The Long & Winding Road - 2001/04


2001/04/01 ハトニュース 其の2

 こんばんは、今日もハトニュースのお時間です。わたくし、ハトニュースのキャスターをつとめる中原ひとみです。

 今日未明、ベランダ管理隊が、信じられない光景を目にしました。なんと先日封鎖したはずの選択置き場下のバリケードが、無惨にも壊され、中に新たな巣がつくられておりました。バリケードは、重さ2キロほどの重石を使ってつくられており、ベランダ管理隊は絶対の自信をもっていましたが、所詮、ハトには勝てませんでした。おそらく、ハトが数羽で知恵をしぼり、力をあわせて、そのアタマを重石につけて、ウゴウゴとそれを押しのけたものと思われます。

協同作業? 協同学習? 僕へのあてつけ?

 この封鎖を担当したベランダ管理隊の中原敏氏のインタビューです。

 もうだめだ・・・我々には打つ手はない。あとは「毒まんじゅう」をベランダにまくか、「BB弾」で威嚇射撃するかだ。しかし、これには動物愛護団体が黙ってはいまい。世の中いくらがんばっても、ダメなことはある。これも、その手の問題であろう。地域住民の中原淳氏には大変申し訳ないが、彼にはベランダそのものを閉鎖してもらうしかないだろう。これから暑い季節を迎え、梅雨もあるが、彼の健康を祈るしかない。

 地域住民の中原淳氏は、「ベランダがハトの巣になったものだけが、ハトを語れる」とだけ言い残し、我々の取材を拒否しました。

 ベランダに緊張がはしっています。以上、ハトニュースがお伝えしました。


2001/04/02 そこのけ、そこのけ、WBTが通る!

 一応、ICCE2001のフルペーパーを書き上げました。いやー疲れた。それにしても、いつも英訳して思うのですが、日本語というのは、本当に曖昧ですね。それが悪いとか、いいとかの問題ではなくて、思考の形式が違うのです、英語と日本語では。このことは、たとえば国語とかの教科書にのっている日本批評の文章なんかで、よく目にする論旨ですが、これは間違いじゃないと思います。

 なぜって、そりゃ、英語で論文を書くと、こういうギャップにイヤでも気づかされます。で、この経験というのは、日本語で論文を書くときに、非常に役にたつことのように思います。日本語にしていて、なんか歯がゆいなーと思う文章を書いてしまったら、それは十中八九英語にはなりません。

 で、僕としては、少なくとも1年に1回は国際会議にでることに決めています。これは業績とか何とかというケツの穴の小さいことではない、と断言したいのですが、まぁ、それも少しはあるとして、目的の中には自分の綴る言葉を反省するってなこともあります。コトバを綴るのが、僕の仕事のひとつであります。だから、コトバにはセンシティヴでありたい、と思います。とかいっちゃって、この日記では超ブロークン日本語ですが。

 まぁ、本日書き上げたICCE2001のペーパーは、あさってくらいにもう一度校正します。

 ところで、世の中、最近、WBTだらけですね。WBTとは、Web-based Trainingのことです。要するに、Webでお勉強しましょ!ってことですね。市場規模は忘れましたが、そうした教材の開発と配信が、お金になるそうです。毎日毎日、そういう教育サーヴィスを開始する会社が設立された、とかいう話を聞きます。こういうニュースを耳にするのは、高等教育の研究機関であるNIMEにいるからでしょう。

 僕としては、WBTには注目しているところもあるし、反省するべき点もあると思っています。

 注目している点からいえば、たとえば、近年のCSCL研究の知見のひとつに「協調学習を誘発するためには、コミュニケーションチャネルだけではなく、学ばれる内容(コンテンツ)を並置(jaxtpose)することが必要である」ってなことがあるのですが、そのコンテンツの提示は、まさにWBT的なものといえるでしょう。この意味で、WBT的なものとCSCL的なものは、融合されるべきだし、それをある程度実現しているマーシャ=リン@UCバークリのWISEプロジェクトなどは、見習うべき点は多いと思っています。

 ただ、WBTには懸念も多々あります。まず、その設計思想がCAI的な個別学習であることが多いという点ですね。CAI的な学習環境というのは、モティベーションの高くある程度批判的に自分の学習成果をモニタリングできる学生にとってはいいのでしょうが、そうじゃない場合、難しいことがよく知られています。

