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    <title>NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する</title>
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    <updated>2010-02-07T00:14:43Z</updated>
    <subtitle>中原淳（東京大学・准教授）のブログです。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。</subtitle>
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    <title>ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか？</title>
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    <published>2010-02-06T22:47:49Z</published>
    <updated>2010-02-07T00:14:43Z</updated>
    
    <summary>最近、授業などで、参加者の方同士がツイッターなどを用いて、その様子を実況中継する...</summary>
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        <name>jun</name>
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        最近、授業などで、参加者の方同士がツイッターなどを用いて、その様子を実況中継することが、よく行われるようになってきました。教師や授業者が意図的にツイッターを用いるように促すこともあります。多くは、学生や参加者が自分の意思でハッシュタグを設定して、実況中継することが多いようです。

　僕自身もやったこともありますし、僕の講演などでも参加者の方々が実況中継なさっている様子を見たことがあります。個人的には、非常に面白い試みだと思っています。

　１８世紀産業革命時、一斉授業がイギリスで発明されて以来、学習者は常に「沈黙」してきました。
　学習者は、今、沈黙を破り、声を出そうとしている。
　敢えておおげさにいえば、これは「学習革命」として考えることもできないことはないな、と思います。

　ツイッターなどで授業中につくられるもうひとつのコミュニケーションチャネルを、研究の世界では「バックチャネル」といいます。
　授業や講義がフロントチャンネルだとすれば、その背後（バック）で、もうひとつの情報チャネルが存在している。それが、いわゆるバックチャネルです。
　授業者の中には、フロントチャネルに加えて、バックチャネルでのコミュニケーションを積極的に促す人もいます。個人的には、こうした方々に共感できます。

　　▼

　しかし、同時に、考えなくてはならないな、と思うところもあります。

　僕が思うのは、「バックチャネルが活発なこと」は必ずしも「学習効果が高いこと」を意味しないのではないか、ということです。以下では話をシンプルにするために「学習効果」を「講義において扱われた概念理解」として、また「学習者」を大学学部生（１年生・２年生）に限ることにします。

　ここで僕が疑問に思っていることは「バックチャネル」がない方が、学習効果も高い可能性について深い考察を行わないまま、バックチャネルが活発化することを「よし」とすることは、「よいこと」なのかな、とも思うのです。

　正確には、ここには、４象限の「可能性」が存在します。

１．バックチャネルのやりとりも活発で、個人の学習効果も高い
　　→何の問題もありません

２．バックチャネルのやりとりは活発だが、個人の学習効果は低い

３．バックチャネルのやりとりは活性化しなかったが、個人の学習効果は高い

４．バックチャネルのやりとりは活性化せず、個人の学習効果も低い
　　→シャレになりません

　２の場合は、参加者同士がツイッターなどで非常に活発にやりとりをしていても、肝心の講義は注意が払われておらず学習効果は低いということです。３の場合は、これまでどおり学習者は沈黙しているが、学習効果は高い状態を示します。

　とかく、今は、ツイッター万歳の風潮がありますので、人は「バックチャネルが活発化していれば、よい学びができている」と考えがちです。また、「バックチャネルがいまいちだと、個人の学習効果は低かろう」と類推します。

　しかし、これは１と４の可能性にしか言及していません。残る２と３に注意が払われていないのだとすれば、ここには問題が残る気がしています。

　▼

　この問いを考察するためには、いくつもの要因を統制する必要がありそうです。例えば、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」などです。

　これらが高い場合には、既に授業の内容については見知っており、かつ、フロントチャネルとバックチャネルのコミュニケーションの情報をうまくやりとりできるので、学習効果が高まる可能性があります。

　逆に、「個人が既にもっている知識量」と「個人が既にもっている情報処理能力」が低い場合には、バックチャネルのコミュニケーションで講義内容に関する概念理解は低まってしまいます。

　また、フロントチャネルで講義を聴きながら、バックチャネルのコミュニケーションに集中する、というのは情報負荷が非常に高いので、情報処理能力の低い人には、難しい課題かもしれません。

「ツイッターでつぶやく前に、まず、講義内容を理解してよー」

　という状況が生まれかねません。

　他には、講義されている内容の違いも勘案しなければなりません。どの講義でも、バックチャネルが有効かどうかは検証する必要がありそうです。最大の課題は、「学習効果」をどのように測定するか、という問題が残ります。

　今日は「学習効果」を仮に「講義内容の概念理解」ととらえてきましたが、ここを別の基準に設定すると話は全く異なってきます。そのことは非常に慎重に考える必要があることを重ねて指摘しておきます。
　例えば、「授業の内容を「コア」にして、人とつながることが学習である」ととらえるのであれば、ツイッターでつぶやくことは、学習効果が高い、ということを意味します。

　また、学習者に関しても、注意が必要です。今日の議論では、大学の学部生と仮置きしました。これが働く大人になってくると話が違ってくるでしょう。
　働く大人は、概念理解云々よりも、人に伝え、巻きこみ、巻きこまれ、つながることによって、自分を変化させることを「学習」とおくでしょう。新たなアイデアやイノベィティブなやり方を思いつくことが「学習」とおくのなら、またさらに話が変わってきます。

　▼

　くどいようですが、僕は授業や講義中のバックチャネルの教育応用の可能性に興味をもっています。しかし、同時に、上記のような検証、あるいは、下記のような問いについて、教育関係者が本気で考えるべきだと考えています。

　ツイッターで授業中つぶやくことは、「よい学習」なのか？
　そして「よい学習」の「よさ」とは何か？

　非常に面白い問いであると思います。
        
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    <title>プレZEN!? : 書道と手書きの絵でプレゼンをしよう</title>
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    <published>2010-02-06T00:45:18Z</published>
    <updated>2010-02-06T01:05:18Z</updated>
    
    <summary> 朝から、僕は、大学です。今日は、夜遅くまで大学院の口頭試問があるのですね。朝っ...</summary>
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        <name>jun</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[ 朝から、僕は、大学です。今日は、夜遅くまで大学院の口頭試問があるのですね。朝っぱらからチャギントン（BSフジでやっている鉄道アニメ）を見ているTAKUZOには「パパ、ばいばい、また明日ねー」と言われて（泣）、寂しく家をでました。「また明日ねー」はないだろうに、、、しかも、どっか、オマエ、嬉しそうじゃねーか（笑）。

　大学では、あいまをみて、原稿を書いたり、月曜日のプレゼン準備をしています。原稿につまれば、プレゼンをつくり。プレゼンをつくれば、原稿をつくり。その繰り返しでございます。

　　▼

　小生、プレゼンをつくるのは「嫌い」ではありません。僕のプレゼンをお聞きいただいた方でしたらおわかりいただけると思うのですが、僕はプレゼンで習字や手書きの絵をよく使います。プレゼンに「内容のなさ」を補うために（泣）、やむなく「小手先の演出」を駆使するのです（笑）。

　リアルに書道をして、リアルに手書きで絵を描いて、スキャナでとりこみます。そうこうしているうちに、あっという間に時間がたって、「あべし、ひでぶー、あわゆび」という感じですね（笑）。

　例えば、書道なら、こんな感じです。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="oshinagaki.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/oshinagaki.jpg" width="116" height="300" class="mt-image-none" style="" /></span>

　ちゃんと、自前の篆刻も用意しております。これは台湾でつくってもらったものを、スキャナで取り込みました。たしか1000円くらいでした。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="tenkoku_nakahara.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/tenkoku_nakahara.jpg" width="200" height="199" class="mt-image-none" style="" /></span>

　　▼

　お絵かきもいたします。
　下記は、いわゆる「導管モデル」です。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="doukan_model.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/doukan_model.jpg" width="164" height="300" class="mt-image-none" style="" /></span>

　これは正統的周辺参加です。なぜか、先輩が「みやげ寿司」をもって、酔っぱらっているところがポイントでございます。意味は全くございません。
　何、表現されている内容が、LPPの概念と同じじゃない？　いいんです、細かいことは。LPPが何たるかを、手書きの絵で完全に表現できるわけがないんだから。
　気にしない、気にしない、一休み、一休み（一休さんのナレーション風に読んでください）

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="community_Learner.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/community_Learner.jpg" width="308" height="249" class="mt-image-none" style="" /></span>

　というわけで、、、

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kan_desu.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/kan_desu.jpg" width="200" height="219" class="mt-image-none" style="" /></span>

　▼

　プレゼンで、書道とか、手書きの絵とかを使っていると、よく言われるのが「中原さんは書道とか、絵が、子どもの頃からうまかったんでしょ」ということです。

　・
　・
　・
　・
　・

　そうだったらよかったのですが、全くそんなことはありません。「図工」も「書道」も「３」。ひどいときには「２」を食らったこともあります、、、そりゃそりゃ、惨いものでした。

　前にも言ったことがあるかもしれませんが、僕は、夏休みの絵日記が死ぬほど嫌いでした。なぜか？　そりゃ、絵を描かなくてはならないからです（文章も苦手でしたが）。なぜか僕が人の絵を描くと、「首がびよーん」と伸びたり、手がとんでもないところから出てきたりするのです。「絶望的な美的感覚」に、先生は、きっと悶絶したことでしょう。

