The Long & Winding Road - 2000/09


2000/09/01 めんそーれ

 堀田先生@静岡大学のオファーで、堀田先生と高橋さん@富山大学と僕の3人で沖縄の教育工学会合宿に参加することになった。合宿は明日から。今日は、沖縄国際高等学校に訪問させていただいた。まずは、このような場を与えていただいた堀田先生に感謝します。ありがとうございました。

 沖縄国際高等学校は、今年開校3年目を迎える新設校。情報教育が盛んである。堀田先生の大学時代の後輩だという安里先生に校内を案内していただいた。

 この学校には、成績処理や出席処理を行うという教師用のグループウェアが導入されている。また、Lotus Notesを使って、日々の会議を最大限に減らしているらしい。フツウの会社では、従業員がこのようなツールを使用する場面を見るのはアタリマエだが、教育場面で、一般の教員がこのようなツールを使用している、というのは、僕ははじめてだったし、とても驚いた。それにしても、なぜ驚くのか?この「驚き」は教職という職業の特殊性を僕自身が認識しているという意味において、興味深いのだが、そのことについては今は不問に付しておく。

 高校の訪問から帰ってきたあとは、安里先生に予約していただいた飲み屋に、堀田先生と高橋さんとで出かけた。とてもおいしゅうございました。また、「教育工学」のことについて有意義なディスカッサントができた。特に、デザインのハナシに関しては、とても興味深かった。

 明日はいよいよ合宿。
 個人的には、沖縄で行われていた情報教育プロジェクトである「アイランドクエスト」に興味がある。明日は、どんなオモシロイことが待っているのか。今から楽しみだ。


2000/09/02 バトルオブシリコンバレー

 先日、映画「バトルオブシリコンバレー」を見た。

 スティーヴン=ジョブスとビル=ゲイツ、つまりは、アップルとマイクロソフトの攻防を描いた映画である。僕はこの手の作品がとても好きで、コンピュータの歴史に関する本は相当数もっているが、映像として、歴史を追体験できたのは、ちょっとした感動だった。ジョブズもビルもどちらもイカレた人間であることがよくわかった。スゴイ人間は、イカれてナンボなのだろう。特にジョブズのスピーチには今更ながらに印象的である。

 我々は芸術家だ。ただの砂をあつめて、シリコンアートをつくりだすのだ。

 自分を芸術家だと思え。ピカソはいった。偉大な芸術家は模倣せずに盗む。

(スティーブン=ジョブズ)

 映像としては、「効果」の用いすぎが気になる感じだが、まぁ、それにしてもジョブズやビルのキャラクターをよくカリカチュアライズして伝えていると思う。

 世の中で何かコトを起こそうとしている「イカれクレイジー野郎」には、是非お勧めできる映画だ。

 このマシンは魂をゆさぶり、退屈な文化を破壊する。神さえもだ。

(スティーブン=ジョブズ)


2000/09/03 朗読者

 最近ちょっとした話題になっている新刊「朗読者」を読んだ。法律家にして小説家の「ベルンハルト=シュリンク」の綴るこの本の主題は、「残酷な愛と人間の尊厳」である。

 母親のような年齢のハンナに恋をした15歳の少年ミヒャエル。彼らはふとしたきっかけで出会い、恋に落ち、逢瀬を重ねるようになる。ハンナに恋をしたミヒャエルは、いつのまにか、彼女の求めに応じて文学を朗読して聞かせることになるが、その蜜月の時期はそう長くは続かない。失踪する彼女、彼女の過去、尊厳。彼の回想からはじまった物語はかくしてクライマックスを迎える。

 「朗読者」にミヒャエルがつくったとされる一遍の詩があった。

 ぼくたちが互いに開きあうとき
 君がぼくにぼくが君に
 ぼくたちが沈み込むとき
 君がぼくの中にぼくが君の中に
 ぼくたちが消え去るとき
 君がぼくの中でぼくが君の中で

 そうすると
 ぼくがぼくになり
 君が君になる

(ベルンハルト=シュリンク「朗読者」pp58より抜粋)

