The Long & Winding Road - 1999/05


1999/05/15 中原復活、不死鳥のように

 ひさしぶりの更新になる。

 といっても、遊んでいたわけでは決してない。最近は、やらなければならないことが、まさに怒涛のように次から次から僕の眼前に「ご登場」してくれる。一時は、精神的にも肉体的にもかなり「マイッテ」いたが、「マイル」のにも、もう慣れた。というか、その「マイリ具合」とつきあう方法を身体化したという方が適切なのかもしれない。元気になりました。ご迷惑をおかけしたみなさん、心配してくれたみなさん、中原は不滅です。ありがとうございました。

 先日、高校時代の同期の悪友たちに大阪で会った。みんな、大学院にいっているか、働いている。話題になったのは、「ストレスをどう解消するか」という問題だった。みんなストレスがたまっているようだ。たとえば、ある者は、たまったストレスを解消するのは、競馬だといってはばからず、ある者は衝動買いだという。毎日、ゲームセンターやカラオケにいっては酒をのみ騒いでいた、かつての「僕ら」はそこにはない。

 修士論文の件は、一応、順調と言うべきか。サーバーはたてていないものの、基本的なモジュールは、すべてコード化を終了し、基本的な動作はすべて確認した。HTTPクエーリーを生成したり、データベースとの連結をおこなう部分は、かなり苦労したが、まぁ、順調に進んでいる。いよいよ今日から、これまで開発していたネットワークのモジュールと、ローカルのインターフェースを結合する作業にとりかかる。作業は、先輩の西森男爵との協同作業になる。プログラムは、協同作業でつくるのが一番はやい。少なくとも僕にとってはそうだ。西森さん、よろしくお願いします。

 平行して理論の整理にもとりかかっている。修士論文は、まともに書くことが仮にできるとするならば、認知科学と教師教育と工学を越境するという論文になる。読む文献が膨大だ。認知科学関係は、これまで少しは読んできているので、何とかなるが、教師教育はちょっとヤバイ。でも、読み込んでいて気づいたことだが、専門用語こそ違えども、なんか結局同じ事を言っているような気もしている。がんばろう。


1999/05/16 至福のとき


採録の通知とVaioを両手に至福のときを迎えている(Photo : URASHIMA,Noriaki)

 僕はやっと卒業できた。

 日本教育工学会から投稿中だった論文が採録になったという「うれしい知らせ」が届いた。この論文は、学部時代に佐伯先生の指導のもとで執筆した卒業論文を、大幅にリニューアルしたものである。

 「おぬし、このままでは、いまいちオモシロクないぞ」「おぬしの一番言いたいことは何だ?、ひとつの論文には、ひとつの結論しか書いてはならん」「研究には、行き場のない憤りがなくてはならん、怒りのない研究は研究とはいわん」- はじめてのフィールドワーク、はじめての論文指導、そして執筆。今でもあのときの先生のことばは、はっきりと思い出せる。

 しかし、あれだけ苦労したのにもかかわらず、あれだけ先生に時間を割いてもらったのにもかかわらず、僕は、自分の納得のいく卒業論文を結局書くことができなかった。そんな思いを引きずるのはイヤだったし、何より、僕は「卒業」したかった。そんな思いで、去年の夏休みを返上して執筆したのが、この論文である。

 論文執筆にあたって、本当にいろいろな人々にお世話になりました。苅宿先生は、頼りない僕のフィールドワークを受け入れてくれました。あの頃、小学○年生だった皆さん。君らは梅雨の日でもめちゃくちゃ元気だったよね。低血圧な僕は、梅雨の日の君らの笑い声に本当にびっくりしました。「おぬし、学術論文を書け」と最初に論文執筆を勧めていただいた佐伯先生、学部時代から僕の疑問や関心に耳を傾けてくれた東大の杉本さん、茨城大学の山内さん、本当にありがとうございました。現指導教官の菅井先生、前迫先生も論文の試読していただいてありがとうございました。大阪大学の院生・学生諸氏にも大変お世話になりました。特に、西森さん、杉本さん、荒地さんには本当にご迷惑をおかけしました。親切なアドバイスと熱心な指導をありがとうございました。僕は大阪にきてよかった。