　なら、僕は、なぜ書道や絵を描くかというと、「下手なのですが、気にしなくなってしまったから」です。子どもの頃は、「見たものがそのとおり描けず」、あんなに嫌いだったのに、大人になったら、好きになりました。

　特に、私たちは大人になると、人は、「絵は上手くなきゃ、人の前でだしてはいけない」と思いがちです。東京学芸大学の高尾先生の言葉を借りれば、「大人」になるにつれて「萎縮した子ども」化してしまうのえす。「下手だと思われようが、何だろうが、そんなもん、どーでもいいわ」とケツをまくってしまえば、もう、怖いものはありません。

　というわけで、皆さんも、書道や手書きの絵をプレゼンで使ってみませんか。特に書道はおすすめです。海外でウケます。日本のよさ、手書きのよさをいかしたプレゼン（アナログプレゼン）が、もっと増えればいいな、と思います。

　アナログプレゼン会をつくろうかな、こうなったら。
　なんか、いいネーミングじゃないな。
　・・・「禅」にひっかけて、「プレZEN」というのはどうだろう。
　なんで「禅」なのかは1ミリもわかんないけど。

　---

追伸.
　書道プレゼンの作り方です。

<a href="http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/01/post_1425.html">書道プレゼン</a><br>http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/01/post_1425.html]]>
        
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    <title>ワークショップとは言わないワークショップ</title>
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    <published>2010-02-04T03:21:56Z</published>
    <updated>2010-02-04T03:40:57Z</updated>
    
    <summary>　今、「働く大人とワークショップ」という本の原稿を書いています。 　最初は「企業...</summary>
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        <name>jun</name>
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        　今、「働く大人とワークショップ」という本の原稿を書いています。

　最初は「企業人材育成とワークショップ」というタイトルだったような気もしますが、だんだん「働く大人とワークショップ」の内容が増えてきて、どっちにしたらいいか、悩んでおります。

　このままだと「企業人材育成と働く大人とワークショップ」になっちゃうよね、、、ちょっと、オクサン、どーすんの（笑）。
　僕ね、決められないんだよね、そういうの。思わず「まーまーまー、ここは、みんなで、ひとつ仲良く」なんて言っちゃいそうになる。
　でも、「と」が三回続くのは、「意味不明子ちゃん」だよねー。一瞬、「部屋とYシャツとわたし」みたいで、レトロでいいかな、とも思ったのですが（笑）。

　　▼

　閑話休題。

　書いていて、素朴に思ったことがあります。
　よーく考えてみると、世の中には「ワークショップとは言わないワークショップ」がたくさんあるということです。

　つまりですね、「ワークショップとは銘打っていないものの、やっていることと結果を見ると、ワークショップっぽく機能してしまっている場」がたくさんあるのですね。むしろ、そっちの方が数の上では、圧倒的マジョリティであるよ。あっ、タイプミス、いきなり国籍変わっちゃった（笑）。

　　▼

　例えば、某企業の事業部単位で実施されている場。会社がオフィシャルに支援し、三十年以上の歴史のあるそれは「懇談会」という名称です。職場単位で実施しているので、その内実は、職場長の裁量にまかされています。

　もちろん、職場単位の実施ですので、職場によっては形骸化している「場」もあるでしょう。でも、それが有効に活用されているところでは、職場のしかるべきメンバーが、ファシリテーターの役割を担い（自分がファシリテータなんて思っていない）、職場のメンバーに自分の仕事を見直す機会を与えたりしています。内容の構成も非常に、ワークショップ的です。

　もちろん、こうした場は、ワークショップという名乗っているわけではありません。でも、観察者の僕の目からみたら、すごく「ワークショップ的」に見えるのです。で、それをやっている方にお伝えすると、

「僕たちがやっているのって、ワークショップっていうんですか、、ははー。そんな風な領域があるんですねー、世の中広いですなー」

　ってな感じです。

　　▼

　今日の文章、だんだん、書いていて、どうやってオチつけんのか、わからなくなってきたけど（笑）・・・あのね、要するにそういうことですよ、、、感じてください、僕の言いたいことを（笑）。

　つまり、「企業人材育成とワークショップ」でも、「働く大人とワークショップ」でも、どっちでもいいんだけど、どこからどこまでを、「ワークショップ」の範疇に含めればよいのか、わからなくなってきたってことです。

　つまりは、ワークショップを「インプット」としてとらえる のか、それとも「アウトプット」としてとらえるのか、ってことなのかな。わかんねーけど（笑）。

　前者は、「ワークショップという手法を使って、●●したら、～なりましたよー」という風にとらえること。後者は、「●●というものが既にやられていて、そこでの活動と所産は、ワークショップ的でした」と書くということ、です。僕はこの本で、どちらの立ち位置で書けばいいのかな、と悩み始めました。たぶん、これが言いたかった。

　どない？

　　▼

　まぁ、少し悩んでみます。

　でも、いわゆる「教育畑・学習畑の人」からみたら、前者の書き方の方がすっきりすると思うんだけど、きっと「現場の人」からみたら、たぶん後者だろうな、と思う。

　まぁ、だとしたら、どっちの立ち位置に僕がたつかは、おのずと答えはでているよね。

　そして人生は続く。
        
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    <title>酒井穣著「日本で最も人材を育成する会社のテキスト」を読みました！</title>
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    <published>2010-02-02T08:27:06Z</published>
    <updated>2010-02-02T08:33:48Z</updated>
    
    <summary>「蛇の健寿司」お友だち（!?）でもある、酒井穣さんの「日本で最も人材を育成する会...</summary>
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        <name>jun</name>
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        <![CDATA[「蛇の健寿司」お友だち（!?）でもある、酒井穣さんの「日本で最も人材を育成する会社のテキスト」を読みました。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=nakaharalabne-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4334035426" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

<a href="http://nedwlt.exblog.jp/">酒井穣さんのブログ</a><br>http://nedwlt.exblog.jp/

<a href="http://twitter.com/joesakai">酒井穣さんのTwitter</a><br>http://twitter.com/joesakai

<a href="http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/01/post_1634.html">こちらが蛇の健寿司です</a><br>http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/01/post_1634.html

　酒井穣さんは「課長の教科書」「新しい戦略の教科書」でベストセラーを記録し、現在は、株式会社フリービットで、人事戦略ジェネラルマネージャーをつとめている方です。
　本書は、現在のビジネス環境における「ヒト」の役割をひもときながら、酒井さんのフリービットでの人材開発の手法を広く紹介したもので、非常に面白く読むことができました。

　　▼

　本書において、酒井さんが問題にしているのは、無反省に実施され企業経営への貢献が少ない人材開発の現在についてであると思われます。
　まず本書では、「人材育成とは何のために存在するのか」から筆をおこし、「育成ターゲットをいかに選定するのか」「どのようなタイミングで育成するのか」を考察しています。グローバル化する社会の中で、なぜ「人」が大切なのか。誰もがわかっているようでわかっていないことを、丁寧に解説してくださいます。

　その後、酒井さんの矛先は、「誰が育てるのか」という人材開発のイニシアチブの問題、そして「誰に育つ責任があるのか」といいう人材発達のレスポンシビリティの問題に波及します。
　この問題は、一昨年のワークプレイスラーニング2009でも扱った問題であり、昨今、組織と個人をめぐって、せめぎ合いが生じているような気がします。

<a href="http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/11/2009_12.html">ワークプレイスラーニング2009</a><br>http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/11/2009_12.html

　最後には、株式会社フリービットにおける取り組み、「読書手当て」「社内ミニブログ」「将来の自分への手紙」「突撃☆お仕事インタビュー」「ジグソーメソッドによるインタラクティブな学習」などが紹介されます。
　随所に、最新の学習科学（例えば、ジグソーメソッドは協調学習論の考え方である）、人材育成の考え方が取り入れられていて、非常に示唆に富んでいるな、と感じました。

　　▼

　本書を読み終わり、何より重要だと思ったことは、酒井さん自身の「実践の中で考える」姿勢であると思います。

　結局、人材開発や人材育成に「王道」はありません。
　人材開発に携わる人々は - というよりは、「人」という最も予測不能で、最も不思議で、最も魅力的な存在にかかわる人々は、「動きの中で考えること」「実践を通して考えること」を迫られます。
　自社の現状を分析し、ありたい人材開発の姿を描き、人を巻き込み、時に内省しながら、アクションを起こすことが求められます。その仕事は、酒井さんが本書で述べている「リフレクティブ」ということと密接に絡み合っています。

　本書からは、酒井さん自身がリフレクティブマネジャーを体現なさっている様子がありありと伝わってきて、非常に勇気づけられました。

　---

　働く大人の学び論・成長論
　仕事の経験を積み重ね、内省する
　リフレクションをアクションにつなげる

中原淳×金井壽宏 「リフレクティブマネジャー」光文社新書！
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    <title>支援すること考：支援することの難しさ</title>
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    <published>2010-02-01T02:15:54Z</published>
    <updated>2010-02-01T02:21:27Z</updated>
    