 開きあい、沈み込み、そして消え去るときを迎える「ぼく」と「君」。
 「ぼく」の朗読は、やはり続く。


2000/09/04 沖縄にて

 沖縄での合宿も無事終了。僕の最大の興味であったアイランドクエストの情報としては、探検隊に参加した学生さんから、若干、ヒアリングをさせてもらって、そのワークショップの実際を知ることができた。
 アイランドクエストについては、結局、そうした学習パッケージを、教師がどう実践に位置づけるか、その位置づけを行うために、どういうコンテキストづくりが必要か、という問題があるようだった。

 ところで、堀田先生、高橋さん、僕の3人の今回の旅の目的は、「教育工学と教育実践の関係」についての思索を深めることだったので、沖縄滞在中、本当にいろいろ議論をした。今回は教育工学研究の知見の領域固有性と普遍性についてがメイントピックになったように思う。

 簡単にいうと、教育工学研究というのは、ものすごく幅が広くて、研究の知見は領域ごとに細分化している。その領域ごとに細分化した知のありようを、どのようによりメタ的なセオリーにまとめるか、そして、そのメタセオリーはどの程度、普遍性があるのか、について話し合った、ということだ。僕はある方から聞いた「ラーニングはラーニング説」を紹介した。どんなに知のありようが細分化しても、ラーニングはラーニング。ある場所でのラーニングと違う領域でのラーニングとの間に、共通点や相違点を常にcheckしていく必要性がある、という説を紹介した。

 ともかくこうしたマジメなハナシあり、「意味なしトーク」あり、「戦意喪失理論(?)」ありの非常に充実した時間を沖縄で過ごすことができた。こうした時間を準備してくれたお二人にこの場を借りて感謝する。

 ありがとうございました。


2000/09/05 帰省

 千歳空港から旭川までの所要時間は、およそ2時間。僕を乗せた「特急電車ライラック」は、河の流れに沿って蛇行を繰り返しつつ、進路をひたすら北にあわせる。

 いわゆる「郊外」が続く千歳 - 札幌間。見渡す限りの大地横たわる札幌 - 岩見沢間。岩見沢をあとにして、砂川、深川を抜けると、いよいよアイヌ語で「神の谷」を意味するカムイコタンに電車が突入する。神の谷を抜ければ、旭川は近い。

 今日の北海道は快晴。眩しいくらいに見通しがいい。そんな眩しさの中で僕は中原中也の「故郷」という詩を思い出す。詩の後半、中也はうたう。

 オマエは何をしてきたのだ
 吹きくる風がわたしにいう

 確かこんな件があったはずだ。

 オマエは何をしてきたのだ

 窓の外の大地を這いながら迫りくる<風の声>を聞け。

 旭川、僕の故郷。


2000/09/06 i-mode文学

 僕自身はあまり利用することはないのだけれども、最近、ケイタイメールを利用する人がとみに増えている。僕のまわりにも一日100通のメールを送受信した経験のあるツワモノが何人もいるし、その中のひとりは中学生だったりする。情けないハナシだが、僕の中学生の頃と言えば、異性とテガミの交換をするだけでも、朝から「下半身がサンバ状態」だったので、時代も随分かわったものだ、と切に思う。

 まぁ、私的な懐古はどうでもいいとして、思わず彼ら/彼女たちにハナシを聞くと、とてもオモシロイ。異口同音、口をそろえて、「メールにはある種の文章センスが必要だ」、とのたまう。要するに、短いセンテンスで相手の興味を引くことをすばやく伝えなければならないらしい。「オモロないメール」は性的魅力を半減するのだという。要するに文学なのだよ、i-modeは。だって、平安時代の「伊勢物語」だって、メディアは違うけれど、同じことやってたんだから。

 雅の世界とimodeはかくしてつながっている。


2000/09/07 アサヒカワのこと

 故郷「アサヒカワ」に帰って数日がたっている。今日は、久しぶりに実家の車に乗って、アサヒカワの町並みをドライブしたんだけど、イヤでも気がつくのは、倒産した店舗が急激に増えていることだ。床屋さん、本屋さん、文房具屋さん、タバコ屋さんなど、僕がまだ旭川にいたころ、よくのぞいていた店が軒並み倒産してシャッターをおろしている。シャッターに張られた「営業中の謝意」を伝える張り紙は、とうに色あせ、風にゆらゆらと揺れている。

