo Child Left Behindとは具体的にどのような政策なのか?
 以下、それを簡潔に箇条書きでまとめてみよう。

▼NCLBをかたちづくる4つの基本的概念は、「結果に対するアカウンタビリティ」「科学的研究に根拠をもつことの重要性」「拡張された親の選択」「拡張された地方の権限と柔軟性」にある。

▼NCLBが提唱される背景には、「言語スキルなどは、あとから手遅れになる前に、子どもを早期に教育しなければならない」という科学的根拠がある。またもうひとつの根拠に、社会経済的な理由がある。これまでの努力、連邦教育予算の毎年の拡充にもかかわらず、高所得者層と低所得者層の子供の学力達成度の差はどんどんと開いている。また、4th gradeの子供の32%しか「読解」で優秀な成績を収めたり、確実な学力を維持できないことがわかっている。

▼「読解」と「算数」に関して、州が、すべての公立学校にかよう子どもの学習進捗をテストする。3年生から8年生までは毎年テストが行われる。10年生から12年生までの間に関しては、少なくとも1回は行う。2007年から2008年の間に関しては、3年生から5年生、6年生から9年生、10年生から12年生の間に、少なくとも1回は「科学」のテストを受けることになる。「歴史」や「地理」などのそれ以外の科目に関しては、州の判断で行う。

▼テストの結果は、親、先生、校長、教育長など様々な人々に、詳細なレポートのかたちで、公開される。

▼親は、子供のかよう学校と地域に関するレポートを見ることができる。レポートは、民族、ジェンダーなどの軸で集計されている。英語のスキル、移民のしめる割合、障害者の状況、低所得者層の占める割合などもあわせて公開される。

▼親は、レポートの結果をうけて校長に質問を行ったり、学校選択を行うことができる。なお、NCLBは積極的に学校に対する親の関与を求める政策でもある。親には、教師と話し合ったり、学校に協力することが求められている。

▼子供の学習進捗状況、弱点などは教師、校長に報告される。

▼NCLBは教師の教育力向上も求められている。すべての教師は、2005年から2006年までに「基礎基本科目」において「質のよい教師」と認められることが求められている。

▼学校にはこれまでに比べてより高額な、一定の運営資金を与える。一定以上の運営資金は、競争的資金によって獲得されなければならない。これに付随して、州と学校の学校経営に関する権限を拡大する。

▼NCLBは、科学的研究に裏打ちされた教育プログラム、教育実践を教師が実行することを求めている。科学的根拠のない教育プログラムは、できるだけ実践しないことが望ましい。科学的研究とは、統制群をとった統計検定によって信頼性が確保されたものをさす。

▼テストの結果、問題の多い学校は、下記のようなプロセスで教育の改善を行う。2年間にわたって低成績の学校は、2年間の改善計画を提出することが求められる。3年間そのままの状態だと、改善を行うよう求められると同時に、親に対して学校選択の通知が行われる。4年間そのままの状態であると、一部の教員の配置換え、カリキュラムの導入などからなる矯正プログラムが実行される。5年たってもよい成績をのこせない場合、リストラプログラムが実行される。すべての教員の置換、州や民間会社への学校経営の移譲が行われる。

 


■アメリカ教育省 教育工学オフィスのプレゼンテーション

 アメリカ教育省のプレゼンテーションでは、NCLBの方針のもとに実行される様々な教育プランについて紹介がなされた。その中で特に現在のアメリカの教育界の動向を代表しているなーと思うものを紹介する。

1. National Technology plan
 ナショナルテクノロジープランは、NCLBを実行にうつすため、いかにテクノロジーを使うか、拡充するか、というプラン。1) あらゆる授業に効果的にテクノロジーを使用すること、2)ベストプラクティスの広報活動へのテクノロジー支援を考えているとのこと。
 詳細は、下記を参照のこと。

National Technology plan
http://www.nationaledtechplan.org

 なお、National technology planの紹介の中で印象に残ったのは、Digital devide(デジタルディバイド)ならぬ「Digital disconnect」という概念であった。教師と子供の間のデジタル機器に対するスキルディバイドを指摘していた。今の子どもは、ケータイを操り、音楽はダウンロードしてきくということを、それほど奇異に感じない。そうしたデジタルに慣れ親しんだ子どもと、テクノロジーに疎い一般の教師の間には、すでにデジタル機器に対するスキルの「あべこべな関係」が出現しているという。

2. classroom TCO
 k-12における遠隔教育を促進する非営利のコンソーシアム団体「CoSN」が、教育省の援助のもと、「TCO概念を教室に導入するプロジェクト」を開始した。「TCO」とは「Total Cost of ownership(所有コスト)」のことであり、CoSNは、それを算出するツールを開発した。具体的には、教室にネットワークコンピュータやインターネットを導入したい際のコストを算出するツールのこと。 ツールは、下記のサイトで公開されている。

 CoSN
 http://www.cosn.org/
 
 Classroom TCO
 http://www.classroomtco.org/

3. Partnership for 21st century skills
 21世紀を生きる子供たちに必要なスキルを定義し、学習の中に取り入れていこうというプロジェクト。教育関係者、行政関係者、親、ビジネス、地域のリーダなど様々な人々が共同で、そうしたスキルの定義と評価を行っている。加えて、そうしたスキルを身につけるためのツールの提供を行っている。
 現在のところ、このプロジェクトはAOLタイムワーナー、DELL、シスコ、マイクロソフトなど民間企業の関係者のパートナーシップによって実施され、一部教育省がサポートを行っている。詳細は、下記のとおり。