    <summary>　最近、故あって、「支援」ということを考えさせられます。なんてことはない、今、書...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[　最近、故あって、「支援」ということを考えさせられます。なんてことはない、今、書いている原稿の一部で、「支援」がでてくるからですね（笑）。「意味深」なことなんて、僕にはないのよ。単にそれだけ。原稿書いてるから、考えざるをえないだけです。

　いやー、支援ね・・・。
　つくづく思うのは、「支援することって、難しいよなー」ということですね。いやー、原稿を書きながら、僕は、しみじみと思ってしまうんですね。いやー、難しい。

　　▼

　小橋（2000）によると、「支援」とは下記のように定義されます。

「支援とは、何らかの意図をもった他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的な他者のエンパワーメントをはかることである」

　なるほど。非常にわかりやすい、素晴らしい定義ですね。そして、この数行には、既に「支援することの難しさ」が凝縮されているように感じます。以下では、それを書いてみましょうか。

　　▼

　第一に「何らかの意図をもった他者」というところ。
　支援が「何らかの意図をもった他者に対する働きかけ」であるとするならば、大前提になるのは、支援する側は「他者が有する何らかの意図」を「把握」する必要があるということです。でも、これ、サラッと言いますが、とても難しいことだと思いませんか。

　だって、他者が「自分の意図」を把握していない場合だってありうるわけですよね。特に若年であればそうですよね。

「オレ、何していいか、わかんないっす、よろしくっす」

　みたいな人、いそうですよね。
　でも、意図を理解しないことには支援にはならない。ということは、そういう状態でも、支援するということは、「他者の意図」を「共同構築」「共同探索」するということと同義になりますよね・・・うーん、気が遠くなる。

　こんな場合もありうるでしょう。相手は確かに「意図」をもっている。でも、その「意図」が「誰の目」から見ても、イケてない。耳にしたとたん「ピキー」と秘孔をつかれたような気持ちになってしまうくらい、イケてない「他者の意図」をどうしたらよいのか。
　つまり、「あなたが一応は理解した他者の意図」が、あなたから見て「腹落ち」するかどうかは別問題なのです。

　「他者の意図」が、たとえば、下記のようだったら、あなたは、どうしますか。

「おいおい、おまえ、その意図はないだろ、単なるエゴじゃねーの」
「おいおい、そりゃ、その意図は時代遅れだよ、そのままいったら、あんたやばいよ」

　他者のもつ意図が、そんな意図だった場合に、それを曲げることを「支援」とよぶのか、それとも、あくまで「意図」にそったかたちで支援を行うことをよし、とするのか・・・皆さんだったら、どっちをとりますか？

　　▼

　次に「最終的な他者のエンパワーメントをはかる」の部分。
　これは、結局は、「他者が最終的には元気をもらって独り立ちすること」が重要だよ、ということなんでしょうか。
　
　でも、少し考えたらわかると思うんですが、これは難しいですよ。
　第一に、どのタイミングでいかに支援解除したらよいのか、わからない。

　いつも僕が思うことなのですが、「支援の難しさ」は「いつどうやって支援するか」に加えて「どのタイミングでいかに支援解除するか」にあるように思うんです。

　かつて、Kram(1988)は、それを「分離」と表現しました。分離が成功しなければ、支援者と被支援者の両者に、「気まずさ」が残りますし、支援される側も円滑な発達をとげられないといったことが起こりがちだそうです。

　いや、むしろ支援の解除、分離のときには、支援者 - 被支援者間に葛藤、否定的感情が、必然的に生じるものなのかもしれません。あんまりネガティヴなのはイヤですけど（笑）、やむを得ないし、むしろ、そうでなければ困るのかもしれないですよね。

　あとは、誰も言わないと思いますが、支援して独り立ちされてしまったら、「支援してきた側」としては、喪失感を感じませんでしょうか。
　つまり、うがった見方をすれば「支援を解除する」とは、「自分のコントロールできる人的資源をひとり失ってしまうこと」を意味するのです。

　支援関係という名のもとに「自分の仕事を助けてくれていた人」がこれまでいたとしたら、独り立ちされてしまうと、その労働力をまるごと失います。こりゃ、キツイわな。

　僕も含めて、あなたも、みんな弱い人間です。
　願わくば、「今まで支援した分、自分の仕事を助けて欲しい」と思うのが「人情」というものではないでしょうか（笑）。
　つまり、「支援を解除せず、自分に依存してくれたままの方が、自分のためにはいいんだけどなー」と思っちゃうようなことが、ないわけではない、ということです。

「あなたの成長のためなんだから、これ、大変だと思うけど、やっといて。いや、もちろん、君の成長のためを思って、僕は言っているんだよ・・・」

　という名の労働力の搾取、あるいは、象徴的暴力が、発達支援関係には作動する可能性はゼロではありません。そして、支援を解除するとは、そういう「労働力搾取をやめること」でもあるのです。

　支援する側に余裕がない場合は、そういう場合は、もしかすると、「支援解除をしない」という合理的な選択をするのかもしれない。もちろん、それでは、最後まで、支援された側は、独り立ちはできませんけれども。

　　▼
　
　支援することに関して、僕が思ったのは、こんなところです。いずれにしても、今後の職場における上司 - 部下関係を考える上で、「支援」はひとつのキーワードになりますね。エドガー・シャインさん（MIT）の翻訳本も、大変注目されているようです。

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　皆さん、どう思いますか？
　嗚呼、支援は難しい。]]>
        
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    <title>論文が読まれなくなっている!?・・・研究のカプセル化</title>
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    <published>2010-01-29T22:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-29T14:31:05Z</updated>
    
    <summary>　先日、某所にて、人文社会科学から自然科学まで、いろいろな学問分野の先生たちが集...</summary>
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        <name>jun</name>
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        　先日、某所にて、人文社会科学から自然科学まで、いろいろな学問分野の先生たちが集まる機会があった。「僕以外」は、その領域で素晴らしい成果をあげている研究者の方ばかりで、第一線を走っておられる方ばかりだった。

　会合の休み時間、ランチを食べながら、ふとしたことから、みんなの話題になったことが、これである。

「最近、論文がだんだんと読まれなくなってきているよね。」

　誰かがふともらした、この一言に、異領域の先生方が、皆、一様に「うんうん、そうだよなー」とうなづいたのは、とてもびっくりした。ひとつの領域に固有に存在する問題ではなくて、みんなの問題なのかもしれないな、と直感的に感じた。

　▼

　繰り返して言うが、彼らはそれぞれの分野で第一線を走る研究者である。決して、彼らが「怠惰であるがゆえに、論文を読まない」とか、「もう研究者として一線を退いたから論文を読まない」とか、そういうことでは断じてない。

　第一線を走るいろいろな領域の研究者が、皆が皆、同じように「論文が読まれなくなってきた」と感想をもらしているのが、非常に興味深いのである。

　理由は、いろいろあるけれど、要するにまとめるとこういうことだ。

　▼

　現在の科学は、非常に細分化されてきている。その細かさは、数十年前の比ではない。果てない細分化を繰りかえし、そもそも、同じことを探求する研究者の数が、どんどんと減っていった。

　分野によっては、研究者同士が、なるべく研究領域が重ならないように重ならないように配慮するような動きが生まれる。そうすると、同じ研究テーマを選ぶ人が、そもそも少なくなる。

　さらに細分化した領域においては、ほんの少しの先行研究との差異を、研究テーマとして選ばなければ、なかなか論文として採録されにくい。

　Publish or perishの風潮が高まり、大胆な研究テーマを選ぶより、確実に論文として掲載される、非常にミクロな研究テーマを進めるようになった。
　ゆえに、一言でいうと「重箱の隅をつつくような研究」が増えることになった。投稿される論文数自体は、比較にならないほど増えている。いわば、論文インフレーションという具合に。

　しかし、細分化し、なかなか研究テーマが重ならず、重箱の隅をつつくような研究が増えれば、その研究は「カプセル化」しはじめる。
　論文として採録されるという意味での生産性はあがるものの、他者との通行や、オーディエンスを失い始める。

　そもそも重ならないように配慮して研究テーマを設定しているから、どんどんと研究の積分性（つみあげること）は失われ、論争が失われ始める。同じテーマで論争しているくらいなら、ほんの少しの他者との差異をつくりだし、自分の土俵で勝負していた方がよっぽど生産性があがる。

　おまけに現在の高度に発達し、スピードが求められる研究環境では、「追試」というものが、そもそも行いにくい。
　細分化した諸条件を、自分のラボで完全に再現するのも一苦労だし、「追試」を行っても、あまり評価されない。
　追試を行っている暇があったら、自分の研究テーマを探求した方が生産性があがる。

　かくして、論文が、オーディエンスを失う。科学者ひとりが提起した「わたしの問題」が、「みんなの問題」にならない事態が生まれる。

　▼

　けだし、論文が読まれなくなる事態は、このように研究の高度化、細分化、さらには研究者のサバイバルストラテジー（生き残り戦略）などが密接に、かつ、複合的に絡み合って起こっている事態であるように思う。科学はさらに今後も高度化、細分化の度合いを高めていくだろう。ゆえに、このままでは、現在よりもさらに事態は深刻になることは容易に予想できる。

