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2005年07月26日

今、教師が熱い!

 200X年問題...

 何だか、毎年のように「X」が生まれて、ヨノナカ、問題だらけに感じる今日この頃ではあるけれど、昨今、教育業界でよく言われているのは、いわゆる「2007年問題」への対処である。

 要するに、2007年から数年にわたって、いわゆる「団塊の世代」の教師たちが、定年を迎え大量に退職となる。そして、その「穴」を埋めるべく、都市部では新卒教師の大量採用がはじまっている。

 おそらく数年後には、「望みさえすれば誰でも教師になれる状態」が生まれる。わずか10年前には、「倍率100倍」「採用1名」とか言われていたのが、ウソのような状況、いわゆる「教師全入時代」が到来するのである。

 そしてそれをあてこみ、現在、大学では「教員養成系」の学部の新設や、定員拡充があいついでいる。まさに「教員養成バブル」である。この比喩が秀逸なのは、「バブル」であるから、いつかは破綻する、ということ。今後、何年かは超売り手市場がはじまるけれど、それが永年続くわけではない、ということです。

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 しかし、この問題を聞くにつけ、かえすがえす、疑問に思うのは、「どうしてもっと計画的に教員養成ができないのかな」とい素朴な疑問である。

 7月12日の日本経済新聞によると、「今後5年間で団塊の世代の教員が辞め続け、教師3人に1人が退職する」のだという。

 でも、これって、スゴイ数字じゃない? たとえば、これが「医者」だったら大問題になると思うんだよね、だってベテランがいなくなって、数年後には、インターン出たての医者しかいませんよ、っていわれたら、ビビルわな。

 教育だって医療だって、同じです。
 当然、教育現場は、大いに混乱する可能性がある。ベテラン教師の大量退職によって、現場のコミュニケーションサーキットも崩壊するだろうし、新卒教員の指導力不足も懸念される。偏りのあるピラミッドは百害あって一利無し、のように思えてしかたがない。そして、ピラミッドの動態は十分予測可能なはずなのに、どうして、もっと前から採用を行わなかったのだろう、と、つい思ってしまうのです。

 いや、僕は教育行政の専門家ではないから、わかりませんよ。いろいろと事情はあるんだろう、とは思う。だけど、ある時期に大量に採用して、ある時期はゼロになる。これを繰り返していくと、均衡のとれたピラミッドはいつまでたってもできない。近い将来、こういう偏りがおき、現場は混乱することは、確実に予見出来るのに、有効な手だてを打たない・・・。
 さらには、ある時期に生まれた大学生は、優れた人であっても、なかなか教員になれない。だけど、ある時期に生まれた人は、誰でも望めばなれる。こういうのは、「運」もあるんだろうけど、ちょっと納得出来ないなとは思う。

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 こうした現状をよそに、塾産業は、新たなマーケットを求めて、新規サービスを展開しようとしている。教員の「授業スキルの向上」「指導力育成」ということです。

 先日、某塾が教員大学院を設立しようとしている、という動きを紹介しましたが、大手の予備校も、こうした「遅れてはならぬ」と様々なサービスを提供している。

 代々木ゼミナール 教員研修セミナー
 http://202.3.141.248/eri/tre/tre-index.html

 こうしたセミナーが成立する背景には、

 「予備校講師=授業・指導がうまい」
 「教員の授業スキル・指導力低下が深刻」

 だから

 「教員は、予備校の講師学ぶべき」

 3段論法が見え隠れしている。

 もちろん、予備校の講師の中には、高い授業スキルを有している人もいるし、その有用性は高く評価するけれども、この問題は実はもっと根深い問題をはらんでいる。

 実は、先日の日記を読んだ、ある大学院生S君がメールをくれて、その中で、いみじくも指摘していたことなんだけどね。

 塾産業・予備校による教員養成・教員研修の問題を考えると、おのずと、「教員の専門性とは何か?」「学校とは何か?」という問題にぶち当たるのですね・・・ものすごくデカイ問いに。

 だって、教員研修を行うためには、「何が教えられれば教員を研修できたことになるのか」を明確にしなくてはならないからね。

 今までこうしたものは、ほとんど、「公」で行われてきたために、こうした問いは不問に付されてた。だけど、ここに「民」のパワーが入ってくると、おのずと、「教員とは何ができる存在か」「教員につけさせるチカラとは何か」を明らかにせざるを得なくなるわけです。

 個人的には、これは、いろいろなことを考えるためのよい機会だと思っています。重要な問題ををすっとばして、もし何でもかんでも民間でということに、もしなるのだとしたら、それだけは避けなければならない、と思っていますが。

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 この問題、皆さんはどう思われますか?
 いずれにしても、今、教員が熱い。

投稿者 jun : 2005年07月26日 18:40

コメント

beatの研究会以来
なかはらさんのblogを拝見させて頂いています。

団塊の世代ってものすごく大きいものなのですね。

以前
「教師がお互いに話あって単元ごとの
解説の仕方のデータベースを作成するCSCLツール」

というのを考えていました
この話を聞いてそんなツールが必要なのかも知れないと思いました。

投稿者 西原剛 : 2005年07月28日 20:22

10年目の教員研修のカリキュラム・シラバスの改版は面白そうな話題ですね。デザイナーとしてウズウズします。自治体の研修職員の研修も労働省式の古いのですしね。こういう問題は審議会レベルでは気づかないだろうなあ。気づかなければ始まらない。明日の医学教育学会で英気を養って来ます。