 また、それは、ともすれば学習者のすべての振る舞いを管理するためテクノロジーとして、つまりパノプティコン的な装置になってしまいがちであるということですね。僕は自由人なので、ある程度はいたしかたないにしても、過剰なパノプティコン的状況はかなり避けたいです。これは感情的な懸念かな。

 だって、データベースを用いれば、システムにおける学習者のすべての振る舞いは記録されます。そして管理ツールや分析ツールによって、本当に学習者がまじめに学習に取り組んだかは、わかってしまうのですね。事実、企業さんのWBTには、そういう機能が実装されているものもあります。まぁ、それも管理者の立場にたてば、「アリガタイテクノロジー」なのかもしれんが、僕はあんまり好きではありません。

 なんか今日は研究の話ばかりになりましたね。でも、ここ最近のWBTとかeLearning関係の流行はスサマジイです。今後とも注意していきたいと思います。


2001/04/03 Web + DB連携

 あんまり重要なことではないけれど、最近、コンピュータコーナーにPHPとかRubyとか、Java Server Pages(JSP)とか、ASP(Active Server Pages)などの、データベースと連携が容易な言語の入門本が増えてきた。いわゆる、Web + DB 連携というのがテクノロジー的に流行っているのだろう。データベースへの接続をはたすドライバが整備されてきたのが理由だと思う。1年前には、そうしたことをあつかった本なんて、全然なかったのに。

 つい最近まで、Webでインタラクティヴなしかけをつくろうとすると、ほとんどは、Perlだった。Perlはテキスト処理には向いているけど、データベースとの連携に関しては、ほとんど望めない。それでも、情報教育の黎明期には、Perlでテキストをデータベース風に処理して、みんな苦労して苦労してBBSとかをつくっていた。

 いまや、そんなに苦労しなくても、すぐにデータベースが使える。自戒をこめていうが、開発が楽になったぶんだけ、学習や教育に対して煩悶する時間が増えることを期待する。


2001/04/05 データベースをつくるということ

 ようやく国際会議原稿を脱稿しました。ほとんど、脱糞気分です。いやー、すっきり。

 そういえば、先日このサイトをNIMEの公式サイトにリンクせよとよく言われるのですが、「脱糞」とか平気のヘーチャンで言っているオゲレツサイトをリンクするわけにはいきません。言いたいことも書けなくなる可能性もありますので、しばらくはナリを潜めていようと思います。

 また、このサイトを英語化してくれ、という要望もあるのですが、それもできないですね。いやー、英訳するのが面倒くさいというわけではなくて、「脱糞」をあらわす英語がわかんないんです。

 正直言うと、英訳する時間はありません、全く。もし英語で読みたい方がいらっしゃったら、Excite(AMIKAI)などのサーバを利用していただければと思います。クライアント中心主義は、インターネットの設計原則ですから、許してください。

 ところで、今日はデータベースのお話です。データベースに関しては、昔、エッセイのページで書いたことがあります。その主張は、「データベースはコエダメじゃない」というものでした。ちょうど一年くらいまえになるでしょうか。そのとき、僕は「データベースが現在「教育的」に使われているかっていうと、それは疑わしいなぁと思ってしまったりします。」と書いています。

 で、最近、このデータベースというヤツにかかわることが多いのですが、その中で、なんで「教育的に使用されないのか」という問題に、ひとつ答えがでました。

 それはね、「データベースをどのようにつくるか」ということに関しては、みんな血眼になるんだけど、「データベースを学習者が具体的にどのような状況で、どんな目的で使用するか」ってことに関しては、恐ろしいほど議論に上らないってことです。要するに、学習者不在な状況で、データベースがつくられている、ってことです。
 データベースさえあれば、「学習者は情報を引き出したくなるハズだ」「学習者は情報を入力してくれるハズだ」と勝手に思っているフシがあるのですね。これは誤解だと思います。

 僕に言わせれば、「データベースをつくること」というのは「データベースを開発すること」だけではありません。それはオラクルとかのSEの仕事です。「データベースをつくること」というのは、「データベースを学習者がどのように利用するのか」ということのモデルや使用状況を考え出すこととセットなのです。アタリマエのことのように思いますが、そこらあたりが問題です。

 たとえば、簡単に「情報を引き出す」とか「情報を入力する」とかいいますが、それはどのような状況で行われますか? 学習者はそれをしてどんなオトクがありますか?こういうユーザーの活動モデル、ビジネスにたとえるなら、ビジネスモデルをキチンとつくっておくことが必要です。これは声を大にして言いたいです。


