The Long & Winding Road - 2001/02


2001/02/02 2002年問題

 2000年問題ならぬ、2002年問題というコトバをご存じだろうか?

 今日、ニュースを見ていたら、そんなコトバがでてきて、ちょっとびっくりした。2002年問題というのは、いわずもがな、2002年に予定されている学習指導要領改訂のことをさしている。
 ニュースによれば、最近の親たちは、2002年の学習指導要領改訂で子どもの学力が低下することを恐れて、私立の小・中学校に子どもを入れさせようとしているのだという。ネーミングはしゃれてるなーと思う。

 私立学校に子どもを入学させることのできる親というのは、ある程度限られている。私立学校は入試もあるから、それに対する準備として塾などにも子どもをかよわせなければならないし、受験料、入学金、寄付金だってシャレにならない。
 先日読んでいた「ゴミ投資家の人生設計入門」によると、子どもを一人このルートで育てるためには、イエを一軒建てるくらいの投資を必要とするという。ある程度裕福な家庭の子どもとそうでない子どものトラッキングはかくして明確になってしまう。

 2002年学習指導要領が原因で、親のクラスが子どもに再生産される。一部の教育学者は、この問題に対して数年前から指摘していた。2002年問題とは、まさに<意図せざる結果>であると言わざるを得ない。


2001/02/04 禁煙宣言

 君がいた夏は遠い夢の中...
 空にきえてぇった 打ち上げ花火...

 北京出身、もとい、北見出身のホワイトベリーならぬジッタリンジンが「打ち上げ花火」が、世の中のニキビ面した少年少女たちに口ずさまれていた頃、僕はタバコを吸い始めた。

 確か夏祭りの日で、僕はいつものように、親には「でかけてくる」とだけ告げて、チャリンコにまたがって、みんなの待つ公園に行った。誰かが缶チューハイを何本か買っていて、それを飲んでいると、誰かがタバコをポケットから出して僕にすすめた。正直、僕はあんまり吸いたいとは思わなかったけれど、まぁいいかってカンジで、一本に火をつけて思い切り吸ったら、死ぬかと思うぐらいむせた。

 それから10年...

 考えるところがあって、2001年3月1日よりタバコをやめる決心をした。まだ一ヶ月くらい先のことだけど、今回が長年吸い続けたタバコをやめるにはひとつのいい契機になるかな、と思っている。

 ところで、そのために情報をいろいろ収集してみると、正直とても怖くなってしまう。禁煙というのは、ものすごく苦痛がともなうことらしい。特に最初の一週間は、地獄だとか。世の中には、ITを利用して禁煙したい人たちが交流しあうメーリングリストだとかがあるんだけど、そういうメーリングリストは1日300通のメールが流れるという。

 吸いたい、吸いたい、吸いたい...

 喫煙者の断末魔の叫びは、ネットワーク中をかけめぐる。

 まぁ、そうはいっても、意志は固く持たねばならぬ。2001年3月1日、僕はその日からノンスモーカーとして生きる。

 もしこの日記をお読みの方で、僕の禁煙を励ましてくれる方がいらっしゃったら、メールをください。助けてね。


2001/02/05 Smoke Signals

 ちょっとしたマイナー映画に「Smoke signals」という映画がある。監督のクリス=エア以下、ほとんどのスタッフがNative American、すなわちインディアンによって制作された映画で、ちょっと前に日本でも公開されて有名になった。インディアンがつくった映画ということで注目されたのだと記憶している。

 この映画のプロットは、ズバリ「親子の絆」。映画を見ていただければわかるけれど、インディアンの息子が親を許すっていうあらすじだ。なんてことはない、よくある話である。

 「Smoke Signals」をインディアンの映画と思って見るとがっかりする。カウボーイもいなければ、よくある白人の糾弾シーンもない。この手のマイノリティ映画によくある政治的なニオイは全くなく、純化されている。そこで我々が見るのは、インディアンの普通の生活であり、彼らのユーモアーそのものだ。

 純化された透明な彼らの非政治的な日常は、逆説的だが、それ故に政治的である。

 抑圧された歴史をもつマイノリティが自らを抑圧した人々に声をあららげたり、声なきマイノリティを客観視できると思っている人々が声なき声を代弁することに躍起になるとき、それを聞かされるオーディエンスは、共感できないことが多い。