　誤解を避けるために言っておくが、この問題は、「研究者が社会のために役に立ちたいと思っているとか、思っていない」とか、そういう次元の問題ではない。また、細分化した領域において地道に積み重ねられる研究の価値がない、とか、あるとか、そういう次元の問題ではない。
　現在起こっている事態は、研究の高度化、細分化、そして研究者をとりまく社会的状況によって「必然的に引き起こされた結果」であると考えられる。

　もちろん、このような事態が起こっているからといって、明日あさってに論文というシステムが機能不全に陥ることはないし、論文を生産することが研究者の垂直的な発達の指標として機能することは、おそらく失われない。また、研究の生産性は今日よりも明日の方が重要になってくるだろう。

　こうした動きが、すべてのサイエンスの領域で起こっているかどうかは、僕は知らない。また、こうした問題が科学技術論や、科学技術コミュニケーションの領域で、すでに議論されているかどうかは、僕は専門外なのでよくわからない。あくまで、その場で、多くの先生方が共感した問題であった、というだけである。

　しかし、もしこの事態が、万が一、仮に様々な領域で進行している共通の事態であるとするならば、少し立ち止まって考えるべき問題であるような事態のように感じる。

　「結局、研究とは、何のために、誰のために存在するのか」

　深く考えさせられる。
        
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    <title>ツイートプロフェッサー：教師の方も学んでいる！</title>
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    <published>2010-01-29T00:29:29Z</published>
    <updated>2010-01-29T00:38:14Z</updated>
    
    <summary>　青山学院大学大学院、集中講義が終わった。「組織社会化論」「経験学習論」「職場学...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        　青山学院大学大学院、集中講義が終わった。「組織社会化論」「経験学習論」「職場学習論」「組織学習論」「越境学習論」という５つのアプローチから、「働く大人の学び」について考える、という内容であった。

　今年は20名近くの社会人大学院生が参加した。民間企業につとめる方が最も多いけれど、現役の助産師さん、学校の先生などもいらっしゃって、非常に面白かった。

　授業は、

　1)冒頭10分程度で中原からのイントロダクション
　2)基礎的文献のグループ発表
　3)中原からの補足説明
　4)グループディスカッション
　5)教室内ディスカッション

　というかたちで、講義を進めた。

　今回の授業では、僕が授業中に思ったこと、気づいたことを「Twitterでつぶやく」というのをやってみた。
　実は、教員の方も教えながら、「学ぶこと」「気づくこと」が少なくないのである。授業にのぞむとき、「Teacher as learner（学習者としての教員）として関わっている側面もある。
　で、今回の授業では、その気づきをつぶやいてみることにした。「ツイートプロフェッサー：つぶやく大学教員」を体現するのである。

　一般に、通常の授業で、教員は常に授業自体の進行を考えているために（僕の授業はインタラクションが中心なのでなおさら、、、学習者がどこから意見やアイデアがでてくるかわからないから、ものすごく緊張する）、そうやって考えたことは、忘却のかなたに消える。
　あるいは、考えたこと、気づいたことは黒板に板書することはあっても、次の時間がはじまってしまえば、すべて消されてしまう。今回は、これらをツイッターでリアルタイム＝ドキュメンテーションすることを試みた。

　Twitterをつかって「つぶやいた」おかげで、それはすべて残っているし、どこからでもアクセスすることができる。さらには、授業を受けていなかった人にもそのプロセスが見え、時にはコメントなどをもらうことができて、面白かった。

　僕のつぶやきの一部を見てみよう。

●大学院授業。私見では、組織学習論には２つの異なる理論系統が存在する。ひとつは、知識を&quot;情報伝達プロセス&quot;として見る組織学習論。ひとつは、知識を&quot;社会プロセス&quot;としてみる組織学習論である。

●元来、ウェンガーが提唱していたのは、Communities of practiceである。「Communities」という「複数」であることに注意が必要。人は、単一の組織Communityではなく、Communitiesという多層空間に生き学んでいる、という人間観がある。

●看護士さんの熟達。学生時代は、患者-看護師の1×1の看護しか行わず、また夜勤はない。しかし、現場にはいると、ナースコールが同時期に頻発し、1×nの多重課題を優先順位のもとこなすことが求められる。このリアリティショックを軽減させる取り組みがはじまっている。面白いなぁ、他人の職場は。

●「キャリア」という言葉は、アカデミアと実務の世界で定義が異なる。実務のそれは「昇進」「異動」「ポジション」。アカデミアのそれは「一生涯にわたる仕事の経験や活動や態度」（Hall 2002）。キャリアは第三者に認定されるものではない。あくまで個人が見いだし、考えるものである。

●大学院授業。文脈越境学習論。私見では、文脈越境による学習とは、「越境前の場所」と「越境先の場所」を行きつもどりつしながら、そのどちらの人にもならず、アイデンティティをうまく使い分けて、「越境前」でも「越境後」でもない、「第三の場所」を自らデザインすることである。第三の場所は、存在でも、認識でもない。越境するあなたが、デザインするものである。

　結構いろいろ考えてる風だよね（笑）、、、我ながら。
　とても面白いね。

　　▼

　来年度の青学集中講義は、夏に実施されるそうである。
　その頃、僕は何を「つぶやいている」のかな、、、と思う。
        
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    <title>学びの認知科学事典</title>
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    <published>2010-01-28T00:41:59Z</published>
    <updated>2010-01-28T00:43:15Z</updated>
    
    <summary>　東北大学の渡部信一先生が編者、青山学院大学の佐伯胖先生が監修をなさった「学びの...</summary>
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        <name>jun</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[　東北大学の渡部信一先生が編者、青山学院大学の佐伯胖先生が監修をなさった「学びの認知科学事典」（大修館）が、いよいよ発刊されます。大御所の先生たちの背後で、ひそかに、シレッと、小生も末席に加えていただき、１章を書かせていただきました。

　まだ、なぜか、AMAZONでは購入できないようですが、もしご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、手にとっていただけるとうれしいです。

　編者をなさった渡部信一先生は、非常にご苦労なさったことと思います。この場を借りて御礼申し上げます。お疲れ様でした。

<a href="http://www.ei.tohoku.ac.jp/watabe/jiten.html">「学び」の認知科学事典</a><br>http://www.ei.tohoku.ac.jp/watabe/jiten.html

　　▼

もくじ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

序章　「学び」探求の俯瞰図　　渡部信一

《１》「学び」をどう考えるか
１．学ぶことの二つの系譜　　松下良平
２．「学び」に関する哲学的考察の系譜　　今井康雄
３．江戸の学び　　辻本雅史
４．「ケアリング」としての「学び」　　生田久美子
５．学習の実験的領域･学習の社会理論のための覚書　福島真人
　
《２》子どもの「学び」
１．生活での学び　学校での学び　浜田寿美男
２．遊びと学び　麻生武
３．仲間関係の中での学び　無藤隆
４．模倣と「学び」　佐伯胖
５．「学び」の発達･生きたことばは学びの世界を拓く　内田伸子　　　　　　　　
６．障害のある子どもの学び　藤野博　

《３》生涯を通した「学び」
１．現代社会における大学生の学びとアイデンティティ形成　溝上慎一
２．大学における学びの空間　山内祐平　
３．大人の学び─熟達化と市民リテラシー　楠見孝
４．企業における学び　中原　淳　
５．老人の学び　権藤恭之

《４》「学び」のメカニズム
１．学びの脳科学･神経心理学から　山鳥重
２．学習における力学系／身体性／意識　池上高志
３．学びとワーキングメモリ　苧阪満里子・苧阪直行
４．言語の習得　辻幸夫
５．動物の学び 川合伸幸

《５》 関係と状況の中での「学び」
１．関係論的学び論･関係発達論の立場から　鯨岡峻
２．文化・歴史学派の理論とその展開　高木光太郎
３．生態学的学び：知覚と行為の相補的発展　三嶋博之
４．学びの評価　松下佳代
５．学びのデザイン･協調的な学び　三宅なほみ

《６》「学び」とテクノロジー
１．テクノロジ利用による学びの支援　　大島律子・大島純　
２．「学び」と身体空間　阪田真己子
３．認知ロボティクスにおける「学び」小嶋秀樹　
４．リソースの中に埋め込まれた学び
　　次世代ロボット創出プロジェクトの実践から　岡田美智男
５．超デジタル時代における「学び」の探求　渡部信一

おわりに　佐伯胖]]>
        
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    <title>合コンで名刺をだしたときの一言</title>
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    <published>2010-01-27T00:33:46Z</published>
    <updated>2010-01-27T01:46:09Z</updated>
    
    <summary>「うちの会社には２種類の人種がいると思っています。&quot;合コンで名刺をだしたときに女...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
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        「うちの会社には２種類の人種がいると思っています。&quot;合コンで名刺をだしたときに女の子からいわれる一言&quot;で、その２種類の人種を区別できますよ・・・」

　　・
　　・
　　・

　ある研究のインタビュー調査で、先日、耳にした若手の言葉です。
　若手のビジネスパーソンを対象にしたインタビュー調査は、ずいぶん前にもやったことがあります。35歳くらいまでの若手の方々に「自分の職場」、あるいは自分の「仕事を通じての成長」についてインタビューをさせていただいているのです。僕の腹づもりでは、3月までに、30名ほどの方にインタビューをさせていただきたいと考えています。

