Essay From Lab : Fragment11. Project Broadway - モノヅクリを通した情報教育

2000/06/08 Update

 深夜ごろから雨が降ってきました。ニュースによると、今週末から梅雨入りだとか。いよいよ梅雨がはじまるのですね。

 はぁ・・・

 内地に住み始めて7年になりますが、この梅雨という奴には、いつまでたっても全く慣れません。僕にとっては、暑すぎる夏よりも、風の冷たい冬よりも、一年で一番辛い季節です。
 北海道の6月といえば、澄んだ空気にカラッとした太陽の光といった具合で、一年で一番すがすがしい季節です。6月と言えば、いまや冬の「雪祭り」と並んで、北海道の代表的な祭りとなつた「ヨサコイソーラン祭り」もあります。7月にはいれば、フラノではラヴェンダーの季節になります。

 ところで、今日はモノヅクリと情報教育ということについてお話ししたいと思います。モノヅクリと聞くと、電子工作とか中学校の技術の時間を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでは電子キットとか本棚とか、そうした「モノ」でなくてもよいことにします。そうだな、ここでいう「モノ」とは「他者に鑑賞したり吟味したりできるような人工物」のことと捉えることにしましょう。こうすれば、絵だって「モノ」ですし、文章だって「モノ」になります。

 さて、「モノ」の定義ができたところで、当然、次の疑問がわいてきます。

 はて、今更、何でモノヅクリ? それも何で情報教育が関係するの?

 結論から言いますと、僕は「モノヅクリ」っていうのが、情報教育の学習の方法として注目に値するのではないのかなと思ってしまったりするわけです。もう少し詳しく言うのなら、情報メディアを使って他者と一緒に何らかの「モノ」をつくりあげていくような学習の場がオモシロイなぁと思うし、有効なのではないかなぁと思うんです。ていうか、自分で研究プロジェクトを立ち上げてみたくて仕方がないんですね。

 その理由も最初に言ってしまうと、以下のとおりです。

 モノヅクリは知識と技術とアイデンティティを一緒に学べる可能性をもっている

 はい、これだけでは全くわかりません。でも、何となく「モノヅクリ」をすると、「一粒で3度おいしいグリコ状態」が期待できるってことが想像できます。さっきのをもっと簡単に言うと、以下のようになるでしょうか。

 モノヅクリは「わかる」と「できる」と「じぶんのあり方」を一緒に学べる

 はい、これでも全然わかんない。やはり例をだして説明するのがいいようです。じゃあ、このことを説明するために、どんなカタチになるかはわかりませんが、僕がいつか立ち上げたいと思っている「モノヅクリを中核に据えた情報教育研究プロジェクト「インターネットミュージカル劇場を作ろう」を例にとってみましょう。

 「インターネットミュージカル劇場をつくろう」というのは、ちと名前が長いね。僕はプロジェクトの名前をつけることが趣味なので、ここではこのプロジェクトを「Project Season」と呼ぶことにしましょう。「ミュージカル」だから「四季(Season)」か。かなりベタだなぁ。やっぱりやめた。それじゃ、ちょっと高級感あふれる名前「Project Broadway」にしましょうか。これもベタじゃん。

 「Project Broadway」は僕が密かに暖めている情報教育プロジェクトで、現段階では僕のアタマの中だけで存在する絵空事です。「絵空事」と書くと、かなりむなしくなってきたけど、いつかやってみたいことのひとつですね。

 要するに、インターネット上にストリーミングビデオをながすサーバーをおいて、そこから自分たちで作成したミュージカルビデオを配信するってことを目的としたプロジェクトです。別にミュージカルでなくても、TV番組でもいいし、映画でもいいんですが、要するに学習者が自ら情報化社会に価値があると認められるようなコンテンツ、すなわち「モノ」をつくって、それをインターネット技術をもって配信していくことを目的とするってことです。そうしたモノヅクリの過程で情報教育しちゃおうよっていうのがポイントです。

 僕のアタマの中の計画によれば、プロジェクトは1年間にわたって行われます。まず、あるプロジェクトルームに学習者たちが集まってきました。そして、プロジェクトの目的が告げられます。さっき述べた目的がここではじめて学習者に告げられることになるんですね。

 プロジェクトの目的は、第一にミュージカルのコンテンツをつくるってことですから、一番最初に彼らはそれをつくるため、いろいろと役割分担を行う必要がありますね。台本をつくったり、カメラ撮影をしたり、衣装をつくったり、照明を探したり、編集を行ったり、音楽をつくったりという役割分担を行う必要があります。