 バブル経済以降、日本を襲っている不景気は確かにスゴイものだが、北海道の不景気は特にヒドイ。そして、その北海道の中でも観光資源をもたないアサヒカワは、道内でも有数の不景気地域である。ワースト1と言ってもいいだろう。さらに悪いことに、最近、行政と民間企業の癒着、汚職が次々と明るみにでており、その勢いは留まることをしらない。アサヒカワは沈滞した空気が支配している。

 どこぞの雑誌を読んでいたら、アサヒカワのことを「イナカ丸出しの談合社会」と批判している識者がいた。古い因習や慣習にとらわれ、自由競争が成立せず、人事から事業計画まで「根回し」でモノゴトが決まっている地域らしい。そして、そうであるが故に、いつまでたっても外から新規の起業家がこの地を訪れることがない。知識をもっていたり、野心のある若者はアサヒカワを捨て、サッポロやトウキョウに流れていく。若者が魅力を感じないマチに生産力の再生産はあり得ない。

 僕はアサヒカワの「地」を愛している。同時にアサヒカワの「若者」も愛している。アサヒカワという場所が「若者」がplayfulに生きていける「大地」であったらいいなぁと思っている。

 まちがってもらっては困るので最初に断って置くが、アサヒカワという「社会」を愛してはいない。政治に興味は全くないから、アサヒカワという「社会」がどうなったとしても、僕の知ったことではない。

 今日は政治のハナシになった。政治のハナシと言っても、僕の興味関心は政治そのものにあるのではなく、アサヒカワを生きる若者や子どもにある。彼らがplayfulに生きれる場所、何かにシンケンに取り組むことのできる場所、何かアタラシイことをはじめられる場所、そうした場所をアサヒカワが今後用意できなければ、この大地の未来はない。


2000/09/08 タヌちゃんのこと

 最近、僕はイヌの散歩をしている。とはいっても、実家で飼っているイヌと散歩しているわけではなくって、他人のイエで飼っているイヌを散歩させている。

 実家の近くに、イヌを飼っているウチがあって、マイ・オヤジがそこの前を通るたびに、餌をあげていたら、すっかりなついてしまい、そこのイエのヒトに頼み込んで、散歩させてもらっていたのだという。帰省したその日から、僕もその散歩に参加している。

 イヌは本当の名前を「リュウ」というらしい。が、中原家の面々は彼を勝手に「タヌちゃん」と呼んでいる。理由は「タヌキ」に似ているから。

 他人のイエのイヌの名前を無視して、勝手に名前をつけてしまう、イヤイヤ、「上書き」してしまうあたり、やはり僕の生まれたイエというべきか、「なんてうちの家族はずーずーしいのだ」と思ってしまうのだが、まぁ、いいんでないのかい。


タヌちゃん

 タヌちゃんはアホほど可愛い。鯛焼きのごとく、アタマからシッポまで食べてしまいたいと思ってしまうほどだ。僕は、ムツゴロウ(畑まさのり)のように、「よーしゃ、よーしゃ、よーしゃ」と言いながら、彼のアゴのあたりをさすっているが、そうすると、何の矛盾もない笑顔で僕に「じゃれて」くる。「じゃれ」られるのは、イヤではない、むしろ、大好きかもしれない。

 そういえば、関係ないけれど、ムツゴロウさんは、先日、テレビの撮影中に、トラだったかライオンだったかに、親指をちぎられたそうだ。僕も気をつけよう。愛でるとき、アゴをさするのはマズイのか?

 散歩が終わり、玄関先でボールでタヌちゃんと遊んだ。マイ・オフクロとマイ・オヤジと僕の3人でタヌちゃんをかまっていたのだが、それにしてもオヤジとオフクロの可愛がり方は尋常じゃない。よほど寂しいのかはわからないが、タヌちゃんに向かって、「あぁ、オマエは金をくれとも言わないし、ワケワカランことも言わない、素直ないい子だな」と僕に聞こえながら言うあたり、不甲斐ない彼らの息子としては胸に寂寥の感を感じざるを得ない。でも、しゃーないべ。