2001/04/06 いつでもあえる

 僕の好きな絵本に、「いつでもあえる」というのがある。今日、本屋さんにいったら、山積みになっていた。とても売れているらしい。

 「いつでもあえる」は、シロという犬とみきちゃんという女の子の物語。シロとみきちゃんは、いつでもいっしょ。とても仲良くしていたのに、彼女は、シロを残して、人生にあまりに早すぎる終止符をうつ。もう二度と戻らぬみきちゃんに、逢いたい、逢いたいと願うシロ。絵本自体にセリフはとても少ないが、非常に心打たれる、切ない。


2001/04/07 2つのコミュニティ概念

 今日は、かなりまじめな話。最近、大流行の「コミュニティ」というコトバについてです。実は、山内さん@東大と「秘密の二人研究会」を月に一度することになって、Wenger, E.(エティエンヌ=ウェンガー:1991年、レイヴと「状況に埋め込まれた認知」という本を書いたヒト。教育の業界で、コミュニティというコトバを認知させたのは、ウェンガーの業績)の「Community of Practive」を読んでいます。コミュニティについて、Wengerは、以下のように述べています。

○実践のコミュニティとは同じような特徴をもった人々によって規定されない

→コミュニティとは、グループやチームやネットワークの同義語ではない
→実践のコミュニティは、地理的な近似ではない。

○実践のコミュニティにはメンバーのMutual Engagementが必要であるが、そうであるならば、必然的にコミュニティは均質的なものにはなりえない。

→一般にコミュニティはPositiveなものだと思われている。
→(しかし)平和、幸福、調和は実践のコミュニティの必要属性ではない
→コミュニティには、不一致や緊張、矛盾などを必然的に含まれている。
→しかし、それも参加の形態のひとつにかわりはない
→実践のコミュニティはすべてを複雑に含んでいる。

 これらのWengerの指摘は、世の中で流行語になっている学習共同体(Learning Community / Community of Learners)というコトバに、マッタをかけます。

 要するに、Wengerにとってコミュニティとは、そのメンバーが、相互の交渉の中で、矛盾や葛藤に直面しつつ、相互にかかわりあい、相互にAccountabilityをはたしながら行った実践によって可視化されるものなんだろう、と思います。

 ところが、最近大流行している「コミュニティ」概念とは、こうした視点がないわけで、それによればコミュニティとは、学習者が「所属」をはたすべき場所、それも静的でいて、すでに存在している場みたいに扱われています。コミュニティが可視化するという視点は、あまりなくって、変化するっていう視点もないかもしれませんね。

 それでは、Wenger的なコミュニティ概念と、「ちまたのコミュニティ」概念の相違は、なぜおこるのでしょうか。これは結構重要な問題のように思います。僕としては、自分なりにこの問いに対する答えはでたんだけど、あんまり自信がないので、また今度。少なくとも、何でもかんでも、「コミュニティ」とかいっちゃいけないですね、反省しました。


2001/04/08 僕の意味なし時間

 世界でもっとも情報技術を教育現場に導入しているクニといえば、シンガポールがあげられるであろう。このところ、世界各国の情報教育関係者が、シンガポールに視察にいっており、シンガポール文部省は、その対応に追われているらしい。シンガポールは、淡路島くらいの大きさを持ったクニであり、ちょっと恐ろしいくらいのトップダウンモデルで、教育改革を推進している。

 シンガポールのITによる教育改革は、学校のコンピュータ整備とかネットワーク接続とかいうレベルじゃない。キチンと一貫したプランがあって、それに従って、次々と新しい試みをおこなっている。たとえば、外部のシンクタンクや民間会社と共同して、独自に教育用Palmの開発に乗り出し、すでに実証実験をしている。このあたりは日本も見習えばいいのに、と思ってしまう。

 そのシンガポールで、またひとつのテクノロジーが教育現場に導入されようとしている。先日、CNNの「ebiz asia」をみていたら、ふと、こんな特集が組まれていた。

  • CNN ebiz asia
    (http://asia.cnn.com/2001/BUSINESS/asia/04/04/sing.smstruancy/index.html)
  •  要するに、素行不良とか、あるいは、欠席とかさぼりとかの子どもの親のケイタイ電話に、学校の先生が、メッセージをおくれるシステムらしい。システム自体は、単なるメールだと思われるが、ハッキリ言って、子どもの側からみると、迷惑この上ないシステムだ。