 最後に、東大の院生の堀家さん。いつも笑いの絶えない議論と、全く丁寧じゃないけど、なぜか「いいところ」をつく批評に随分助けられました。

 みなさん、本当にありがとうございました。

 僕はやっと卒業できました。

 その日は、ノートパソコン(SonyのVAIO)なんかをゲットしにいく日で、朝から「うきうき」だったのだけれども、この知らせをきいて、中原は「至福」のときを迎えました。そんな日が、ずっと続きますように。


1999/05/17 アルファ版ができそう

Figure1. スプラッシュロゴ

Figure2. Main画面

  開発中のクライアント・アプリケーションがだんだんとできてきた。このアプリケーションは、サーバースクリプトとセットになっていて、Webからのダウンロードと書き込みを一気におこなってしまうソフトウェアだ。今日は、その開発中のアルファ版の画面を公開することにしよう。まだまだ、味もそっけもない「イケてないデザイン」だ。当方の研究室M1のウラシマくんが、僕と西森男爵のつくった「Yacho」を「Yacho Pro」にヴァージョンアップしているが、彼の「必要以上のデザイン」には感服する。 ウラシマくん、デザイン、教えて。


1999/05/18 ドット欠け

 先日購入したばかりのVaioに「ドット欠け」が発覚。4つの点がいつも赤く光っている。目をこらしてみないとわからないし、液晶の構造上仕方がないことは重々承知している。バックの壁紙をちょっと工夫すれば、全くわからない。だがそれでも、それにもかかわらず、腹がたつ。おいおい、なけなしの金なのに、そりゃあねぇぜ、ソニーさん。どうも、僕は「ショップ・フレンドリーのお客」にはなれないらしい。

 最近は、やっぱり異常に忙しい。論文はださなあかんは、はたまた、書かなあかんは、ソフトのデバックはせなあかんは、文献は読まなあかんは、もうしゃれになっていない。今日は、いつものように早めの夕食を食ったあと、不夜城(Studio)で、去年の卒業生(荒地さん・松河くん)の買ってくれたエアーベッドで横になる。いい気持ちだった。ありがとう。結局、2時間も眠りほうけてしまった。

 今、午前1時をまわったところだ。よくまぁ、飽きもせず、コンピュータの前にいるもんだ。これで、僕の染色体に異常がなかったら、人類みんなも大丈夫なはずだ。


1999/05/20 サケになったVaioと歯医者の話

 さっそく購入したVaioだが、なぜか「ドッド欠け」が増えていく。液晶の構造上、仕方がないと思っていたが、もう許せない。明日、Vaioは僕の手にわたって、わずか一週間でSONYに引き取られることになった。液晶の張り替えだ。元気になって戻ってこい。豊平川でサケを放流し、4年後を待つような気分だ。

 今日は、生まれて何度めかの歯医者にいった。虫歯がひどくなってしまったからだ。どうも、虫歯と聞くと、「歯を磨いていない」と思われるかもしれないが、そんなことはない。僕は「風呂好き」であり「歯磨き好き」であり「耳かき好き」であり「爪切り好き」なのだ。歯磨きは、一日3回している。耳かきは、なんと筆箱の中にいつもしまってある。なぜ、僕が「耳かき」を常時携帯するようになったかというと、これには深い理由がある。あれは、高校1年生の模試だったと思うが、前の日に腐るほど勉強をして、その模試に備えたのだが、なんと、模試の最中に、「耳」が病気のようにかゆくなった。僕は、この病気を「急性耳かゆ病」と読んでいる。この病に犯された僕は、模試を続けることができなくなって、途中辞退した。この苦い教訓から、いつも「耳かき」を持ち歩くようになった。

 「耳かき道」を極めている僕からすれば、一般に売られている「耳かき棒」には「深剃りもの」と「浅剃りもの」がある。自分の用途にあわせて買うのがよろしい。ビギナーのくせいに「深剃りもの」を買うと、耳から「汁」がでてくるようになるので、注意が必要だ。

