Cool Research & Project That I Found in 1998


1998/10/25 Update


心理学と教育実践の間で

 教育を研究すると、かならず一度は自らに問わなければならない問い。それは「わたしは何のために研究するのか?」という根元的な問いです。この本は、特に心理学が教育を対象として研究する場合、いかなるスタンスで、どのような方法論を用い研究すればよいのかを探求しています。

 佐藤氏は、理論と実践の3つの関係を、それぞれ「theory into practice」・「theory through practice」・「theory in practice」とし、その問題点と可能性を論じて、「theory in practice」を探求する方法論として、アクションリサーチを提唱します。

 宮崎氏は、実践の知といわれるものを緻密に検証し、石黒氏は、心理学を実践から遠ざけたものを、心理学の分析単位-「個」にもとめ、心理学の中に息づく「個体能力主義」を批判します。

 佐伯氏は、学習の転移研究を緻密に検証し、転移研究がなぜ行き詰まったのか、どうして表象主義が破綻したのかを「歴史的」に考察しています。

 本の題名は、「心理学と教育実践の間で」ですが、教育工学にとっても、この本で批判されていることは、まさにあてはまると思います。

 最後に私見を述べます。僕は、人に専攻を聞かれるとき、いつもそのときの気分で、答えていました。「教育工学です」と答えたり、「認知科学です」と答えたりしていたのです。要するに、自分をどのようにidentifyするか、非常に悩んだ時期もあったわけです。でも、この本を読んで、これからはこう答えることにしました。

研究する<わたし>のidentityは、「認知とテクノロジーの間」あるいは「教育と工学の間」にあり、それ以上でも、それ以下でもありません。

○佐伯胖・佐藤学他 1998. 「心理学と教育実践の間で」 (東京大学出版会)



1998/10/25 Update


教育におけるコンピュータ利用の新しい方法

  -「分かちもたれた知能と学習者共同体の形成」-

 1997年のPCカンファレンス(CIEC主催)にておこなわれたワークショップを再現した本です。ワークショップでは、佐伯氏・佐藤氏の他、Roy Pea(SRI)や三宅なほみ氏らの活発なやりとりがありました。Roy Peaは、「わかちもたれた知能(Distributed Intelligence)」や「仮想学習者共同体(Virtual Community of Learners)」などの概念を、「CoVis」・「TAPPED IN」などのプロジェクトをまじえて説明していました。また、三宅氏は人間の認知過程にあわせた学習環境デザインの重要性をとき、「外化(externalization)」などの認知作用について解説しています。一見難解な認知的な概念が、非常にわかりやすく説明してある良著だと思います。

○佐伯胖他 1998. 「教育におけるコンピュータ利用の新しい方法-分かちもたれた知能と学習者共同体の形成」 (CIEC)



1998/10/29 Update


Doors of Perception 5 -PLAY-

 1998年オランダ・アムステルダムにておこなわれるカンファレンスのホームページです。「Can we play to learn ?」や「Life-Long Kindergarten」ということばが印象的です。人は学びつつ遊ぶことは可能なのでしょうか。学びのための「playful Environment」とはいったいいかなるものなのでしょうか。
 筆者がこのカンファレンスについて耳にしたのは、つい最近、ある学会でのことなのですが、非常に衝撃的でした。僕は何の根拠もなく、「学び」と「遊び」を二分法的に、全く独立したものとして考えていたのかもしれない、そういう危惧をいだいたわけです。筆者の背後仮説を問い直す機会を与えてくれた上田信行先生(甲南女子大学)にこの場をかりて感謝いたします。

 太宰治の「斜陽」という小説に「不良とはやさしさのことではないかしら?」という一節があります。

 「そもそも学びとは遊びのことではないかしら」


1998/11/17 Update

The Invisible Computer -Why Good Products Can Fail, The Personal Computer is So Complex, And Information Appliances Are The Solution -

 「Things make us smart(人を賢くする道具)」に続くD.A.Normanの最新作です。今度は、PCについてのお話です。Normanは言います。コンピュータは、いわばInfrastructureであり、Infrastructureである限りは、「invisible」であるべきだ。換言するならば、テクノロジーがシステムの中に「埋め込まれていている」ことで、ユーザーが使用している感覚をもたないような、「見えない」コンピュータであるべきなのである。人はテクノロジーを学習するのではなく、invisible technologyを「使って」、他の認知的活動を遂行したり、学習したりしなければならない。そのためには、コンピュータのデザインが、「Technology-centered design」から「User-centered design」にならなければならないのである。つまり、コンピュータは、シンプルな「information appliance」にならなければならないのだ、と。

 もちろん、ここまで言っても、まだまだ言い足りないNormanの主張は、これで終わりません。Technologyが「User-centered design」になるためには、会社や組織や開発サイクルまでも、「User-centered design」にならなければならないと述べています。

 最後にNormanは言います。「simplicity」・「versatility」・「pleasurability」がこれからのツールデザインの原則である、と。個人的には、最後の「Pleasurability」が非常に気になっています。

 PrefaceとChapter1に関しては、筆者の研究ノートを公開いたします。

  • My Research Note on "The Invible Computer"
  • ○Norman.D, A. 1998. The Invisible Computer -Why Good Products Can Fail, The Personal Computer is So Complex, And Information Appliances Are The Solution. MIT Press.


     NAKAHARA,Jun
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