     僕は高校時代、遅刻と授業さぼりの常習犯だった。単位を落としそうになったことも、一度や二度じゃない。別に不登校だったわけではなくって、明るく楽しく高校生活を送っていたのだが、「自分のためにならないなーと思ったこと」については、どうしても受け入れることができなかった。今となっては、ここらあたりが、「ケツ青々」だと思うのだが、それも過去の事柄だから、今から変えることなんてできない。図書館や科学館にいったり、公園でボーッとしていたり、河原で寝ていたり、本を読んだり。親も先生も知らない時間を、ただひたすらに過ごしていた。

     もし、当時の僕がシンガポールにすんでおり、親がケイタイをもっていたら、僕の親の携帯電話は鳴りっぱなしだったろう。うちの親がアタマにきて、ケイタイをバイブレーションモードにしたら、ケイタイはブルブルとふるえっぱなしで、うちの親は白蝋病になったと思われる。

     自分の過去の「ケツ青々さ」をかばうわけではないが、そういう先生も親も知らない「意味なし時間」も、若い頃には必要なのではないか。
     過度に怠惰で、過度に素行不良なのは困ったことであるが、何の疑問もなく学校にいくことだけが、「よいこと」ではないはずだし、すべてを親が知っている状態っていうのも、どうにも危険な気がする。
     もちろん、僕は学校に行かなくてもよい、と言いたいわけではない。僕が親になったとしたら、子どもの首に縄をかけてでも、「学校にいけ!」という親であろうから、そんなことを言いたい訳じゃない。

     でも、本人のあずかり知らぬところで、子どもの素行のすべてを知っている親、そして親に逐一情報を送る先生、そうした親と学校の情報伝達を可能にするテクノロジーのあり方が「よい」とされることに、少しだけ違和感を感じてしまうのだ。

     少なくとも僕はそうしたテクノロジーを開発したい、とは思わない。


    2001/04/12 鼻からみそ汁

     本年度に行う各種研究計画を提案する時期になって、鼻からみそ汁がでるくらいに忙しい。僕のかかわるプロジェクトも、おのずと多くなってしまい、現在9つ。もう熱暴走寸前だ。でも、研究で忙しいのは仕方ない。本望だ。今日は、これから各種会議がつまっている。

     そういえば、先日、クレイアニメで有名なアードマンの展覧会にいった。3秒のクレイアニメを撮影するために1日を要するのは、それこそ鼻から牛丼がでてきそうなほど、気が遠くなる作業である。感激。

  • すり抜けアニメ (500k近くあるので注意)
  •  帰りに、クレイを買ってきて、僕らもクレイアニメをつくってみた。これ以上単純なものはない、というほど単純な「すり抜けアニメ」であるが、ごらんいただきたい。心が和むから。


    2001/04/14 小さな留学生

     フジテレビで放映されたドキュメンタリー映画「小さな留学生」をみた。日本に留学しそのまま就職したお父さんと一緒に暮らすべく、中国からお母さんと張素ちゃんという小さな女の子が日本にやってくる。全く日本語が話せない張素ちゃんは、日本の公立小学校で大変苦労しながらも、学び始める。登校初日、先生とクラスメートのはなすコトバが全くわからず、涙をみせる張素ちゃん。がんばり屋の彼女は、苦闘のすえ、一年後、クラスで一番の成績をとるまでになる。

     おそらく、このドキュメンタリーはちょっと前に放映された「若者たち」の続編かシリーズの一部だと思うのだけれども、大変感動した。まさに「奇跡のドキュメンタリー」の名を冠するにふさわしい。ディレクターが長い間大変な労力をかけておった、中国からの留学生の笑顔は、信じられないほど心をうつ。できればビデオ化などを考えてほしいなーと思う。

     今年から、僕も海外出張が多くなる。彼女の苦労のレヴェルには遠く及ばないけれど、頑張らなければなーと思う。


    2001/04/15 シス工・東京支部OB・OG会

     先日、東京在住のシス工(教育システム工学講座:しすこう)のOB・OGが渋谷で集まった。コミュニティビルダー中原が、今回は幹事をさせてもらった。メーリングリストもつくったので、今後とも情報交換などができればなーと思っている。

     今回、いろんな方にお会いしたが、何人かの方とは、初対面であった。シス工のOB・OGは、ほとんどがIT系、マスコミ、研究職であり、話に困ることは全くなかった。この会には、前迫先生も大阪から参加してくれた。