 僕の帰省はあと4日で終わる。


2000/09/08 上京のこと:妹へ

 今から考えると、まさに「若気の至り」といった感が否めないが、大学進学をするにいたり、僕はあまりに衝動的に、かつあまりに不純な動機で上京を決めた。

 その当時つきあっていた彼女が東京に進学を考えており、あわよくば一緒に上京したいと思ったことが第一の理由。第二の理由は、東京には旭川にはない「何か」があると思ったことである。

 東京には、未だ僕が見たことがない「何か」があるに違いない
 行かなくては、今すぐにここをでなくては

 東京に長く住んでいるヒトにとっては、「とんだお笑いぐさ」かもしれないが、イナカ出身者で上京を決意したヒトのホトンドは、一度くらいはこの思いに駆られたことがあると僕は思う。イナカの時間は緩慢で悠久で、循環する時間である。ゆっくりとした時の流れの中で、自分の<時間>が費やされていくことへの恐怖と焦り。かくいう当時の僕も、まさにこの思いに駆られていた。

 運良く、ほんの少しの「ご縁」だけで、僕の上京は決まった。
 6畳一間のアパートの一室を借りた。青いカーテンを窓際につけ、イナカから送られてきた布団セットを開いた。棚には1.5人分の食器を並べ、照明器具を天井に据え付けた。古い部屋だったけれど、僕はその部屋を気に入っていた。

 毎日、早朝に郵便受けにはいる新聞を取りに行くのが、たまらなく嬉しかった。今日の献立を考え、買い物をすませ、食べた後のあと片づけをするのが、こんなに大変だとは思わなかった。衣服には手洗いでなければ洗濯できないものがあることや、色落ちするが故に、他の衣類とは別に洗濯しなければならないものがあることも、このときに知った。毎日は学習そのものであった。僕は学習者だった。

 話は変わるが、僕の妹が大学卒業後、どうしても上京して就職したいのだという。「なぜ上京したいのだ」と問うても、彼女は「上京したい」を繰り返すばかり。一瞬、要領を得ないなぁと思ったけれど、かつての僕もそんなものだったことを思い出した。そこにあるハズの「何か」が、最初から同定できるくらいなら、イナカ出身の多くの若者は東京には憧れないだろう。「何か」がわからないために憧れ、そうであるが故に、イナカ的なものにあがない続ける。考えてみれば、それが道理なのだ。

 妹よ、いったん「動く」ことを決意したなら、具体的にどんどん動け!
 自分で航海の舵をとれ!
 そして未だ見ぬものの中で学べ!

 老婆心ながら、ただひとつ助言するのなら、「何か」は東京に「ある」ものではない。スターウォーズ、あるいはジョージルーカス風に言うならば、それは街の喧噪の中を動きながら学び続ける君自身なのではないか、と僕は思う。

 いろいろ複雑な思いはあるが、僕は心から応援している。


2000/09/09 困難は分割せよ

 デカルトの方法序説の中に、その命題はある。

 困難は分割せよ

 もしあなたが、あなた自身の<明日>に、解決不能と思われる「とてつもない困難」を見るのなら、その困難を小さい課題に分割して、ただひたすらに取り組むがいい。

 <部分>の総和が<全体>になる、というのが近代という思想をなす根本ならば、デカルトの命題はまさに<近代の夢>そのものであった。

 世の中に解決できない困難はあっても、解決することに躊躇せねばならぬ困難はない。

 そして、僕は自分に語りかける、困難は分割せよ。


2000/09/10 明日に

 なんか今日は気分が乗らない。たとえどんなに美しい光景を見たとしても、僕の知覚のすべての背景は、ぼんやりとしたグレーだ。通りは雨に濡れている。道行く人は傘をさしてる。こんな日には黙っていた方がいい。声なき声を荒らげるくらいなら、黙っていた方がいい。
 明日は晴れるかわからない。誰かに晴れだと言って欲しい。そんな風に甘えたい。


2000/09/11 空港

 僕はあまり飛行機が好きじゃない。なぜって、揺れるから、落ちるかもしれないから、しゃれにならないほど怖いから。
 あと、フライトアテンダントのお姉さんも苦手です。綺麗なヒトが多いのはいいんだけど、それ故になんか緊張しちゃってモノを頼みにくいんですね。貧乏性なので、ていうか、自意識過剰なのかもしれないけど、「あのー、お茶なんか持っていただきたいのですが、よろしいでしょうか候」なんて言ってしまいたくなる。
 先日も、堀田先生@静岡大学、高橋さん@富山大学と沖縄に行ったとき、帰りの便で僕が「ウーロン茶」のおかわりをお姉さんに頼もうとしてモジモジしていたら、笑われてしまいました。

