The Long & Winding Road - 1999/04


1999/04/07 富山大学へ

 

富山の飲み会にて

研究フィールドのことでアドバイスをいただきに富山大学を訪ねる。堀田先生をはじめとする富山大学教育学部教育実践センターの人々は、僕を温かく迎えてくれた。堀田先生は、できあがったばかりの研究構想に熱心に見てくださり、アドバイスをしてくれた。


1999/04/09 研究構想をもって

 研究フィールドにおおよそのめどがついたので、これまでの報告をかねて、研究構想を両指導教官に見せる。両教官ともゴーサインをだしてくれた。必要な機材・ソフトウェアの選定にはいるが、これがまた大変だ。ドキュメントにして申請をださなければならないが、めちゃくちゃ疲れる。一日かけてその「報告」をして、なかば死にかけ人形のようになって家に帰る。途中、西森さんにファミリーマートで偶然あった。西森さんは、これから研究室に帰るという。僕もがんばろうと思うのだが、どうしても体が研究室を拒否している。今日は寝よう。
 研究構想、あるいは概要は、以下のような感じになった。

  • 1999/04/09の研究構想(pdf書類)

  • 1999/04/10 肩こり

     今日は、大学にくるつもりはなかったのだが、家でじっとしていられなくて、足が自然と大学にむかってしまう。昨日、必要な機材・ソフトウェアを注文したがゆえに、もうあとにはひけない。そんな思いが、僕を駆り立てたのかもしれない。
     先月から具体的な手だて、すなわち、今回使用する仕掛けのプログラミングの概要については、本なんかを大量に買い込んで、十分把握しているつもりだったのだが、実際にやってみると、なかなか難しい。Yachoのプログラミングをはじめとして、僕は今年一年間でいろんな言語をかじってきた。今までは、のんびりとやっていたのだが、今回は、なるべくはやくシステムをくまなければ、データ・コレクションやデータ・アナライズに、あとで障害がでてくるだろう。昨日から肩こりがひどい。これも緊張のせいか。
     そういえば、最近あんまり休んでいないなぁ。はやく帰ろう。


    1999/04/11 おそるべしネットワーク

     ネットワークを「わかる」ことは相当難しい。
     
    単に「TCP/IPとは〜である」だとか、「HTTPで〜を処理する」とかいう命題的知識は、あんまり役にたたない。知らないよりも知っていた方がいいに決まっているが、知っているからといって、役にたつかというと、どうもそうじゃない。どうも、モノづくりプロジェクトや、管理などの実際の作業を通じて自然とわかってくるようなものらしい。
     あと、もうひとつ言えることは、ネットワークで受け渡しされる情報のことを理解しようとするときは、つとめて「パケットくん」とかいう「こびと」に「なってみる」と随分理解が助かる。クライアントからサーバーに情報をおくるときは、実際にその「パケットくん」になってみるといい。すると、うまく処理されない場合、「パケットくん」としての自分の行き場がなくなってしまうことに気づく。抽象的なものは、具体的な「自分の身体」をもって、わかるものらしい。
     今日は、春爛漫の天気だった。こんな日には、研究室にいるべきではないが、全く何もしないというのは、気が引けるので、ちょっとだけシステムのデザインをした。「パケットくん」になってみて、これからつくろうとするシステムのあいだをぐるぐるしていたら、想像以上に空しかった。
     やっぱり春の天気のよい日は、おんもで遊ぼう。そう思って、3時のおやつの時間に研究室をあとにした。


    1999/04/14 受難

     なぜか倒れてしまった。最近、東京・函館・富山・大阪といろいろとびまわっていたし、修論のことでもいろいろあったから、精神的にも肉体的にも相当疲れていたんだろうと思う。医者には「過労ですね」と言われた。今日は3日ぶりに復帰。でも、もう一回倒れるのはさすがにイヤなので、今日は大事をとることにしよう。