 政治的なインディアンの日常は、オーディエンスに純化された透明な共感を引き起こす。


2001/02/06 研究してるヒトみたいな日

 今日は朝から自分の関心のある本だけを読み、自分の関心のある文章だけ書き、自分の思考をフルに自分らしく働かせた。研究してるヒトみたいな日だった。これで、イエの鍵をなくして、外で立ち往生して、風邪を引かなければ最高の1日だったけれど、まぁ、すべてがうまくいくことなんかないから、目をつぶろう。

 最近、僕はコミュニティの概念にものすごくこだわっている。もちろん、いろいろな開発プロジェクトの仕事をこなしながら進めているので、その思考は遅々としているが、確実に少しずつ曙光が見えてきた。

 最近、学習コミュニティというコトバをよく聞くけれど、ネットワーク上の「ナニ」をもってコミュニティが「成立」したといい、どんな「ケイカ」をもってコミュニティが「維持」されたといい、どんな「キッカケ」をもってコミュニティが「消滅」したと言い得るのか、キチンと考察している研究はものすごく少ない。
 ただ、何となくナンデモカンデモ「学習コミュニティ」と言ってしまうならば、「学習コミュニティ」なんてコトバはいらない。言説化してヒトを何となく惑わし、ヒトを思考停止させ、それ以上の探求を許さぬ概念というのは、もはや有害以外の何者でもない。

 最近、ワケあって、書類作成とかが多かったけど、やっぱりこういう風に思考をめぐらして、何かヒトヒネリしようと虎視眈々と考えているときが、一番、シアワセだなーと思う。


2001/02/08 インフルエンザでシオシオのパー

 いやー、参っちゃった。

 インフルエンザでしばらく倒れていました。4日間くらいネツが下がらないし、ネツが下がっても、可動力はゼロです。足ががくがくするし、なんか寒気はするしで、まさにシオシオのパー。結局、一週間近く「しんなり」とすることになってしまいました。

 僕はどうも病気になってしまうと、自分を悲劇のヒロインにしてしまいます。要するに大げさなんだね。「ムムム、こんなにネツが下がらないとは、ガンかもしれぬ!」とか考えちゃうのですね。こうなったら最後で、あとはわめかせておくしかない。

 いやー参った。インフルエンザには注意してね。一週間ぼうにふるよ。


2001/02/15 雄叫び

 Project Sphere、別名「Mell Online Workshop」の基幹システムは、ロータスドミノR5上で構築されている。一応、僕がサーバー管理しているのであるが、それにしても、このロータスドミノというやつは、難しい。僕のいつも慣れている環境というのか、WindowsNTとVisual Basicの環境のセットとは、ぜんぜん設計思想が違うのだ。

 一般にソフトウェアの背後には、開発者とかデザイナーの思想が反映されるものである。今は、ibook以降、苦戦を強いられているマッキントッシュなんかがいい例ではないだろうか。

 当時、マッキントッシュは、IBMのメインフレームに対するアンチテーゼとして開発されたことはよく知られていることである。パーソナルという概念をおしすすめるためにマッキントッシュが実現したインタフェースは、それまで開発者向けにデザインされていたCUI(Command User Interface)ではなくって、現在主流になったGUI(Graphic User Interface)であった。

 それにしても、このロータスドミノをどうしようか。わからないときは、思わず、「ドミノー、ドミノー」と雄叫びをあげてしまう。俺は、インディアンか?

 と言っている先から、本日12回目の雄叫び。

 ドミノー、ドミノーッ


2001/02/16 マーマーミー

 最近のチャットシステムは、ほとんどJavaでかかれている。Infoseekもそうだし、Yahooチャットもそうだ。理由は簡単。Webチャットというのは、HTTPの原理からして無理が多すぎるのだ。

 一番ネックなのは、HTTPというプロトコロルがプッシュ型の通信に向かないってのがあるだろう。HTTPというのは、クライアントがサーバーにリクエストをかけてはじめて該当するコンテンツをおくってくるプロトコルなのである。ということは、それを用いてフツウのWebでチャットを行おうとすると、結局、リロードをガンガンかまさざるを得ない。Java Scriptを用いれば、それを自動化することもできるが、5秒以下に設定してしまうと、今度はサーバーが悲鳴をあげる。

 一時期、本でよく紹介されたので、知っている方も多いかもしれないが、Javaを用いた数あるチャットシステムの中でも、特にオモシロイインタフェースをもっているのが、以下のシステムである。

  •  マーマーミー(http://rental.chat.co.jp/registry/me?cid=sons)
  •  要するにヴィジュアルなチャットです。

     実は、これに全く同じシステムを僕は前に提案していて、開発プロジェクトをたてようと思って結局ボツってしまったんだけど、それ故に、これを見たときはやられたーと思った。

     うーん、アイコンがマッキントッシュのアイコンみたいで、非常に可愛らしい。それにしてもやられたなー。


    2001/02/18 研究会は終わった!