投稿者 君島浩 : 2005年07月28日 11:42

いつもブログを拝見しています。

>こうした現状をよそに、塾産業は、新たなマーケットを求めて、新規サービスを展開しようとしている。教員の「授業スキルの向上」「指導力育成」ということです。

現場では、授業スキルの向上の大切さを痛感し、教師もがんばっています。しかし、実際は授業スキルだけあっても学級経営は成り立ちません。
教室には特別支援を必要としている児童やいろいろな事情の家庭の児童がいます。その対応に時間とエネルギーも使います。その他、休憩時間にはいろいろな雑務が待っています。
でも、子どもの「わかった!」という笑顔のために少しずつでも進んでいきたいと願っています。
これからもいろいろな情報をよろしくお願いします。

投稿者 現職教師2 : 2005年07月28日 09:10

はじめまして.
中原さんのBlog拝見させてもらっています.
私は,現職教員ですが,このサイトを見ながら,
現場では,わからないことを勉強させてもらっています.
同時に,理想と現実ってということをしばしば感じています.

>カリキュラムをどう作るかは、教育学部でどう研究・
>教育しているのですか。そしてそれは教育原理とい
>う理論とどうつながっているのですか

現場では,こういうことは,ある意味どうでもいいし,
知らなくても,すばらしい教育を提供できることもあります.
社会的構成主義とか…難しい教育理論など知らなくても
実際には,昔から試行錯誤されている教授法のひとつのようにも感じます.

でも,今,一番切実に感じることは,
こういうことを,じっくりと考えられる位のが時間が欲しいということです.
公務員批判のもとなのか…時代の流れなのかわかりませんが
今,教員に余裕がなく,日々の雑務で手一杯です.
むしろ,自分で必要だと思う研修すら行えません.

私は団塊ジュニアと言われる世代で,それこそ
>倍率100倍
とかいわれる時代に必死に勉強して教員になりました.
ある意味,運良く合格した10年目の教員です.
職場には自分が最年少で,上は5つも離れています.
前後がまるでいない状態です.ここで急に
>「教員養成バブル」
になって新卒教員がたくさんくることをかんがえると
恐ろしいです…

そして,今,私たちがうけている10年次研修も
ひどいものです.
大量採用のころの教師たちが
>いわゆる「団塊の世代」の教師たちが
講師になって,何日もかけて講義を行っています.
必死に勉強しなくてはならなかった私たちにとって
当然既知である内容や思いつきのような教員研修です.

こんな現職教員にとって,研修とは…
ということにも考えさせられてしまいます.
私たちにとって,本当に必要な研修とは…
>「何が教えられれば教員を研修できたことになるのか」
ということを,本当に考えさせられます.

現在,私たちは,法令で定められた日数をこなすばかりの
研修を行っています.10年目の教員が行っているのは,
動物園に行ったり,山登りをしたり,歌を歌ったり…
それこそ税金の無駄遣いと言われそうな研修と
せいぜい指導要領に書いている内容の確認です.

>「公」で行われてきたために
公で行われているものこんなものです.
反面,私には,もうそんなことはどうでもいいというくらい
毎日,現場が忙しくて,と言う状態です.

現場が教育学研究を意識した実践をできるようになったら
いいのになぁと思いながら,
このサイトを見させていただいてます…
なんだか,愚痴のようですみませんでした.
いろんなところにギャップがあるのかもしれませんね.

投稿者 通りすがりの現職教員 : 2005年07月28日 00:47

弊隊は役所なので「教育体系開発ISDとは教育の分析・設計・開発・実施・評価の総称である」と用語を定義しています。理論も必要なものはすべて引用します。教育管理や教育調達以外のすべてですから、ほぼ伝統的な教育学術とイコールと思っています。用語の定義をしない新参者が多くて済みません。教育的指導をしてください。
日本の伝統的な教育学者が猛省すべきなのは、教育学術入門書についてのニーズに応えていないことです。教員の職務像が伝わらないのです。教育学部の1~2年生はかなりロスしていると思います。
私がISDを知ったのは1990年の清水康敬先生編著の米国視察報告書です。富士通がISDを導入したのは1978年頃です。

投稿者 君島浩 : 2005年07月27日 09:11

君島さん、怒濤の4連発ですね、ありがとうございます。

医学は、数ある学問の中でも、教育方法について省察を
深めている研究領域だと思います。講演、うまくいくと
よいですね。

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>カリキュラムをどう作るかは、教育学部でどう研究・
>教育しているのですか。そしてそれは教育原理とい
>う理論とどうつながっているのですか。

教育学の中では、今も昔もカリキュラム研究はメイン
トピックです。ここでは語れぬほどの量の研究知見が、毎年、
生み出されていると思います。

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ところで、この日記を書いていると、様々な方からIDについて
質問を受けることが多いので、これについて一言。