 ところで、飛行機があんまり好きじゃないっていうのには、もうひとつ理由があって、僕はどうも空港「も」好きじゃないんです。どうも、空港っていうと、寂しいイメージがあるんですね。なぜかはわかんないけれど、「空港=別れ」「空港=誰かが遠いところにいってしまう」を連想してしまうんです。
 なんか、かなり前に、中島みゆきの曲がバックグラウンドミュージックになっているCMで、男と女が別れるシーンがあったと思うのですが、そのCMのイメージが強烈で、たとえ旅行でウキウキ状態で空港に行っても、どうしても、心の奥底で中島みゆきがジュディオングみたいな衣装をつけてギター抱えて歌っちゃってる。

 あと、「時間ギリギリ」という状態に置かれるのが、僕は性格上イヤなんだけど、空港でそういう状態になっちゃうことが多いんですね。なんで、「時間ギリギリ」が嫌いかっていうと、時間に追い込まれると、なぜか「オシッコ」に行きたくなってしまうんです。腎臓とか膀胱が痛むんだよ。だから、嫌い。
 ところが、空港では「時間ギリギリ」に追い込まれやすいんですね。なにせ、空港は都市から少し離れたところにあって、交通機関が混雑してて、たいがいの場合は遅れちゃう。あと、空港には「チェックイン」「手荷物あづけ」「ボディチェック」「搭乗」という風に手続きがたくさんあって、それをこなすだけでも、結構な時間になっちゃうわけです。というわけで、ギリギリ状態になっちゃうんだね。で、僕は空港でいつもあわてふためくことになるわけで、それで「おしっこ」までしたくなって、さぁ大変。

 さんざん愚痴りましたが、明日、僕は飛行機に乗ります。
 台風が近づいているみたい、機体、揺れるんだろうな。


2000/09/12 未来日記

 先日ふとテレビをつけたら、「未来日記」が放送されていた。放送を見ながら、そういえば先日沖縄で、堀田先生や高橋さんと未来日記について話したことを思い出した。僕はレンタカーを運転しながら思考をめぐらせ(危ないなぁ・・・)、おおよそ、以下のようなことを話したように思う。

 今の時代、恋愛の物語は多種多様にある。そして、僕らは多くの恋愛のパターンを、程度の差こそあれ、知っている(恋愛のすべてを知っている、というわけではないのでアシカラズ)。テレビを見て、雑誌を読み、街に張られているポスターの前を通り過ぎ、僕らはそれを知る。メディアが少なからず介在している。

 恋愛というものが、それほどオープンじゃなかった時代は、自分の経験するひとつの恋愛こそが、唯一の恋愛だった。それしか知りようがなかったのだ、なぜなら、それは近代の家族制度のもとで、多くの場合、結婚まで秘められていたから。恋愛はおいそれと語られるものではなかった。

 しかし、今の時代、恋愛は語られるものになった。誰もが多くを知り得るものになった。そして、それは同時に相対的で並列的なモノになってしまった。あれも、これも、それも恋愛。

 未来日記は、会を重ねるごとに典型的な恋愛物語を、参加者に与える。参加者にとって、この物語はとりあえずは疑うことのできない絶対的な物語である。ここに参加してさえれば、典型的であるが故に他者がうらやむような、つまりは「あれ、これ、それ」という具合に並列にはならない恋愛を営むことができる。そして、それを垣間見る聴衆は、そうした「あれ、これ、それ」という具合に並列的、かつ相対的でない恋愛に憧れる。

 未来日記もまたメディアである。メディアはかつて絶対的なモノであったハズの恋愛を解体した。しかし、今度はそれを再生しようとしている。それも、「自己成就予言」という巧妙なシカケを用いて、典型的で絶対的な恋愛を演出しようとしているのだ。