     組織論研究会は2月17日盛況のうちに終わった。今回の研究会は、なかなか異色(酔狂?)であったのに、20名の人たちが参加してくれた。参加してくれた方々にこの場を借りて感謝いたします。また、楽しい研究会をしましょう!

     今回の研究会で僕が一番面白かったのは、やはり「リクルートのナレッジマネジメント」という本だった。ずいぶん前からCool Researchのコーナーでは紹介していたけれど、この本、ネットワーク上の学習コミュニティ構築を考える上で、非常に示唆に富む指摘があるように思う。それは「どうやってコミュニティを維持するのか=みんなで自分の思考を外化していき続けるのか」ってことだ。月並みなコトバだが、コミュニティっていうのは、つくるのは簡単だ。それよりも維持していくことの方がムズカシイ。

     なぜか?

     それは時間をかけて自分の思考を外化すること、あるいはリフレクションすることっていうのは、非常に作業負荷が高いからである。

     たとえば、CSILEでは、アタラシイメッセージを書き込むことを「貢献する」といい、ある学習者のメッセージに返信することを「Build On」するという。この背後には、コミュニティの知を、みんなで立ち上げていこうというCSILEの「Knowledge Building Community」としての思想があるのだが、それにしても、これは大変な認知的負荷なのだ。
    「コミュニティのため」だってことがわかっていても、なかなかできない。だから、なかなか維持されるコミュニティをつくるのはムズカシイのである。

     リクルートの本は、このアポリアに対して重要な示唆を与えてくれた。それが何であるかは、僕のアタマの中ではおぼろげながら、だが、確実に姿があらわれた。むこう一年の研究課題が見えた気がしている。

     やっぱり研究会はいいなー。


    2001/02/19 そんなことのために

     研究者は最後は「独り」だ。最後には自分で自分を問うことになる。それはどんなに共同研究に身をそめようとも、いろいろなプロジェクトにかかわろうとも、人をどんなに自分の研究に巻き込もうとも、変わることのないことだ。最後は独りなのだ。大学院にいくにあたって、そのことをよーく覚えておけ。

     かつて、学部時代の指導教官に言われたコトバである。当時の僕は、学部4年生。そのとき、指導教官が僕に何を言いたかったのか、アタマが合コンから抜け出したバカリの僕には知る由もなかったが、今になって考えてみると、なるほどなーと思う。

     共同研究やプロジェクトというものは、良さもあるけれど、危険なところもずいぶんある。人と話していて、学ぶことはずいぶんあるし、僕自身その恩恵はホントウに数え切れないぐらい受けてきたけれど、時にそれらを振り返るときがなければ、プロジェクトや共同研究に押しつぶされてしまう危険性がある。簡単にいうと、自分が何をめざし、何を研究対象としており、どんなリサーチクエスチョンをもっていたのか、いつのまにか不可視になってしまうのだ。

     今日は、1日いろんなプロジェクトのタスクを研究室でこなした。で、すべてのタスクを終え、コンピュータの電源を切ろうと思ったら、ふと「侘びしさ」なのか「むなしさ」なのか、よくわからない感情が、胸にこみあげてきて、ヘナヘナと椅子に腰をおろしてしまった。

     確かに共同研究やプロジェクトは楽しい。しかし、その中で、他ならぬ<僕>がやらなければならなかったことは何だったのか? そしてこれから<僕>はどこに進もうとしているのか。急に目の前がボンヤリとして、人事不覚に陥ったのだ。もちろん、それは他ならぬ自分の至らなさであって、共同研究やプロジェクトのせいでは断じてないが、もう少しで、研究者としての自分を見失うところだったことは、決して言い過ぎじゃない。

     最終的に<孤独な存在>として、自分で自分を問うこと

     もっともクリエィティヴだと言われる営為の中で、日常をぼんやりと生きるというアイロニーに甘んじること。そんなことのために、僕は生まれてきたんじゃない。


    2001/02/22 専門家おたすけサービス

     少し前から流行だしたインターネット上のサービスに「専門家お助けサービス」というのがある。「AskMe.COM (http://www.askme.com/)」とか、日本だと「ひとびとネット(http://www.hitobito.net)」とか、まーたくさんあるんだけど、最近、これに僕は注目している。