    1999/04/17 The Land of Confusion

     昨日は、研究室の人々と実験実習のあと桜の宮にある「大蔵省造幣局」の桜を見に行った。ここほど、桜の花が間近で見られる場所を僕は知らない。千鳥が淵の桜もいいけれど、こじんまりとしていて、桜の花びらを本当に目の前で見ることができる。縁日もでていた。
     昨日の遅れをとりもどすべく、今日は浦島君と各種セットアップをおこない、開発環境を整えた。これで、あとはモックアップの制作にかかって、コードをくむ作業がはじまるだけとなった。明日には、指導教官が北京からおかえりになるはずだ。
     フィル・コリンズがうたっていたジェネシスというバンドの曲に「The Land of Confusion(混迷の地)」という曲がある。来週からは、いよいよ本格的にコードを書いていく作業がはじまる。
     そう、混迷の地に自ら足を踏み入れようとしている。


    1999/04/19 一番楽しいとき

     おおよそ、コンピュータのソフトウェアをつくるというときに、一番楽しいのは、なによりも「つくっているとき」である。たいていのソフトウェア開発は、まず第一に設計図をかいて、インターフェースを考案し、次にコードをかき、最後にデバックを行うものであるが、このデバックという作業ほどしんどいものはない。「なんでこんなコードを書いたんやろ、俺はアホか?」という具合に、自分自身を責めるときも多々ある。 今日は、「一番楽しいとき」をすごさせてもらった。僕の中に、何の矛盾もない一日だった。


    1999/04/22 あの山を登れば海が見える

     あの山を登れば海が見える

     窓の外から見える青空、けだるい教室の雰囲気の中で、いつか教科書の中で見たフレーズをふとおもいだした。何とか、一区切りついた。Webアプリケーションの開発、研究構想、クライアント・アプリケーションの開発、いずれも急ピッチで進めている。曙光すら見えない昨日は終わった。
     あの山を登れば海が見える。


    1999/04/23 うれしかったこと

     今日、講座の3年生に声をかけられて、こんなことを言われた。

    「中原さん、なんかいまつくってるんですよね。僕らも、なんかせっかくこの講座にきたんで、モノをつくってみたいんですけど、なにからはじめていいかわかんないんですが。」

     最近、気が滅入ることも多かったけれど、すごく、ものすごくうれしかった。別に、僕に相談してきてくれたことがうれしかった訳じゃないし、モノをつくりたいという、その言葉に感心したわけでもない。でも、曖昧であるが故に可能性の開かれているその言葉からは、これから彼らが実際の教育現場にでむき、そこで何らかのsuggestionを得て、面白いクールなことをやってくれそうだなぁという予感を僕にかきたてた。
     ページのどっかにも書いたけれど、「明日まで待って、スマートなテクノロジーでバカなことをやるよりは、バカなテクノロジーでスマートなことをやる」方がずっといい。今、できるローテクで、スマートなことを一緒にやろう、僕は彼らにそう言いたい。なんか楽しいことがおこりそうな予感がした。


    1999/04/25 「おめざ」はチョコレートで・・・

     今日は日曜日。ゴールデンウィークには、少し遊ぼうと思っているので、休日返上で大学にくる。よほど、疲れているのか、なかなか布団からでてこれない。もしかすると、歳のせいか。
     こないだ腸が弱って倒れたとき、親に「あんたももう若くないんだから」と言われたことを思い出す。確かに、若い頃、僕はものすごい高血圧だった。学部のときには、「おめざ」にチョコレートを食いだし、さっさと布団をたたみ、シャワーにはいり、North Faceに身をつつんで、柏の駅まではしったもんだ。高校生のときには、氷点下20度の冬の日でも、コタツに丸くなっていることなんかなかった。常に、僕は外にいた。ところが、最近、そんなに外が寒いわけではないのに、なぜかそういう無茶ができなくなった。
     23歳にして、もう僕は歳なのか?


    NAKAHARA, Jun
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