 レンタカーを運転していた僕が考えていたことを上にまとめてみた。我ながらサイコな思考をめぐらしてしまったと思ったけれど、運転しながらだから、しゃーないべ。

 ところで、ハナシは変わるんだけど、グループ交際。僕にとっては古ネタのビバリーヒルズ青春白書にも言えることなんだけど、未来日記で採用されている恋愛形態は、グループ交際だ。「グループ交際」っていまや死語か? でも、僕は、それを経験したことがないから、憧れたりするんだな、これが。恋愛もCollaorationによって達成されるものなのか? そうだとしたら、自分の依っている理論との整合性を保つためにも、是非、グループ交際をやらねばならぬ。でも、この年になって、グループ交際しようだなんて、言えないよなー、やっぱり。


2000/09/13 自分宛のエール

 最近、帰省などがあってちょっと研究を休んでいたが、今日からはフルスロットルだ。めいっぱいオモシロイこと、探しにいこう。

 早速本屋にいくと、オモシロそうな本を数冊見つけた。「テレビ制作入門」と「ウェブユーザビリティ」という本だ。ともに、Cool Research & Designのページに紹介して置いたので、興味のある方は是非参照して欲しい。

 むこう一週間でやらなければならないことは、両手にあまりある。

  • Project BASQUIATのWeb Coursewareづくり
  • Project Scioのシステムモックアップづくり
  • Project Scioのフィールドテスト
  • Project Scioのシステム構成図づくり
  • Project Slateのためのワークショップ研究会への参加
  • Science@FUN-HAKODATE projectのミーティングへの参加
  • 教育工学会のプレゼンテーションづくり(課題発表・一般発表)
  • MELL ProjectのWeb立ち上げ=Lotus Dominoのプログラミング
  •  たまには落ちこんでしまうこともあるかもしれないが、明るく楽しくやっていこう。今日の日記は、自分へのエール。


    2000/09/18 めでたい

     北海道から帰省して以来、連続稼働が続いている。少し体調を崩したけれど、何とかやっている。ところで、先日、学会の方から、論文賞、研究奨励賞の受賞が決まった、との連絡があった。かなり嬉しい知らせだ。


    めでたい

     思えば、僕は、本当に賞状に縁のない小学校・中学校・高校生活を送ってしまった。僕の記憶が確かならば、僕が最後に賞状をもらったのは、中学校のときに「書道作品」が北海道のコンクールでマグレで佳作をもらったときだったろうか。

     今回の受賞の理由は、1999年に掲載された論文と1999年度の学会発表だという。どちらも、本当に多くの人々の支えやかかわりの中で達成されたものだ。「学習とはそもそも協同的なものである」というのが、僕の研究における背後仮説ならば、「研究」という営みもそもそも協同的なものだ。研究する者としての僕のありようと、僕の研究を支えてくれたすべての人々に、この場を借りて感謝いたします。

     それにしても、学会総会で受賞するらしいが、緊張しないだろうか。足と手を一緒に動かして歩いてしまっている自分を想像すると、今から夜も眠れない。


    2000/09/20 LEGOのこと

     いろいろ理由があって、最近、僕はLEGO Brockマニアになっている。MindstormやRoboLab.と学習をつなげる研究するプロジェクトに従事しているためだ。まぁ、そんな感じの研究をしているせいで、余計、敏感になっているのかもしれないけれど、最近、LEGOがにわかにブームになりつつあるなーと思う。LEGOのゲームもいくつかでるようだし、先日は、作品展示会も開かれていた。MindstormなどのLEGOの商品を専門的に扱う店もでてきた。

    LEGO Exibition & Shop
     

      
      

     デザインされた人工物としてLEGOを見ると、ものすごく美しい。それは構造的でありつつも、柔軟なデザインがなされている。研究の合間に、ふとLEGOブロックを組み立てる。一心不乱に組み立てているときに限って、いいアイデアが生まれちゃったりなんかして、結局、最後まで組み立てることはできないんだけど、今の僕にとっては、心休まる瞬間のひとつであったりする。


    2000/09/23 FutureKids

     FutureKidsの鶴谷さんにはじめてお会いした。7月の日記で僕はFutureKidsの企画したシンポジウムである「リストラッ子にならないために」を取り上げたのだが、それを鶴谷さんがごらんになって、メールをくれたのがキッカケになった。最初は怒られるかと思ってビクビクして、FutureKidsのラーニングセンターを訪ねたが、全然そんなことはなかった。鶴谷さんは、大変お忙しいところ、僕を大変温かく迎えてくれ、FtureKidsのカリキュラムやシステムについて説明をしてくれた。この場を借りて鶴谷さんに感謝する。


