The Long & Winding Road - 1999/06


1999/06/15 やっとひと段落

 本当に怒涛のような一ヶ月だった。東京では、研究会にでたり、人にあったりして、本当に都内をさまよっていた。深夜バスにゆられて帰阪したと思ったら、今度は、新歓コンパとやらがあって、その次の日は、さっそく富山へ。合宿にでて、研究の打ち合わせをして、プログラムを手直しして、レジュメをつくって・・・。自分では気づかなかったが、半分死んでいた。

 先日のDEE(認知科学会分科会:教育環境のデザイン)の研究会は本当に考えさせられた。のっけの発表では、高木さん(東京学芸大)がLPPのアイデンティティ問題や、コミュニティーの均質性(Uniformity)の問題について言及していた。高木さんは、僕が学部3年のころ、僕の講座の助手をなさっていた。久しぶりにお会いしたので、ご挨拶をしたら、「ホームページ、見てるよ」と言われた。すみません、雑文で。でも、うれしいです。

 最近、夏の学会ラッシュだ。科学教育学会の原稿をやっとだし終えたと思ったら、おつぎは、教育工学会だった。今年の教育工学会は、僕らの研究チーム(Learning Engineering:CSCL研究会)がはじめて迎える学会だ。がんばろう。今日、ようやくすべての手続きを終えた。

 きょうは久しぶりに研究室に遅くまでいて、ホームページの更新作業をした。いろいろなおしたけれど、どうだろう。ついこないだ、10000人を超えたので、更新作業も、ものすごい動機づいている。これからの目標は、現場の先生にも来てもらえるページをつくることだ。これまた、がんばろう。

 明日からしばらく「コモル」ことにする。 


1999/06/22 めでたい日

 きょうは、「めでたい日」だ。

 何がめでたいかは、秘密にする。すこしぐらい、秘密があってもよい。2年前の今日、僕は風呂桶をずらしてしまった。フィールドワークの前の日だった。たしか、Directorで記念ムービーもつくったな。

 今日は、「めでたい日」である。今度、丸井にでも行こう。


1999/06/24 ぴっちりよこわけはなでかにいさんの「最終講義」

 むかし、僕がまだ高校生だった頃、「それいけココロジー」という番組があった。「深層心理」をさぐる数々の「心理テスト」を用い、視聴者やゲストの「深層」をさぐるとかいう番組で、かなり視聴率があったはずだ。

「あなたに今、電話がかかってきました。さて、電話の主は誰ですか? 心に一人だけ、思い浮かべて下さい・・・・・・思い浮かべられましたね・・・・・はい、その人はあなたが「深層」でもっとも敬愛する人物です・・・(会場・お茶の間どよめく)」

 みたいな感じだったかな。

 人間は誰しも自分を「わかっていない」。そして、「わかっていない」がゆえに、「深層」をさぐられると、たとえ、その「深層の解釈」が間違っていたとしても、人は反論できない。だから、こういう類の心理テストにむかって、顔を赤らめて抗弁する人はそうそういるもんじゃない。むしろ、「へぇ、そんなもんだべか」なんて言っちゃって納得したり、それをネタに他の人とのコミュニケーションをとる方が一般的だろう。たとえ、科学的に根拠がなくても、この種の試みは、「よい物語」として機能する。そして、その「物語」によって人は癒される。そんなものは「科学的に意味がない」という反論は、もはや意味をなしていない。科学的であることを、そもそも放棄しているからだ。そういう反論は、そもそも不作法であると、僕は思う。

 先日、「ぴっちりよこわけはなでかにいさん(ナカイ・キイチファンの人すまん)」をテレビでみた。「セミダブル」とかいうTVドラマだった。「逆境の心理学」とかいう本を自分の最終講義で解説する「シーン」だった。僕も一応、心理学をほんの爪の先くらい「かじった」ことがあるから、それをそのまま受け入れたわけじゃないが、オモシロイなぁと思って見ていた。「それいけココロジー」をふと思い出してしまった。

 関係ないが、イナモリ・イズミは、僕のタイプだ。


1999/06/26 北海道

 今日、帰省の航空チケットを手配した。おいおい、はやいなぁ。もう、そんな季節かい。北海道生まれの僕にとって、真夏に「内地」にいるというのは、自殺もんだ。冷蔵庫にしばらく入れるのを忘れていた、「とろりとろけるチーズ」のように、へろへろになってしまうだろう。あれっ、固くなるんだっけ、あれって?まぁいいか。

 修士論文の進行状況は、予定通りといえば予定通りです。ただいま、文献を本格的に読み込んでいます。ソフトウェアの方は、これからバグとりです。


1999/06/28 人が「変わる」とき

 恋愛小説家という映画をビデオでみた。

名前は忘れたけれど、なんとかとかいう俳優さん扮する「恋愛小説家」がいて、そいつは、偏屈で、潔癖症で、すごいサイコなんだけれど、なぜかいつもランチをとっているレストランのウェイトレスに惚れちゃうという話だった。素直になりたいのだけれど、彼はどうしても、いつも、毒舌をはいてしまう。おかげで、周りの人からは、かなり嫌われていて、厄介者扱いされている。最初は、ウェイトレスも、そんなふうに彼を扱っていたが、重病にかかった子どもに彼がよい医者をつけてくれたり、一緒に旅行をするうちに、だんだんと、彼のことが気になってくる。

 別にそれだけだったら、それほど興味がわかなかったかもしれないし、あえてTVのスピーカーに耳をそばだてて、英語の台詞をヒアリングなんてしなかったかもしれない。非常に、印象的なシーンがあって、そのシーンがどうにも忘れられなく、結局、ヒアリングまでしてしまった。

 そのシーンというのは、恋愛小説家がウェイトレスを、はじめてレストランでの食事に誘ったとき、そのときに、告白をもとめられたときのシーンだった。彼はいう。

 You make me wanna be a better man (君のおかげでいい人間になりたくなった)

 ある人が「変わる」というとき、そんなとき、僕らは、この「変わる」というコトバをよく使うんだけれども、その「変わる」瞬間には、必ずと言っていいほど、出来事があるように思う。僕は、人が「変わる」瞬間の、そうした出来事や物語に興味をもっている。何の要素がその人を「変えた」のかは、必ずしもわかんなくてもいいなと思う。僕が知りたいのは、その出来事が、その人にどう解釈されたかなのだ。

  I want You to make me wanna be a better man.


NAKAHARA, Jun
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