 カメラ撮影とか照明とか編集を担当した人は、機器の使い方を覚えるのはもちろんのことですが、「演出」や「編集」の方法とか知識を勉強する必要があります。要するに「できる=技術」と「わかる=知識」を同時に学習しなければならない。知識に関しては、インターネットを検索して関連するサイトを調べたり、図書館にいって本を探したり、要するに多様なソースから情報を取捨選択する必要がありますね。

 台本や音楽を担当した学習者は、これまでのミュージカルの代表的な作品を見なければなりません。そして、セリフがどうやってつくられているか、舞台チェンジや音楽の使用がどのような間合いで効果的になされているかを知らなければならないんです。これだけでも膨大な知識が必要です。そして、その過程で彼らは、世にあふれる映像には「演出」というものがいかに盛り込まれているか、そして、それは時に観客の前で「真実」に近い「虚構」をつくりあげてしまうかを学習するでしょう。情報リテラシーというのでしょうか、少なくとも情報を批判的に見たり感じたりするようなことが少しだけできるようになったりするかもしれません。
 また、お勉強に疲れ果てた彼らは、キャッツとかオペラ座の怪人とか、日本でも頻繁に上映されている作品を見るうちに、この作品のセリフの一部や音楽の一部をパクること(関西弁でいうとペチる)を考えるかもしれません。しかし、少し冷静になって考えてみると、これは著作権とかいう問題にぶつかることに気づきます。そうなんです、すべての知的な営みには著作権という厄介なものがあって、それを他人が無断で使用することはできません。それ相応の対価(お金)を支払わなければならないんです。彼らは身をもって、いわゆる「情報モラル」とか言われるものを知っていくことになります。

 ところで、情報リテラシーとか情報モラルとかいう概念がでてきましたが、僕、よく思うんですけど、仮にこうした概念が主張するに妥当なものだとして、それを教えることってスゴク難しいと思います。悪くすれば、単に「お説教」になっちゃうからです。道徳の時間じゃないんだから、それは避けたい。じゃあ、どうすればいいかってことですが、少なくとも僕が思うのは、これらに直面せざるを得ない問題に学習者がぶつからないとダメだってことです。リテラシーとかモラルなるものがホントウに必要になってきて、その学習者にとって解決すべき問題となるとき、これらの概念ははじめて学習したり理解したりできるんじゃないでしょうか。つまり、彼らはそのときに情報リテラシーだとか情報モラルだとかいうものを自分なりに考え、つくっていくことができるのだと思います。それらの概念を教えたい人が「情報リテラシーとか情報モラルとは〜です」とかいう具合に概念の定義を行って一方向的に教えたとしても、それはホントウに「わかった」と言ってよいものか、僕は疑問を感じざるをえません。

 さて、すっかり話がそれました。かくして各役割に基づいた作業が進行し、時に全体のミーティングで役割ごとの作業の進捗状況や報告をしながら、互いに獲得した知識や技術をシェアしつつ、何とかかんとかミュージカルをつくりあげたとしましょうか。

 時にケンカもするでしょう。矛盾も噴出してきます。こうした試みを行うと「アイツのヤリカタにはついていけない」だとか「俺ならこうやる」とかいう具合に、激しく人間と人間がぶつかりあう瞬間が、必ずでてきます。しかし、これがチャンスです。アイデンティティといいましょうか、簡単にいうならば、「自分が何者であり、これから何をやりたいのか」というものは、他者との相互作用によって形成されるものだからです。時には他者から認められ、正のアイデンティティを保つこともあるでしょう。また時には他者から反発されることもあると思われます。しかし、時に励まされ、時におののきながら、アイデンティティはこのような揺らぎの中でカタチづくられていくものなのでしょう。

 さて、そうこうしているうちにミュージカルができました。その次に、問題になってくるのは、どうやってネットワークを用いて作品を配信するかってことと、誰にその作品を見てもらうかってことになります。

 前者のネットワークの配信に対しては、こちら側から学習者に提供されるのは、以下のパーツです。

CPU
メモリ
ハードディスク
CD-ROM / CD-Rドライブ
ネットワークカード
筐体+電源ユニット
必要なソフトウェアとOS
キーボードとモニタ
SCSIカード
サウンドカード
組み立てを説明する数冊の参考書
イーサーネットケーブル
ルータとハブ