    FutureKidsの鶴谷さん

     ところで、FutureKidsのカリキュラムだが感心したのは、その評価項目の細かさであった。ケーススタディをもとにした学習活動を通して、「どんなことが学ばれるのか?/学ばれることが期待されているのか」をキチンと細かく明言している。それを明示できるということは、少なくともそれに基づいて評価が可能だってことを意味している。

     情報教育や総合的な学習の時間のカリキュラムというと、とにかく「メタ何とか能力」とか「問題解決能力」とか非常に「アイマイ」なことを言われるんだけど、それをどう評価するかっていうのは、今、モノスゴク問題になっている。FtureKidsのカリキュラムは、この問題に関して示唆に富むと思った。

     FutureKidsには1時間30分程度お邪魔した。そのあとは、MELLプロジェクトのシステム開発のミーティングだった。MELLプロジェクトで使用するBBSで実装するインタフェースのフィージビリティについて話をした。これまでにない「動的なインタフェース」なんだけど、仕様をつめることと技術的な検討が必要なようだ。

     And Life Goes on...


    2000/09/24 雑記

     ようやく大阪も涼しくなってきたようです。今日も「朝晩は半袖じゃ肌寒いよ」と誰かが言っていました。が・・・北国生まれの僕にとっては、ようやく本領発揮の季節です。半袖と言わず、短パンでまだまだイケます。それにしても、今年の夏は暑かった。グダーッと一日中「溶けている日」も数日ありました。

     宵の風があんまり涼しくて気持ちいいので、というよりも、環境の劇的な変化からか、全く寝付けないので、小野原を散歩してみました。ひっそりとしていています。駅から歩いてくる人もいません。コンビニのまわりだけがいやに明るい。なんだか「灯りに集まる夏の虫」みたいに、コンビニの方に吸い寄せられました。これが、かつて生物の教科書でならった「走行性」というやつなのでしょうか。

     310号室のドアに鍵をさしました。
     間違って「別の鍵」をさしてしまったのは、今日3度目の「出来事」でした。


    2000/09/25 i-modeにイチャモン

     i-modeとかPocketPCとかPalmなんかのケイタイ型端末を使った学習環境構築プロジェクト、Project Slateを立ち上げてから、はや1ヶ月になる。このプロジェクトは、これらのケイタイ型端末を使って、対面状況にいる学習者同士の相互作用を支援することを目的にしている。ミソは、今までのCSCLとは違って、「対面コミュニケーション」を側方から支援すると言うことだ。学習者のやりとりは、もはやネットワーク上でのメッセージの交換ではない。具体的には、教育・学習関連のワークショップなどで使用する。

     プロジェクト参加希望者からの企画もようやくでそろった。10月2日にコンペティションを行って、いよいよホントウにこのプロジェクトが始動する。僕の経験に関する限り正しいと思うのだが、研究プロジェクト運営は、第一に意志決定に関しては「競争原理」を導入することと、第二に労力と知識や技術の配分に関しては、チーム各自が「研究役割を確保」しあいつつ、知識を協同的に蓄積していくことが、重要だと思う。今回のプロジェクトも、そうなるであろう。

     そんなプロジェクトで暫定的にディレクターの役割をつとめているせいか、最近、これらの携帯型端末が気になって気になってシカタがない。街でi-modeやPalmを使っている人を見れば、何を打ちこんでいるのか、思わずのぞき込みたくなる衝動を抑えるのに一苦労だ。ところで、今日は、数ある携帯型端末の中から、特にi-modeのお話。

     i-mode、いわずとしれたNTTDocomoのケイタイ電話である。消費者としてこの端末を見ると、なかなかよくできている。が、開発者としてi-modeを見ると、イタダケナイところが多い。別に「画像がキチンと表示されない」とか「画面が小さい」とかいうことで、文句を言いたいワケじゃない。画像をキチンと見たければPCを使えばいいし、画面が小さいというのならば、プロジェクタでも使えばよい。問題は、そんなケツの穴の小さいコトじゃないんだ

     i-modeの問題、それは開発者に対する情報のクローズ性にある。たとえば、NTT Docomoはi-modeの仕様とか情報をキチンと公開していない。NTT Docomo公認のコンテンツプロバイダになれば、そういう情報をもらえるというハナシが今月号のdesign plexの「i-mode特集」にのっていたけれど、フツウの開発者には全然そんな情報は与えられていない。