     このようなサーヴィスは、「インターネットと教育の世界」では、実は目新しいことでもナンデモなくて、よく「Expert-Noviceパラダイム」なんてよばれる、よくある学習モデルだ。ジョン=シーリー=ブラウンというおじさんたちが、1980年代後半に理論化をすすめ、そこから「情報技術を使用して、専門家へのアクセスができるようになれば、学習者はおのずと専門家の文化に適応する=学習しちゃうんじゃない」ということが語られるようになった。

     唯一違うとすれば、「インターネットと教育の世界」で行われる「Expert-Noviceパラダイム」は、一般にクローズのコミュニティだった。ところが、最近流行している「専門家お助けサービス」は、データベースをこれでもか、という具合に使ったオープンコミュニティである。また、前者はもちろんのことながら、お金を儲けることは考えちゃいないけど、後者は立派な「ビジネスモデル」だ。

     それにしても、最近よく思うのは、民間の開発の「すさまじい速さ」だ。教育の世界が10年くらいかかってやってきたことを、なんと民間は数ヶ月で実現してしまう。おー恐ろしい。

     世の中の流れについていけなくなって、しょーもないことをするのはまっぴらゴメンなので、これまでもメールニュースとかをガシガシと読んでいたけど、なんか急に不安になって情報入手先を少し拡大し、インプレス社のインターネットマガジンを定期購読することにした。

     すさまじいスピードだなー。相川七瀬じゃないけれど、夢見る少女じゃいられない!

     なんで少女やねん!


    2001/02/23 怒り

     去年の夏頃からであろうか、山内さん@東大、永井さん@多摩美術大学と一緒に、東京大学MELLプロジェクトの Online Workshop を支援するシステムづくりをしていた。システムは無事に稼働。既にMELLプロジェクトのメンバーによって使用されている。また、先日、特許申請も行われた。

     Online Workshopを支援するシステムは、Web Applicationである。要するに、Internet ExplorerとかNetscape NavigatorなどのWebブラウザを使用してアクセスするのだが、システムがメンバーに使用されるにつれ、様々な問題が起こってきた。

     問題というのは、ブラウザによってシステムの動きが異なったり、使用できなかったりすることである。もともとインターネットの設計というのは、クライアント中心主義的にできているため、こうした問題が起こった場合、ユーザーがそれに対応するクライアント(ブラウザ)をダウンロードして、アクセスすればいいってハナシになるんだけど、それはインターネットの利用者がパワーユーザだけだった黎明期だけに許された言説である。

     ユーザーの中にはお年を召した方もいらっしゃるので、ユーザーにその負担をかけることはできない。相手が開発者ならば、「すべてのブラウザとOSをサポートするWebアプリケーションは不可能だ」「これは仕様だからシカタがない」「ユーザーの責任で対応ください」として開き直ってしまうことも可能だが、そうもいかないのだ。

     Webを記述する言語「HTML」というのは、もともとどんなクライアントからでもアクセスできるようにブラウザ間で完全に互換のとれたランゲージであった。また、今回のシステムで若干使用している「Java」も、「Write once, Run Anywehere」のコピーそのままに、機種やOSに依存しない言語として開発された。

     それが、どこぞの会社やどこぞの団体の拡張仕様、はてにはシェア戦争のおかげで、互換部分が少しずつ失われていった。おかげで、Webを用いたアプリケーションを構築する場合、「すべてのブラウザとOSをサポートするWebアプリケーションは不可能だ」という開き直りがやむを得ぬものとしてまかり通り、ユーザーが泣きを見る目になったのである。システムの開発者として僕は、何度こういう光景を目にしてきただろうか。

     この問題が、どこぞの会社が儲かり、どこぞの団体が業界の主導権をとる、というだけに終わるなら、それでもいい。ハッキリ言って勝手にやればいい。僕はお金儲けにそれほど関心はないし、政治には全く興味すらない。
     そうではなくて、ブラウザやOSとの組み合わせで、当然、それにアクセスできるはずの学習者が泣きを見て、アタリマエにおこるはずの彼らの学びが阻害されることが、許せない。かといって、すべてのユーザーをサポートすることは、時間的にも費用的にも絶対に不可能だから、自分の無力感を感じざるを得ない。

