Essay From Lab : 「コンピュータと教育」再考の序説

「コンピュータと教育」をめぐる言説には「決まり文句」が二つある。

「決まり文句」の一つめは、「コンピュータを使えば、生徒が動機づく」ということ。二つめは、「コンピュータは道具である」ということ。

『現在のコンピュータ教育は、昔と違って、コンピュータを道具として位置づけて、コンピュータで学習者を支援することを目的としています。それに、コンピュータを使うと、生徒に動機をつけることができますしね。』

上記のような発話を、これまで僕は何度聞いたことだろう。

しかし、よく考えてみると、この発話には、決定的に「誤謬」があることに気づく。コンピュータを鉛筆とおなじような「道具」として位置づければ、それは、学習者にとって、「あって当たり前のもの」になるわけで、それを使って「外発的」に「動機づけ」を行うことはできない。また、「コンピュータで生徒を動機づける」という発想に立てば、コンピュータを「あって当たり前の道具」として位置づけることは困難になる。要するに、この二つの「決まり文句」は「トレードオフ」の関係にあるのである。

しかし、この事を見抜いて議論を進める文献はあまりに少ない。つまり、コンピュータを、「何にでも役立つ万能の箱」と単純に認識しており、「何の目的にコンピュータを使うのか?」・「なぜコンピュータでなければダメなのか?」という根本的な問題を「暗黙の前提」として無視している。

「コンピュータと教育」を考えること-それはこの種の暗黙の前提を「問い直す」ことから出発する以外に方法はないと私は考える。


NAKAHARA, Jun
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