     以下、当日撮影した写真を公開する。

    シス工OB・OG会@唐変木渋谷店1
     

      
     シス工OB・OG会は、渋谷の唐変木で行われました。創作和食のおいしいお店です。左は、田口さん、村上君、藤原君。

       

    シス工OB・OG会@唐変木渋谷店
     

      
     写真左で快調にとばしているのは、毛塚君@プライスウォーターハウスクーパース。なんて長い名前の会社だ。写真右は、魚住さん。

       

    シス工OB・OG会@唐変木渋谷店
     

      
     写真左は、わたくしめと山内さん、前迫せんせい。写真右は、曽我くん。お仕事を終えたあと、かけつけてくれました。

       

    シス工OB・OG会@唐変木渋谷店
     

      
     写真左は、魚住さん@NTTPCコミュニケーションズ、加藤さん@NTTデータフィット、佐野さん@アオイプロモーション。写真右は、田口さん。いつもお世話になっています。

       

    シス工OB・OG会@唐変木渋谷店
     

      
     酔っぱらいサラリーマン、寝起きの坪井君。まだ食ってる荒地さん(写真左)。写真右は、藤原君と村上君。

       

     いやー久しぶりに飲んだなー、この日は。


    2000/04/17 アホいそ

     ゴールデンウィークまであと2週間、アホほど忙しい。うーん、アホいそ。

     新年度がはじまって、いろいろなプロポーザルの提出、予算の確定、プロジェクトの開始がはじまっているからで、時に論文を書きつつ、気づいたら今年度かかわるプロジェクトはオフィシャルで9つになってしまった。こないだ今井さんから聞いた話では、2つ以上のプロジェクトを人間はこなすことができないという。でも、やるしかない。

     でも、あともうちょっと増えるみたいで、どこにどれだけの時間と資源を投入するかをそろそろ考えなければならない模様。来週には出張もあるし、会議が目白押しだ。

     時間と資源は有限だ。大切に使おう。


    2000/04/18 ホームスクール

     先日聞いていたEnglish Journalの特集にホームスクールがあった。なにやらアメリカでは、学力低下と暴力の問題が深刻化しており、学校に子どもをやらずにおうちで親が子どもの教育を行うというホームスクールが流行しているという。ホームスクールで学ぶ児童・生徒の数、全米で200万というから、スゴイ。何でもいいけど、極端なんだよなー、このクニは。

     僕としては、ホームスクールにはあまり賛成じゃない。理由は、ホームスクールに通っている子どものインタビューが怖いなーと思ってしまうから。以下、引用してみよう。

     I like it very much because I can be home with my family, and not out in the world where I learn things that are't true. Because home schooling, I learn ream good moral principles.

     (ホームスクールを、わたしは気に入っているわ。だって、外の世界ではホントウのことを学ぶことはできないけど、家族と一緒にいれるから。ホームスクールでは、ホントウにイケてる道徳みたいなものを学べるの)

     cited from English Journal October 1999

     家庭と、家庭以外のソトの世界とで、どっちがホントウのことを学べるかは、正直言って僕にはわからない。でも、なんか、こういう11歳の子どもからスッとでてくるのが、正直言って、言いようのない恐れを覚えてしまうんだよなー。正直言って、違和感があります。

     学習したことがホントウのことであるか、ホントウのことでないか、つまりは自分にお役立ちだったなーだとか、クソの役にも立たなかったなーっていうのは、きっと、それよりもずっと後になって思うことじゃないかなーって僕は思うんです。

     もう既に11歳で彼女が彼女なりに、<ホントウのこと>を決めてしまっている、わかってしまっている、というのが僕にとってはどうも解せないし、わからないんですよね。僕が11歳のときって、今から考えたら、そうしたメタ認知、メタ学習的なことって、何にも思わなかったもん。それよりもドラクエの方がリアルだったもんなー。

     みなさんはどう思いますか?