　　▼

　インタビューをしていると、思わず「若手のリアルな本音」が漏れてくることがあります。その中でも、何人かの方から、「会社の中には、成功経験を共有できている世代とそうでない世代がいる」という話がでてくることがあります。

　典型的には下記のようなストーリーです。

「うちの会社には２種類の人種がいると思っています。成功世代と失われた世代です。つまり、バブル期に強烈な成功体験を経験した世代と、バブル後の何もかも灰色にしか見えない若い世代です。

成功世代は、合コンにいってうちの会社の名刺を出せば、女の子から、&quot;キャー、○○さんの業界、すごいんでしょ」と言われた世代です。自分の会社や事業に絶大な自信をもっているし、それが揺るぎないものだと思っている。

でも、今、自分のような灰色世代が、合コンで、うちの会社の名刺をだしても、&quot;最近、○○くんの業界って危ないんでしょ?、大丈夫？&quot;としか言われません（笑）。こんな状況だと、若い世代は危機感をもたざるをえないんです。

でも、上の人には、そういうものがない。あと20年もあるハズのに、&quot;自分だけはまだ逃げ切れる&quot;と思っている。もっと上の世代はいいんです、、、逃げ切れますから。でも、自分とちょっと上の世代は、この時代の変化を逃げ切ることはできないんです。だって、冷静に考えても、20～30年もあるんですよ（笑）。

同じ会社でも、それだけ違うんです。でも、会社は一致団結して物事に取り組めという。でも、どうやって、みんなで、同じ未来を見据えろ、というのでしょうか」

　・
　・
　・
　
　思わず言葉を失います。

　もちろん、こうした若手の意見に100%与するわけではないですし、それが事実かどうかはわかりません。当然、上の世代も言い分はあるでしょう。世代間ギャップはいつの時代に存在しており、それをことさらにあおることは、僕の本意ではありません。

　しかし、それが複数の若手ビジネスパーソンから語られる、典型的なモティーフであることは「事実」です。

　ここで重要なことは、おそらく「合コン」ではありません（笑）。まして、誰かだけが「悪く」て、誰かだけが「よい」ということではないように思います。

　そうではなく、

「ある時期に会社や業界が上り調子だったときの成功体験をもっている世代と、成功体験をもっていない世代のあいだのギャップをいかにするか」

　ということです。その違いが、職場で起こっているさまざまな事柄、たとえば、チームワークが保てない、めざすゴールを共有できない、といったような問題に影響を与えているのかもしれません。
　
　ここで、両者の違いは、Epistemology（認識）の違いです。そして、この認識は、若い頃の経験に深くねざし、そこから「学習」されたものです。それを学習棄却（Unlearn）することは、当然、容易なことではありません。
　両者の認識の違いも「経験」にねざしているだけに（合コンで、もてた、もてなかった、という経験だとしたら、さらにやっかいかも・・・笑）、やっかいなのかもしれません
　。なぜなら、「ある人の経験」は、なかなか否定できないものだからであり、反証されるべき類のものではないからです。経験は常に絶対化しやすく、あなたの視野を、あなたに気づかれるまもなく、縛ってしまいます。

　同じ会社につとめながら、「キャー」と言われつづけてきた世代、「あんたの会社、大丈夫？」と言われている世代・・・。

「僕は、自分とは&quot;違う人種&quot;だと思っていますから」
        
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    <title>コミュニケーション不全：職場の中の孤独を克服せよ：次回Learning barのお知らせ</title>
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    <published>2010-01-24T14:07:54Z</published>
    <updated>2010-01-25T03:45:06Z</updated>
    
    <summary>========================================...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[==============================================
Learning bar＠Todai 2010

「コミュニケーション不全：職場の中の孤独」を克服せよ！
社内に「楽しく、つながり、学べる場」をつくる!?
リクルートエージェント【ちゑや】の挑戦

2010年2月12日（金曜日）午後6時00分 - 9時00分
東京大学 情報学環 福武ホール B2F
福武ラーニングシアター
==============================================

おばんでした、中原です。

（僕の故郷・北海道では、夕方他人の家を訪問したときの挨拶
は"おばんでした"です。なぜか過去形で発話されるのです）

今年最初のLearning barのお知らせです。
最初のLearning barは、2月12日に開催すること
になりました。
　
テーマは、

　「コミュニケーション不全：職場の中の孤独」を克服せよ！
　社内に「楽しく、つながり、学べる場」をつくる!?
　リクルートエージェント【ちゑや】の挑戦

です。

<a href="http://japan.zdnet.com/sp/feature/09company/story/0,3800092607,20395872,00.htm">リクルートエージェント【ちゑや】</a><br>http://japan.zdnet.com/sp/feature/09company/story/0,3800092607,20395872,00.htm

　　▼

成果主義の徹底によって、職場メンバーの「コミュニケーション」
「協力」が失われる...

中途採用が急拡大し、顔の知らない人が職場に増えていく...

ネットの浸透によって、１メートル先のメンバーも
メールでしかやりとりしない...

昨今、「職場におけるコミュニケーション不全」の問題が
取り上げられることが多くなりました。
「職場の中の気付かぬ孤独」・・・程度の差こそはあれ、
誰もがこれを経験しています。

若手の成長の問題、知識の移転の問題、イノベーションが
生まれない・・・現在、企業で生まれている課題の「根」
には、この「コミュニケーション不全」の問題が横たわっ
ていると感じます。

...とはいえ、、、この問題を何とかしようとして、

　さぁ、皆さん、コミュニケーションをしましょう！
　みんなで、和気藹々と話しましょうよ！

と声高に叫んでも、いまいち集まりは悪いですし、
盛り上がりません。

多大な費用をかけてリラックススペースやコミュニケー
ションスペースをつくっても閑散としてしまうことが少
なくありません。

誰もが、日々の雑事に追われ、「終わりなき日常」を
過ごしています。そのような人々の心を魅了する施策とは
いったいどのようなものでしょうか。
　
コミュニケーション不全・・・いったい、私たちは
何に「乾いている」のでしょうか。そして、わたしたち
には、何ができるでしょうか。

社員が集い、つながりを深め、さらには学ぶこと、
変わること、変えることのできる「場」を、いかに
社内につくりだすことができるのでしょうか。
　
今回のLearning barでは、リクルートエージェントで
【ちゑや】とよばれる活動をなさっている中村繁さんを
お招きして、この問題に対して、皆さんでディスカッション
する機会をもちたいと思います。

【ちゑや】は、社員同士が部署・肩書き・経験の差を乗り越えて
活発にコミュニケーションができる非公式の場でありながら、
会社の公式の組織図にも存在する活動です。

【ちゑや】は、「コミュニケーションしましょう！」というかけ声でも
なければ、「コミュニケーションスペース」でもない、もちろん
「研修」でもないアプローチで、この問題に迫ります。

　▼

参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、1月30日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。抽選の結果、1月31日までに参加可否をお伝え
いたします。

下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。

　　▼

　なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。

　会場を変えて、何とかこれに対応していますが、限ら
れたスペースと人的リソースの中で運営し、かつ、参加
者のバックグラウンドの多様性を確保する必要がある関
係上、すべての方々のご要望にはお答えできません。

　主催者としては心苦しい限りですが、なにとぞお許し
ください。
　
　　　　　　　主催：中原　淳（東京大学・准教授）

※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
　
　---

○主催
　NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
　エデュース・テクノロジーズ
　http://www.educetech.org/
　
　EDUCE TECHNOLOGIESは、「学び」に関する調査
　研究開発、コンサルティングを行う非営利特定
　活動法人（NPO）です。
　
　企画担当
　副代表理事　中原　淳
　
　
○共催
　東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
　- 大人の学びを科学する研究室 -
　http://www.nakahara-lab.net/
　　
　
○日時
　2010年2月12日（金曜日）
　午後5時30分　開場
　午後6時00分より午後9時00分まで実施
　
　※時間が限られておりますので、定刻通り
　に始めます。本郷キャンパスは意外に広い
　です。くれぐれも、迷子になりませんよう。
　
　
○内容（案）

　□ウェルカムドリンク
　（5時30分 - 6時00分）
　　・今回のLearning barでは、軽食、ソフトドリンク、
　　　ビール等をご用意しています。
　
　□イントロダクション
　（6時00分-6時10分）
　　　・中原　淳（東京大学）
　
　□パート１
　【ちゑや】の「場」で起きている事は何か？
              始めたキッカケは何だったのか？
　（6時15分 - 6時45分）
　（30分講演）
　　・中村繁さん（リクルートエージェント）

　・・・会社の中に存在する様々なコミュニケーションの壁
　を乗り越える【ちゑや】の活動をご紹介します。

　  ＜ようこそ先輩！＞＜ココロとカラダの元気術＞って？
 　 ＜海老原塾＞＜のりお食堂＞＜実践「匠」道場！＞って？
 　 ＜ちゑや食堂＞＜介在価値LIVE＞＜夜会＞って何？
  　Before～On～Afterに拘る理由。「動脈」ではなく「静脈」。
  　自然職「しかるべき姿を一緒に考え　自ら乗り越える」とは？