     そういう間にもブラウザはどんどんヴァージョンをあげていく。アタラシもの好きのパワーユーザーは、ヴァージョンアップのたびに、アタラシイ環境を手にする。畢竟、テクノロジー音痴のユーザーとのデバイドは、どんどん拡張していく。

     今、この瞬間、新たなデバイドがゆっくりと、だが確実に生まれている。


    2001/02/24 Project XEON

     Project XEON が第一のヤマを迎えている。国際関係と経済を学ぶWebゲーム型CSCL環境だ。先日は、α版の試行をやった。たぶん、プロジェクトメンバーの今井さんが、今頃、ヒーヒー言いながら、雑誌論文を書いていることだろう。がんばってくださーい。

     経済を学ぶWebのサービスといえば、野村証券のやっているバーチャルトレード(http://www2.nomura.co.jp/vstock/VirtualServlet?)が有名だが、ちなみに、僕も参加したことが何度かあるけれど、儲けたことは一度もない。どうにも経済は苦手である。学部の教養時代に、鼻くそほじりながら経済学の授業を聞いていたバツが、今頃あたっているんだろう。そんな思いを、Tommorow of children には味わってほしくないな、というのが正直な気持ちとしてあるっちゃーある。

     話を戻して、試行ではいくつかのシステムの問題点がでてきたが、まー、システムデザインの妥当性は検証できたかナーと思っている。

     このプロジェクト、大変だけど楽しみだ。


    2001/02/25 スカイパビリオン

     去年の12月31日よりはじまった「インターネット博覧会:インパク」だが、結構盛り上がっているようだ。サイトが重いだとか、税金ばらまきだとか、まーいろいろ言われているけど、僕としては別にそれでもいいんでないの、と思っている。第一、サイトが重いのは、まー、日本の今の回線状況だとイタシカタナイ。

     先日も、なんかネタないかなーと思ってチョロチョロとインパクサイトを見ていたけれど、やっぱり工夫されているところは、かなりスゴイよなー。トヨタ自動車のネットワーク対戦型レースゲームなんかは、よくつくったなーと思ってしまう。富士通も教師支援のサイトをつくっている。

     個人的には、J-phoneのサイトが好きだ。なんといっても、最初のフラッシュムービーのデザインは圧巻だ。

  • スカイパビリオン
  •  このサイト、別に何をするというわけではなく、何の気なしに眺めるといいと思う。綺麗だし、ムービーが意味のあるカタチでインタラクティヴなのがいい。

     ちなみに、このサイトはアオイプロモーションが制作している。僕の先輩の佐野さんも、この制作にかかわっているらしい。最近、彼にはお逢いしていないけれど、たぶん、僕の10倍くらい生き急いで、業界をサバイヴしているのだろう。お体、ご自愛ください。


    2001/02/26 思い出が通り過ぎた日

     大阪のおうちを引き払い、上京した。何も置かれていないどこかうつろな部屋の窓から、吹田の丘を見ていたら、何だか寂しくなって、目の前をいろいろな思い出が通り過ぎた。ハッとして遠くに目をやっても、当然のことながら、変わったものは何一つない。

     とまぁ、感傷に浸っているのもそこまで。あんまり感傷に浸っていると、指とか腹がふやけるから、やめた方がいい。腹はふやけんだろー。

     今日は、Project XEONのショートレターを今井さんが投稿した日だ。XEONプロジェクトメンバーとは、メーリングリストをほとんど「チャット」のように用いた。今井さん、お疲れさまでした。

     また、Project EVAのシステム仕様も、大阪から羽田までのJALの機内で執筆。これは、E-mailですぐに大阪のプロジェクトメンバーに送付。あとは、西森さんが主導権をとって、浦島君とインタフェースを確定してくれるはずだ。できれば、先行するプロジェクトであるProject Sphereのシステムと一部統合をはかりたいが、どうなるか。このミーティングは、あさって行われる。

     明日は、NIMEの研究室の引越だ。書籍がアホほど詰まったファッキンヘビー(Fuck'in Heavy)な段ボール数十個が、僕を待っている。


    2001/02/28 学生最後の日に

     今まで日記ではふれてこなかったけれど、僕は2001年3月1日より、文部科学省 メディア教育開発センターの助手として勤務することになった。この人事が決まったのは、今年の1月中旬のこと。それから目も回るようなスピードで準備を進めてきた。なにせ、着任準備がいくら大変だからといって、現在進行している研究をストップすることはできない。むしろ、来年の研究計画もぞくぞくとあがってくる。途中、インフルエンザになったりもした。今まで何度か引越を経験してきたが、今回が一番キツかった。