    2001/04/20 センパイ

     ちょっと理由があって、今、ピチレモンという雑誌を読んでいる。ピチレモンは、小学校高学年から中学生の女の子が読む雑誌。

     うーん、誤解を避けるために、やっぱり理由を言おう。理由は、小学生・中学生向けのCSCL-Webサイトをつくる仕事をするにあたり、彼/彼女らの世界が知りたかったのだ。

     ピチレモンには、制服の着こなしから洗顔料の善し悪し、占いから化粧のやり方まで、おおよそ小学生や中学生の好みそうなら何でも書いてある。しかし、僕が一番気になったのは、彼女たちの生活の中で、「センパイ」なるものが、よきにつけ悪しきにつけ、ものすごく大きな存在であることだ。

     以下、センパイに関する記事を引用してみよう。

     センパイに目をつけられないように、スカート丈は膝下までにしたり、目立つとはセンパイの前ではしなかった。あと、センパイにあったら、必ず挨拶をしたよ。
    (栃木県 まこ)

     ルーズソックス。最初うちは、はかないほうがいいよ。
    (石川県 ケイコ)

     男子の先輩とあのしく遊んでたら、センパイの学年の女子に、これでもかというほどにらまれてしまった。トホホ。
    (大分県 へのへのもへの)

     自分の意見を出すようにしてたら「ずうずうしい」と言われた。で、おとなしくしてたら「もっと図太くなったほうがいいよ」 うーん、加減が難しい。
    (大阪府 ってゆーかのり)

     髪とかちょっと茶髪っぽくって、スカートは超ミニ。ルーズだぼだぼ。でも、すごくやさしくて、すれちがったときとかに、必ずあいさつをしてくれる。外見と中身がぜんぜんちがう。こういうセンパイが理想。
    (岡山県 星&スマイル)

    ピチレモン2001年5月号 学研より引用

     ていうか、僕からみれば、ひとつかふたつしか年が違わないし、経験だってそれほど変わるわけないし、何を根拠にセンパイ?、と思うけれど、彼女たちの世界では、センパイはとても大きな存在であり、学校で生きていくためには、センパイと良好な関係を保ちつつ、時には何とかかんとかやり過ごしていかなければならないわけで。
     いやー、とても、自分が年をとったように感じちゃいました。

     それにしても、小学校までぜーんぜん気にしなかった「高学年のお兄さん/お姉さん」が中学校にいった途端に「センパイ」だもんなー。自分のときも確かそんなことを意識はしたけれど、すごいハナシだよなー。


    2001/04/21 ちょっとした贅沢

     新幹線で出張したときの僕の楽しみのひとつといえば、新幹線の中で飲むコーヒーだ。このコーヒー、クリームをいれて飲むと大変おいしい。ほどよく酸味が利いていて、それがクリープと混ざり、かなりいい感じになっている。新幹線なのに、JRなのに、なぜかおいしい。スターバックスのコーヒーもイケてるけれど、これもホントウに捨てがたい。

     最近、最初の頃楽しかった出張が結構オックウになってきているけれど、これが僕の出張の楽しみであり、ちょっとした贅沢である。代わり映えしない新幹線の車内が、この一瞬だけリラックスできるカッフェに見える。


    2000/04/22 教育の崩壊という嘘

     昨日本屋にいった。買った本は、ロータスドミノR5のサーバ管理の本と、村上龍の「教育の崩壊という嘘」である。

     前者の方は、Project Sphereで使用する。そろそろ開発したシステムの実証実験がはじまる。サーバはNIMEに新規でたてる。各種のサーバの設定が必要になってくるであろう。

     後者の方は、前から読みたいと思っていたものだ。中学生のアンケートと村上龍と教育関係者との対談がセットになった本だ。村上龍は、書いている小説がいつも反体制的なので(わからないヒトは、限りなく透明に近いブルーだった?を読むとよい)、誤解をされていると思うけれど、ものすごくアタマのいいヒトだなーと思う。

     今回の対談は「あなたはあなたの子どもにどんな人生を望みますか?」という一貫したメッセージがあり、これに従って、ハナシが進行していくのだが、この問いの建て方がうまい。「このクニの教育をどう思いますか」とふつうならやってしまうところを、そうはしない。いかにもマクロな視点にたった学者っぽくて、為政者っぽい意見を廃するためであろう。

     教育書では、よく対談をそのまま収録したような本があるんだけど、事例もなく、実践もない「クニの論理や主張」をそのまま「解説」して乗せちゃいましたーという本がほとんどだ。村上龍の本は、この点において、新鮮だった。

     それにしても、このところ結構本屋さんにいっているのだけれども、教育のコーナーって、全然読みたい本が見つからない。ちなみに「教育の崩壊という嘘」も教育のコーナではなく、文芸書のコーナーで見つけたものだ。

     なら、オマエが書けってことになるから、あんまり文句は言わないけれど、このところ親向けの本を書きたいなーと思う。親向けに新しい学習観を「キチン」と語った本。ていうのは、あるところで現在小学生のお子さんをもつ親の方々の意見を聞く機会があって、びっくりしたのですね。ホントウに親は悩んでいるのです。ものすごく混乱している教育言説の中で、今確実に子どもを育てなければならない親御さんっていうのは、ホントウに大変だなーって思いました。

     こういう本ってダメかなー?