　--- bar time (15min.) ---

　□パート２
　「場」が意味する：仕事 - 自分- 職場
　　　一緒に考え 自ら乗り越える。
　（7時00分 - 7時30分）
　（30分講演）
　　・中村繁さん（リクルートエージェント）

　・・・【ちゑや】の運営をどのように行っているのか、
　そして、【ちゑや】はどのようなインパクトをもたらしているのか
　をご紹介します。

　　「職場の中の気付かぬ孤独」
　　「教育担当者は半年前の先輩」
　　「やるべき事をやってから言おう!?」
　　「公私混同は×!?」
　　「必要に迫られた会話」
　　『人となり』がコミュニケーションの密度とスピードを数百倍上げる」
　　「○○屋」「非日常」「LIVE」に拘るのは何故か？
　　「ちゃんとやらない」事が大事。
　　誰もが本来持つWants（＞Must）がエンジン。
　　越え難い壁とココから先の【ちゑや】。

　--- bar time (15min.) ---

　□お近くの方とディスカッション
　（7時45分 - 8時20分）
　（35分）
　
　□質疑
　（8時20分 - 8時50分まで）
　（30分）

　□ラップアップ
　（8時50分 - 9時00分まで）
　（10分）
　　・中原　淳（東京大学・准教授）
　
　
○場所
　東京大学 情報学環 福武ホール
　地下２Ｆ　福武ラーニングシアター
　http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html

　地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
　地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
　
　（赤門の横です）
　　
　　
○参加費
　4000円（1名さま　一般・学生）
　（講師招聘費用、会場費、飲み物、食べ物、
　　運営費等に支出いたします）

　本イベントで剰余金が発生した場合は、NPO法人 Ed
　uce Technologiesが企画する、組織人材育成・組織
　学習に関係するシンポジウム、研究会、ワークショ
　ップ等の非営利イベント等の準備費用・運営費用、
　および、研究費用に充当します。
　
　
○食事
　ソフトドリンク、ビールなどの飲み物、および
　サンドイッチ、ベーグルの軽食をご準備いたします。
　
　
○参加条件

　下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
　申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
　いるとみなします。

1.本ワークショップの様子は写真・ビデオ撮影します。
写真・動画は、NPO Educe Technologies、東京大学
中原研究室が関与するWebサイト等の広報手段、講演
資料、書籍等に許諾なく用いられる場合があります。
マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供
することがあります。

2. 欠席の際には、お手数でもその旨、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
ご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。

3.本イベントで剰余金が発生した場合は、NPO法人 
Educe Technologiesが企画する、組織人材育成・
組織学習に関係するシンポジウム、研究会、ワーク
ショップ等の非営利イベント等の準備費用・運営費
用、および、研究費用に充当します。


○どうやって参加するのか？
　
　下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
　sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
　1月29日までにお申し込み下さい


〆ココカラ======================================

　参加申し込みフォーム
　sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
　1月29日までにお申し込み下さい
　
　抽選の上、1月31日までに参加の可否をご連絡
　させていただきます

　---

　上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

○氏名：（　　　　　　　　　　　　）
○フリガナ：（　　　　　　　　　　）
○ご所属：（　　　　　　　　　　　　）
○メールアドレス：（　　　　　　　）

○業種の選択：下記の11つの属性から、あなたに
最も近いものをひとつお選びください

　1.研究者
　2.学生
　3.民間教育会社勤務
　4.民間コンサル会社勤務
　5.事業会社勤務（人事・教育部門）
　6.事業会社勤務（事業部門）
　7.個人事業主（教育・コンサル）
　8.経営者
　9.初等・中等教育の学校勤務
　10.公務員・公益法人等勤務
　11.その他

○もしあれば・・・一言コメント
（　　　　　　　　　　　　　　　　）

〆ココマデ======================================]]>
        
    </content>
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    <title>小林弘人著「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました！</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.nakahara-lab.net/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=2090" title="小林弘人著「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました！" />
    <id>tag:www.nakahara-lab.net,2010:/blog//2.2090</id>
    
    <published>2010-01-22T20:28:47Z</published>
    <updated>2010-01-22T20:30:53Z</updated>
    
    <summary>「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました。 　著者は、インターネッ...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
        <uri>http://www.nakahara-lab.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=nakaharalabne-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4862381294" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

　著者は、インターネット文化をつたえる「ワイアード」日本版を創刊し、有名人ブログ、ブログ出版などに火をつけた小林弘人さん。
　本書は、新聞社の業績不振、雑誌の相次ぐ休刊などの、いわゆるメディア不況を背景に、今後のメディア・出版業界がどのようになっていくのかを、インターネットの側面から論じたものです。

　　▼

　その主張を、僕なりに、僕の印象に残ったところを中心にまとめるとこうでしょうか（時折僕の言葉も入っています）。
　
　まず、著者は、インターネットの時代にあっては、「あらゆる組織がメディア化していく」と断言します。これを「誰でもメディア」という言葉で表現します。いわゆるマスメディアでなくても、個人から事業会社にいたるまで、あらゆる組織が「メディアになる可能性」を秘めているのです。

　そのうえで、マスメディアとパーソナルメディアの真ん中にあるような、いわゆる「ミドルメディア」、本書においては「マジックミドル」が勃興してくることを予測します。いわゆるロングテール理論でいえば、ちょうどグラフの中心あたり、トルソーにあたる部分のメディアです。

　ミドルレベルの「誰でもメディア」は、特定の分野、特定の領域を専門にした、数千人を対象としたメディアです。これまでのマスメディアが「一方的に情報を垂れ流すブロードキャスト」を志向していたのに対して、「誰でもメディア」は「ターゲットキャスト」を志向します。

　このメディアは、この数千人を対象としたコミュニティを組成し、コミュニティの「温度」を察知したうえで、コミュニティに「刺さる」コンテンツを生み出すことが求められます。また、関連する分野のメディア同士が、お互いをモニタリングしあい、ときにアライアンスを組むことが求められます。こうした連携によって、マスではなく、インフルエンサーをねらい、アテンションという資源を確保します。高度に情報が発達した時代にあっては、アテンションこそが「資源」なのです。

　他にもいろいろと面白い指摘、ハッとするようなインターネットのサービスについて書かれてありますが、だいたいこんなところでしょうか。

　　▼

　著者の指摘は、僕自身のメディアやインターネットに対して思っていることにかなり近かったですし、また、今、自分の身の回りで起きている「出来事」を説明しているような気がして、非常に共感できました。

　僕自身は、この本で取り扱っている「新聞や雑誌の死」というものには、実は、あまり興味はなく、本書を「誰でもメディアの時代を生き抜くための個人の生き方本」として読みました。

「誰でもメディア」の時代にあって、メディア化するのは、必ずしも「組織」ではなく、まさに「個人」であります。それでは、そういう時代を走り抜ける人々は、どのようなことに留意するべきなのでしょうか・・・僕自身は、本書をこういう視点から読んだということです。

　蓋し、特に「誰でもメディア」の時代にあって、さらに必要になるのは、高度な情報処理を行う能力、いわゆる「編集の力」であり、また、企画から配信までをトータルに行うことのできる「デジタルの能力」なのかな、という感想を持ちました。

　　▼

　これまではメディアというと、いわゆるマスメディアの人々だけの問題でした。しかし、「誰でもメディア化」した世界では、メディアやテクノロジーとどう向き合うのか、それをいかに利用するのかは、今を生きる「誰でも」の問題だと思います。

　自分や自分の仕事をどのようにメディア化するのか

　今、そのことが問われている気がします。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=nakaharalabne-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4862381294" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>]]>
        
    </content>
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    <title>いよいよ明日です、サードプレイスコレクション2010</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.nakahara-lab.net/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=2089" title="いよいよ明日です、サードプレイスコレクション2010" />
    <id>tag:www.nakahara-lab.net,2010:/blog//2.2089</id>
    
    <published>2010-01-22T12:55:47Z</published>
    <updated>2010-01-22T14:22:38Z</updated>
    
    <summary>　明日は、青山学院大学大学院での集中講義です。今年はなにやら20名近い受講生の方...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
        <uri>http://www.nakahara-lab.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[　明日は、青山学院大学大学院での集中講義です。今年はなにやら20名近い受講生の方がいらっしゃるようで、うれしい限りです（去年は2名）。ありがとうごぜーますだ。

<a href="http://www.gshi.aoyama.ac.jp/index.html">青山学院大学　社会情報学研究科 ヒューマンイノベーションコース</a><br>http://www.gshi.aoyama.ac.jp/index.html

　明日から早速、人材発達支援論、職場学習論の基礎的文献を読みます。どんな発表がなされるか、非常に楽しみです。

　　▼

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="thirdplace_logo.jpg" src="http://www.nakahara-lab.net/blog/thirdplace_logo.jpg" width="390" height="389" class="mt-image-none" style="" /></span>