     大阪最後の日、院生最後の日を迎えるにあたり、脳裏にはいろいろなことが浮かんでくる。

     僕が大阪にきたのは、今からちょうど3年前。当時は「マルチ」とよばれる場所に僕の所属する研究室はあった。院生はみんないい人たちだった。しかし、生まれてはじめての関西での生活に加えて、慣れないシキタリや制度。特に最初面食らっていたのは、院生同士の生活が、ほとんど「家族」みたいになっていることだった。

     「個人」を単位として研究が進行する東大とは違って、基本的に大阪大学大学院の研究室は、院生が助け合ったり、ミーティングで議論したり、教えあったり、タスクを割り当てあったりする、いわゆる共同研究のスタイルが非常に多い。だから、必然的に院生の生活の9割は研究室で過ごすことになる。これが、この研究室の特徴だった。
     様々な制度的葛藤、矛盾。紆余曲折の過程をへて、僕は「シス工(旧:教育システム工学講座)」のメンバーになった。僕の生活の99%は、研究室そのものだった。かつて、学部時代、僕はエッセイとして、こんな雑文を書いたことがあったが、そのときの予期通り、僕の研究室へのエントリーは、まさに正統的周辺参加であった。

     研究は、本当に自由奔放にさせてもらったと思う。指導教官の前迫先生、菅井先生には本当に感謝している。たぶん、僕ほどワガママな自由気ままで、お気楽ご気楽な院生は、日本中どこを探してもいなかったのではあるまいか。
     自分の興味関心に応じて、自由にプロジェクトをたてて、自由に日本中を歩き回り、自由に研究成果の公表をさせてもらった。感謝してもしすぎることはない。

     また、何人かの院生仲間と立ち上げたいくつかの研究プロジェクトは、本当に楽しかった。お互いムキになってキレかけることもあったりしたけど、それでも、僕らは<愉快なCo-Researcher>だった。研究プロジェクトの中には、現在も活発に進行しているものもある。一生、信頼できる仲間とこんな風に研究がしたい。心からそう思う。
     蓋し、研究の楽しさは、東大で学んだ。そして、「共同すること」の楽しさを教えてくれたのは、大阪大学大学院の研究室の仲間たちだった。心からお礼がいいたい。ありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします。

     前日、前々日と大学に徒歩で向かった。去年バイクを入手してからというもの、しばらく経験していなかったことだったけれど、道すがら、いろんなことを考えた。今、眼前に広がる風景が何か貴重なもののように感じて、この貴重な絵を脳裏に刻み込もうと、あちらこちらに目をやった。キョロキョロあたりを眺めていると、何だか寂しくなってきたりして、センチメンタリズムが心を浸した。
     学び続けることにイヤになったら、研究することに疲れたら、もう一度ここにこよう。そして、大学までの30分の道のりを、もう一度歩いてみよう。

     今日は、僕の院生最後の日だ。否、学生最後の日でもある。しかし、学生というものが、、「学ぶもの」という意味ならば、僕は一生「学生」であり続けたい。否、そうならねばならぬ。
     また、認知理論のいうがごとく、学習というものが根元的に社会的なものであり、コラボラティヴ(Collaborative)なものであるならば、僕は一生、<あなた>と協同したいと思う。
     僕の研究はまさに、僕の生活方針そのものであり、僕の生活は僕の研究に裏打ちされている。

     最後に、僕の研究と学習を支えてくれた大阪大学大学院の両指導教官、院生・学部生諸氏、特にCSCL研究会のメンバーに、この場を借りてお礼が言いたい。本当にありがとうございました。僕は、ここにきてよかった。3年間を阪大で過ごせてよかった。心からそう思います。

     かつて研究室の先輩である佐野さん(現・アオイコーポレーション)からこんなことを言われたことがある。

     たとえ、別々の場所に暮らしていても、楽しくてステキなことをやっていたら、必然的にいろんな場所で出会うことができる。

     <楽しくてステキなこと>が導く将来の<出会い>。それは偶然でもなければ、蓋然でもない。必然的な、あまりに必然的な<出会い>。

    2001年2月28日 千葉幕張にて
    中原 淳



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