    2001/04/23 Project Scio

     今日は東大で研究ミーティングを終えたあと、Project Scioのミーティングのため、五反田へ。

     Project Scioはとりあえず、アルファ版の開発、評価実験が終わり、5月からベータ版の開発実験を行うことになった。ベータ版の開発には、僕はシステム部分のディレクションを行う。

     ヒューマンリソースは有限。インタフェース、コンテンツ、システムの3つをうまく調整しつつ開発をすすめる。考えてみたら、僕もこの研究をはじめてはや5年になろうとしている。5年間の研究成果を反映したものにしたい、と思っている。僕が万が一もし親になったとしたら、こんなものを自分の子どもに使わせたい、と思う学習システムにしたい。


    2001/04/24 齟齬

     午前中、研究室にて研究プロポーザル、計画をリバイズしたあと、午後イチは今年度の物品の購入計画、業者への役務発注計画をまとめる。いくつか事務的な電話をして、今週末の会議の予約を取り付け、急いで研究開発部会議。それが終わり次第、海浜幕張の駅から、電車に飛び乗り、東京駅。京都行きの新幹線の中では、現在執筆中の論文をまとめる。京都についたら、また違った研究のミーティング。で、今、ようやくホテルについた。これからさっきまで書いていた論文の執筆を続ける。

     学生時代からマルチタスクには慣れていたものの、なかなかしんどくなってきている。昨日はProject XEONの方でコミュニケーションに齟齬があったことをメンバーから聞いて愕然とした。朝にメンバーに電話&メールしたときは、興奮していてちょっと攻撃的だったかもしれないけれど、よく考えたら、僕のせいだ。コーディネーションを行っているのは僕であるから、これは僕の責任。

     皆さん、ホントウにごめんなさい。ともに頑張りましょう。


    2001/04/27 地獄のような一週間

     ホントウに忙しい一週間だったが、ようやく終わる。これが終われば、何とか何とか休みがとれる、ありがとう、ありがとう。ゴールデンウィークは前半休みをとって、後半はゆっくりと論文を書く。至福のときだ。

     このところ、書きたいものがたくさんあるのに、時間がなくて書けなかった。「学習とはエロティックであり、破壊的である」というエッセイとか、その他モロモロ。WengerのCommunity of Practiceの要旨と2章コミュニティの部分も公開しようと思っている。

     昨日、うれしいことが二つあった。同じ日に違った会議であった初対面のヒトに、「ホームページ見ています」と言われたこと。昨日は、あまりに疲れてヘロヘロだったから、何を言ったのか覚えていないけれど、こちらもありがとう、ありがとう。

     新しい研究のアイデアも浮かんだ。あとは技術的なフィージビリティの検証を、少しずつ行っていこう。この研究はデータベースを駆使する。最近はやりのデータベースだけれども、クレイジーでセクシーな使い方をしたい。センスのない、かっこわるいデータベースは、僕は嫌いだ。この研究、要約すれば「学習とは出会いである」ということにつきる。こうご期待。

     忙しいながらも、JR総武線の車中で口を開けて寝ていながらも、このところたくさん本を読んでいる。ほとんど、教育社会学の本。特に小川洋氏の「なぜ公立高校はダメになったのか」はスゴイ。

     集団就職をめぐってできた2つの社会階層と、それに準じた教育問題の噴出。ともすれば、「やれ受験のせいだ」「やれ、親のせいだ」「やれ、教師の質の問題だ」として、悪者探しをしてしまう思慮と考察の全くない、人々の思考を停止させてしまう教育言説にマッタをかける。教育問題は構造として生み出さざるを得なかったのだ。

     あーそろそろいかなければ。今日は、NIMEでeLearning研究会があって、ハードウェアメーカ、ソフトウェアメーカなど民間の人々や大学の先生が、わんさかとNIMEにいらっしゃる。



     NAKAHARA,Jun
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