 おっと話が飛んでしまった。

 それにしても、歯医者はむかつく。人の歯だと思いやがって、ガリガリガリガリけずっちまう。あと、なぜか脱脂綿や金属なんかに僕は敏感に反応する。あれを、口の中にいれられると、なぜかゲロをしてしまいたくなる。異物が口の中にはいったら、ゲロをするという条件反射ができているのかもしれない。おかげで、今でこそあんまりないが、昔は飲み会で、指を2センチほど口の中にいれただけで、ゲロがでたもんだ。パブロフくんと読んでください。


1999/05/23 2週間ぶりのウメダ

 昨日はウラシマくんと、生協主催のコンピュータや家電関係のバーゲンにいってきた。開発環境を手に入れるためだ。コンピュータにはあまりお金をかけないという方針の僕だが、まぁ、仕方がない。半分あきらめに近い。ほとんど「捨て値」に近い値段で、売られているため、あんまり財布も痛くないし、まぁ、いいか。

 それにしても、安かった。エレコムのLANカードが1980円。僕の買ったソフトウェアも1980円だ。おい、そんなんで大丈夫なのか。

 そのあと、梅田のジュンク堂に行って、旭屋にいった。それにしても本が少ない。コンピュータ関係は充実しているが、教育関係、社会学関係に関しては、はっきり言って、どうしょうもないレベルだ。ジュンク堂は日本一の売り場面積をもっているというのに、同じ本はたくさん用意してあるようだが、品揃えが悪すぎる。ナンバのジュンク堂の方が全然良い。

 僕は本にうるさい。月に3万円〜5万円は本に消えている。エンゲル係数よりも書籍代の方が高い。本屋にいけば、僕はゴキゲンになる。一日中、本屋にいても全くあきない。雑誌コーナーから医学、工学、哲学など、すべての分野を一日かけて回るのが好きだ。ちなみに、僕のお気に入りの領域は、コンピュータ、教育、社会学なのだが、各書店ごとの全く品揃えが違う。コンピュータはいまやどこの書店でも一番品揃えがよいから、そんなに違いはない。教育ならば、東京お茶の水の三省堂や池袋のジュンク堂、新宿の紀ノ国屋などがよい。社会学ならば、ヤエズブックセンターか、池袋のジュンク堂などがおすすめか。

 本屋のみなさま、もっと品揃えをよくしてください。

 今日は、合計プログラミング時間が12時間を超えた。はやく終わりたい。ゆっくり本を読んで思索にふけりたい。プログラミングは、ずっとやっていると、自分がアホになったかのように思えてくる。全然勉強している気がしない。最近、いぜんよりもずっとアホになったように思う。


1999/05/28 矛盾

 最近、妙に一日が終わるのがはやい。

 午後、お昼過ぎから大学にきて、いろいろな周辺雑務をおこない、プログラミングをして、たまには原稿などを書き、5杯目の紅茶を飲む頃には、もう午前2時をゆうにまわっている。本当にはやい。前にくらべて読書の量も格段に落ちた。

 修士論文でやっていることが、どうも、これまで僕がいろいろなところで発表してきたことと矛盾することに気づく。

 「学習環境のデザイン」とはイコール「ツールのデザイン」ではない。「ツールのデザイン」と「そのツールが使われる場のデザイン」を総称するのが「学習環境のデザイン」である。だから、「ツール」だけデザインしても、それが「場のデザイン」とマッチしなければ、「ツール」と「場」がうまく協調しなければ、学習環境としては機能しない。

 これまで僕は、そんなことをフィールド研究をもとに主張してきた。

 ところが、振り返ってみて自分はどうかというと、まさに「ツールのデザイン」は行ってきたが、「場のデザイン」はしようとしていなかったことに気づかされる。まさに自説との矛盾。これは、相当に恥ずかしい。

 もう一回、最初から考えようと思う。まだ、僕に残された時間は、かなりあるから。


NAKAHARA, Jun
All Right Researved 1996 -