 21 century skills
 http://www.21stcenturyskills.org

4. グラント
 今後、教育改善を目的としたプログラムや実践を開発するために、連邦政府が州を財政面から支援する場合、プログラムや実践を客観的に科学的な手法で評価することが含まれることが必要であるとのこと。

 

■肥大化するアセスメント産業

 こうした国の方針を受けて、民間の教育産業では、アセスメント支援サービス・アカウンタビリティ支援サービスなどが肥大化している。NECC2003では、ちょうど日本のe-learning worldの2倍くらいの規模でExibisionが開催されているが、民間企業のブースでは、「Assesment drives instruction」「Assenment support」などの言葉を、頻繁に目にした。
 たとえば、そうした民間企業のひとつPLATO Learningでは、NCLBの施行によって教育現場では「地方と州のゴールがあわない」「スタンダードとテキストがあわない」「知識不足」「州と地方のスタンダードがあいまいだ」などの数々の問題が生まれてきているとし、「アセスメント支援ツール」をWebにて開発したという。このツールを使えば、生徒の学力達成度を、地方・州のスタンダードにてらして把握することができ、同時に親に対して「ペアレントレポート」も発行できるという。
 同様のサービスは、複数の民間企業においても実施されている。たとえば、TOEL TESTで有名なETSでは、アセスメントを行い、アカウンタビリティを示すための複数のソリューションが提供されている。

 PLATO Learning
 http://www.plato.com/index2.asp

 ETS
 http://www.ets.org/

 ちょっと前のことになるが、知り合いの米国大学の先生にこんな話を聞いたことがある。

「最近の教育学部の学生で、一番就職がいいのは、「評価」とか「テスト」を専攻する学生だよ」

 要するに、教育産業の提供可能な有力なサービスとして、評価とかテストが注目されており、その専門性をもった人が優遇される事態が生まれているっていうことなんだろう。

 

■教師の専門性発達

  Exisibionにおいて「アセスメント」に並んで非常に特徴的だな、と思ったブースとしては、教師の専門性発達(Professional Development)のブースがある。NCLBでは、教師の質の向上も求められているが、それを大儀として「指導力をつけなアカンですよー」「ITのスキルがいりますよー」「学位をとりませんかー」というような宣伝文句をかかげる企業が多く見受けられた。もちろん、そうした教師の学習が行われる場として、Webなどが活用されることは、アタリマエのことである。

  この傾向は、2003年6月に筆者が参加した、研究系の国際会議(ED-MEDIA)でも同様だった。ED-MEDIAでは、大学のある機関がそうしたサービスを行っていた。性格はやや異なるにせよ、官民、どちらが教師の学習を支援する担い手になるのか、非常に興味深い。

 

■教育はどこに向かうのか?
 ハワードガードナーという人が著した「多元的知能(Multiple Intelligence)」という本がある。この本、筆者も翻訳に参加し、近日、日本文教出版から出版される。

 この本の10章でガードナーは、1) アメリカの教育業界が人間の能力を画一的かつ脱文脈的にとらえており、2)過度のテスト主義に陥いっていると批判している。ガードナーはその当時主張されはじめだした状況的学習論の知見をいくつか引用した上で、「文脈の中で人間の多元的な能力を評価すること」の重要性を主張した。

  この本の初版が出版されたのが、1993年。それから10年後、どうもアメリカの教育は彼の期待を全く裏切るかたちで、ちょうど、この本の主張と全く反対の方向へ、狂進しているように筆者には見受けられる。 現在のアメリカの教育、さしずめこんな風にも説明できるであろうか。

 人間の能力=学力であり、それは「商品」と同じようなものである。学校とは「工場」である。工場長(校長)は、これまでよりも自由な裁量のもとで工場の生産性をあげるため、経営に専念する。生産性をあげるためには、科学的な根拠をもったプログラム、運営をどんどんと工場に導入する必要がある。また、従業員(教師)の教育水準も向上させる必要がある。間違っても、工場を、勘や経験によって経営してはならないし、授業員の怠惰を許してはならない。非科学的であることは、工場の評価をさげ、ひいては、親会社(連邦政府)からあたえられる工場の資本を減少させる。科学的な方法は、親会社からノウハウとして提供される。

  工場は、常に評価の目に支えられている。評価はすべての商品に対して年に1度は行われる。評価の結果がわるければ、工場は改善を求められる。あまりにひどい場合には、従業員の異動も考えられるし、工場の資本のもうひとつの担い手である株主(親)から見放される危険がある。株主は、商品ひとつにつき、一年間で7000ドルを工場に基本的に投資している。株主にも見放され、それでも改善ができなかった工場のたどる末路・・・それは授業員の総入れ替えからなる徹底的なリストラクチャリングと、民間資本への委譲である。

  このように、アメリカの教育は「合理主義」「科学主義」「市場原理の導入」といういくつかの原理原則のもと、改革が進行している。その勢いは少なくとも、今回のNECC2003で見た限りは、実践的に可能な方向で、より具体的に具体的に進行しているように感じた。
 ひるがえって、日本はどうか?

  日本では「総合的な学習の時間」が本格的に実施されるようになったが、一方でそうしたカリキュラムに意義がはやくも唱えられ、「基礎基本」の必要性が叫ばれるという奇妙な混乱状態が続いている。日本の教育が今後どのような方向に進むのか、あるいは、方向を見定めぬまま、すべてはカオスの中にありつづけるのか、本格的に考える必要があるように思った。

 そうなんだ、僕らは岐路のまっただ中にいる。

NAKAHARA,Jun
All Right Reserved. 1996 -