　ところで、明日、いよいよサードプレイスコレクション2010が、六本木のスーパーデラックス（Superdelux）というクラブで開催されます。
　六本木スーパーデラックスというと、現在、ノリにのっている「ハコ＝クラブ」ですね。クラブっていっても、そのクラブじゃないのよ、、、お父さん、気をつけてね、僕も気をつけるから（笑）。
　このクラブは、多くのクリエーターが集まる「ぺちゃくちゃナイト」を実施していることでも有名です。

　サードプレイスコレクションを構想しはじめたのが去年の8月。いよいよ、ここまできたか、という感じです。

　現在、ワークショップ部の舘野君、安齋くん、牧村さんが、ヒーヒー言いながら、最終準備をしているようです。まだ大学だって・・・これから夜を徹するのでしょうか。。。でもね、かつて、学び系のイベントで、六本木のクラブで開催されたイベントがあったでしょうか。これは、彼らの挑戦でなのです。明日のイベントのハッシュタグは「#tpc2010」です。ぜひ、彼らに激励のメッセージをお願いします。

　僕も、プレゼンをつくり、衣装を注文したけれど、まだこないんだよね・・・。
　まぁ、まだまだ、いろいろやることがあります。

<a href="http://utworkshop.jimdo.com/">ワークショップ部</a><br>http://utworkshop.jimdo.com/

<a href="http://utworkshop.jimdo.com/2009/12/31/thirdplacecollection2010/">サードプレイスコレクション２０１０</a><br>http://utworkshop.jimdo.com/2009/12/31/thirdplacecollection2010/

<a href="http://www.super-deluxe.com/">六本木スーパーデラックス</a><br>http://www.super-deluxe.com/

　明日が楽しみです。

　明日のサードプレイスコレクション2010は、ハッシュタグは、「#tpc2010」にてリアルタイム実況中継がなされるようです。すでに、前夜から、いろいろつぶやいている人がいますよ！

　それでは、明日、六本木でお会いしましょう。
　おやすみなさいませ。]]>
        
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    <title>三島亜紀子著「社会福祉学の科学性：ソーシャルワーカーは専門職か」を読んだ！</title>
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    <published>2010-01-21T00:42:29Z</published>
    <updated>2010-01-21T00:43:06Z</updated>
    
    <summary>　三島亜紀子著「社会福祉学の科学性：ソーシャルワーカーは専門職か」（剄草書房）を...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[　三島亜紀子著「社会福祉学の科学性：ソーシャルワーカーは専門職か」（剄草書房）を読んだ。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=nakaharalabne-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4326602066" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

　専門職を支えるためには、科学的で網羅的な知識体系が必要だと言われている。たとえば、医者・弁護士などの専門職では、それが確立している。
　
　ソーシャルワーカーにおいても、それを確立しようとする動きがかつてあった。本書は、ソーシャルワーカーが専門職として自律しようとするプロセスを歴史的に読み解こうとする。ミシェル・フーコーのアルケオロジーを社会福祉の領域に重ね合わせようとしているようにも読める。個人的には「専門職とは何か」について考えるための良著だと感じた。

　　▼

　ソーシャルワーカーの専門職樹立は、当初、「医学」をモデルとしながら、「知識の体系化」「技術の科学化」を両輪に進行する。しかし、ポストモダンの学問的潮流（本書では、反省的学問理論）を受け、その試みに軌道修正がはかられはじめる。

　反省的学問モデルは、医学モデルを継承しようとしたソーシャルワーカーの立ち位置に、文字通りの「反省」を迫った。専門家と利用者のあいだは対等な関係とされ、両者が紡ぎ出すナラティブこそが治療と位置づけられる。

　しかし、治療とは「リスク」を抱えることである。そこに「リスク」が存在する限りにおいて、「治療」は科学的に適切な処遇を求められる。この処遇の適切性を担保するために生まれたのが、いわゆるEBM（根拠に基づく治療：Evidence-Based Medicine）であった。

　現在ソーシャルワーカーをささえる理論群は二分化されている。著者の言葉を借りるならば「片手に反省的学問理論、片手にデータに基づく権限を手にした専門家」といった具合に、一人の人間の中に拮抗する理論体系を保持しながら、日々、実践にあたっている。そして、その理論群の境界、いわゆる閾値は常に揺れ続けている。

　本書の僕なりの理解は、だいたいこんなところだろうか。

　　▼

　三島氏の「片手に反省的学問理論、片手にデータに基づく権限を手にした専門家」という指摘には、非常に共感できるところがある。僕自身がその典型的な一人だと思う。
　また、やや拡大解釈を行うのなら、自分が研究対象にしているビジネス領域の専門家像、あるいはマネジャー像においても、ソーシャルワーカーほど明示的ではないものの、両者の理論群が拮抗し、時折葛藤を起こしている状況にあるように感じる。

　「片手に物語、片手に科学をもった専門家」

　科学「だけ」を抱える、物語だけを紡ぐ「だけ」なら、矛盾や葛藤を引き受けなくてもよかったのに。しかし、もう、元いた場所には戻れない。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=nakaharalabne-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4326602066" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>]]>
        
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    <title>「他者からのフィードバック」を自らデザインする</title>
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    <published>2010-01-19T22:03:21Z</published>
    <updated>2010-01-19T22:48:19Z</updated>
    
    <summary>　近況。 　 　早朝、大学研究室へ。 　せっせと自分の仕事をこなす。ここしか、僕...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
        <uri>http://www.nakahara-lab.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        <![CDATA[　近況。
　
　早朝、大学研究室へ。
　せっせと自分の仕事をこなす。ここしか、僕の時間はない。

「職場学習論」（東京大学出版会）は書き殴り状態。何とかかんとか６章まで書き殴る。あと１章書いたら、１週目終わり。２週目以降は、加筆・修正モードに入っていく。ここまで書くと、以前の章で直さなければならないところが多々でてくる。何とか走り抜きたい。

　組織科学会、夏の学会発表の投稿原稿をつくる。手堅いけれど、結構、よい結果がでた。ようやくコツをつかんできた。

「経営行動科学ハンドブック」「学び学」（東京大学出版会）の原稿は、いまだ手つかず。引き続き頑張るしかない。

　　▼

　センタースタッフ会議。
　試験のCBT（Computer Based Test：コンピュータテスト）化が起こった場合の大学・企業へのインパクトについての議論。テストの変化は、「人物選定基準」の変化を意味する。そして、それは教育課程の内容にも、当然影響を与える。遠くない将来、大きな社会変動が起こるのかもしれない。

　　▼

　お昼、大島先生（静岡大学）とパワーランチ。大学と企業の関係のあり方などについて話をした。

　企業が必要な「人材スペック」を定義して、大学がその人材育成を「下請け」するような関係には陥らないためにはどうするか。大学が自信をもって教育的価値を社会に提案するにはどうするか、について。その場合の大学経営のあり方について議論をした。
　
　大学には、「社会に適応する人を育てる」という役割と、「社会には存在していない破壊的イノベーションを生み出す人を育てる」という、一見相反する二つの役割を担っているのかもしれない、なと感じた。どちらかひとつと言われれば、僕は後者に興味がある。

　考えさせられたランチであった。
　それにしても、この手の「大きな問い」を、信頼できる研究者の方、企業の方と、パワーランチで話すことが多い。
　そうやって、自分で機会をつくらないと、「デイリーなオペレーション」に追われてしまうから。
　残念なのは、時間が限られていることだろうか。もちろん、時間が限られているからこそ、真剣に話す、というのもあるのかもしれないけれど。

　　▼

　某大手IT企業、新人研修担当者の方が来研。数十名の新人を対象にして、自ら個別にコーチングを実施した結果、仕事をこなす能力が格段に向上した感触を得た、とのことであった。

　研修事務局として、新人の「頭」を後ろから眺めるのではなく
　新人の「顔」と向き合いたかった

　という言葉が印象的だった。
　
　　▼

　口に出せないシャドーワーク×２

　　▼

　夕方、大学院中原ゼミ。舘野君、脇本君、研究発表。

　英語文献、Bransford & schwalzの論文。専門家の熟達化と転移に関する総論を読んだ。

　ひとつの領域で熟達者になることは、その専門知識や技術を他の人に教えることにも長けていることを保証しない（Nathan & Petrosino 2003）。つまりは、専門性の高い人は、必ずしも、その専門性を教えることに得意ではない、という一文が印象的だった。

　もうひとつ印象的だったのは、専門家がフィードバックループ（自分の活動を修正するためのフィードバックを誰から得るのか）をいかにデザインするか、という話。

　よい学習者とは、自分自身の活動に対する他者からのフィードバックの機会を、自らデザインし、そこで得たフィードバックを自己の活動の変化に役立てることができる人をいう

　のかな、と思う。他者からフィードバックをもらう機会や関係を意図的に自分でデザインしなければ、自分の活動には、なかなか修正がかからない。

　・・・ここまで考えて、これは、どこかで聞いたことがあるフレーズだなと感じた。

　自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。

　某Ｒ社創業者の言葉である。
　厳密にいうとちょっと違うけれど、まぁ、細かいことは気にせず、学習研究とＲ社の理念に「つながり」のようなものを感じた。
　　
　　・
　　・
　　・