まず、国内のIDの導入について。

数年前からIDの教科書が翻訳されたのは、つまりは、米国からIDが黒船
として来襲したかに見えるのは、国内でeラーニングが流行して、一定の
ニーズが生まれたからでしょう。その導入の過程があまりに性急すぎ、
また、あまりにその歴史をふまえず導入されたために、様々な誤解が
生じているような気がしています。

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ID自体が、教育学研究の中で非常に流行したのは、
1970年代です。それ以降は、その有用性が認識されつつも、
その限界について批判が高まりつつ、また、それを乗り
越える理論的努力がなされてきました。

国内でも多くの教育学研究者がそれに挑戦しています。
もちろん、国外でもしかりです。羅生門アプローチ、解釈学アプローチ
様々なカリキュラム研究の方法論があります。

もちろん、僕は、このことで「IDが重要じゃない」とか「IDは古い」とか
を言いたいわけではありません。それは方法論として非常に
重要だと思っています。

だけれども、教育の世界に最近興味をおもちになった企業の方と話していて、
たまに違和感を感じるのは、「ID=教育学」だと思っていらっしゃる節が
あることです。

教育学は、社会学、心理学・・・様々なディシプリンから構成される
「教育を対象とした研究領域」です。「モノをつくる研究」から「教育現場の
モノゴトを明らかにする研究」まで、いろいろなジャンルの研究があります。

一見役にたたなそうなでいて、実は役にたつ理論もあります。
一見して役にたちそうだけど、実際は役にたたないものもあります。

IDはその中でも「工学」をメタファにして構成された教育学の研究領域の
ひとつですが、それが教育学のすべてではありません。

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昨今、国内外で、様々なIDに関するレビューがなされています。
その中には、状況的学習論、学習科学の知見をIDとして扱っているものも
見受けられます。

「ID」が非常に重要なことは周知の事実ですが、背景の違う様々な理論を、
十把一絡げに「IDの範疇」にいれてしまう議論、レビューには、非常に懸念を
持っています。理論の背景となるような哲学的前提が全く異なっているものを
無理にまとめている間があります。中には、学習論と、学習支援理論をごたまぜ
にしているような議論も散見します。

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とまぁ、ID、そしてIDをめぐる国内の言説空間に関しては、いくつか思うところ
があります。だけれども、くどいようですが、僕は「IDが古い」とかいいたいわけ
では決してありません。

「IDにできること」
「IDにはできないこと」
「IDがめざすこと」
「IDがめざしていないこと」

そして、

「教育学研究にできること」
「教育学研究にできないこと」

をしっかり認識して、普及していくことが重要であると
考えています。

なかはらじゅん

投稿者 なかはらじゅん : 2005年07月26日 23:23

台風がたいしたことなくて帰宅できるかも知れないのでそろそろやめます。医学教育学セミナーを主催する岐阜大学の医学教育開発研究センターのホームページをご覧ください。
http://www.gifu-u.ac.jp/~medc/
教員にとってそのまま役立つ記事しか載っていません。こういうのは名古屋大学高等教育研究センターとここぐらいです。米国のFDセンターではこれが当たり前ですが。

投稿者 君島浩 : 2005年07月26日 20:29

怒濤の三通目です。私が金曜日に視聴にいく医学教育学会の中のワークショップ(実務指導)のプログラムをごらんください。まさに理論と実践の連携です。塾産業が講師をするような雰囲気ではありません。何しろ無料ですから。
http://jsme37th.umin.jp/precon.html
http://jsme37th.umin.jp/workshop.html
また8月末の医学教育学セミナーのプログラムも同じような雰囲気です。こちらも無料です。会場費はどうするんでしょうか。最後に学士卒の自衛隊員である私が講演するのが格調を落していますが。学士卒を講師に呼ぶというのが凄いです。
http://www.gifu-u.ac.jp/~medc/seminarworkshop/2005/05su.htm

投稿者 君島浩 : 2005年07月26日 20:20

何だか面白いですね。教育学って他の学部よりも教育はプロのはずなんですがね。カリキュラムの反省・再設計なんて、もっとも大好きなはずではないのですか。理論と実践とを料理するのも得意なはずではないのですか。カリキュラムをどう作るかは、教育学部でどう研究・教育しているのですか。そしてそれは教育原理という理論とどうつながっているのですか。米国からIDの教科書が黒船として来襲したのはどういうことなんでしょう。

投稿者 君島浩 : 2005年07月26日 20:06

医学教育学では「エビデンス・ベースド(最適な根拠を追求する)」が合言葉になっています。現場や米国大学の考えも入れています。塾産業には最適な根拠を追求する力は足りないと思います。
そもそも伝統的な教育学者は、理論派、実践派、中道派が大同団結しなかったのでしょう。医学教育学では流派を越えて団結して議論してカリキュラムを改善しつつあります。教育学カリキュラムの見直しって教員養成大学院の企画が終わって、理論と実践は別々という現状維持に決まっちゃったんでしょう。これからどうしますか。5年後に向けて米国や現場の調査でもしますか。

投稿者 君島浩 : 2005年07月26日 19:58