 少なくともこれらのパーツが十分に学習者に与えられたとします。要するに、あんたたちの目的に従って、好きなように組み立ててくださいってことですね。

 これは経験に基づいて言いますが、コンピュータのことをわかりたいなら、コンピュータを組み立てたりバラしたりしてみるのが、一番手っ取り早いです。ネットワークがわかりたいなら、自分でネットワークをつくってみることです。ホントウに「わかって」いれば、OSが立ち上がります、パケットがとびます。「わかって」いなければ、絶対にうまくいきません。ひどいときには、お亡くなりになることもしばしです。しかし、ことコンピュータに関しては、壊すことを必然的に恐れてしまうような環境では、学習者は絶対に学べません。コンピュータに関しては、たとえ壊したとしても、「悪いの? コレシキのことで壊れるこのキカイが悪いんじゃないの?」くらいの気持ちでいた方がいいです。

 今回のプロジェクトの目的は、自分たちでつくったミュージカルをインターネット上で動画配信することですので、数台の動画配信サーバを立ち上げてる必要がありますね。ひとつのサーバに接続が集中しないようにネットワークを組み立てる必要もあります。場合によっては、ネットワークのトラフィックを拡散するために「ルーティング」とよばれる処理を行わなければならないかもしれません。物理的にイーサーネットケーブルをひいてネットワークを構築する必要もでてくるかもしれません。しかし、このような過程を通して、ネットワークやコンピュータに関する知識や技術を学習者は身をもって学んでいきます。

 次に問題になるのは、できあがった作品を「誰」に見てもらうかってことです。効果的に宣伝をうつ必要があります。要するにPRをしなければならない。それには、Webを立ち上げて、そのWebのURLを関係する機関におくって宣伝してもらうのがいいかもしれません。おっとWebサーバも必要になってきてしまいました。Webで宣伝と簡単に言いますが、「見て欲しい人」に見てもらうためには、「どのような人がどのようなサイトに集まっているか」というサイバースペースの常識も必要になってきます。
 また、せっかくWebサーバーをあげるのだったら、単に動画だけを配信するのオモシロクないですので、ここで一工夫欲しいものです。是非、この作品をメイキングする過程の写真や制作日誌もWebにして見てもらうといいと思います。おっと、HTMLとか画像処理とか、そういう知識や技術も必要になってきましたね。

 あーあー、ネットワークの知識からはじまって、果てにはWebです、HTMLです、画像処理です。必要な知識や技術はどんどん拡散していきます。しかし、社会的に意味のある活動を達成するというとき、必要になる知識や技術はどうしたってこのようにどんどんと拡張していくものです。こだわればこだわるほど、学習しなければならない項目しなければならなくなるのですね。
 どんどん学習すべき知識が増えると言っても、それらの知識や技術は、単にそれだけを取り出して「暗記」しても覚えることはできません。たいがいは無理です。人間は「意味ある活動の中」でしか学べないものですから、こういう意味のある活動の中で学んでいく必要があるようです。もちろん、すべての知識や技術を自分一人だけでカバーする必要はありません。他の学習者と一緒にそれぞれの専門性をいかした役割分担を決めて、作業を達成すればよいのです。というか、たぶん一年間でここまでの作業を達成するためには、そうせざるを得ないでしょう。

 そうこうしているうちに、実際に作品を公開しました。結構よい作品だったので、かなりのアクセスがあるようです。ネットワーク上の試みというものは、社会につたわるのも劇的に早いので、どんどん鰻登りにアクセスがあがってきます。それに従って、「あー、あの人たちは、あーいうオモシロイことをしたんだね」とかいう具合に、社会の人々から認められていきます。達成感が生まれ、自らのアイデンティティの中に、この出来事は刻まれるでしょう。

 未だ見ぬ「Project Broadway」はこんなプロジェクトです。

 さて、今までつらつらとアタマの中の妄想を書き連ねてきました。いろいろ脈絡なく書いてきましたので、わかりにくいかと思いますが、要するに言いたいことは、繰り返しになるところもありますが、以下のような感じになります。

  1. モノヅクリに人が従事するとき、それを達成するためには、そこで必要とされる知識や技術を獲得せざるを得なくなる。
  2. モノヅクリの活動はそうした知識や技術の獲得を容易にするコンテキスト(文脈や背景)を提供する可能性がある
  3. モノヅクリを通した活動は、学習者の動機や達成感を高める可能性がある
  4. モノヅクリを通した活動を複数の学習者で達成するときには、必然的にアイデンティティにかかわる問題が生じ、そうした問題の中で、アイデンティティはカタチづくられる

 オモシロイと思いませんか、このプロジェクト。
 何? 面倒くさそうだって? 金も時間もかかるって?

 面倒くさくて金も時間もかかるプロジェクト? いいじゃない。
 いつかやってみたいと思っています。絶対にやるもんねー。


NAKAHARA, Jun
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