     たとえば、今秋からi-modeにはJAVAがハシルという。JAVAがハシルということは、プログラムの可能性は飛躍的に高まるわけで、開発者ならば当然のことながら、開発したJAVAアプレットで「Webブラウザ」とか「メールソフト」とか「電話」とか「赤外線デバイス」なんかを制御したくなるだろう。最近注目のテクノロジー、Bluetoothとのかねあいも気になるところだ。

     これらが縦横無尽に組み合わさって制御できるようになれば、無敵のコミュニケーションデバイスのできあがりだ。ケイタイは、PCとかPalmなどと違って、そもそもが電話であるために、モデムなんかのコミュニケーションデバイスを別途必要としていないから、非常に安い単価で、コミュニケーションメディアをつくることができる。かくいう僕も、今度のプロジェクトでは密かにi-modeを使うことを考えているのだが、こういう情報がのどから手がでて「アヤトリ」をはじめちゃうほど欲しい。

     たとえば、ソニーを見よ。ソニーのPalm「CLIE」は、仕様を細かく公開しているし、開発者向けのサイトでジョグダイヤルなどのインタフェースのSDKを無料で配布している。つまり、開発者がCLIE用のアプリケーションを「書く」ための開発環境をキチンと整えているのだ。SONYのCLIEのデヴェロッパーサイトは、さしずめ開発者コミュニティといったような雰囲気をもっている。

     翻って、マイクロソフトを見よ。PocketPCの開発環境「embeded Visual Tools」は、CD-ROMのメディア代と配送料を負担すれば、無料で公開されている。さすがはゲイツ、たまにはゲイツ。こういう風に開発環境が整っているメディアなら「これを使って開発しよっかなー」という気にもなるけれど、技術情報がなかなかはいってこないメディアに対しては、面倒くさそうなので開発リストからはずさざるを得なくなってしまうのが世の常なのだ

     別にここで僕が吠えたからと言って、NTT Docomoの現在の方針が変わるなんてコトは夢見ちゃいないけど、そうはいっても「何とかしてほしい」と思う。JAVA対応とかWCDMAとか、携帯電話は、今、モノスゴイスピードで進化している。開発者から見れば、ものすごく魅力的なデバイスであることに間違いはない。今後のi-modeの開発者サポートに期待している。


    2000/09/28 Morning Coffee

     最近、早起きが続いている。今日は、朝早く起きて、掃除機などを走らせ、布団をパンパンとして、タオルケットやシーツなどを洗い、アルバムの整理なんかをした。ところで、何かのCMのコピーかどうかはわからないけれど、かつて僕はこんなセンテンスを聞いたことがある。

     いい男は、でかける2時間前に起きて、エスプレッソを飲みつつ、英文雑誌に目を通す。いい男は、朝を迎えるのではない。朝を愉しむのだ。

     ほほー。で、早速、気の早い僕は、今日はマネしてみることにした。ちょうど、Communications of ACM(アメリカ計算機学会の雑誌)の最新号が届いていたし、昨日、ローソンで買ったエスプレッソもあった。そもそも、僕はだいたい出かける前の2時間前に起きることは習慣になっているから、これはクリアだ(僕は時間に追われるのが死ぬほどイヤなのだ)。

     エスプレッソを飲みながら、Communications of ACMを読む。

     なるほど、こんなWebテクノロジーがあったとは。ほほー、最近のJAVAではこんなこともできるのか。僕がかつて覚えた頃は、イケてなかったなー。とまぁ、「ダバダー状態」で「朝を愉しんでいた」のもつかの間

     あれっ...
     おっ、おっ、おっ、これは、ヤバイ、苦しいぃぃぃ....
    (ダイ便意を催し、便所に駆け込む)

     教訓. 朝を愉しむときは、その前にスマスこと。

     というわけで今日は朝からハラが痛い。


    NAKAHARA,Jun
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