　フィードバックループといえば、そういえば、自分も昔、こんなことをブログに書いていた。自分は「緊張屋」「情報屋」「熟慮屋」という３タイプの人たちと一緒に仕事がしたい、という話。

<a href="http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/05/post_1502.html">緊張屋、情報屋、熟慮屋 : あなたの周りには「どんな人」がいますか？</a><br>http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/05/post_1502.html

　今となっては「安息屋：ホッとさせてくれる人」という人にもいてほしいな、と漠然と思う（笑）。

　ゼミ修了。
　
　　▼

　大学院ゼミの飲み会へ参加。
　先日、修士論文を提出した皆さんの慰労をかねて、一献。

　そして人生は続く。

　明日は早朝、西へ移動。]]>
        
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    <title>Twitter能力論!?：トイカケラビリティ、ツッコマラビリティ、ツナゲラビリティ、マメラブル</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.nakahara-lab.net/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=2/entry_id=2086" title="Twitter能力論!?：トイカケラビリティ、ツッコマラビリティ、ツナゲラビリティ、マメラブル" />
    <id>tag:www.nakahara-lab.net,2010:/blog//2.2086</id>
    
    <published>2010-01-18T23:24:04Z</published>
    <updated>2010-01-19T00:55:49Z</updated>
    
    <summary>　Twitterというのを本格的に使い出して、２週間くらいになります。正しくいい...</summary>
    <author>
        <name>jun</name>
        <uri>http://www.nakahara-lab.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nakahara-lab.net/blog/">
        　Twitterというのを本格的に使い出して、２週間くらいになります。正しくいいますと、ずいぶん前から使っていたのですが、その間はフォローなどをなるべくせず、また発言などもなるべくせずに、READ ONLYでした。時折、「みかん食ってます」とか、しょーもないことを、まさにつぶやいておりました（笑）。

　年があけて、「一年の計は元旦にあり」ということで、本格的に使うようになりました。で、2週間くらいたって、ようやく、何となく、この世界がわかってきたように思います。

　使ってみて、いろいろ思うところがあります。わたしはメディア論の専門でも、社会学者でもないので、Twitter論を論じる気はありません。それは誰かやってください。その能力はわたしにはありません。またもや、いつものように、勝手気ままに、責任をもたず、言い放ちます。

　僕が最も印象深いのは「Twitterを愉しむために必要な&quot;能力?&quot;とはどのようなものか」ということです。

　こんな風にいうと、

「愉しむ」とは何を意味するんじゃ、ボケ！
「能力」とは何のことじゃ、わりゃ！

　と青筋をたてた人がでてきそうですね（笑い）。でも、ごめん、僕のブログごときで、真に受けないでください。世の中には他に、もっともっと、まじめに考えて、憤らなくてはならないことが、たくさんあるはずですから（笑）。

　何が「愉しむ」なのか、何が「能力?」なのかを、精密に議論することはさておき、ここではそれを、「フォロー数・フォロワー数がある程度いて（孤立しているわけではなく）、Twitterの利用がある程度生活に浸透し、そこでのインタラクションから、何らかのメリットを享受していること」と仮に定義します、あくまで「仮」に。

　上記の定義が、本当に「愉しむ」なのかどうなのかはひとそれぞれです、いろんな「愉しむ」があってよいとわたしは思います。またこの定義は、ややプロダクティブな感じがします。ここに息苦しさを感じる人もいるかもしれません。あとで何度も述べますが、Twitterの利用は人それぞれですから、「愉しむ」も人それぞれであってよいと思います。

　ただ、「それぞれ」が続くと、話は先には続きませんので、ここでは「仮」にこの定義にしたがったとして、考えてみることにしましょう。

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　結論から申しますと、僕は、Twitterでインタラクションから何かを得たいと思うのなら、

　１．トイカケラビリティ（問いかける能力：問いかける＋ability）
　２．ツッコマラビリティ（つっこまれる能力：つっこまれる＋ability）
　３．ツナゲラビリティ（つなげる能力：つなげる＋ability）
　４．マメラブル（マメにレスをかえすこと：まめさ＋able）

　が重要だと思います。なんで怪しい英語？日本語？なのかは、問わないでください（笑）。なんか、この方が、僕の感性には、しっくりきただけです。

　さて、先ほどの4点が重要だな、と思ったのは、なんてことはない、Twitterとは、僕の言葉でいうのならば、「問いかけるメディア」「つっこまれるメディア」「つなげるメディア」、加えて、「マメさが可視化するメディア」だからです。

　つまり、相手の心や思考にいかに「問いかけ」、いかに、ここちよく「刺激」するのか。これが「問いかけるメディア」という意味です。
　あるいは、敢えてボケて相手の反応を生み出すこと、つまりは「つっこまれること」を生むこと。これが「つっこまれるメディア」という意味です。
　あるいは、この人の発言を敢えて取り上げて（ＲＴ）、他の文脈の話題と「つなげる」。これが「つなげるメディア」という意味です。上記３点を「マメ」に行うことが、まずは、求められているように思います。

　そして、これら一連の「活動」によって、ツイートの連鎖、つまりは「多くの多様な人々が参加するインタラクション」を生み出すことができるかどうかが、たぶん、その「おもしろさ」のキモではないかな、と思います。

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　一般に、Twitterでつくられるかかわりは、非常に「ゆるい」、と言われています。フォローし、フォローされることの敷居は徹底的に低いです。
　また、もし、あなたが、どうしてもあわない人がいるのだとすると、そのかかわりを相手に知らずのうちにブロックすることもできます。「フォローはしているけれど、ブロックしている」という曖昧な関係を相手に知られることなく保ち、直接的なかかわりを避けることができる。このあたりが「現代人的な感覚」、あるいは「やさしい!?人々の感性」にマッチするのかもしれません。

　Twitterのコンテンツも非常に敷居が低く「つぶやき」に他なりません。きちんと意味のまとまっていないこと、断片化していることでも、「つぶやき」として投稿することがよし、とされます。
　対して、ブログは異なります。ブログは、ある程度の長い文章を書くことを求められます。起承転結といったら、大げさかもしれませんが、いちおう、ツカミとオチのある文章を書かなくてはなりません。ヤマなし、オチなし、じゃつらいでしょう、ブログは（笑）。

　しかし、Twitterは、「ゆるやかさ」の背後に「厳しさ」ももっています。フォロー数、フォロワー数というかたちで、自分にかかわる関係が「定量化」されます。また、興味深いつぶやきには、すぐに多くのフィードバックがかえります。これも「数」でババーンとかえります。

　その「ゆるやかさ」と「厳しさ」の中で、いかに「140字」という短い言葉で、相手の思考を促すのか、相手の興味を刺激するのか、あるいは、相手の「つっこみ」を受けるのか、あるいは、あるものとあるものを「つなげて」、ケミストリーを生み出すのか。
　そうした「問いかけ」やら「つっこまれ」やら「ケミストリー」やらを「マメ」に生み出すことが重要なのではないかな、と思います。もし、あなたにとっての「愉しむ」が、人々のインタラクションを促すことや、そこから「何か」を積極的に得ようとすることにあるのだとすれば。


　だから、僕は

　１．トイカケラビリティ（問いかける能力：問いかける＋ability）
　２．ツッコマラビリティ（つっこまれる能力：つっこまれる＋ability）
　３．ツナゲラビリティ（つなげる能力：つなげる＋ability）
　４．マメラブル（マメにレスをかえすこと：まめさ＋able）

　なのではないかな、と思うのです、まとめると。「トイカケラビリティ」「ツッコマラビリティ」「ツナゲラビリティ」が高く、「マメラブル」な個人ということになるのですね（笑）。
　
　最後に、誤解を避けるために行っておきますが、もちろんTwitterをどのように使おうと、その人の自由です。 誰も、なんらその利用を制限することはありません。人生いろいろ、Twitterの利用もいろいろです。

　「トイカケラビリティ」「ツッコマラビリティ」「ツナゲラビリティ」が低く、「マメラブル」じゃない個人、、、でも、そこは全然問題ありません。そこがTwitterの包容力であり、敷居の低さです。
　事実、わたくしがそうでした。ちょっと前まで「今、みかん食ってます」ツイートの連発で、愉しんでおりました（笑）。そのようなわたくしも、排除されず、時折利用できたことが、Twitterのよいところなのかもしれません。

　でも、このメディアから、あるいは人々のインタラクションの中から「何か」を得たいのだとすれば、もしかすると、上記のような能力!?が必要になってくるのかもしれませんね、、、と僕は思うのです、、、なんちゃって。

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　さて、今日は、のっけに宣言したとおり、言い放ちました。なんだか、こう書くと、このリストにあがっている「能力？」は、Twitterだけに言えることではない気もしてきました。うーん、どだろね（笑）。

　もしかすると、この４つ以外にも他にもあるかもしれないですね、、、ていうか、あるね、これは（笑）。絶対にあるよ。

　あるいは、敢えて対照をつくって、ブログに必要な能力を考えてみるというのも面白いかもしれませんね。

　というわけで、、、「皆さんの思考」を刺激したところで（笑）、わたくしめは、そろそろ仕事に戻ります。

　今日も一日健気に生きてみようと思います。
        
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